第三章【余興】浮真船人

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第三章【余興】浮真船人

 浮真(うきま)船人(ふなと)抜刀(ばっとう)したのは、二十二歳の頃だった。  成長期を終えた者、二十歳を超えた者は、抜刀できないとされているため、それは大変めずらしいことであった。  抜刀(ばっとう)。  妖術書(ようじゅつしょ)という妖術の基本書を理解した者は、肢刀(しとう)という刀を出せるようになる。肢刀を出すことを、すなわち抜刀と呼んでいる。  妖将官になるには、抜刀できることが絶対条件である。  そのため妖将官試験の受験資格は、二十歳までという年齢制限がある。  試験に合格したものは、妖将官の訓練生として将学院(しょうがくいん)に入学する。そして四年の訓練を経て、一人前の妖将官となるのだった。  船人は十三歳からの七年間、妖将官になるべく試験を受け続けた。  妖将官試験は、学術、体術、妖術の三つで構成されている。船人は学術、体術においては、上位の成績を収めていた。しかし妖術だけは相性が悪かった。どんなに妖術書を読んでも、船人は抜刀できなかった。学術も体術も、やればやるほど結果が出た。しかし妖術に関しては、それができなかった。 井戸の水を手のひらで、別の井戸に運ぶような、そんな途方のない作業をしている感覚だった。そして焦れば焦るほど妖術書の内容はほたほたと、手のひらからこぼれ落ちていくようにさえ思えた。  船人は妖将官試験に合格できないまま、二十歳を迎えた。  その落胆は大きかったが、もう挑まなくていいのだと思うと安堵もあった。  妖将官になれなかった者は、武官(ぶかん)文官(ぶんかん)になる者が多い。船人もその例に漏れず、武官となった。武官になる試験には、あっさりと合格した。  両親も弟も、船人が武官になったことを喜んだ。浮真(うきま)家は絵師の家系で、官吏になる者はほとんどいなかったのでそのためである。  妖将官にこだわっていたのは自分だけだったのだと、その時にようやく気がついた。  幼い頃は絵師として生きることも考えたことがあったように思う。しかし両親は弟に家業を継いで欲しいと考えていることを、船人は早々に感じていた。  弟の香円(こうえん)は幼い頃から絵が上手かった。さらに香円は病弱で体も小さく、絵を描く以外には興味がないような子どもであった。 対して船人は幼い頃から体格がよく、そして健康だった。  船人はなんにでもなれると、そう言われて育った。  だからこそ船人は、花形の職業である妖将官を目指したのだった。  船人が武官として働き始めた翌年、十歳で妖将官試験に合格した者がいると話題になった。  十歳での合格は異例で、それは今までの最年少記録を大幅に上回るものだった。  桂城(かつらぎ)朔馬(さくま)。  その名は、様々な者の胸に刻み込まれたはずである。  十歳の子どもが妖将官試験に合格したと聞いた時、なんだか清々しい気持ちになったものである。  自分には才能がなかったのだと、そう納得できた。 ◆  船人は現在、九郎兵衛(くろべえ)番所に配属されている。  葦原(あしわら)遊郭の唯一の出入口、大門横の番所である。  九郎兵衛番所では主に、出入りする者の見張りをしている。お尋ね者が出入りしていないか、さらには遊女が逃亡しないかを見張るのである。  この大門を自由に出入りできるのは、成人男性のみである。それ以外の者は大門切手を確認しなければ、大門から出すことはできない。 「詳しい時刻はわからないけど、銀将の式神がうちの番所に来るとの連絡がありました。船さんが相手してくれって」  上官である赤坂(あかさか)蜜木(みつき)はいった。  蜜木は船人の直属の上官であると同時に、同じ道場の後輩でもある。さらには実家もそれなりに近く、弟の香円とも仲が良かったので、蜜木は幼い頃から船人に懐いていた。  雲宿という組織においては、年下の者が上司になることも多い。 武官の中にも一等から九等の階級があり、階級を上げるには昇格試験に合格する必要がある。そして階級さえ上がれば、年齢や勤続年数とは無関係に出世できる仕組みである。  しかし蜜木については、階級以前に出自が違うのだった。  蜜木は妖将官試験に合格し、将学院に入学した。そして将学院を卒業して半年後、妖将官から武官へと転属した。  妖将官から武官へと転属する者は、それなりに多い。妖将官から武官に転属した者は与兵(よへい)と呼ばれ、新任でも武官五等からの扱いとなる。 ――妖怪ってのはね、恐ろしいんですよ  蜜木はいつか、ぽつりといった。  妖怪はその辺にいるが、基本的に得体が知れない。それに立ち向かっていける者、その(すべ)を持つ者が妖将官なのである。  しかし妖将官になったとて、それを職業として続けられるかは誰にもわからない。 「銀将の式神か、了解した」  船人はいった。 「なにかあったんですか?」 「銀将に口止めされてるから、俺からはなんとも」  実際に口止めされたわけではないが、船人はいった。 「えー、気になるなぁ」  蜜木は人懐っこく笑った。 「関わると、仕事が増えることになるかも知れないぞ」 「それは勘弁して欲しいな。ただでさえ休みが少なくて、遊びにいけないのに」 「最近はどの見世で遊んでるんだ。遊女に刺されても、俺は知らないからな」 「遊びって、その遊びばかりじゃないですよ。でもそうですね、最近は角海老(かどえび)に通ってます」  角海老とは、遊郭内で一番の女郎屋である。 「そんなところに通ってたのか。うちの上官は金持ちだねぇ」 「通いつめるわけじゃないですから。時々ですよ、時々ね」  蜜木は優男で、すこぶる女にモテる。  葦原遊郭では本来、同じ見世で、同じ遊女と遊ぶのが暗黙の了解である。しかしそれも、今は昔の話となりつつある。蜜木は遊郭内でも遊びが上手く、様々な見世を転々としている。蜜木のように色んな遊女と遊ぶ者も、最近は多いらしい。 「角海老でなくても、出入りしている見世で最近物騒な噂を聞いたりしないか?」 「物騒な噂ですか。ないですね。それにそんな噂なら、船さんの耳にも入るでしょ」  その通りである。  血を吸われた客たちには、それらしい理由をつけて口止めをしている。河田屋の遊女たちについては、楼主(ろうしゅ)からきつく口止めをされているはずである。  両者はそれを厳守してくれているようである。 「それもそうだな。そろそろ昼休憩いってくる。もう、こんな時間か」 「また蕎麦(そば)ですか」  蜜木はなんだか嬉しそうにいった。 「また蕎麦だよ」  船人がいうと、蜜木は「はは」と愉快そうに笑った。 ◆  往来の激しい通りを抜けて、船人はいつもの蕎麦屋に向かった。  その蕎麦屋は大門から少しばかり離れているが、船人はここの蕎麦が好きなのである。さらにはこの蕎麦屋で官吏に会ったことはなく、それも気に入っている理由の一つであった。  船人はいつものように店先の床几(しょうぎ)に座り、蕎麦をすすった。  もう何年も九郎兵衛番所に勤務しているせいか、蕎麦をすすっている間にも道行く人々を無意識に観察してしまう。  人の歩き方というのは、顔よりも判別が付きやすい。そのため、人の足元ばかりを見ている。 「そんな怖い顔して蕎麦を食ったって、美味かないだろ」  店主は呆れたように笑った。 「わかってないな。こうやって食う蕎麦が、一番うまいんだよ」  船人が軽口を叩くと店主は「適当いってら」と笑った。船人もその姿を見て、口元を緩ませた。  通りの方に視線を戻すと、顔を隠した妖将官が二人歩いていた。  どうにも、かなり若い妖将官のようである。その歩き方を見つめて、大門を出入りしたことはなさそうだと船人は早々に結論づけた。  しかしどうにも、片方の妖将官の歩き方はずっと以前に見たことがあるように思えた。そう思ってしまうと、船人の思考はいよいよそのことしか考えられなくなった。  おそらく十代半ばの妖将官なので、成長に伴い歩き方も多少は変わるのだろう。しかし、そんな幼い妖将官と接する機会などあっただろうか。そんなことを考えていくうちに、船人の中にあった霧は晴れていった。  妖将官の片方は桂城朔馬(さくま)であると、船人はそう確信した。  次の瞬間、二人の妖将官は大きな声で呼び止められた。 「あー、いたいた。こっちだ、こっち!」  二人を呼び止めたのは、近くの辻番所(つじばんしょ)の武官であった。 「おーい。いたぞ!」  武官はそういって、同僚たちを振り返った。 「遅かったな。今日からうちにくる与兵だろ。うちの番所じゃ、着任の歓迎ってことで、毎度余興をやるんだ」  武官はいった。  妖将官の一人を朔馬であると確信している船人は、武官の勘違いであるとすぐに気が付いた。 案の定、朔馬ともう一人は無言で首を振った。 「なぁに、大したことじゃない。軽い腕試しというか、手合わせだ。ちょっと付き合ってやってくれ。あそこの広場に、もう野次馬たちも集まってる」  武官はそういうと、広場へと歩き始めた。 「俺も当時は、こんな歓迎のされ方は嫌だったよ。でも一緒に働く者の力量は、みんな知っておきたいんだ」  武官はそれっぽいことをいいながら、歩みを進めた。  朔馬たちは武官を無視して、その場を去ることもできたはずである。しかし何を思ったのか、二人は戸惑いながらも武官に着いていった。  声を出せぬ理由でもあるのだろうか。  船人はそんなこと考えながら、蕎麦をすすった。  そして勘定を済ませると、船人はその後を追った。 ◇  武官がいったように、広場にはすでに人だかりができていた。  その中心には竹刀を持った大柄の武官と、竹刀を持たされたであろう朔馬がいた。  野次馬らの会話に耳を傾けると、この辻番所では新しい者が着任する度に必ずこの広場で手合わせをするらしい。大衆はそれを余興の一つとして楽しんでおり、賭け事のようなこともしているようであった。  一緒に働く者を値踏みしたい。そんな気持ちはわからなくもない。時には命を預ける可能性もあるので、なおのことである。しかしそれを大衆の前で行う必要性はない。おそらく悪しき慣習なのだろう。  竹刀を持った辻番所の武官は体格がよく、腕の立つ者のようである。手合わせといいつつも、自分たちの強さを誇示したいという思惑が透けて見える。  沸き立つ大衆をよそに、竹刀を握らされた朔馬は当たり前のように乗り気ではなかった。  立会人の武官が位置につけと合図をすると、朔馬は「どうしようか」という感じで、もう一人の妖将官を振り返った。 「なんだ、なんだぁ。怖いなら交代するか」  対戦相手の武官は、すかさず挑発的な声をかけた。  武官の強気な声に、大衆も沸き立った。  体術の際に、人を鼓舞するような、煽るような、そんな声をかけることがある。しかし大きな武官が、若い妖将官を煽っている光景には辟易する。それに沸き立つ大衆の気持ちもわからなくはないが、ひどく無責任であると思えた。  もう一人の妖将官は、朔馬に浅くうなずいた。対戦やむなし、そういっているように感じられた。  朔馬は竹刀を持って、指定された位置についた。  挑発した武官も位置につくと、その場は緩やかに静かになった。 「妖術の類は禁止だ。あとは、好きに戦っていい」  立会人がいうと、朔馬と対戦相手はうなずいた。  朔馬が竹刀を構えると、その場の空気が変わったことが感じられた。姿勢を正した朔馬の姿は美しく、そして鋭かった。剣術をかじった人間であれば、誰もがその姿に緊張を覚えるだろう。どこかにやにやしていた対戦相手も、表情はすっかり変貌していた。  大衆が静まり返った後で、立会人ははじめの合図を出した。  合図と同時に、朔馬は竹刀を頭上高くに放り投げた。  観戦していた者らは、放り投げられた竹刀を視線で追った。しかし対戦相手だけは、朔馬を見据えて竹刀を振りかぶった。  朔馬はそれをひらりと避けて、四足歩行の獣のように姿勢を低くして相手の懐に入り込んだ。そして突き上げるようにして、相手のアゴを思いきり打った。アゴへの衝撃は、脳に響く。おそらくいい場所に当てられたのだろう。武官はあっという間に、朔馬に組み敷かれた。それでも武官は、敵意のある目を朔馬に向けたままであった。体格差が圧倒的なので、朔馬を跳ねのけられると思っているのだろう。  朔馬が武官から右手を離すと、武官は瞬時に起き上がろうとした。  しかし結局、それはできなかった。  武官から離れた朔馬の右手には、先ほど放り投げた竹刀が戻ってきた。そして朔馬はそれを、相手の喉元ぎりぎりに突き立てた。  数秒後、相手は潔く「まいった」と口にした。  大衆は一気に沸いた。  その歓声とは無縁に、それを見て呆然としている二人の姿が船人の視界に入った。ワイシャツに袴姿なので、雲宿の官吏である。  その姿をみて、船人はすぐに状況を察した。 「もしかして、今日付けでこの辻番所に配属になった与兵ですかね」  船人が声を掛けると、妖将官の二人は「そうなんです」と気まずそうにいった。  いつからいたのかはわからないが、これだけの騒ぎの中では「自分たちがここに配属された者である」といえなかったのだろう。  朔馬たちは大衆に囲まれ、激励の言葉を受けている。  一方、朔馬に組み敷かれた武官はアゴの衝撃が強かったのか、まだうまく立ち上がれないでいた。この武官はこれからも、ここで働かなければならない。そう思うと、船人はほんの少しだけ同情した。 「悪しき習慣とは思いますが、着任の儀式らしいので。健闘を祈ります」  船人は二人の与兵に小さくいった。  それから船人は、すぅっと息を吸った。 「いやぁ、すまない! 話し相手にしていたら、時間が経ってしまった。この者たちも余興に混ぜてやってくれ。今日から、ここに配属になる与兵たちだ」  船人はそういって、与兵二人を立会人の前へ差し出した。  武官たちは「え?」という顔をこちらに向けたが、船人は素知らぬ顔で演技を続けた。 「おや。こちらは俺が呼んだ妖将官の二人かな。今から一緒に来ていただこう」  船人はそういって、朔馬たちを大衆から守るように割って入った。  辻番所の武官たちはぽかんとした顔を見合わせた後で、立会人の前に現れた二人に事情を聞き始めた。  大衆の意識もそちらに向き始めたので、船人は朔馬たちに目配せをした。  朔馬たちは戸惑った様子ではあったが、すぐに船人の後に続いた。  大衆も武官もすでに興味は移ろいでおり、その場から離れる船人たちに声を掛ける者はいなかった。
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