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仁汰は力なく腕を下ろした。それと同時に、沼の中心にある祠の観音開きの扉が開いた。
「なに?」
どこからともなく赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。咲那は燃え盛る仁汰を見上げながら、視線をさまよわせた。あたりに人影はなく、薄暗い沼地に影が落ちている。あたりの気温が急に下がったと思うと、仁汰の体が祠に吸い込まれるように飛んで行く。祠の中に仁汰が入った途端、両扉がひとりでに閉まった。
あたりは何事もなかったかのように静まり返る。夏が近いというのに寒気がして、咲那は体を抱えた。
「仁汰くん?」
呼びかけるが返事はない。ほおに冷たいものが触れ、咲那は顔を上げた。
雪だ。季節外れの雪がちらちらと沼地に降り注いでいた。なにかがおかしいと感じながらも、彼を探そうと抜けた腰に鞭打って立ち上がる。
沼の中心に立つ祠には、祭りの日にしか梯子がかけられない。思い切り跳べばぎりぎり届くか、届かないかの絶妙な距離だ。
祠の扉には鍵穴があった。咲那は腰をかがめ、目を凝らして鍵穴をのぞいた。真っ黒い穴から、誰かが同じようにのぞいている。金色の獣の目だ。
ガタガタと祠が揺れ始めたかと思うと、祠の扉が再び開いた。薄暗い祠の中で動く影が見えた。姿を確かめようとした時、祠の中からなにかが飛び出す。それがなにか見える前に、倒れて頭を打った咲那は意識を失った。
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