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CASE9(FINAL)
26年前――
自宅に帰ってきた白鳥はリビングの電気をつける。そこには誰もおらず紙切れ一枚が残されていた。それは離婚届だった。白鳥は離婚届を手に持ったまま、特に何をするわけでもなく、天井を見上げていた。
現在――
白鳥は勝呂コーポレーションの社長室にて勝呂と向きあう形で座っていた。白鳥は勝呂を睨み付けている。
「今更何の用かしら?今のアンタは魅力の無いただの中年オヤジじゃない」
「お前のきつ過ぎる香水の匂いは相変わらずだな」
白鳥は鼻を鳴らす。そして話を切り出した。
「お前か、溝政を雇って平の事を傷つけたのは」
勝呂は知らん顔をする。その態度は白鳥を怒らせた。思わず机を叩く。
「雇ったのかって聞いているんだ!答えろ!」
「さぁ?そんな話は知らないわよ。貴方の妄想じゃないかしら?」
白を切り続ける勝呂に白鳥の苛立ちは募るばかりだ。
「まず、それを知ってどうするつもり?そもそも警察の人間じゃないのに何ができるのよ。調子に乗りすぎよ」
「権力がない人間でもな、探ることは出来る。俺の仲間が必ずお前の足を掬ってやるよ」
「やれるものならやってみなさい。そう簡単にいかないわよ」
話しても無駄だと悟ったか、白鳥は宣戦布告をするかのように社長室を退出する。勝呂は椅子に座り直す。そこには女帝の雰囲気が漂っていた。
鳴久は三木と会っていたが、その目はお互いに敵意を向けている。鳴久が口火を切る。
「俺を裏切るとはいい度胸じゃねぇか。勝手に抜け駆けしておいてタダで済むと思うなよ」
「突き放したのは貴方じゃありませんか?」
図星を突かれた鳴久は三木に詰め寄るが、手で止めて制した。
「全ては勝呂コーポレーションの為。邪魔はさせませんよ」
「勝手にしやがれ」
鳴久は去って行く。三木は上手くいったと言わんばかりにほくそ笑む。
一方、平は病院で目を覚ました。日向は安堵の表情を浮かべている。
「目を覚ますのが遅いわよ。稲洲君が心配するでしょ」
「ごめん」
日向は心配しながらも毒づいている。
「アンタらしくないんじゃない?後ろから狙われるなんて」
「アサシンはそれほど危険な奴。一瞬でも隙を見せた私が悪いのよ」
平は溜息をつく。
「鳴久さんから聞いたわよ。稲洲君が無謀にも飛び込んで行ったってね」
「力で敵う訳ないのに、無謀よ」
「本当だったら入院させたいのにそれを拒んだのよ。理由は心配させたくないからって」
「全く…」
平は少し呆れている。
「どこまで人が良いのよ。でもだからこそ、彼の周りには人が集まってくる。アサシンは武力で制圧することが全てだと思っている。だから孤立していった。その点、ダイバーは分かり易い」
「言われてみれば彼には周囲の人間を惹きつける天性の才能がある。一匹狼の鳴久さんだって彼を仲間として受け入れてくれた。こんな事は以前だったら絶対あり得なかったわよ」
二人は稲洲の事で話に花を咲かせている。日向の携帯に内線が鳴った。
「早く稲洲君と結婚しなさいよ。あの子を幸せにできるのはアンタしかいないから」
日向は揶揄うようにして病室から去って行った。
九里と羽鳥は共に車の中で勝呂コーポレーションの近くで待機していた。九里がパソコンを動かす音だけが社内に響いている。するとある映像を見て羽鳥に見せる。
「どう思う?」
「え…?」
その映像は勝呂と三木が親しく話している姿だった。血相を変えて画面を覗き込む羽鳥に対して九里は冷静な表情を見せる。
「三木さんが裏切るなんて…」
「私にはそう見えないと思うけど。菫お姉ちゃんが何も考えなしに裏切るなんてあり得ない」
それでも羽鳥は信じられないようだ。車を出ようとするが九里が手を繋ぐ形で止めた。
「離せよ!」
「翔和君、駄目だよ。一時の感情で動いちゃ」
「だからって…!」
すると九里は羽鳥にビンタを浴びせた。手が出るとは思っていなかったか、羽鳥は唖然としている。
「痛って…」
「信じてないの…?皆の事を。翔和君だって本当は三木さんが裏切っているなんて思いたくないでしょ」
羽鳥は口を噤み答えられない。
「私は全員信じる。だってチームでしょ」
九里はパソコンを開き、再び手を進めていた。
稲洲は開店準備をしていたが溜息を連発し、その表情にはどこか覇気がなく心ここにあらずの状態だ。そこに鳴久がやって来た。
「ボロボロじゃねぇか。勇んで飛び出していった割にこのザマか。どうしようもねぇな」
「放っておいてください…」
投げやりな稲洲は背中を向いて店内に入ろうとする。すると稲洲を振り向かせた鳴久は鉄拳を浴びせた。勢いよく倒れこむ稲洲を尻目に鳴久は罵声を浴びせた。
「投げやりな態度を取りやがってこの野郎!お前一人で抱え込んでんのか!」
「何もかも情けない僕が全部悪いんですよ…!」
鳴久は稲洲を立たせた後投げ飛ばす。その時大雨が降ってきた。
「バカかお前、お前一人が溝政を倒せるなんて誰も思ってねぇよ。大事な人を守れないばかりか、自分自身も守れてねぇじゃねえか。お前に何ができるんだ?」
「何も出来ないです…」
鳴久は呆れて物も言えなくなったか舌打ちする。
「何を見てきて、何を学んだんだテメェは。そんなんじゃ大事な人はどっかに逃げていくぞ。千載一遇のチャンスを逃したら一生後悔するからな」
「…」
稲洲は雨に打たれながら涙を流す。
「溝政はそう簡単な相手じゃない。次こそは確実に仕留めに来るぞ。覚悟しておけ」
鳴久は稲洲の肩を叩きその場を去っていく。稲洲は悔しさからか拳をぎゅっと握りしめていた。
翌日、稲洲は勝呂コーポレーションに潜入していた。清掃員として周りの様子を窺っている。そこにヒールを鳴らして歩く音が聞こえて稲洲はその方向に向かう。歩いてきたのは三木だった。すると急に掴みかかり壁に打ち付けた。
「コソコソと何をやっているんですか?少なくとも我々勝呂コーポレーションの邪魔はさせませんよ?」
「そっちこそ何をしているんですか!」
稲洲は三木にキレている。負けずに三木も言い返す。
「私は社長の命で動いている。底辺の清掃員如きが私に逆らうなんて百年早いですよ」
「僕たちを裏切るんですか!仲間じゃなかったんですか!」
三木はその言葉を聞き失笑する。
「仲間…?貴方を仲間だと思ったことは一度もありませんよ。貴方の思い違いでしょう?笑わせないでください」
「何だと…?」
「良いように使ってあげたんですよ。この私に感謝しなさい」
三木はあざ笑いながらその場を去っていく。稲洲は怒りに震えてその場で立ち尽くす。ふとズボンのポケットに違和感を感じ、ポケットから何かを取り出す。
「まさか…」
稲洲は三木の姿を探すも既にその姿は無かった。稲洲は手に取っている物をただ見つめている。
日向は連絡を受けて病室から退出していた。どうやら男の声だ。
「え…?」
「目的は達成した。後は彼次第だ」
「わかったわ…」
日向は電話を切って病室に戻る。すると平が呟いた。
「彼に何かあったの?」
「彼?さぁ何のことやら…」
「ごまかしてもバレてるわよ」
平は病室から出ようとする。それを日向が制した。
「まだ退院許可は出さないわ。医師としての判断よ」
「これくらいの傷なんてどうってことないわ」
「少なくとも一個人の感情だけで退院させるわけにはいかない。稲洲君の事を心配しているのはアンタだけじゃない。チームの皆が心配しているのよ」
平は一先ず矛を収める。
「どうしてもって言うなら、今日にでも手続きして裏口から出してあげる。でもその代わり二度とここに入院してこないで。それが条件よ」
「言われなくてもそのつもりよ。二度と無様にやられるつもりはないわ」
白鳥はただ一人で店番をしていた。勝呂が見せていたその瞳が目に焼き付いて頭から離れられない。そこに客がやってきたのが見えて慌てて姿勢を戻す。やってきたのは園子だった。
「ここってローガンで合ってますよね…?」
「ええ、そうですよ」
「いつも槙人がお世話になってます。今日はいないんですか?」
白鳥の目が僅かに泳ぐ。うまく誤魔化そうとするが中々いいのが思いつかないようだ。
「ああ、すみません。ダイ、いや槙人君は少し外出中でして」
白鳥は上手くやり過ごして園子にお冷を渡す。
「それで槙人は大丈夫なんでしょうか?最近上手くやっているのか心配で…」
「まぁ、仕事の方に関しましては心配ないですよ。ただ――」
白鳥は裏の業務には触れる事はなく淀みなく話すが、途中で止めた。
「ただ、何ですか?」
「どうにか、押しが弱いのか平との色恋沙汰は発展がないんですよ。俺からも何か言ってあげたいですが、中々そこまではって感じです」
「槙人はどうしても昔から弱気でどうしても肝心な所で躓く事が多かったんですよ。夏鈴ちゃんと結婚する事を槙人も楽しみにしてると思いますけど」
白鳥は難しい表情を見せたままだ。
「後は当人同士の問題でしょうね。何かきっかけがあればって感じですね」
その後も二人は他愛もない話を続けていた。
岸総合病院の研究室では日向が浅守と共にいた。浅守は周りを見渡している。
「懐かしいよなぁ。この感じ」
「今回だけだからね。許可なく踏み入れているのがバレたら私の首が飛ぶから」
日向はそう言いながら、浅守に鑑定結果を手渡す。浅守は疑問に思っている。
「シクトキシンだけじゃなかったのか…?」
「そう。ペントバルビタールが検出された」
「そのペントバルビタールってのは…?」
日向はパソコンを操作して薬の成分を表示したサイトを見せる。
「いわゆる鎮静催眠薬の一種で痙攣対策に静注するわ。30 分以内の短い潜伏期間の後に発症、5gの摂取で致死量に相当する。勝呂は混ぜて服用させたって事。医学的トリックを使ってアリバイ工作をした。毒の反応を遅らせてあたかも無関係を装ったのよ」
「なるほどな。ただ、九里が調べた所によると、勝呂のダークウェブからはこの薬は見つからなかったな」
浅守は深く溜息をつく。すると日向が振り向いた。
「ねぇ、例の計画はまだ出来てないの?」
「何とか裏で進めているはずだ。果報は寝て待てって言うだろ。焦る事はないさ」
浅守は何か企むような笑みを見せている。
一方、とある廃映画館では勝呂が溝政を何やら𠮟責していた。
「全く、アンタなんかに頼んだのが間違いだったわ。この私を失望させるなんて大した度胸じゃない」
「誠に申し訳ありません。奴らは手強くて――」
溝政が言いかけたのを勝呂がフロップガンの銃声で遮った。溝政の背中には冷や汗が流れている。
「だから何?言い訳なんて認めないわよ。この世は結果が全て。過程はどうでも良いのよ。分かったらさっさとあの二人を纏めて始末してきなさい。殺しても構わないわ」
溝政は恐怖心から逃れるように勝呂の元を離れていく。
「馬鹿め。私に逆らう事がどんなに恐ろしいことか見せてあげるわ。二人とも本当に腐りきった人間の本性を見せてあげる」
勝呂は平と稲洲の写真をビリビリに破いた後高笑いを続けていた。その姿は最早悪の女王さながらである。
翌日、勝呂コーポレーションに潜入中の稲洲は三木から密かに手渡されたICカードを手に社長室に潜入する。稲洲はすぐにパソコンに向かいUSBを挿す。そしてもう一つ渡された紙を見て操作していく。その紙にはパスワードが書いてあったようだ。
稲洲は慣れた手つきでパソコンを操作しているが、とある項目を見て手が止まる。
「何だこれは…」
そうやって呟いている内にパソコンのデータのコピーは全て終わっていた。USBメモリを抜いて社長室を出て行こうとする。すると社長室のドアが開いて謎の男と鉢合わせした。
「何だお前!どうやってここに入ってきた!」
男は稲洲に向かって襲い掛かってくる。一瞬の隙をついて稲洲は社長室から脱出した。謎の男はインカムで指示を出す。
稲洲は必死に逃走している。男の部下がそれを追っている。そこに立ちはだかったのは三木だ。消火器を手にしている。そして後ろから男に追い詰められた。稲洲は袋の鼠の状態である。三木は一歩ずつ足を進める。
「一体どこまで知ってしまったのですか?秘密を知ってしまった以上、これ以上はタダで帰すわけにはいきませんよ」
「どうしても邪魔するんですか…」
三木は邪悪な笑みを浮かべ稲洲に消火器のホースを向ける。
「全ては勝呂コーポレーションの為…」
機械的な口調で話す三木は次の瞬間、途端に大きな声を出した。
「全ては勝呂コーポレーション崩壊の為に!」
三木はなんと稲洲の背後にいた男に消火器を噴射した。稲洲が呆気に取られている中、三木は噴射し終わった消火器を男の股間に打撃を与えた。男が悶絶している内に三木は稲洲の手を取ってその場から走り去った。男は痛みに悶えながらも追うように指示を出す。
三木と稲洲は逃走を続けているが、追手の人間もしつこく中々振り切る事が出来ない。そんな中一人の警備員が追手を塞ぐようにして立つ。警備員は帽子を投げつけて怯ませた。警備員の正体は浅守だった。浅守は何かクラッカーらしき物を構えた。
「バキュン!」
浅守は楽しそうに発射した。それはネットランチャーだ。追手たちは網にかかり一網打尽になった。浅守はさらにカラーボールを投げ付けた。見事当たったようだった。
「ストライク!バッターアウト!これでゲームセットだな」
浅守は愉快な笑みを浮かべて三木と稲洲と共に去っていく。追手たちの周辺にはバニラの甘い匂いが充満していた。
駐車場で待機していた羽鳥の車に乗り込んだ三人は少しバテたか呼吸を整えている。しばらくした後三木は稲洲に声をかけた。
「稲洲さん。この前は申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしてないですよ。ここはお互い一旦水に流しましょう。三木さんが何か考えがあって潜入していると思ってましたから」
稲洲は手を差し出す。その手を三木は固く握った。
「しかしよく私からのメッセージがわかりましたね」
「わかりましたよ。だって僕達はチームですから」
助手席に座っている浅守はその事を思い出す。
――それは三木が潜入する数日前に遡る。
ワイズマンにて浅守は三木の口からこれから行う内容の全貌を知らされる事になった。浅守は例の物を三木に渡す。それはカードキーだった。
「出来上がったぞ。全く急に依頼だなんて、特別褒賞でも貰いたい気分だな」
「すみません。ありがとうございます」
浅守は三木に手渡す。三木は受け取ろうとするが浅守が引っ込めた。
「何の真似ですか」
「渡す前に一つ確認したいことがある。本当に稲洲君にやらせるのか」
「ええ、変わりません。私は既に面が割れている。でも清掃員に扮している彼なら確実に潜入できると思います」
「稲洲君の身に何かあったら責任取れるのか?」
「勿論そのつもりですよ。でも彼ならやってくれる。私は稲洲君を信じてますから」
三木のその口調はどこか力強かった。それを見て浅守もカードキーを渡した。
「絶対に成功させて下さいよ」
そして現在――
助手席に座っている浅守は大きく息を吐いた。
「全くここの連中は無茶するのが大好きだな」
呆れるように言うが、その顔は笑っている。羽鳥も同じ意見だ。
「本当に命が幾らあっても足りないくらいですよ。ハラハラしますね」
そんな中、稲洲はふと思った疑問を投げかけた。
「僕達こんだけ派手に暴れて大丈夫だったんですか?」
「その心配はありませんよ。何故なら仲間がもう一人裏で手を回してますからね」
答えた三木はスマホを取り出して音声を繋ぐ。九里の声が車内に響いている。
『電波ジャックはこのホワイトハッカー『フランシス』様にお任せあれ。ぜーんぶ防犯カメラをハッキングして映らないようにしていたもんね』
「九里さん、流石ですね」
『ありがとう。褒められるの嬉しいなぁ』
九里はそこで電話を切った。そして浅守は大きな欠伸を一つする。
「まぁ連絡あった所で勝呂の専属運転手も追えやしないさ。なんてたって車には細工してるからな」
「え?」
困惑している稲洲を尻目に浅守は自慢げにペラペラと話す。
「ガソリンの給油口に砂糖を入れたんだよ。まぁ外見には壊れたなんて気づくまい。今頃慌てふためいているだろ」
浅守のその言葉通り、勝呂は専属運転手から一連の件に関して連絡を受けていた。寝首を掻かれたか驚きを隠せない。
「何ですって!」
『完全にやられました。車も外見上壊れてるようには見えませんが、何故か動きません。何者かが給油口に異物を混入したと思われます』
「社内の侵入者は?」
『それが防犯カメラに全て映っていません。警備員室にもその姿が映っていないそうです』
「わかったわ…!」
勝呂は怒り交じりにその電話を切った。やがて怒りに震えて呟く。
「小癪なゴキブリ共が…!何もかもこの私が破壊してやる…!」
心のタガが外れた勝呂は最早心を捨てた怪物に成り果てようとしていた。狂った笑いが響いている。そしてまた更に何者かに電話をかける。
ワイズマンで体制を立て直す面々は全てのパズルのピースを揃えるかの如く話を進めていく。
「やはり溝政を雇ったのは勝呂で間違いなかったですね」
「やっぱりな。じゃなければこんな事にはならないだろう」
稲洲と浅守は互いに示し合わせた表情を見せる。そこに鳴久と日向もやって来た。
「ここは溜まり場じゃねぇっつうの」
浅守は苦言を呈するが、九里が楽天的に答える。
「別にいいじゃん。ここは居心地が良いんだからさ。そうじゃなきゃ愛琉の事を留守番させないでしょ」
「確かに」
三木がツッコミを入れた後、書類を全て整理して鳴久に渡す。
「ご苦労だった。勝呂の様子はどうだった?」
「相当何かに怯えている感じです。恐らく今頃動揺している様子でしょう」
「そうか。お手柄だったな」
鳴久は三木を褒めたたえる。日向は三木を心配する。
「お怪我の方は…」
「全然ですよ。かすり傷一つもついてません」
「良かった。夏鈴ちゃんは大人しくしてられないんで、二度と入院しないことを条件に退院させちゃいました。困った患者でしたよ」
それを聞いた三木は少し笑う。そんな中、稲洲の表情は何処か険しい。鳴久が尋ねる。
「どうした?」
「明日、白鳥さんと決着をつけようと思ってます」
その言葉に周囲が騒めく。鳴久は何か思う所があったのか冷静な口調だ。
「どういうつもりだ」
「どうしても許せないことがあります。白鳥さんが隠し事をしていた事です」
稲洲は怒りを帯びた口調で鳴久に一枚の写真を見せる。それは白鳥と勝呂、そして小さい娘が映っている写真だ。それを見た途端鳴久の表情が一変する。
「あのバカ野郎、とんでもねぇ事隠してやがったな」
「鳴久さんは知っていたんですか…?」
「いや、結婚したことは聞いていたが相手までは知らされてなかった。30年以上明かされなかったパンドラの函をとうとう開けちまったか。秘密主義もいい加減にするべきだったな」
鳴久は稲洲の肩を叩いて激励する。
「それでもやります。けじめを付けたいんです」
「わかった。お前が好きなようにやれば良い。俺はどうなってもお前の味方だ。もう止める事はしねぇよ」
稲洲はお辞儀をして去っていく。鳴久は大きく息を吐いた。三木が心配している。
「大丈夫でしょうか…」
「俺の仕事は勝呂を逮捕するだけだ。白鳥と稲洲の間に挟まる事は出来ない。俺達はもう見守るだけだ」
そう言う鳴久もどこか不安そうな顔を見せていた。
稲洲がその足で向かったのは園子のいる自宅だった。稲洲は園子の料理をただ食べている。
「何で帰ってきたのか聞かないんだ」
「まぁ、色々あるんでしょ。いちいち理由を聞くのも野暮だからね」
園子はあくまでも笑顔を絶やさない。そして話を切り出す。
「そうだ。あのね、実は今日さ白鳥さんに会ってきたのよ」
「いたのかよ…」
驚く稲洲を尻目に園子は話を続けている。
「見たかったわよ。槙人の働く姿を」
「いや、見に来なくて良いよ。恥ずかしいから」
稲洲は大きく溜息をつく。そんな中、園子は白鳥の印象について話をしている。それは全て好印象の感じだ。稲洲は思い悩んでいる。
――雇ってもらった恩を仇で返そうとしているのか…?
稲洲は頭を横に振りながら迷いを振り切ってまた箸を動かす。園子の話は麵を啜る音でかき消されていた。
翌日、ローガンの札には『本日臨時休業します』と張り紙が貼られてあった。白鳥と稲洲はとうとう対峙する。まるでこの時がやって来たかのように――
「臨時休業とは何も聞いてないぞ。何のつもりだ」
「僕だって貴方には聞かされていない秘密がありますね」
その言葉に白鳥は反応を見せる。そして稲洲は額縁写真を取り出した。
「どういう事か説明していただけますか」
「知らないなぁ。そんな女性は」
笑いながら誤魔化す白鳥に稲洲は怒りを見せる。
「大事な話をしているんです。とぼけないでくれませんか」
白鳥は少し神妙な表情を見せて額縁写真を手に取る。さらに稲洲の追撃は止まらないようだ。
「隣に映っているのは勝呂霊子、そしてここにいる子供は勝呂夏鈴こと平夏鈴。貴方と勝呂霊子はかつて結婚していた。事実ですよね?」
「…」
白鳥は何も言わない。稲洲の怒りはピークに達した。
「黙っていないで何か言ったらどうなんですか!」
「誰かに聞いたのか…?」
「いえ、僕の直感です。答えはこれであってますか?」
白鳥は大きく笑い飛ばす。そして大きく手を叩き拍手した後、表情を変え稲洲に振り向く。
「お前は成長した。良くここまで辿り着いた。だが、忠告はしたぞ。踏み込まない方がいいとな」
「わかっていて僕達には何も伝えなかったんですか…?」
その時、扉が開き平がやって来た。その目には涙、表情は怒りを浮かべている。
「どういう事…?ずっと聞いていたわ。あの女とスワンから産まれた子供だなんて聞きたくなかった。何で今まで黙っていたの…?」
稲洲と平の目線は完全に白鳥にロックオンしている。二人に追い詰められて観念した白鳥はとうとうその重たい口を開いた。
「もう、隠し事をするのは終わりにしよう。これから義子になる以上はな」
白鳥は全てを洗いざらい話した。その姿はまるで父親としての姿だろうか。
「今から26年前の出来事だ。リムーバー、いや夏鈴が4歳の頃、俺は勝呂霊子と離婚した。親権は奴に渡って俺は天涯孤独の身になった」
「12歳の時、平さんは突如として姿を消した。その時に白鳥さんは平さんの事を保護した。そうしたのは親としての情けですか。だったらどうしてずっと赤の他人の振りをしてたんですか!」
「知らん…」
白鳥はそう言った後黙っている。全ての出来事を思い出した平は核心に迫る言葉を言い放つ。
「全部アンタのせいよ。あの時暴力を受けていた時、私が何を思っていたかわからないでしょ。警察の立場でありながら自己保身の為に見て見ぬふりをした。アンタは恐れていた。自分の立場が無くなる事を」
「自分の為だけに実の娘を捨てたんですか…あれでは勝呂と同じ最低な人間じゃないですか!完全に見損ないましたよ」
稲洲の発したその言葉が心に刺さったか、白鳥はもう反論することはしなかった。
「もう貴方の湖で泳ぐつもりはありません。自分の意思で動きますから」
「ここまで育ててやった恩を忘れてやがって、この野郎」
「それとこれとは別よ」
平は険悪な状態の二人の間に割って入って制した。
「これからは私達二人で勝呂と決着つけるから。さよなら、パパ」
二人は白鳥に背を向けて歩き出す。一人取り残された白鳥は寂しさだけが募っている。
その頃、勝呂コーポレーションには溝政が侵入していた。不審に思い見かけた警備員が声をかける。すると次の瞬間、溝政は警備員の首を切りつけた。現場は騒然となる。逃げ惑う人々に銃を向け発砲する。
「全てはこのアサシンの思うまま、逃げろ逃げろ愚民ども!ヒャハハハハハ…‼」
破壊衝動を止められなくなった溝政はただひたすら殺人行為を繰り返す。その姿は紛うことなき『アサシン』その物である。
「御覧ください!女王陛下!必ずやこのアサシンこと溝政麟太郎が目的を達成して見せます!」
溝政の狂った高笑いだけが社内には響き渡っている。さらに銃をぶっ放していた。
白鳥は椅子に座ったままボーッとしており、魂が抜け落ちたかのように腑抜けになっていた。やがて稲洲が持ってきた額縁写真に手を伸ばしてそれを眺めている。
――さよなら、パパ。
平が言ったその言葉は白鳥の心に深く傷を残していた。何気なくテレビのリモコンを手に取りスイッチを点ける。次の瞬間、白鳥は驚愕した。勝呂コーポレーションがなんと火災にあっている。すると白鳥の携帯電話が鳴った。相手はよりにもよって勝呂だった。白鳥は覚悟を決めてその電話に出た。
『ごきげんよう。尊ちゃん』
「お前がやったのか…!溝政を利用してまで…!一体何が目的なんだ!」
勝呂は電話越しに爆笑した後答える。
『全てを壊すのよ。何もかもね。貴方こそ手下を使わせて私の社長室に侵入させたのはお見通しよ。貴方こそ利用しているじゃないのよ』
「お前と同類にするな…!だから俺はお前が嫌いだったんだ…!そういう冷酷な部分がな。お前のようなモンスターと結婚したことがそもそも間違いだったんだ…!」
『私と貴方との思い出の場所に来なさい。私は今そこにいるから。でも生きて辿り着けるかしら?』
電話はそこで切れた。白鳥はある確信を得て呟いた。
「キュグヌスか…?」
その頃、平と稲洲は勝呂コーポレーションに到着した所だった。目の前にある出来事に驚愕する。溝政が足を鳴らしてやってきた。警備員を投げ飛ばす。
「ハハハハハ…!人を殺すのって楽しいよなぁ…!」
「一体これはどういう事…?何のつもり…!」
溝政はそれでも笑いを止めない。稲洲はそんな姿勢に怒りを宿した。
「心から貴方を軽蔑しますよ。人の命は殺人の為の道楽じゃないんですよ!」
「次のターゲットはお前等だよ…!」
溝政は平と稲洲に向かって銃口を向ける。するとドアが開いてやってきたのは鳴久と三木と浅守だった。溝政は一瞬怯んだ。
「おい、何だよ。空気読めよ。これからが本番だってのによぉ」
「本番を迎える前にここで仕留めてやるよ。平、稲洲、お前等は白鳥の所へ向かえ。あのバカ野郎は勝呂霊子とケリをつける為に一人で乗り込んでいった」
その言葉に二人は動揺を隠しきれない。三木が続ける。
「羽鳥君を待機させています。急いで下さい。車種は黄色い車です」
「でも…」
「ここは一旦俺達に背中を預けてくれ。タダでやられるほど俺達は貧弱じゃないさ」
その言葉に二人は走り出す。ロビーには緊張状態が続いている。鳴久は拳銃を構えた。
「とうとう狂いやがったな。こんな事をして何が狙いだ?」
「全てを壊すんだよ。この手でな」
溝政は笛を吹く。その音に溝政の手下がぞろぞろとやって来た。三人を円の形で取り囲む。
「そこまで勝ちたいか。卑怯者め」
「卑怯で結構だよ。平や稲洲より先にお前らの首を取って二人を絶望させてやるのさ」
その言葉に三木は吹き出す。溝政は顔を真っ赤にして怒り出す。
「何笑ってんだ、この野郎!」
「これでわかりましたよ。平さんが貴方を選ばなかった理由がね。貴方には誰もついてきません。平さんが稲洲さんを選んだのも当然です。これ以上、二人の恋路の邪魔はさせませんよ」
「だったら、徹底的に邪魔してやるよ!」
溝政は三人に手下と共に向かっていく。三人は応戦していった。
白鳥は勝呂がいう『思い出の場所』にやって来ていた。『キュグヌス』は既に閉鎖された映画館であり、人が立ち入る事はまず出来ない。不審に思いながらも白鳥はドアを開ける。すると映画館には『白鳥の湖』が背景音楽として流れている。恐る恐る歩みを進めると客席に勝呂が座っていた。白鳥の気配に気づき勝呂は音を止めた。
「よく解ったわね。辿り着いたことは褒めてあげるわよ。懐かしいでしょ。あの時の感じが」
「思い出したくなかったからこそ、お前と別れたんだがな。それで何をするつもりだ…また良からぬ事を考えてんじゃないだろうな…!」
勝呂は邪悪な笑みを浮かべて白鳥に告げる。
「アンタを殺す為よ、この場でね。どうせ部下の人間も連れてきてるんでしょ?」
「二人は呼んでいない。俺は二人を巻き込むつもりは毛頭ないさ」
勝呂は白鳥の目を捉えたまま宣告する。
「ゲームスタートよ」
その頃、平と稲洲を乗せた車はキュグヌスに向かっていた。羽鳥が車を運転している。スマホホルダーに電話を繋いでいる九里の声が聞こえる。
『翔和君、夏鈴お姉ちゃんと槙人お兄ちゃんの様子はどう?』
「二人とも元気がない。恐らく精神的に動揺してるんだと思う。九里、白鳥さんのGPS情報は?」
『目的地のキュグヌスでずっと止まっている。何も動きが見られない。翔和君が車飛ばせばまだ間に合うかも』
「わかった」
羽鳥はアクセルを力強く踏み込む。平と稲洲は未だに沈黙し続けている。
溝政と応戦中の三人は手下を全て倒した後だった。残るは溝政だけとなり、三人の目線は一斉に溝政の方を向く。
「後はお前だけだな。溝政」
「来るんじゃねぇ…!来たら撃つぞ!」
そう言いながらも、溝政の拳銃を持つ手は震えている。三木はそれを見逃さなかった。一気に間合いを詰めて迫っていく。銃口が三木に向いた瞬間、浅守が持っていた警棒を投げる。警棒は溝政の肩にクリティカルヒットし、拳銃が手から落ちた。肩を抑える溝政の股間に三木はローブローを食らわせた。
「これでとどめですよ」
「…!」
溝政は股間を抑えてうずくまる。鳴久は犯人制圧の姿勢を取って溝政に手錠をかけた。
「テメェのような隠者がな、俺達に勝てると思ったら大間違いなんだよ」
「一匹狼のお前には言われたくないね…!」
鳴久はその言葉に反応する。
「生まれ変わったんだよ。俺という人物はな。お前の知っている俺はもうここにはいない」
鳴久は溝政を立たせて冷静に告げる。
「溝政麟太郎、殺人の現行犯で逮捕するからな。連行する前に一つだけ聞く。お前の雇い主は一体誰だ?」
溝政は口を固く閉じ答えない。苛立ったか鳴久の怒りは頂点に達した。
「答えろって言ってんだよ!今この場で殺すぞ!」
鳴久は溝政の首を締め上げる。溝政は苦しさにタップして観念し答えた。
「勝呂…霊子…です…」
鳴久は舌打ちし、溝政の後頭部に一撃を加えた。
「三木、浅守、後は頼む。俺も白鳥の所へ向かう。溝政に関しては私人逮捕で処理しておくからな」
鳴久は駆け足でその場を離れていく。三木と浅守は溝政を連行していく。
白鳥は勝呂と会話を続けている。
「お前の目的は一体何だ?」
「そんな事をまざまざと敵に教えると思う?警察官の癖に勘が鈍ったのね」
「誰のせいで警察を辞したと思っている。ふざけるな」
白鳥も毅然として言い返す。
「お前は最初から夏鈴を堕ろそうとしていたな。そこからだ。お前が狂い始めたのは」
「子供を産むことなんて初めから私は反対だったのよ。でも、貴方が――」
「だからと言って手をあげて良い訳がないだろう!」
「だったら、警察に突き出せばよかったのに。貴方も警察官なら私を通報できたでしょ」
「出来るならしたかったさ。だがもういい。この話はこれで終わりだ。これ以上言い合っても同じ事の繰り返しだ」
白鳥は半ば諦め口調で話を終わらせる。その時、勝呂はカッターナイフを取り出した。白鳥はピクリとも動かない。
「俺自身の人生そのものを終わらせるってか。短絡的な所は相変わらずにも程がある」
「その口を今すぐに塞いであげる。本当に貴方という存在を憎むわ」
「勝手に憎んでろ」
勝呂は刃を取り出す。そこにドアが開いてやってきたのは平と稲洲だった。走ってきたのか息遣いが荒い。
「何で来たんだ…?」
「放っておけるわけないでしょ。仮にもアンタの父だから」
平と稲洲は白鳥を守るように立つ。勝呂の表情は忌々しげになる。
「ふざけないでよね。産んでやった恩を忘れて、そればかりか私の会社に入れてやったのに。子ガチャは外れだったわ」
その言葉を聞き、平は失笑する。
「アンタのような毒親を母として認めたことは無いわ。子供を舐めるのもいい加減にしたら?私はアンタの駒じゃない」
勝呂はナイフを片手に平に襲い掛かる。今まさに平の腹を刺そうとした瞬間、稲洲がその間に割って入ってきた。平と白鳥は驚き戦慄する。その刃は稲洲の脇腹に刺さったのだ。
「…!」
「これ以上、貴方の…好きにはさせない…!」
刃をその身から離した稲洲はその場で膝をついた。白鳥が駆け寄り止血する。平が勝呂と応戦する。
「あーあ。殺し損ねたわね。今度こそ葬ってあげるわ!」
勝呂は平にナイフを向けて突進していく。大きく振りかぶった刃は掠りもせずただ空振りを続ける。一瞬の隙をつき搔い潜って勝呂の首にスタンガンを当てて電流を流した。勝呂は崩れ落ち手からナイフが落ちる。平は馬乗りになり拳を強く握りしめる。その眼に浮かべているのは殺意だ。
「何よ…?母親を殴る気…?」
「アンタだけは絶対に許さない…!今すぐにこの手で消してやる…!」
平は勝呂に襲い掛かり殴った。顔に何度もパンチを続けている。平の目には涙が浮かんでいる。勝呂の意識が失いかけた時、白鳥が平を制止した。
「やめろ!これ以上はもう憎しみを増長するだけだ!お前は稲洲を連れて先に出ろ!」
「でも――」
「ここからは派手な夫婦喧嘩だよ。子供が大人の世界に足を踏み入れるな。わかったらさっさと行け」
白鳥の有無を言わさぬ口調に気圧された平は稲洲の肩を組み外へ出ていく。
平は必死に稲洲の肩を貸して歩いている。映画館から出た瞬間、突如として稲洲は崩れ落ちた。息も絶え絶えの中稲洲は平の腕を掴む。
「平さん…僕は…足手纏いじゃないですか…?ちゃんと役に立てましたか…?」
その言葉を残して稲洲は目を閉じる。平は稲洲に呼びかけるのか如く叫ぶ。
「馬鹿!ここで死ぬなんて絶対に許さないわよ!一生恨んでやるんだから!」
平は必死に呼びかけるも稲洲は目が覚める気配がない。そこに鳴久と羽鳥がやってきた。
「ダイバーが刺された…」
平の声は既に泣きそうでありいつもの口調ではない。鳴久が尋ねる。
「白鳥はどうした?」
平は何も答えることはなかった。状況を察したか、羽鳥に指示を出す。
「羽鳥、お前は日向のところへ搬送しろ。急げばまだ間に合う筈だ。俺は白鳥を援護しに行く」
「わかりました」
羽鳥は平と共に肩を貸しその場から歩き出す。鳴久は銃を構えて映画館の中に入っていく。
白鳥と勝呂の夫婦喧嘩は白鳥の勝利で決着となった。お互いに顔から出血をしている凄惨な場と化した。白鳥が話しかける。
「今どんな気分だ?これで思い知っただろ…」
「最悪よ…」
「お前はずっと夏鈴に対してこういう事をしてきていた。今度はお前がその報いを受ける番だ」
白鳥は口に含んだ血を吐き出す。そこにドアが開き鳴久がやってきた。鳴久は唖然としながらも白鳥に駆け寄る。
「おい…」
「盛大な夫婦喧嘩って所だな。お前、手錠は持ってんだろ?」
鳴久は溜息をつきながらも白鳥に手錠を投げ渡す。白鳥は勝呂の手に手錠をかけた。
「俺なりのけじめだ。お前の様な怪物を野放しにしてしまった事のな」
白鳥は勝呂を立たせて鳴久の元に連れていく。
「後は任せたぞ」
「全く、お前も警察官以外が手錠かけられない事くらいわかってんだろ」
「当たり前だ。今回だったら刑事訴訟法第214条が適用されるだろ。大目に見てくれよ」
軽口を叩きながら鳴久は勝呂に向き合って告げる。
「後は警察署でゆっくりと話そうか。仲間を傷つけた罪は重い。タダで済むと思ったら大間違いだからな」
鳴久は連行していく。勝呂はもう一言も発する事もなく項垂れていた。
日向はストレッチャーで稲洲を搬送していた。そこに平がやって来た。既に涙目になっていていつもの表情ではない。
「ファーガス、もしかしたら…」
「病院で縁起でもないことを言うんじゃないよ!アンタが信じなくてどうするのよ!」
日向は怒りに任せて壁を叩く。そこに内線が入った。
「わかったわ。良い?あの患者を死なせたら全員クビだから。覚悟しなさいよ!」
電話を切った日向は一呼吸置く。そこに園子がやって来た。
「あの、息子は大丈夫なんでしょうか…?」
息子という言葉に反応した日向はさっきとは違い穏やかな口調で答えた。
「大丈夫ですよ。貴方の息子さんは必ず助けますから」
日向は礼をして、手術室に入っていく。
一人でローガンに帰ってきた白鳥は稲洲の部屋に入っていた。目に留めたのは書き置きと一枚の写真だ。恐らく稲洲が書いたものと思われる。白鳥はそれらを手に取った。
『忘恩負義となってしまいすみませんでした。決して許される事ではありません。今までありがとうございました』
白鳥はもう一枚の写真を見る。それは子供の時の平と稲洲が共に映っている写真だ。
「バカ野郎…」
白鳥の目には涙が浮かんでいる。その涙は稲洲の写真にキラリと落ちた。
翌日、勝呂の取り調べが始まった。昨日の死闘を経てボロボロになった勝呂の姿は既に『女帝』としての面影はどこにもない。取調室のドアが開き鳴久はドカッと話を派手に音を立てて座る。早速話を切り出した。
「溝政にいくら大金を積んだんだ。あんな依頼主の言う事も実行できねぇ殺し屋に泡銭を払ったのがお前の運の尽きだ」
「記憶にございません」
首を振って全力で否定する勝呂に鳴久は失笑交じりの笑みを浮かべる。
「ターゲットを殺し損ねた今の気分はどうだ。いかなる抵抗もお前には通じなかったかもしれない。だがな、お前の心を刺したのは二人の愛だよ」
「馬鹿馬鹿しい。そもそも証拠は何処にあるのよ」
勝呂が高飛車に話す中、鳴久は証拠を突きつけた。
「お前の悪事の全ての証拠だよ。小難しい薬品でも使って殺害の関与を否定したつもりだったんだろうけどな、全部お見通しなんだよ。警察を舐めるな」
勝呂の表情が一変する。それを見逃さず鳴久は追い詰めた。
「医学的トリックを用いて犯行の偽装を図り、あたかも第一発見者の振りをした。尾崎を殺したのもお前だってことはわかってんだよ。この野郎。そうやって保険金をせしめて溝政に金を払っていたんだな」
追及が続く中、勝呂の顔には笑みが浮かんでいる。鳴久は気味悪く感じたようだ。
「何を笑ってやがる…!」
「私を逮捕していい気になったつもりかしら?私は確かにあのノッポ君を刺した。今頃動かなくなって、夏鈴ちゃん絶望しているわ。勘違いしないで。私は最初からあのノッポ君を殺すのが狙いだった。夏鈴ちゃんが絶望して廃人と化せば私の勝ち。今頃悲しんでいるでしょ。ざまぁみなさい」
「そっくりその言葉返してやるよ。残念だがお前が思った通りの結果になっていねぇよ。お前が刺したノッポ君はな、一命を取り留めて少なくとも会話が可能な状態に回復中だ」
その言葉を聞いた勝呂は動揺を隠せない。
「何ですって…!」
「土手っ腹じゃなくて脇腹だったのがお前の誤算だったな。アイツに護身術を仕込んでおいて大正解だったよ」
勝呂の顔から全ての感情が消えて無くなった。まるで自分がナイフに刺されたかのように――
「お前には徹底的に苦しんでもらう権利があるんだ。覚えておけ!白鳥の言えなかった苦しみ、平が痛めつけられた苦しみ、稲洲が傷つけられた痛みを、倍にして返してやるよ。お前の道楽の為のゲームはもう終わりだ、このクソババア!」
もう勝呂には反論する力は残っていなかった。鳴久はここぞとばかりに追求していく。
稲洲は公園で佇んでいた。見渡すとそこには子供の頃によくいた公園だった。ブランコに座っている少年を見て声をかけようとする。そこに一人の少女が隣のブランコに座る。その顔に稲洲はどこか見覚えのある表情をする。その少女は少年に話しかける。
「ねぇ、槙人君大丈夫…?」
「うん…」
その二人の正体は子供の頃の平と稲洲だった。稲洲は立ちながらその話に耳を傾ける。
「また泣いてるの?本当に弱虫なんだから…」
平は稲洲を慰める。
「どうすれば強くなれる…?どうやったら守れる…?」
「別に守ってくれなくても良いわよ。私が守るから」
平は稲洲に笑顔を向ける。そしてブランコから立ち上がりその場を去っていく。
「でも、今度は槙人君が私を守ってくれるって信じてるから。大丈夫。槙人君が強いのは知ってるから」
「待って…!」
平が去っていくのと同じ方向に二人の稲洲は走り出していく。
同時に稲洲は目を覚ました。今いる部屋は病室だった。
「あれは夢だったのか…」
そう呟くのと同時に日向がやって来た。かなり苛立っているのか顔は真剣そのものだ。
「全く、いつまで経っても命知らずで世話の焼ける男だこと」
「ここは一体…?」
「寝ぼけるのも大概にしておきなさい。アンタが刺されたって聞いて、すぐに手術をしたわ」
稲洲は傷跡を触る。日向はバツが悪そうに舌打ちする。
「僕は平さんを守れたんですね。良かった…」
「良かったじゃないわよ…!」
日向はオーバーテーブルを思いっきり蹴り飛ばした。それは稲洲の体に当たる寸前で止まる。日向はスマホを取り出して映像を見せた。それは九里が防犯カメラをハッキングして手に入れたのだ。映像には平と園子が共に映っている。
「これを見てどう思ったの…?」
「え…?」
すぐに答えられない稲洲の胸倉を日向は掴み上げた。病衣がしわくちゃになる。
「どう思ったか聞いてんだよ!」
叫んだあと病衣を離し、日向は語り始める。
「アンタの無神経な行動のせいでどれだけの人が悲しんだか考えた事ある?正直搬送されたことを聞いてそのまま見殺しにしてしまおうと思った。でも、アンタを助けたのは私自身の面子の問題じゃない。アンタが死んで悲しむ人が多くいるからよ。なんでそうやって自分を大事にしないのよ?」
稲洲はその映像をずっと見ている。しばらくして日向は無機質な表情でスマホをズボンのポケットにしまった。
「本当はすぐに退院させたいけど、頭を冷やしてもらわないと困るわ。しばらくはここで反省しなさい」
「すみません…でも助けてくれてありがとうございます。本当は優しいんですね」
「褒められても嬉しくも何ともないわ。次、夏鈴ちゃんを悲しませたりしたらタダじゃ済まさないわよ」
日向は捨て台詞を言いながら病室から去っていく。同時に入れ替わる形で平と白鳥が病室に入ってきた。病室には少しの沈黙が走る。やがて平が口を開いた。
「無事で良かった。槙人」
「え…?」
稲洲は平がコードネームで呼ばなかった事に驚いている。そのまま尋ねた。
「初めて僕の名前を呼んでくれましたね」
「当たり前じゃない。もうその必要はないから。ずっと心配で昨日は眠れなかったんだからね…」
「すみません。かっこ悪かったですか…?」
「ううん。私を守ってくれて嬉しかった。けれどもっと自分の事を大事にしてよ…」
平はそっと稲洲の事を抱きしめた。
「もう二度と私の元から姿を消さないで。これは一生のお願いよ。約束破ったら許さないから」
「はい…」
平の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。今度は白鳥が稲洲の所に歩み寄り深く礼をして謝った。
「本当に申し訳なかった。こればかりは言い訳の余地はない」
白鳥が顔を上げると今度は稲洲が頭を下げていた。
「僕のほうこそ申し訳ありませんでした。勝手に知られたくないような重大な秘密を忠告を無視して暴いて、こんな事になって皆に迷惑をかけて、もう白鳥さんに合わせる顔がないです。退職届受け取ってくれましたか?」
「受け取る訳が無いだろう…!」
白鳥はその書置きを真っ二つに破った。
「俺の方こそお前に合わせる顔がない。こうなって事態を悪化させる前に話すべきだった。義理の父として失格だ」
「白鳥さん…?」
「俺は確かにお前に手を差し伸べた。でもな本当は逆だった。孤独だった俺にお前が手を差し伸べてくれたんだよ。槙人」
白鳥まで名前で呼んでくれたことが稲洲には嬉しかったようだった。その時、ドアがノックされ扉が少し開いて、園子の姿が見えた。園子はそっと扉を閉める。
「ちょっと、行ってくるわ。二人は未来の話でもしていてくれ」
白鳥は言い残して病室から退出した。病室には平と稲洲の二人きりになる。平が口火を切った。
「お父さんも槙人の事を認めてくれた。これからもずっと一緒にいて下さい」
「それって…」
「全く鈍感な男ね。結婚してくださいって言ってるのよ。アンタはどう思ってるのよ」
稲洲は答えられず、答えに詰まる。平の発した一言が稲洲の心を突き刺した。
「好きなんでしょ。私の事が」
「はい」
稲洲は答えた後、ハッとする。口を塞いだがもう遅かった。
「もう取り消せないわよ。私の勝ちね」
平と稲洲は共に笑いあっている。しばらくした後、稲洲が答える。
「僕も同じことを考えていたんです。ずっと一緒にいて下さい」
「はい」
病院の外では白鳥と園子が何やら真剣な話をしていた。
「申し訳ありません。全ては私の責任です」
「いえいえ、とんでもないですよ」
自らを責め謝り続ける白鳥を園子は必死に宥めている。
「夏鈴ちゃんからこの顛末は聞きました。引っ込み思案で弱気な槙人が夏鈴ちゃんを庇って刺されたって――」
「ええ、まさか彼にそんな力があると思ってませんでした。本当に夏鈴の事を守りたくて止めに入ったのでしょう」
白鳥はその事を思い出している。やがて白鳥は手を差し出した。
「夏鈴の事をよろしくお願いします」
「こちらこそ、槙人を頼みます」
園子も手を差し出し握手をする。そこには二人にしかわからない絆が芽生えていた。
2日後、退院となった稲洲は日向にお礼を言う。平が付き添っている。
「ありがとうございました」
「言っておくけど、もうアンタ達を診る気は無いわよ。お騒がせな夫婦を診察し続けたら私の寿命が縮むわ」
日向の口調は相変わらずだが、顔は笑っている。
「ご結婚おめでとう。幸せに暮らしなさいよ」
日向は手を振って、後ろを向いて病院に入っていく。そこに鳴久がやって来た。
「いっちょまえにラブラブぶりを見せやがってこの野郎」
「悪いですか?」
鳴久はフッと笑う。そして一言だけ呟いた。
「お似合いだな」
「最初からそう言いなさいよ。全く素直じゃないんだから」
鳴久は勝呂の状況を二人に知らせた。
「奴はもう廃人同然になった。もう何も話すことは無いだろう」
「鳴久さん、僕に提案があります。勝呂霊子と接見させて下さい」
急な提案に鳴久は面食らう。
「何をする気だ」
「最後の仕上げをしたいんです。そして勝呂に対する復讐は完結します」
鳴久は大笑いして噴き出した。
「お前も変わっちまったな。性格が悪すぎる。でも気に入ったぜ、最後まで止めを刺そうとするその姿勢は気に入った。俺が拘置所まで連れてってやるよ」
二人は鳴久の運転する車に乗り込んでいく。
拘置所では勝呂が椅子に座った状態でいた。そこに扉が開いて平と稲洲がやって来た。勝呂は鈍く反応を見せる。平は落ちぶれた勝呂の姿を見て煽った。
「ボロボロじゃない。何が女帝よ。アンタのその姿、しっかりと目に焼き付けておくわ」
「今更何の用よ…」
稲洲は笑顔で勝呂に言い放った。
「僕達、結婚することにしたんでその挨拶をしにやってきました」
「何ですって…?」
稲洲の笑顔が癪に障ったか、勝呂は傍にあったゴミ箱を投げつけて威嚇する。しかし、稲洲はビビる様子もなく冷めた目で見ていた。勝呂はその姿に畏怖を覚える。
「負け犬は負け犬らしくここでお座りしていたほうが良いですよ。これからは僕が夏鈴さんの事を幸せにして見せますから。貴方とはもう話す価値がないです」
「そうよ。これがアンタとする最後の会話だから。独りぼっちのまま、この世界から枯れていって消えて。本当は刺し殺してやりたい気分。でも今は十分。これは私が選んだ結果よ」
平と稲洲はその場から去っていく。勝呂はひとしきり叫んだ。
「待って、行かないで…!」
「さよなら、お義母さん」
稲洲のセリフに半狂乱した勝呂は、そのまま椅子から転げ落ち転落した。それは今まで築き上げてきた物全てが崩れ落ちた瞬間であった。
拘置所から帰って来た二人はローガンに帰ってくる。電気が点いておらず部屋は暗い。平が電気を点ける。するとクラッカーが至る所で鳴った。
「やった。大成功だよ」
九里が悪戯っぽく笑う。
「二人とも結婚おめでとうございます」
三木がそう促すとそこにはテーブルに沢山の御馳走が並んでいる。日向はニヒルと笑った。
「どうせこの二日間病院食ばっかりでまともなの食べてないんでしょ。今日はその分しっかり食べなさいよ」
二人は恥ずかしそうに笑っている。
「今日は最後の晩餐って訳だな」
白鳥の合図で皆は席に着く。
皆は和気藹々と食事を楽しんでいる。すると話題を切り出したのは鳴久だ。
「それと、勝呂コーポレーションが自己破産を申請したらしいな」
「本当、ざまぁみろって感じですね」
羽鳥が言ったのを浅守も同意する。
「へっ。やっぱり奴等なんかに負けるなんて絶対にあり得ねぇってな」
「その通り、チームワークで負けるわけが無い。個より組織の力は人数が少なくても私達の方が断然上なのですから」
三木の言葉に全員が頷く。そして稲洲は確信を突いた一言を放った。
「やはり、勝呂には信じられるような仲間がいなかった。それが自身の破滅を招いた。溝政ですら手駒扱い。自業自得ですね」
「そこからお前はプリンセスを救い出したんだ。誇りを持って前だけ見て進んでやりゃあ良いんだよ。お前は十分強いんだからな」
「はい」
白鳥の激励に稲洲は力強い返事で応えた。
しばらくして二人は店の外に出た。白鳥は二人に声をかける。
「これから仕事はどうするつもりだ」
「僕は…」
「結婚したところでお前を除籍させる程、俺は甘ちゃんじゃない。その気になったらまた俺に声をかけろ。夏鈴、お前も俺の所で働くか?」
「え…?」
思いがけない言葉に平は戸惑っている。
「会社が潰れて、当てがないんだろ?なら俺が面倒見てやるよ。ま、ゆっくりと考えておけよ」
「ありがとう。ゆっくりと考えておくから」
稲洲と平は手を繋いでゆっくりと歩いていく。暫くして白鳥の視界から消えた。白鳥は涙を流している。それを見て九里が揶揄った。
「あー、白鳥のおじちゃんが泣いてる」
「な、泣いてなんか…」
その様子を見て鳴久も追撃する。
「いい年して泣くなよ。一生会えないわけじゃ無いんだから」
「べ、べ、別に…」
その狼狽える様子を見て他の皆は盛大に笑いあっていた。後ろを向いて誤魔化す白鳥の肩を鳴久は慰めるように叩く。
数日後、ローガンには稲洲と共に平の姿があった。
「私もしばらく手伝うことにしたから。ダーリン」
「ちょっと…」
照れる稲洲に平は笑顔を見せる。
「夏鈴さん、そういうのは慣れてなくて…」
「もう『さん』付けしなくて良いのよ。ほら、私の名前を呼んでみて?」
稲洲はしばらくの間をあけて呼んだ。
「夏鈴」
「フフッ。よく出来ました」
平は小悪魔のような笑みを浮かべる。稲洲もつられて微笑んだ。
稲洲の自宅では園子がアルバムをめくっている。一つずつページを捲っていき、ある所で手を止めた。それは子供の頃の稲洲と平が写っている写真だ。
「良かったね…槙人。結婚おめでとう」
園子は一つの額縁写真を棚に飾る。それは稲洲と平の二人の写真だ。その写真に写っている二人の顔は憑き物が取れたような穏やかな笑みを浮かべていた。
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