軌道

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 国道十六号線から響く喧騒に慣れるのに時間がかかった、という話をしたとき、バブルの頃は夜中でも昼間と同じくらいうるさかったと運転歴三十年を超えるベテランのドライバーが教えてくれた。今ではアパートの窓越しに聞こえる騒音もすっかり気にならなくなり、職場も近いのでむしろ快適だと思っている。バスシャワー付きだが近くには老舗の銭湯もあり、週に一、二度はそちらの世話になっている。  勤務日誌を書き終え総務課の女性に渡すと、お疲れさま、との声が返ってきた。軽く返事をし、事務所を出て空を見上げる。  千葉港に隣接する工場地帯から上がる白煙が、薄い夕暮れの空になびいては行先を探していた。  前日、埼玉県にある鋼材商社の倉庫に機械の部品を運び帰ってくると、一人の男が駐車場に立っていた。自分の姿を見つけるとさっと寄ってくる様子だったので、気味の悪さを感じて事務所に逃げ込んだ。その場にいた経理課の森園ちなみに聞くと、自分の帰りを待っているのだという。 「俺、あんな奴知らないよ。泊りになるとか言って追い返してくれてもよかったのに。」  そう言ったら、以前本当に泊りだった日にも現れて、今回が二度目なのだという。 「で、用件は何だって?」  それが…と、ちなみが言い淀んだので、いいから教えてくれと半ば問い詰めると、ようやく答えた。 「南雲和真さんですね。初めてお目にかかります。フリーでスポーツライターをしている玉田拓人と言います。急に押しかけてしまい申し訳ありません。」  若くは見えるがおそらく自分とそんなに歳は変わらない。四十前後と思われるその男は、ポロシャツに綿パンというラフな格好だったが、正面に立つと礼儀正しく頭を下げた。  和真の頭の中で検索機能がしばし作動し、ややあって回転を止めた。 「十四年前の静岡県大会の決勝戦の記事を書いています。いくつかお話を聞かせていただければと思って…。」  その言葉を発した瞬間、和真ではなく相手の玉田の方が身構えたのが分かった。理解はしています、貴方が話したくないことは十分に。それを分かったうえでここに来ました、とでも言わんばかりに。  和真はその男をしばし凝視した後、先に目を逸らした。 「好きに書いてください。昔の話ですし。」  そう言って立ち去るつもりだった。今日は時間が無いので、と言い訳じみた言葉も添えた。 「重要な場面なんです。だから南雲さんに直にお聞きしたくて。」  半身になった和真の斜め横から玉田が食い下がってくる。無視しようかとも思ったが、和真は振り返ると必要以上にぶっきらぼうを装い、最終通告といった様相で吐き捨てた。 「いや…だから俺の部分なんてどうとでも書いてくださいよ。それでいいですから。」  そうはいきません、と玉田が反論してきたので、強い口調になった。 「真面目に答えたとしても、その通りになんて書いてくれないだろ。」  踵を返し、歩みを進める和真の後方から、今度は何も聞こえてこなかった。
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