第十一章【二十四時間】波浪

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第十一章【二十四時間】波浪

 遊郭を出た後、私たちは銀幽の駕籠を呼んで庁舎に戻った。  それから私たちは朔馬の執務室で、一眠りすることにした。遊郭でも眠ったわけであるが、なんだか妙に眠かった。  遊郭では気を張っていたせいか、次に目覚めた時にはネノシマでの二十四時間はすでに過ぎていた。 望石神は「入れ替わりの時間は半分になったはずです」と、私たちに身代わりの石を返してくれた。 ◇ 「おかえり」  私たちが帰宅すると、凪砂はリビングでゲームをしていた。  いつもと変わらぬその姿に、なんだか気が抜けた。 「どうだった。諸々うまくいった? あ、冷蔵庫にお昼あるよ。そうめん」  私と朔馬は、遅めのお昼を食べることにした。  私たちはそうめんをすすりながら、ネノシマであった出来事をぽつぽつと凪砂に話した。 「じゃあこれで石の件も、銀幽の件も解決したってことか」 「そうだね。銀幽にはこれから報告書を出すとして、入れ替わりの時間は十五分になったと思う」  入れ替わりは自分のせいであると思っている凪砂は、ほっとした表情を見せた。 「船人が肢刀を使ったことが、雲宿に知られるとどうなるんだ」 「猟銃免許がないのに、猟銃を使ってしまったって感じの罪になるのかな。でも弟を守るためだったわけだし、武官をやめさせられるとか、重い罰はないと思う」 「俺が肢刀を使うことも、罪になるの」 「ならないよ」  朔馬はあっさりいった。 「日本で使う分には罪にならないってこと?」 「凪砂は武官じゃないし、ネノシマや雲宿の法律には干渉されないよ。だからもし危険が迫ったら、肢刀を使って大丈夫だよ」 「咄嗟に使える気がしないんだけど」  凪砂はそういった後で「いや」と、発した。 「そうでもないのか。俺は建辰坊(けんしんぼう)に肢刀を投げたことがあったな」 「一度抜刀すると、忘れないらしいよ」 「自転車みたいなものか」 「自転車ってそうなの?」 「そうらしいよ」  朔馬は「へぇ」と感心した。 「肢刀については、妖術の理解を深めると剣術の心得がなくても体が勝手に動くって聞いたことがある」 「そうなの?」  私はいった。 「そんなことあるの」 凪砂も似たようなことをいった。 「肢刀は通常の刀とは違って、自分の一部みたいなものだから肢刀の精度が高いと、そういうこともあるらしいよ。妖将官は剣術も体術も習うから、実際にそういう人をみたことはないけど。船人はそうだったのかも知れない」 「船人は肢刀の精度が高いから、辰砂龍を咄嗟に斬れたってこと?」  凪砂はきいた。 「体術も剣術も達者な人だろうから、断言はできないけどね。妖術書を長く読んでいた人だし、抜刀した後は体が勝手に動いたんだと思う」  私と凪砂は「へぇ」と声をそろえた。 ◆◇  恐ろしいものが、こちらを見つめている。  それはやがて、襲いかかってくるという予感があった。  逃げたい気持ちがあったが、体が思うように動かない。  そしてそれは身をよじらせたかと思うと、こちらに襲いかかってきた。  叫ぶことも忘れ、息を止める。  私は咄嗟に抜刀した。  気づくと襲ってきたなにかは、足元に倒れていた。  それをどんな風に斬ったのか、まるで覚えていない。しかしそれを斬ったのは自分であるという自覚があった。  傷つけた。 ただ、無意味に傷つけた。  足元にあるその姿があまりに痛々しくて、私は飛び起きた。  目覚めると、朔馬と入れ替わりが起きていた。  十五分といえど、記憶はしっかり流れてくるようである。  朔馬は肢刀で斬った妖怪の記憶に触れることがある。先ほどの夢も、それに該当するのだろう。  先ほどの光景は夢であると理解していても、私の鼓動は速くなったままであった。  そしてふと、右手が痛むことに気が付いた。  強く握ったままになっていた朔馬の体であるところの私の右手には、肢刀が握られていた。  驚きはしたものの、私は妖術書の内容と朔馬の記憶を辿り、できるだけ丁寧に納刀した。  私自身は妖術書を軽く読んだだけであるが、朔馬の体に染み付いている努力の痕跡で抜刀できてしまったのだろう。  朔馬は途方もない努力をして今の役職に就いている。それを理解しているつもりでも、こうしてそれを目の当たりにすると複雑な気持ちにもなる。 ――ここは親に護ってもらえない子どもの受け皿 ――文字の読み書きや芸事は教えてもらえるが、それだけだ ――子どもって、みんなそうじゃないのか  親に、大人に、誰かに護ってもらえるかどうかは、自分自身でどうにかできるものではない。今ある日常は、色んなものが紙一重でできた幸福であると思い知る。  まだ少しだけ痛む右手を見つめ、私は再び横になった。  鼓動が落ち着くと、緩やかに眠気が戻ってきた。  こんな場所からは、出ていきたい。  ここは自分の居場所ではない。  自分のものではない想いが、胸の中に広がっていく。色んなものたちが、自分の居場所はここではないと叫んでいる。  そんな中で私の意識だけが、私の居場所はここしかないと思っている。  しかし同じ場所に停滞することを、大きな何かが許さない。  ずっとここにはいられない。 【 了 】
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