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「おいアイツなんだよ? 一応ゼッケン付けてるけど?」
「あいつ選手だよ」
「えっ!? プロも出てる大会にジャージに、——あのロッドって100均に売ってる? 千円の投げ釣りセットだろ? しかも、あの赤一色のジャージは、学校指定のかなんかだろ? 胸に名前刺繍してあるぞ? なんて書いてあんだ? 遠すぎて見えねぇ!?」
今日、若洲海浜公園では、東京湾アジング大会が開かれていた。
全国から選ばれた、アジのルアー釣りのプロ達が日本一を競う。皆んなスポンサーが付き、そのメーカーのウエアーに釣り具一式(タックル)を使用している。しかも、そのメーカーで1番高い物を与えられいていた。自分がスポンサーを務める選手が優勝すれば、そのまま大きな宣伝になるからだ。そんな中に、1人休日に釣りしてる中学生みたいなのが混じっていた。
沢山のギャラリーが、選手達の活躍を見守っている中、此処でもアマチュア釣師の2人が、大会の行方を固唾を飲んで見守っていた。1人は釣り歴15年、小1から父に連れられ釣りに行っている。もう1人は、最近そいつの影響で釣りを始めた初心者だった。
「あいつ、平大地だよ」
「知り合いかよ?」
「いや、知り合いじゃねーけど、あいつ超有名人だよ。あの装備で、各地の釣り大会で優勝しまくってんだよ?」
「ええっ!? あり得ないだろ? アジングはやった事ねえけど、1gとかの超軽量メタルジグとか極小のワーム使うんだろ? あれ投げ釣り用の入門用ロッドだろ? しかもMH(ミディアムヘビー)の太っといグラスロッドだろ。もっと細くて軽くてしなやかな、カーボンロッドじゃないと。リールだってあれギア比幾つだよ? メーカーも分かんねーよ?」
「知らねえけど、あれで優勝すんだよ。アジングだけじゃない。バスもショアジギングも投げ釣りもヘラブナ釣りだって」
「ヘラブナ釣りは無理だろ? リール禁止だろ?」
「リール付けずに、そのままトップガイドに糸結んでやったんだよ?」
「さすがに嘘だろ? それに、あの2m足らずのロッドじゃ、足元しか釣れねえじゃねーか?」
「ああ。足元だけで優勝したんだよ! まあ、ヘラ自体は3m前後の竿使うから1mの差しか無いけど、だが逆にその1mの差が絶対的な差を生む筈なんだけどなぁ……。良く分からん。」
「なんで、そんな奴にスポンサー付かねえんだよっ!? 釣りオバケじゃねーかっ!?」
「付いたよ。付いたけど、あいつスポンサーから提供された釣り具一式全部、中古釣具屋に売っぱらっちまったんだ。それで、そのままいつもの装備でバス釣り大会に出て来た」
「で?」
「いつも通りさっくり優勝した」
「すげーよ! なんだよそれっ!! ……でも、それじゃあ、メーカーのメンツ丸潰れじゃん!? 喧嘩売ってるようなもんじゃんっ!?」
「だから、今は全ての釣具メーカーから嫌われてる」
「じゃあなんで出てるんだよ? 大会スポンサーに、当然釣り具メーカーも入ってんだろ?」
「ヒールなんだよ? アイツは悪役。アイツをどうにか倒そうと、各メーカーが躍起になって選りすぐりのプロを送り込んでくる。アイツを倒せば一気にメーカーの株が上がるだろ? だが、それでも勝てない。返り討ちにされるんだ。その戦いを見る為に、こうやってギャラリーも集まる。此処にいる奴らも、ほとんどそんな奴らだ。そして、俺もアイツを今日見に来た。勝ち負けもそうだが、あいつの釣りの腕の謎が知りたいと皆んな思ってる。タックルからも分かる様に、あいつの知識も技術もメチャクチャだ。それでも釣れんだよ。メチャクチャ。人100倍位な」
「恐ろしい奴だな? でも、世の中、上手い事出来てるな? あいつが大会の客を呼んでるんだもんな。——つか、あっちの可愛い女の子誰? あの子も有名なプロアングラー?」
「え? 知らないな。初めて見る顔だ? でも、あの子もスゲー釣ってるな!? キャストする度に、魚が付いて来るみたいだ。平と良い勝負だぞ? どこの選手だ? あんなの、見た目も良いし、平でも無っきゃ、どっかのメーカーがスポンサーに付いてるだろ?」
「ゼッケンに企業名あんだろ?」
「有るっ有るっ! なんて読むんだ? アブ? じゃないっ!? A・R・K・H・A・M? なんて読むかは分からないけど、とにかくあんな釣り具メーカーは無いだろ? あんの? 俺は知らん?」
「いや俺も見た事ない。釣り用のボートとか、アウトドアのメーカーかもな?」
——とにかく、大会は終わって入賞者が発表された。
表彰台に3位から呼ばれて登って行く。
「3位、久保研二さん凄い!! 78匹っ!」
その数にギャラリーから、歓声が溢れ出す。
「そして2位、山本悠宇那(やまもとゆうな)さん! これはヤバイ103匹っ!!」
オオーッ! と歓声は更に大きく盛り上がり、まるで大波のように選手に押し寄せた。
「そして、1位の平大地さん……。」声が小さくなり、ぼそりと言う「……514匹。」
あれだけ盛り上がっていた歓声は、シンと静まり返る。
それはあり得ない数だった。東京湾中のアジが大地に集まって来たんじゃないか? と疑ってしまう程の数だった。漁師でも無理だろう。だが釣っている姿を皆は目の前で見ていた。不正などしようもない。しかもあんな装備で——。高いロッドと高いリール、高いウエアー、そんな物をこぞって買っていた自分達はなんだったのか? ギャラリー達は皆絶望した。
そんな中で大地だけが満面の笑みを浮かべて、早く副賞の高級ロッドとリールをくれと、審査員に催促するのであった。
表彰式が終わると、大地は押し寄せた各釣り雑誌の記者の質問を適当に受け流す。
大地はそんな事より、もっと大事な事があった。2位の山本の事が、大会中もずっと気になっていた。それは、釣りの腕ではなく、めちゃくちゃ綺麗なお姉さんだったからだ。だが隣の2位の台を見ると、そこに既に山本の姿は無かった。大地は急いで、山本を探す。大会会場から出て行こうとする山本を発見した。
大地は走り寄り「お姉さん釣りメチャクチャ上手いですね! これから僕の家でアジフライパーティーしませんかっ!」とまるで告白タイムの様に右手を差し出して言った。左手には大きな袋があった。釣った514匹のアジだ。ほぼ乱獲である。
「上手いとかバカにしてんの? あんなメチャクチャなやり方で、514匹も釣った癖に。どういう腕してんのよ?」
「こんな感じっす!」
大地はジャージの腕を捲って見せた。普通の腕だった。
山本はそれを冷たい目で見て去って行った。
「……超塩対応。でも、ああいうのも、嫌いじゃない! あれだけの腕がある人なら、またどっかの大会できっと会えるだろう。その時、また誘おう」
大地はその足で、停めてあった自分のママチャリへ急ぎ、カゴにアジの入った袋を乗せて、急いで岩谷釣り具店に向かう。
「おい! オッサン!! 今日も取って来たぞ!! 買ってくれ!! 夕方のセールに間に合わないっ!」
岩谷釣り具店の玄関のドアを開けるなり、開口1番に言う。
岩谷釣り具店は、大地の家の近くにある、釣具屋兼釣り船屋だ。荒川に船が停まっていて、火、木だけ客の予約があれば船を東京湾まで出す。主にシーバスやチヌ(クロダイ)のルアー釣りの客を相手にしていた。中古の釣り具も扱っていて、大地が副賞で高級ロッドやリールを貰うといつも此処に持ち込んで買い取って貰っていた。
「誰がオッサンだ! 師匠に向かって!! 誰のおかげで、今の自分があると思ってんだよっ!」
カウンター越しに腰掛けた、天パに無精髭で、アロハシャツを来た鶏ガラの様な痩せた中年男が言った。店主の岩谷である。
「俺のおかげだろ?」
「オッサンが教えてくれたの、ハゼ釣りだけじゃねーか!」
「ハゼ釣りは、全ての釣りに繋がるんだよ? ハゼ釣りに始まり、ハゼ釣りに終わると釣りは言われている!」
「えっ!? そうなの?」
「そうだ!」
——そんな事はない。それはハゼではなく、鮒である。釣りは、鮒に始まり、鮒に終わると言われる。
「お前いつも、学校のジャージ着てんな? 学校全然行ってないのに」
「全然じゃねーよ! 大会が無い時は大体行ってる」
「おしゃれとかしろよ? 女の子にモテねーぞ?」
「いい。学校に俺のタイプの子居ないから。今日、大会であったお姉さんみたいな。大人の女性がタイプ。社会人か大学生だろうか?」
「お前ら位の時は、年上に惹かれるからなぁ。お前に、ハゼ釣り以外も教えてやりたかったけど、お前、湾まで出ると波で酔って、くっそゲロ吐くんだもんなぁ。情けない」
「仕方ないだろ? 体質なんだから。船酔い直ぐすんだよ。——そうだ!」と大地は何か思い出した様に言って、カウンターの奥に向かい「オバちゃーん! アジクソ程釣って食い切れないから、好きなだけ持って行って!! もう毎回だから、魚、弟達食わないんだよ。買えば高いのに」
「はいよぉーっ!」カウンターの奥から威勢の良い声がして、ザルを持った岩谷の妻が出て来た。恰幅の良い、ちゃきちゃきの江戸っ子という感じのオバさんだ。
「オバちゃん自転車のカゴの中の袋に入ってるから、好きなだけ持って行って。近所にも分けて良いから。全部でも良いよ?」
「全部は要らないよ! あの袋、全部だろ? 何匹釣ったんだい?」
「514匹。ダントツ! 2位の綺麗なお姉さんと、400匹以上差があった!」
「ハッ!? 東京湾のアジ居なくなっちまうよ!」そう言って外に出て行った。
「お前、今日学校は?」
「大会あるから休んだ」
「今年、高校受験だろ?」
「高校行かないよ。行く金なんかないもの。ウチ貧困層だぜ? 釣りで食ってくよ」
「お前さ。大会に出て優勝するだけじゃダメなんだぞ? それじゃ、日本じゃ、あぶく銭しか手に入らない。海外のトップのバスプロとかなら違うんだろうがな。日本ならプロになってスポンサー付けて、テレビ出て、自分の名前でメーカーからロッド出したりしてよぉ、金はそういう所で稼がねえと。その為には、自分の釣りをもっと論理的に話せたりしないとダメだ。もう少し釣りについて、学ぼうとする姿勢を持てよ?」
「え? 俺、勉強苦手なんだよなぁ。まあいいや。難しい事は後で考えるよ」
2人で話していると、ざるに山盛りのアジを持ってオバちゃんが帰って来た。それでも、まだ優に袋の中には400匹以上居るだろう。
「オバちゃんもっと持ってって良いよ?」
「無理よ。これでも、ウチで食べて、近所中に配っても余りそうよ? 今度から大会で勝てるだけ釣って来なさい。食べきれない分まで釣る必要は無いでしょ?」
「はーい。そうする」
「よし! 良い返事だ。じゃ私はこれから、アジを開きまくらなきゃね」そう言ってオバちゃんはまた後ろに引っ込んで行った。
「ああそうだった! 夕方のセールだ! 間に合わないから、早く買って!」
「お前な……。仕方ねえな。見せてみろ!」
大地は背中に紐で括り付けて背負って来た、ケースに入ったままの釣竿と、リュックから取り出した箱に入ったままのリールを渡す。
「おっ!? これは、ダイワの月下美人AIR AGS AJING A510UL–Sッ!! と、イグジスト2000! まあ、両方で1万円と言いたい所だが、お前は弟子だから、3万で買い取ろう!」
「3万!! やった! いつもサンキューオッサン!!」
大地は3万を渡されて、喜び勇んで出て行こうとした。
「おいっ! 高校はちゃんと行けよ!!」
岩谷のオッサンは大地の背中に向かい言う。
「ああ、考えとくよっ!!」
大地は背中越しにそう言って、3万円を持った片手を挙げて、出て行った。
岩谷のオッサンは、ガラスの向こうで、ママチャリに跨り、走り去って行く大地の姿を見ながら呆れた様に言う。
「本当になんも知らねえんだなぁ? 少しは釣りに付いて勉強しろよ。全く」
月下美人は5万円はしない程度だが、イグジスト2000は定価10万である。超高級リールだ。合わせて約15万。3万円は、かなり酷いぼったくりであった。
そんな事も知らずに、大地はママチャリを力一杯漕ぎ、夕方のセールのスーパーに急ぐのだった。
スーパーでセール品を大量に買い漁り、大地は家に帰る。
大地の家は東京の外れ、荒川沿いにある古い一軒家だ。亡き父の実家をそのまま受けついた。
「オラ帰ったぞ! 米は炊いてあるだろうな!!」
「もうずっと前に炊けてるよ! 小さいのがお腹減ったってうるさいわよ」
長女の空が言う。空の周りで、小さな弟と妹が走り回っている。
「母ちゃんは?」
「今日、夜勤て言ってたじゃん!」
「ああ、そうか」
大地の家は3男4女の大家族だった。母は看護師をしている。
長男、大地15歳中3。 次男、海斗14歳中2。長女、空12歳中1。 次女、星子8歳小2。三女、風8歳同じく小2。星子と風は、一卵性の双子である。三男、太陽6歳小1。四女、花3歳。母、平真波36歳。 父、平英明享年32病死。こんな感じであった。
だから家はまがいなりにも裕福とは言えなかった。はっきり言って貧乏で困窮を極めていた。長男であっても中3では大地はバイトも出来ずに、釣り大会での商品の転売は家計の良い助けになっていた。だからいつも中学のジャージを着ているし、釣竿も良い物で無いと釣れ無いなら変えるが、安くても釣れるので敢えて良い物を使う事がなかった。愛車のママチャリも、岩谷のオッサンのおさがりである。スポンサーから使ってくれと贈答された釣り具も、ただくれたと思い売ってしまった。
二つく付けた四角いちゃぶ台の上に、ご飯を持った茶碗を持ち皆が集まる。天板の上に大地は買って来たセールの惣菜をパックに入れたまま並べて行く。
「お前ら待てよ? 兄ちゃんが、召し上がれって言ってからだぞ?」
「兄ちゃん早く!」
「分かってるよ? 落ち着け! ちゃんと喧嘩せず。皆んなで平等に分け合い食えよ? さあ召し上がれ!」
「兄ちゃん、今日もありがとうございまーす!!」と揃って言うと、一斉に皆食べ出す。よっぽど腹を空かせていたのであろう。まるで獣の子のようだ。
「お前ら焦って喰うなよ? 喉詰まらせるからな」
「兄ちゃんは?」空が訊く。
「後で良いよ。皆んな食った後で落ち着いて喰う。こんな中で食っても、食った気がしないからな」
「そんなんしてたら、無くなっちゃうよ? 皆んな凄い食欲なんだから?」
「育ち盛りだからなぁ。俺はもうそんなに育たないだろうから、無くなったらカップラーメンでも喰うよ」
大地は笑って言うと、潮風を浴びたから先に風呂入って来ると風呂に向かった。
ひとっ風呂浴びてタオルを首掛けたまま、Tシャツに短パンの大地が出て来ると、台所の棚を開ける。
「あれ? どん兵衛1つ残って無かったっけ?」
「そんなの、とくっに弟達が食べたよ?」
「えっ!?」
はい、と空は皿に乗せられたコロッケとハムカツを出して「今、ご飯よそるね?」と言った。
「残して置いてくれたんだ?」
「皆んながね?」
「え?」
「皆んな平等に分けろって言ったの兄ちゃんでしょ? ——はい。」と空は山盛りにご飯の盛られた茶碗を大地に渡す。
「凄いなぁ。日本まんが昔話みたいだな?」
「何それ?」
「うわっ! ジェネレーションギャップ」
「歳3つしか変わらないでしょ!?」
「海斗の分は?」
「もう食べたよ。お兄ちゃんがお風呂入っている時に予備校から帰って来て、ご飯さっと食べて、また部屋で勉強してる」
「そうか。あいつが、この家の希望だからな」
「何言ってんの?」
「え?」
「……。ううん。なんでもない。そうだね」
お兄ちゃんがこの家の希望だよ! と言おうと思ったが、さすがに面と向かって言うのが恥ずかしくて辞めた。大地が自分達の為に、自分を犠牲にしているのが分かるから、皆んなも自分に出来る事を精一杯しようと思うのだ。それは確かだ。
「私もお風呂入ってこよう。花、入れないといけないから」
「おう。ご苦労」
「ああそうだ。明日はちゃんと学校に行ってね? 釣り(の大会)無いでしょ?」
「……おう。」
空は大地の返事を嬉しそうに聞くと、居間から出て行った。
大地の箸が止まる。
ちゃんと学校に行ってね、か。皆んなそう言うけど、何か目標があったり、学校でしか出来無い事がない限り、学校に行くのは俺にとって友達と遊びに行くだけなんだよな。正直、無駄でしかない。働けるなら、今直ぐにでも働きたい。
考えていると「兄ちゃん!」と玄関から大きな声がした。風呂に行った筈の空だ。
空は大きな袋を抱えて帰って来た。すっかり忘れていた。今日釣ったアジを。冷凍庫に全部は入らないから、腐る前に捌いて干物にしなくていけない。でないとアジの命を無駄にする事になる。先に風呂に入るんじゃ無かったと後悔した。魚臭くなる……。
大会が終わり、3日程過ぎた。
空に言われたので、大地はちゃんと中学に行ってはいた。
学校はつまらなくはないが、何の為に行ってるのか意味が分からなかった。だから、なんとなく休みの日に何もしないで終わってしまうような。時間の無駄さを感じていた。
昼休みになって、教室に篭ってるのが面倒くさくなって勝手に外に抜け出た。柔道場の脇を抜けると、荒川の支流の川がある。そこで、ぼーとしようと思った。
柔道場脇を過ぎようとした時に、柔道場の裏に人影が見えた。
奥では同学年の他のクラスの奴が、スパーリングと称して、同じクラスのお調子者の北里をイジメていた。いや、そこまでではない。まだイジリの段階だが、じきにエスカレートし面倒臭い事になるのは容易に想像できる。
「やめとけよ。お前ら大人になって社会に出てから、自分達は何してたんろうって思うぜ? まともな大人に成れたらだけどな」
大地は臆する事なく言った。
「なんだよ! B組の平じゃねーか? 説教かよっ!?」
「怒ったのか? 殴りたきゃ殴れよ? お前ら来年高校行くんだろ? 殴ったらめちゃ大問題にしてやるからな。内申に響くぞ? 俺は高校なんか行かないから問題ねえ」
「……。」
その言葉に、他のクラスの奴は黙ってしまった。
「ほら、もう辞めとけよ? 解散だよ」
北里を構っていた奴らは、バツの悪そうな顔をして、いそいそとその場を去って行った。
「あいつら、他のクラスの奴だろ?」北里に大地は言う。
「うん。中田くん達とは、同じ小学校だったんだ。ありがとう、平くん。でも平気だよ。別に俺、皆んなが楽しんでくれてたら良いし。友達だよ」
北里は笑って言った。
「で、エスカレートして、イジメになってお前が自殺したり、やりすぎて事故が起きて死んだら、あいつらの人生も終わりだぞ?」
「え?」
「あいつらの事考えてんだろ? それじゃ困るだろ? 大事な友達なんだろ?」
「……。」
「そういう生き方が楽なら、ちゃんとそう言えよ? そこん所だけ、カッコつけてんなよ?」
そう言われた北里の顔が硬直する。そして、
「自分の好き勝手で、学校に来たり来なかったりする君に、何が分かるんだよっ! 俺みたいな勉強も運動も出来ない、喧嘩も弱い人間は——ッ!?」と言った所で
大地はキッ! と北里の顔を指差す。
「な、……なんだよ?」北里はその指に戸惑う。
「そうだよ。そういうので良いんだよ。あいつらにも、そうやって本心を言えよ。まったく。めんどくせえ」
そう言うと、大地はその場を後にした。
特に用も無かったが、大地は暇潰しに、帰りに岩谷釣り具店に寄った。玄関先のショーケースに飾ってあった筈の、この間売ったロッドとリールは既に無かった。
「おっ! もう売れたのっ?」
「ああ。この前、釣り船のお客さんに話したら、帰りにセットで買って行ったわ」
「俺のお陰じゃんか! 此処のボロ釣り船じゃ、全然生きていけないだろ? へへへ」
「ふざけんなよ! めちゃ儲かってるわ! 大事なのは船じゃねえんだよ? ポイントだよ。ポイント。釣れるポイントを多く知ってる事だ。海流や天気、気温でも、釣れるポイントは変わる。常に来たお客に、釣らせる知識がいるんだよ。いつも言ってるだろ? 勉強しろって。釣りも勉強だぞ?」
「ほぉー」大地は一応感心した様な声を出すが、どこまで本気なのかは分からない。
「あと船酔いどうにかしろよ? 荒川から先の湾に出れねーのどうにかしろよ?」
「体質だしなぁ。波が無きゃなぁ」
「海に波が無かったら、海じゃねーよ。お前がもうちょっと勉強してくれたら、釣り船任せんだけどな? お前は、お前ばっかしか釣れない釣りだからなぁ。知識を付けて自分の釣りを語れるようになれば、他の人にもそれを教えて釣らせる事が出来んのによぉ」
「そう言われてもなぁ。俺は勉強さっぱりだしな」と大地は頭を掻く。
2人がカウンター越しに談笑していると、奥からオバさんが出て来て
「大地くん、これ持って来な。超大きいの作ったから、皆んなで食べても余る位だよ」
オバさんが手作りだと言って、ホールのでかいアップルパイをくれた。親戚が青森でリンゴ農家をしているので、大量にリンゴを送って来たらしい。丸のリンゴ一袋も貰った。
「オバさんありがとう。もうそろそろ、夕方のセールがあるから俺帰るよ。オッサンもじゃーな」
大地は、今日も夕飯の買い出しのセールに向かう。
買い物を終え、家に帰ると血相を変えて、兄ちゃん!? と空が出て来た。
「なんだよ? 太陽がうんこでも漏らしたか?」
「漏らしてねーよ!」と弟の太陽が、居間の方から頬を膨らまして出て来る。
大地は空達に手を引かれ、急かされて居間に向かう。
「そんなに引くなよ!? 太陽の脱糞じゃねーとするとなんだ?」居間に入ると「あれ——、あの時の? なんすか?」
スーツの男2人と、その間にあの塩対応の山本が、ちゃぶ台を前に座って居た。
山本は落ち着いた声で言った。
「あなたをスカウトしに来ました」
「釣具屋さん?」
「違います。——が、釣りはして貰います。取り敢えずこれを——」
と山本は黒いアタッシュケースをちゃぶ台の上に出して開いた。その中には、一万円札の束が隙間なく詰まっていた。
ヒィッ!! 思わず空はそれを見て悲鳴をあげた。生まれて初めてそんな物を見た。見た事あるのは、テレビドラマや映画くらいだ。しかも余り良く無いシーンである事が多い。
「契約して頂いたら、こちらのお金は全てあなたの物です」
「ちょっと待って、何を釣るの? そんな大金貰って釣る魚って何?」
「契約して頂けたら全部話します」
「先に全部話してくれないのに、契約は出来ないよ?」
「決して、やましい仕事では無いですが……。」と山本は口籠もった。
「悪いけど、その金しまって帰ってくれますか?」
「え? でも、君、今お金必要でしょっ!? 家族だって、あなた自身だって!」
「ウチの事、調べたんすか?」
「……いえ。御免なさい。でも、必要でしょ……?」
「そんな大金、普通の仕事じゃ無いでしょ? 帰ってください。あなたとは、また別の釣りの大会で、もう一度出会いたかったです」
「……。もう一度だけ、聞くわ? 契約をしてくれない?」
「お断りします」大地は真っ直ぐ山本を見て、きっぱりと言った。
その態度に、山本達は渋々帰って行った。
「ごめんな? 空、脅かせちゃって」
「うん、平気。でもあの人、誰? びっくりした」
「この前の釣り大会で、2位だった人だよ。めちゃくちゃ綺麗なお姉さんだったのに、きっと反社だな。残念だ。海外から船で密輸して来た、いけない薬を海上で釣り上げろとかそんなだろ?」
「え?」
「海の上の国境のギリギリまで来てそこから、日本に向けて流すんだよ。それを釣り上げろって訳さ」
「何それ? 映画の見過ぎだよ」
「じゃあ、なんだよ? 100万の束がぱっと見10個以上はあったぜ? それって1000万円以上て事だろ?」
「マグロじゃ無い? 年末にテレビでやってたじゃない? 一緒に見たでしょ? あれ凄い高いよ」
「ああ、マグロか。そうかもしれないな? 確か海外の人とかも今は買うから、初競りでうん億とかになるって見たな? でも、俺船弱いからな。岩谷のオッサンの船で東京湾に出た時に、思いっきり酔ったからな」
——そんな事があってから間も無くして、悲劇が起きた。
翌週、大地が学校帰りにまた岩谷のオッサンの釣具屋に行くと、見覚えのある黒いバンが止まっていた。知っているからと、別に知り合いの車という訳じゃない。嫌な予感がした。それは父が病院で亡くなった後、家まで帰って来た車と同じだった。所謂、遺体搬送用の寝台車というやつだ。
家の中から、オバちゃんと2人の黒いスーツの男が出て来る。葬儀屋だ。オバちゃんはお辞儀をして彼らに礼を言い見送った。
「オバちゃんっ!」思わず大地は叫ぶ。
「大地くんっ! オジサンが、オジサンがねっ!?」と言うなり、オバちゃんはその場で泣き崩れた。近所の人が駆け寄り、オバちゃんを連れてまた家の中に入って行った。大地もついて行こうとした時。
「大地くん今は入らない方がいいっ!」
岩谷釣り具店の常連で、大地もよく知る近所の高山というオジサンが言った。岩崎のオッサンの先輩にあたる人だ。
「どうして? オッサン……、死んだの? あの車、病院から父ちゃんが家に帰って来た時に乗ってた奴と同じだけど?」
「事故だ。事故が起きたんだ。新荒川大橋の橋桁に釣り船で突っ込んで炎上した。即死だったのか、焼け死んだのか分からないけど、病院で色々やってくれたみたいだけど、今はまだ見れる状態じゃ無い。直ぐに葬儀屋の人が来て綺麗にしてくれるから、明日来て岩谷に会ってやってくれ」
「……。」
大地は頭では理解したが、状況が飲み込めないまま、ママチャリを押して帰路に着いた。乗れば良かったに、家に帰るまでその発想が浮かばなかった。
家に着いて夕方のセールにも寄って送るのを忘れたのに気付き、急いでママチャリを漕ぎスーパーに向かった。例え、どんな日でも、兄弟達の夕飯を忘れる訳にはいかない。
翌日、午前中だけ学校を休んで母親と岩谷のオッサンの葬儀に行った。
お棺の中のオッサンは、顔以外は全身包帯に巻かれていた。昨日顔を見るのを止められ、見るのが怖かったが、納棺師の腕が良いのか、元々顔はそこまで酷く無かったのか、生前と変わらぬ穏やかな顔をしていた。
急な事で、母親は病院の仕事を休めないので、焼香の後、挨拶して大地を置き病院へ向かった。大地もオバサンに挨拶して、学校に行こうと思った。別に学校なんかサボっても良かったが此処にいるのが辛かった。昨日は帰っても実感が無く泣けなかったが、顔を見てしまうと強制的に実感させられる。涙を我慢しきれない。
「オバちゃん、俺——」
学校に行く事を告げようとする大地に
「これ」とオバさんが何かを手渡した。それは印鑑と貯金通帳だった。
「何これ?」
「オジサンがね。大地くんにって、ずっと貯めてたの。大地くんが賞品で貰って来た釣竿とかリール売ったお金。大地くんにお金いっぱい渡しちゃうと全部、兄弟の為に使っちゃうからって。全然足りないけど、これ高校に行く足しにしなさい。オジサンはね。冗談ぽく言ってたけど、大地くんが良いなら、釣り船は大地くんが学校を出たら譲ろうと思ってたの。自分は釣り具屋やって、大地くんが釣り船やれたらって、思ってたの。ウチには子供居ないからね。でももう、船も無くなっちゃったけど。オジサンも居なくなっちゃったし……。」
「オバちゃん釣具屋辞めんなよ! 高校は行くか分からないけど、船の免許取って、俺が釣り船やるから。絶対。約束な? 船は釣りの大会出まくって、俺が買うから平気だ!」
「うん、分かったよ。ありがとう。でも高校は行きなさい。オジサンもそれを一番に願ってたから」
「うん。……とにかく、学校に行くよ。また来るから」
大地は岩谷釣具店を出て、ママチャリを思い切り漕いだ。ちゃんとに学校に向かった。高校に行くとか行かないとかは一先ず置いて置いて、なんと無くそうする事がオッサンの供養になるような気がした。
帰って来てからいつも通り、スーパーのセールに行き、夕飯を買い漁った。何があっても、兄弟の夕飯は抜けない。
弟達に夕飯を食べさせ、一段落すると空に一言「出掛けて来る」と言って外に出た。ママチャリに跨ると、漕ぐ脚は新荒川大橋へ向かっていた。岩谷のオッサンの最後の場所を見て置きたかった。
薄暗い中、橋に着くと、膝位まで伸びた草を掻き分けて川岸を目指す。10mも進む前に、眼前に黒い水面が見え始める。更に一歩踏み出すと——
「——痛っ!? なんだ?」
見ると、大きな細長いゴツゴツとした岩が足元に転がっていた。それに躓いた。大地はその岩を跨いで先に進む。大地は気が付かなかったが、それは何かを祀った石碑であった。
川岸に着くと、橋桁が黒く焦げて、一部のコンクリートは剥がれて、下の砂利混じりのコンクリートが薄っすら見えた。どうして、あんな所に打つかったんだろう!? と思った。オッサンの船の腕は知っている。あんな所に、なんでぶつかるんだよ? そう疑問が湧かずには居られなかった。
しばらく見ていて、ふと思い出す。ジャージのポケットから、持って来た通帳を出した。貰ったけど中は見ていなかった。心が、それどころじゃなかった。開いて見て驚いた。残高が100万を超えていた。
「なんだよこれ!? 売った金全部じゃんか……。」オッサンに稼がせてやってると言った自分の言葉が思い出される「俺バカみたいじゃんか。全部貯めて置いてくれて、釣竿も買ってくれて、なんだよ。本当の師匠みたいな事すんなよ……。」誰も居ないから、遠慮なく泣けた。
——と思ったが、
誰かが居る!?
シュンシュンという、素早く風を切る聞き、覚えのある音がする。釣竿を振る音だ。
闇の中で誰かがロッドを振っている。陽が完全に暮れて、暗さが増して良くは分からないが、長さからしてルアーロッドだ。リールも上に付いてるタイプ(ベイトリール)だ。ルアー釣りには間違い無いだろう? ちなみに大地が使った事があるのが、下につけるタイプのスピニングリールロッドだ。荒川で夜のルアー釣りと言えば
「シーバスか? あっ!? ——あの人っ!?」
それは、あの塩対応の、ウチに大金を持って来た、山本という女だった。
ラインの先で青白くルアーが輝いてる。発光タイプのルアーだろう。小魚タイプルアー(ミノー)? いや違う? なんだあの形?
荒川でシーバスを釣るならミノーだ。それ位、俺でも知ってる。それにしてもあの形は? まるで、小さな人形でも付けてるみたいだ。ルアービルダーのオリジナルルアーだろうか? そういう変わったルアーを岩谷のオッサンに見せて貰って事があるけど、でも、あれは好奇心旺盛なブラックバスだから変わった形でも喰い付くって言ってた気がする? シーバスもあんなんで釣れるのか!?
山本は大きくロッドを振って、ルアーを投げた。だが勢が付き過ぎて、このまま飛んでいけばルアーが橋桁に当たり、下手するとぶっ割れるか、ロストするぞ!? そう大地が思った時——。
「あっ!?」
橋桁の壁面が、まるでグラスを軽く指で弾く様な不思議な音色を上げ、水面に広がる波紋のような光を空中で放つ、そして、その中心にはルアーが引き込まれて行く。まさに、水中にルアーを投げ込んだ後の様だった。
すると次の瞬間。
「来たっ!」
山本が小さく慎重な声で言うと、ロッドがグンッ! と大きくしなる。何かが引っぱっているが、ラインの先は橋桁の中だ!? 一体、何が引いているんだ? 大地は状況をまったく理解できない。釣りをしている様にしか見えないが、ラインは水中に無い。空中だ。
「フィーシュッ!」
山本はそう叫ぶと、空間から何かを釣り上げた?
吊り上げられたモノは、ピチピチと山本の足元で跳ねていた。大きさは20㎝位で、シーバスにしては全然大きくは無いが……。これはシーバスなのか!? 大地は目を見張る。
褐色の体の形はまさに魚だが、頭部の部分には蛸の足の様な物が付いて、ウネウネと沢山の触手を動かしていた。ぱっと見、目玉も見当たらない。この世のモノとも思えない、不気味な姿をしていた。
「なっ!? なんだそいつ!?? 奇形?」思わず大地の口から、そう声が漏れる。
「——ッ!?」山本はその声に驚いたが、大地を見て「君は!? ずっと見てたの? ……しくったわね」そう呟いた。
「そっ、そいつは、なんなんだ!?」
「こいつは、ダゴンよ」
「ダゴン?」
「知らない? H・P・Lovecraft(ラヴクラフト)?」
「外国の偉人?」
「……。小説家よ。その人の書いた本の中に、ダゴンて魚の怪物が出てくるの」
「その怪物が——!?」
「そのものじゃないわ。名前だけ借りてるだけ。名前が無いと呼び辛いでしょ?」
「俺に釣って欲しいって言ってたのは——?」
「そうコイツよ」と山本が言った時
「あっ!?」大地は驚きの声を上げる。
ダゴンと呼ばれた魚の化物は、光って消滅した。
「こいつは、こっちの空間では長くは生きられないの。昨日、此処で不審な船の事故あったって聞いて、見に来たらやっぱり」
「どういう事だっ!?」
「こいつが空間に住み就くと、そこの場所で、事故や犯罪が起きるの。ダゴンが空間を不浄化させるのが原因と言われてるわ。そして、時に直接人に危害を加えたりする物いる。だから、こうやって空間から外に引っ張り出すの。そして、消滅させる。」
「じゃあ、オッサンはこいつの所為で……。」大地は声を失う。
「——先に、この前の事、謝って置くわ?」
「この前?」
「君の家に行った時よ。あなたの事、誤解してたわ。釣り大会での態度から、もっとミーハーで、大金を見せれば簡単に喰いつくと思ってた。家も大変そうだったし。色んな噂も聞いてたから。本当に、ご兄弟の事を考えてるのね。お金で、釣る様な事をした事を謝るわ」
「いや別に、あれくらい——。むしろ、あんな大金初めて見たんで、良い思い出になりましたよ」
「所で——。君? 急で悪いんだけど。この事を知ってしまったら、もう生きて此処から帰せないの……」
「えっ!?」
「この事は、人に知られてはいけないの。どうする? 此処で死ぬか? 私たちの仲間になるか?」
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