青龍の宰相と牙月の姫

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夜の砂漠は冷える。 私は慣れているが男は薄着だ。 私たちの衣装は昼間は薄く露出が多く見えるが、夜になると着込むことができる。自分の放出する熱を閉じ込める術を知っている。 男は帝国からの遣いだ。婚礼の荷の番人だ。 彼らにとっては私も荷の一つに過ぎない。 「寒いだろう」 「いや」 温めた乳酒を持っていくように命じた。身体が芯から温まるはずだ。 「気温が下がるとは書物で知っていたが」 「実際には違うか」 「違いますね」 武官のようでもあり、文官のようでもあり。 西と東の交易路の小国、それが私の生まれた牙月国だ。私は東の帝国に献上される。 過去に女好きの皇帝が後宮に諸国の華を集めさせたと聞く。 西域の国々は混血によって髪の色や瞳の色が様々で、面白いと感じたらしい。 今回私は後宮に入るのではなく臣下に与えられるそうだ。 「なあ、お前の主はどのような者だ」 「主ですか」 「私が嫁ぐにあたって、迷惑はかけていないだろうか。主君からの命では断れなかったのでは。想いあっている相手は居なかっただろうか。 女に手をあげたり、酒を飲むと少女を手込めにしたりしないだろうか」 「そんな酷い行いは……ないです。主は仕事ばかりで、女性とも縁がありませんので」 「そうか。仕事熱心な方なのだな。それなら悪い人ではないだろう。国に忠義が篤いのだな。こんな私を引き取るくらいだから」 男は黙っている。彼の国ではどのような女性が好まれるのだろう。 私はベールを被っている。 男も目から下を隠す布を着けている。 旅の間、寡黙なこの男との時間は存外悪くなかった。 涼やかな目元は常に冷静で、正直だった。こちらが問うことにも答えてくれた。わからないことにはわからないと返してくれた。 バザールを見て回った。 珍しいと男の目が伝えていた。色々教えるのは楽しかったが帝国に近づくにつれ、私の知らないものが増えた。彼が教えてくれた。 品物も人も、帝国が近いことを肌で感じた。 自分に向けられる視線も。顔を隠していても、好奇の目を感じる。 明日は帝国の都に着くという夜。 私は男と酒を飲んでいた。帝国の果実酒で、私は湯で薄めていた。 「私の父親は、母が若い時に無理矢理に襲ったのだ。そのあとも酒に酔っては母に手を上げていた。 私は母が私を産んだ年齢をとうに過ぎた。母が、私は醜いからと外に出さなかった。 それは母の恐怖心から、幼い私を守るためだったとこの婚儀の出発の前夜に謝られた。」 男の目が悲しみを湛えた。 お前が悲しむことはないだろう。 ベールに手をかける。 「姫、なにを」 ベールを外した。耳飾りがシャランと鳴る。 「答えてくれ。私は醜いのか?」 男は答えてくれない。 「お前の主人は気に入るだろうか」 「気に入られたいのですか」 声が震えていた。 「わからない。捨てられるのは嫌だ。」 父にも、母にも国にも捨てられた。 一歩ずつ、男の方へ進む。 胸に手を置く。硬い板のようだ。それでも、鼓動が聞こえる。 もっと近くで聞きたいと、胸に耳を当てた。 「あなたの方から断ることもできるのですよ」 そんなはずはない。 優しい嘘を言うなんて。 「お前の主が私を気に入らなくて、臣下に下げ渡されるのならお前がいい」 鼓動が早くなった。 男のものか、自分なのかわからない。まるで一つになるように抱きしめられていた。 「夢のようでした。主のものを願ってしまいました」 いつもより掠れた声で早口に囁かれた。 耳から溶けそうに熱い息がかかる。 熱い……? 体を離して、頬を触ると熱い。 「お前、熱があるじゃないか!いつからだ」 「大丈夫です」 「誰か!水を」 「姫、」 「ありがとう。お前の慰めで覚悟が決まった。もう弱音は吐かない」 他の従者が男を連れていった。 こっそり様子を見に行ったら、かなり叱られていたようだ。 感傷的になっていたらしい。 体調が悪かっただろうに、無理を言ってしまった。 帝都に入るし、あとはおとなしくしておこう。 旦那様がどんな方でも、今日の抱擁を思い出にして精一杯仕えよう。 これは不貞にならない、と思う。 翌日から、男を見ることはなくなった。 熱が下がらず医者に見せたらしい。もともと帝都の出身なので、実家で静養しているのかもしれない。 きちんとした礼も言えなかったな。心残りとなった。 旦那様の臣下なら、また見ることはあるだろうか。 いや、帝国では奥方や側室は邸の奥深くで暮らすという。 もう会うことはないかもしれない。 帝都の旦那様の邸に着いた。 とても立派だった。 様式が違うので生まれた国の貴族階級でどのくらいの地位なのかはわからない。 都で見たどの邸宅より大きかった。 建物の間に庭園がある。奇岩の配置された庭は珍しく楽しかった。 私には一つの舎殿がまるごと与えられ、私は自由に寛ぐように言われた。 二人の世話係が湯殿に連れていってくれた。 彼女らは言葉が通じなかった。それもそうだ。 あの男が流暢に喋るので感じなかったが、言葉も価値観も違うのだ。 世話係からは好意的な態度を向けられたし、清潔な衣服を用意してくれていた。 旦那様は私をもしかしたら大事にしてくれるつもりなのかもしれない。 それでは、初めての場で失礼のないようにしなければ。 ところが、旦那様との面会はなかった。 衣食住は整えられているのに、感謝を告げる機会がない。これでは籠の鳥のようではないか。 通訳兼侍従の年配の男性が来てくれて、必要なものなど聞いてくれる。 「旦那様は宰相でして、しばらく体調をくずして休養されていたので仕事がたまっているのです」 宰相といえば国で一番の役職ではないのか? そんな人が私を。 というかかなりの年齢ではないのか。妻子がいるのなら、私などを押し付けられて迷惑だったのでは。 しばらくすれば、誰かに下げ渡すつもりかもしれない。 だから会うつもりもないのか。 黙り込んだ私を侍従は気遣ってくれる。 それが申し訳なかった。 とうとう、会わずに1ヶ月が過ぎた。 でも、誰かの気配はするのだ。 あの男ではないかと思った。 バザールで見た、故郷の菓子を侍従が持ってきてくれたから。 気にしてくれているのかもしれない。 もう少し頑張ってみようと思った。頑張るも何も、始まってすらいなかったのだが。 婚礼の日が決められた。 儀式の説明と、初夜のしきたりを聞く。 まあどうせ、旦那様は来ないだろう。初夜といっても儀式のうちだから、実際は一人で眠るだけになりそうだ。 真紅の婚礼衣装に身を包み、隣の旦那様を見る。 背が高い。 飾りのついた帽子をつけているので、目もとが隠れている。 私もベールを被っている。 滞りなく婚礼の儀式は終わり、私は形式上の妻となった。 初夜ということで香油を揉みこまれた。羊肉の故郷の料理を思い出した。 物音がして、振り替えると男性がいた。 声を上げようとして、ここに来る男性は一人だけだと気づく。 「だんな、さま?」 返事がない。 発音が間違っているのだろうか 「だんなさま、どうぞ、よろしく」 ドキドキして汗が出る 「よろしく、お願いします」 ゆらり、と人影がゆれる。 酒の匂いがした。 手を伸ばされたので反射的に身をすくめたら、頬を触られた。 「あなたは、醜くなんかない」 はっきりと、母国語で伝えられた。 「あのときは気が動転していて言えなかった。あなたは美しい。」 何度も夢に見た声だった。 「どうして、」 「あなたから断ることもできるのですよ」 「私が旦那様を拒否したら、すぐにあなたに下げ渡してもらえるの? でも、こんなに良くしてくださる旦那様に何か恩返しがしたいわ」 「ちょっと待ってください。誤解があるようです。いえ、意図的に私が誤解させていたのですが」 男は、灯りをつけた。 初めて顔を全部見た。 「私が、この家の主人です」 「え?」 「宰相、様ですか」 「はい。」 「おいくつですか」 「三十六です」 「お若いですね」 「えっ?でもあなたとは十六歳も離れているから嫌がられると思って」 「あ、いえ宰相として、若いなって。いや見た目も若いです!」 「すみません、気を遣わせてしまって。 それでですね、あなたの輿入れに関してですが。 当初、陛下の後宮にという話だったのですが私が西域が大好きで若い頃から憧れを募らせていると知った陛下が、気に入った姫がいたら、譲ってくださると釣書と絵姿を私の机に横流ししてくださいまして」 「あ、それで言葉が流暢だったのですね」 「それで初めは断っていたのですが、あなたの絵姿に年甲斐もなく惚れまして」 「でも、迎えに来てくださるなんて、お仕事は」 「少々無理をして片付けて、どうしてもあなたを迎えに行きたかった。 でも、あなたが望めば後宮入りもできたし、このまま邸で保護してもいいと思っていました。もしかしたら、親のような気持ちで見守れるんじゃないかって。 しかし、あの夜」 「あ、あの夜はどうかしていたんです。どうか忘れてください。不安で、気持ちが不安定だったんです」 布団を頭から被って耳を塞いだ。 「忘れません。この国始まって以来の頭脳だと言われていますので、私。 不安なあなたが、すがったのは私だった。下げ渡されるなら私がいいと仰った。そのとたん、陛下がもしあなたを見て気が変わって、後宮に望んだとしても渡せないと思いました。」 少しずつ布団をめくられている。 「私は、あなたを誰かに譲ることも下げ渡すこともありませんので諦めて妻になってください」 「妻!そう、今までに妻がいてもおかしくないでしょう?高官なのに」 「私に命令できる者も多くないので、今まで自由にしてこられました。あなた一人ですよ」 「本当に?」 「はい。」 「私、あなたのお嫁さんになれるの?」 「ちょっと悪い大人かもしれませんがあなたを大切にすると誓います。」 「じゃあ、いいわ」 仮の初夜だろうと思っていたけれど、しっかりと結ばれてしまった。 ーーーーー 「お母様は14で私を産んだの。だから私が充分に子供を産んで困らないくらい体が育つまで、私のことを醜いといって外に出さなかったの」 「そうだったんですか」 「私、醜くないって言ってくれましたが それと、ちゃんと子供を産めるぐらい育ってるのかしら」 「それを初めに聞いていたらもっと手加減できなかったかも知れませんね。 ゆっくり次回から確かめさせてもらいますね」
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