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「今日は何時に帰るん?」
「いつもと一緒」
リビングの壁掛け時計を見ると、時刻は六時五十分だった。中学校よりも高校の方が自宅から近いが、七時に友達と待ち合わせている。急いで咲那は味噌汁でご飯を流し込んだ。
食べなれた朝食の安心感に、朝の嫌な夢も流れていく。
「部活にでも入ったらいいのに」
「私に早く帰ってほしくないみたい」
咲那は母親の裕子と二人暮らしだった。
七年前、父親が突然失踪して行方不明になった。それがきっかけで、母親の故郷の女真島に引っ越してきたのだ。一年前に祖母の絹子が亡くなるまでは三人暮らしだったが、今はこの家に母親と二人きりだ。
「また、憎まれ口! ほんまに誰に似たんかねぇ、お父さん」
裕子は誰もいない隣の席に話しかける。
また始まったと、咲那は母親に気づかれないようにため息を漏らした。
島に来る前に行方不明になった父親の幻覚が、母親にはたまに見えるらしい。祖母が亡くなってからは、父親の幻覚を見ることが増えてきた。初めのころは毎回指摘していたが、それも今ではしていない。咲那は母親の幻覚に極力反応しないことにしていた。
咲那が学校からすぐに帰ってくるのは、島に遊ぶ場所がとくにないだけではない。母親の幻覚が日増しに強くなっている気がして、心配なのも理由の一つだ。
「お父さんは何時に帰るん? 八時? え? 今日は残業があるから遅くなるん? 最近働きすぎじゃないん?」
誰もいない席には毎朝、母親がきちんと用意した朝食が置いてある。
冷めたご飯を見つめていると、裕子に話しかけられた。
「ねえ、咲那」
「そうだね。もう少し休んだ方がいいかも」
「ほら、咲那も早く帰ってほしいって言っとるよ。今日はなるべく早く帰ってきんさいね」
妄想の中の父親と話す母親から目をそらし、咲那は朝食を手早く食べた。
今日も変わらない朝だ。
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