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「お父さんも、話したくないなら別にいいんだよ」
圭吾の肩に手を置くと、彼の視線が咲那に向いた。
「ヌマ」
なんと言ったのか分からず、咲那は「え?」と聞き返す。
「沼」
そう答え、父親はまた正面を向いてぼんやりし始める。
「これ、すごくおいしい! 西本さんにお礼せんといけんね。何がいいかね? ほら、お父さんも食べてみんさい」
裕子はもらったキュウリをそのままかじって食べていた。食べかけのキュウリを圭吾に差し出し、食べるように促す。
圭吾は言われるままに、キュウリをかじった。
「美味しいじゃろ、お父さん」
「そうだな」
母に聞かれ、父は咀嚼しながらうなずいた。
どこかずれた二人のやり取りがおかしくて咲那は笑った。
楽しい。
楽しい。
楽しい。
そうに違いない。
アスカも父も帰ってきた。それでいいではないか。ずっと望んでいた時間をこれからは過ごせるのだ。
不安な思いもすべて飲み込み、家族三人そろってテーブルについて夕飯をとる。父は相変わらず無表情のまま、母の煮物を黙々と食べていた。
家族がそろって食卓を囲む。ずっと、望んでいた生活そのものではないか。これが正常な家族だ。
久しぶりの穏やかな一家団欒の中、咲那は不安だった思いもすべて忘れることにした。
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