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第一章【親鍵】凪砂
この海沿いの町からは、ないはずの島が見える。
その島はネノシマと呼ばれており、そこには神様や妖怪たちが住んでいるとされている。
ネノシマはこの土地で生まれ育った者にしか見えず、さらには大人になるにつれて見えなくなっていくらしい。大人たちは時々「今日は久しぶりに、ネノシマが見えるな」なんて口にする。そんな日は決まって空気が澄んでいて、ネノシマは眩しいほどに光って見えた。
僕は幼い頃から毎日、十五歳になった今も、ネノシマが見えている。だからこそネノシマの存在を疑ったことは一度もなかった。
そしてその存在を疑えないまま、僕の前に朔馬が現れた。
朔馬は高校一年生の五月という、妙な時期に転校してきた。
それからしばらくして、朔馬がネノシマからやって来たことを知ることになった。
驚きはしたものの、僕はその事実をあっさり受け入れた。
七月末の現在、朔馬が転校してきて三ヶ月、そして朔馬が我が家に住むようになって二ヶ月になろうとしている。
この二ヶ月で、色んなことがあった。僕自身もネノシマにいったし、日本にいる妖怪にも何度か出会った。
振り返ってみると、そんな非日常がどれもが日常の中にあるので不思議なものである。
◆
「入れ替わりの件を、そろそろなんとかしようと思うんだ」
朔馬と二人で朝食を食べていると、朔馬はぽつりといった。
朔馬と、僕の双子の姉である波浪は、夜明け前に三十分ほど入れ替わりが起きる。
「ネノシマにいけば、どうにかできるんだっけ」
「うん。ネノシマにいる望石神という神様なら、この現象をどうにかできる可能性があるって、兎国神がいってた」
兎国神とは、日本にいる神様である。さらにいうなれば、ここからバスで二十分ほどの幡兎神社の神様である。
朔馬と波浪は兎国神とちょっとした縁があり、その礼にと「身代わりの石」なるものをもらった。
僕が二人の石を触っている間に、朔馬と波浪はなぜか入れ替わった。二人はその日以降、入れ替わりが起きるようになったのである。
自覚はないが入れ替わりのきっかけを作ったのは僕らしいので、それなりに罪悪感はある。それなりに。
「眠っている間とはいえ、入れ替わりってやっぱり嫌だった?」
僕は他人事のように聞いた。
二人は入れ替わりを特に不便に思っていないせいか、すぐに「望石神を訪ねてみよう」とはならなかった。入れ替わりについて、二人が言及することもほとんどない。そのため僕は、はうっかりすればその現象を忘れてしまいそうなほどであった。
「別に嫌とかはないよ。でもハロは嫌じゃないかと思って」
「え、なんかあった?」
僕は無意識に声を潜めた。
僕たちが朝食を食べている間、波浪は浜辺を走っている。しかしそろそろ帰ってくる時間であると思われた。
「特になにもないよ。でもハロは俺と入れ替わってる間、悪夢にうなされてると思うから。かなり疲れるだろうなと思って」
朔馬の表情から察するに、本日の夢見は悪かったらしい。
「同じ部屋で眠れば、入れ替わりの事象が好転するって話だったよな。実際どうだった」
入れ替わりの好転を期待し、僕たち三人は最近朔馬の部屋で川の字になって眠っている。
「なにも変わってないかな」
「誰がそんなこといったんだっけ。兎国神ではなかったよな」
「銀幽だよ、瀬戸銀幽。雲宿の銀将」
ネノシマの庁舎にいった際に出くわした、妖艶な女性である。
朔馬は現在、雲宿という組織の桂馬の役職に就いている。朔馬は自分のことを「ネノシマの公務員のようなもの」といっていたので、雲宿はおそらく政府組織のようなものなのだろう。
「今日、学校が終わったらネノシマにいってみる。雲宿の書庫で調べたら、望石神がどこにいるかは、すぐにわかると思うから」
朔馬はいった。
僕と朔馬は夏休み中の本日も、補講という名の通常授業がある。
「居場所がわかれば、すぐに会いにいけるものなのか」
「会いにいくのは、簡単だと思う」
「ネノシマって、そんなに狭いわけじゃないんだろ。雲宿の庁舎からすごく離れた場所だったら、どうやって移動するんだ」
ネノシマのことを詳しく知っているわけではないが、文明的には日本の明治時代くらいであると朔馬はいっていた。そのため移動手段は、かなり限られているように思えた。
「雲宿の役職者は、鳥居の親鍵をもらってるんだ。だから遠い場所でも、どうにかなると思う」
鳥居の鍵というのは、鳥居同士を繋げる鍵である。
しかし親鍵というのは初耳だったので、僕は説明を求めた。
「なんていえばいいかな」
朔馬はそういった後で、親鍵の説明をしてくれた。
神様が眠りについていたり、不在にしている神社については、鳥居の鍵は雲宿に預けられることがあるらしい。雲宿預かりになった鳥居の鍵は、親鍵として一括で管理されることになる。その親鍵を使えば、預かっている鳥居間は自由に行き来することが可能となる。そして雲宿の役職者は、その使用を許可されているらしい。
「親鍵でいける鳥居は点在してるから、望石神が辺鄙な場所にいても、徒歩三時間はかからないと思う」
朔馬はさらりといったが僕の感覚では、徒歩三時間はそれなりの覚悟が必要な距離であった。
◆
補講といえど、夏休み中は午前授業である。そのため、お昼は家に帰って波浪と三人で食べる。
しかし朔馬は帰宅してすぐに、ふらりと家を出た。
どこへいったのだろうと思いつつも、特に連絡は入れなかった。昼食がいらない場合は一言あるので、そのうち帰ってくるのだろうと思った。
実際に、昼食を食べ始める頃に朔馬は帰ってきた。
「コンビニでもいってたの」
僕は聞いた。
「雲宿の庁舎にいってた。書庫で望石神のことを調べてきたんだ」
「コンビニにいく感覚でネノシマにいったんだな。お昼食べてからいくんだと思ってた。なにかわかった?」
「望石神の居場所がわかったよ。邪神でもなく、穏やかな神様らしい」
朔馬はいった。
「お昼食べたら、いってみようか」
波浪もコンビニにいく感覚でいった。
「そうしたいんだけど。俺が諸々の安全確認してからの方が安心だよね」
朔馬がいうと、波浪は「大丈夫だよ」と、何も考えていない感じでいった。
「二度手間になるし、一緒にいけばいいよ。俺は今回、いつも以上に部外者だから留守番してた方がいいかな。俺がいない方が、朔馬の負担は減るよね」
僕はいった。
「負担に思ったことはないし、どっちでも大丈夫だよ」
「凪砂って、ネノシマではそれなりに重要人物なんだよね。ネノシマをうろうろしていても問題ないの?」
波浪はいった。
「凪砂の顔を知ってる人はほとんどいないし、問題はないよ。それにネノシマにいる間は、顔を隠して行動するつもりだから」
前回ネノシマにいった時も、朔馬は蔵面のようなもので僕たちの顔を隠してくれた。
「顔を隠してると、余計に怪しまれないか」
僕は聞いた。
「顔を隠して仕事をする妖将官も多いから、不審には思われないよ」
妖将官というのは、妖怪を相手にする官吏のことである。朔馬は雲宿の妖将官であり、その中で桂馬の役職に就いているというわけである。
「なんで顔を隠して仕事をするんだ」
「妖将官は妖怪の相手ばかりで人間と関わらないし、顔を覚えてもらう必要がないせいかな。それにあの蔵面は妖怪にとっては、多少の匂い消しみたいな効果もあるから」
僕と波浪は「へぇ」と間抜けな声を出した。
「望石神は、最寄りの鳥居からどれくらいかかりそうだった?」
僕は聞いた。
「それが、それなりに辺鄙な場所だったんだよね。でも最寄りの鳥居からは、歩いて二時間くらいだと思う」
二時間。
この七月末の炎天下の中を、徒歩二時間。
「今回は、留守番してる」
僕がいうと、二人は「わかった」と即答した。
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