5 餃子と家族

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「うへへへ」大地は浮かれていた。  今日はダゴン駆除は無いので、クラスメイト達と帰宅していた。此処数日、山本と毎日放課後にダゴン駆除していたので、久々にゆっくりした帰宅だ。  「ホントだろうな? 彼女が出来たって?」  「なんでお前に彼女出来んだよ? 展開急すぎだろ?」  「しかも年上なんだろ? 詐欺だろ!」  「詐欺じゃねーよ! 見たら、お前らショック死するレベル」   「ブスで?」  「違うわボケッ! 美人過ぎてじゃっ!」  「おっ! 前からすげー可愛いJK来るわ」  「私立白桜学園(しりつはくおうがくえん)の子だ。お嬢様女子校だよ。金持ちで勉強も出来てJKとか、もはや敵無しだな。既に人生の勝者だよ」  「上級市民か。俺らとは住む次元(ステージ)が違うな。向こうからは俺達なんて見えないんだ。道端の石ころと同じ。在っても見えないんだよ。興味ないから」  「俺だって興味ねえよっ! JKなんて! 子供(ガキ)じゃねーか!? 大人の女性に比べたら——」  「お前、中学生だろ?」   「——ちょっと!」 通り過ぎようとした、白桜学園のJKが声を掛けて来た。今の話を聞かれたのだろう。  「ほら! 大地っ! お前がそういう事言うから——! すみません。決してバカにして言った訳じゃ」  「大地くん何の? 私をこんな所まで呼び出して?」  「——えっ!? 山本さんっ! 山本さんこそ、その格好なんなんですかっ!? コスプレですか!」大地は目を丸くして言う。  「なんなんですかって、私の学校の制服だし。帰って着替えてる暇ないから、そのまま来たわ。今日はダゴン駆除(アレ)無いし」  「山本さん、高校生だったんですかっ!?」  「そうだけど……。白桜学園の2年よ? 幾つだと思ってたの?」  「社会人だと思ってました」  「私って、そんなに老けてるかな?」と山本は自分の姿を見る。  「いや、そういうのじゃなくて。バイクも乗ってるし?」  「バイクの免許は、16から取れるわよ? 学校には秘密になってるから、言わないでよ?」  「言いませんよ! 言うメリット無いでしょ?」  「あのっ!?」大地の友達の1人が、山本に話掛ける。  「何?」  「本当に大地の彼女なんですかっ!?」  「えっ!?」   大地は山本の答えに期待し、目を潤ませている。  「そうよ」山本はきっぱりと言った。  「どうして、お姉さんみたいな綺麗な人が、こんなのとっ!?」  「釣りが上手いからよ? 君達も彼女が欲しいなら、釣りが上手くなりなさい」  「釣りっすか!?」  「そう。無人島に遭難した時とか、釣りが上手けりゃ死なないわ。食料に困らないから。じゃあ、私達これからデートだから。釣り頑張って——」  「はいっ!」  「——おおっ! 釣りやるぞっ!」  その後、大地のクラスで釣りブームがまい起こったのは言うまでも無い。  「行くわよ? 大地くん」  山本は歩き出す。大地はそれに恋人というより、子分の様に着いて行く。  「どこまで行くんですか?」  「……。」  大地は何も言わない山本の後を、ただ着いて行くしかなかった。  段々大通りから外れて、路地に入って行く。人通りもどんどん減って、しまいには2人しか居なくなった。完全な裏路地である。  どうして、山本さんこんな人気の無い所に? 困惑する大地の目に如何わしい、宿泊所が映る。——まさかっ!? 最近俺頑張ってるから。だが、さすがにそれは三段抜かしどころの進展じゃねーぞ! 確かに、山本さんは経験豊富そうだが、俺にも俺のペースってもんがあるんだっ!? ダメだよ! そんなのダメだ! 山本さん!! 大地は大いに苦悩した。  そこで、山本はくるりと振り返る。 「……なっ、なんすか?」 「目瞑って?」  「ええっ!?」キスか!? キスくらいなら。とはえ、ファーストキスの場所がこんなちょっとゲロ臭い裏路地なんて! 荒川の土手でええじゃないですかっ! 夕暮れの荒川の土手は、意外にロマンチックっすよ!  「早く? 目を瞑って」  「あっ、はいっ!?」大地は急いで目を瞑る。  「あと歯、思いっきり食い縛って?」  はいはい。歯ですねっ、て——!?。「えっ!? 歯?」大地が目を開けようとした時    ——バコッ!  顔面に物凄い衝撃が!? 目から火花が飛び出る!  ズザザザザザザァァァァァ———————————————ッ!!!!!!  大地は山本に思いっきりぶん殴られて、遥か後方に吹き飛び、4回転半して止まった。  暫く死んでいたが、大地は両手を付き、うつ伏せの体を起こし言う。  「何すんすかっ!?」  山本は倒れてる大地に歩み寄りしゃがんで言う「君? 友達に見せびらかす為に、この私を呼んだの?」  「え……?」  「あなたは誰かに見せびらかしたくて、私に彼女になってくれって頼んだの?」  「……。」  「もう良いわ。帰る」  「待って下さいっ!? 違うんですぅ! いや、違いはしないんだけど! 自慢がしたかんったんです! どうせ俺なんか、貧乏で低学歴で、ろくな仕事にも就けずに、結婚も出来ません! 大負けに負けて、最低年収400万で良いわ? とか舐めてます! 結婚どころか、きっと、このまま童貞で死ぬんです! だからっ! だからせめて、自慢ぐらいしたって良いじゃあないですかっ! 違いますかっ!」 「……。」やだ、なんて惨めな生き物かしら……。  「意味も無く高校行く位なら、家族の為に働いた方がマシだと思ってたけど、中学時代も特に女子とパッとする様な思い出も無かったし、そうなると高校も行かないから、学生時代の淡い思い出なんてないまま社会人になっちゃうとか、なんか急に怖くなったつーか。せめて良い思い出くらいって……。一回くらい、普通にデートしたかったんす……。」  「……。で? この後のデートの続きは?」  「続けて良いんすかっ!? デートと言えば映画っす! チケットも買ってあるっす!」  「OK。じゃあ、行きましょう?」  今度は、大地が先導して歩き出す。  「席、空いてると良いっすね?」  「席なんてネットで予約出来るでしょ?」  「取れないすよ? 何言ってんすか?」  「今はどこでもネットで席取れるでしょ? 大地くんが出来無いだけじゃないの?」   「——此処っす!」  「えっ!?」  そこは古びた小さな映画館だった。  入り口に貼られたポスターは、古い邦画ばかりだ。個人経営の映画館だろう。  「ずっと見たいかった映画が、山本さんと見る映画探してて、たまたま地元でやってんの見つけたんすよ! レンタルとかネットとかでも見れるけど、映画館で見たかったっす! ——ゴジラ第1作っす!」  「えっ!? 怪獣映画?」  「さあ、行きましょう!」  「えっ!? ちょっと!?」  大地が先に行ってしまったので、渋々山本は着いて行く。  席は別に取る必要もなかった。  平日の午後にゴジラ第1作を見ているのは、大地達だけだった。中は30席有るか無いか無い位で、辛うじて最大サイズの家庭用の液晶テレビよりは、まあ大きいだろうな? って位のスクリーンがあった。  2人して、前からも後ろからも左右からもど真ん中の席で、ゴジラ第1作を見た。何より、最初に山本が驚いたのは映画がモノクロだった事だった。入り口のポスターはカラーだから、カラー作品だとばかり思っていた。    「ちょー良くなかったすかっ!?」  劇場を出て直ぐに、我慢しきれないという感じに大地は言った。  「うん。モノクロだけど良かった。ハリウッド版しか見た事無いから。全然違うね。なんていうかヒューマンドラマ? いえ、ちょっと違うか?」  「じゃっ、帰りますか?」   「え?」  「なんか行きたい所でもあるんすか?」  「特には無いけど……。」  「じゃあ俺ちょっと、買い出しがあるんで帰ります。最近ダゴン駆除ばかりしてるんで空に頼んでばっかだし。今日は俺が行くから良いって言っちゃったんで」  「ごめん。私が連れ回してるから」  「やめて下さいよ。ダメな時はちゃんと断りますよ。取り敢えず、駅まで送りますよ?」  「いいわ。一緒に行く。私がなんか作ってあげるよ。迷惑かけたから。君だけじゃなく、皆んなへのお詫びとお礼よ。この前、R1Z取り入った時、その後ダゴン駆除あったからロクにお礼も出来なかったし」  その後、いつものスーパーで材料を買って、大地の家に向かった。   空達は驚きはしたが、歓迎してくれた。  「この前は、ごめんなさい。ろくにお礼もできなくて」  「いえいえ、気を使わないでください! 兄ちゃんが変な魚釣ったのが原因だし!」  「なんだよ。変な魚って——。ちゃんと、あの魚にだって名前がある。ありがーたーぁ?」  「そんな、有り難そうな名前じゃ無いわ。アリゲーターガーよ?」  「そうだそれだよっ!」  「さっそくだけど、台所かして?」  「また何か釣って来たんですか……!?」空は恐る恐る聞く。  「違うわよ。ちゃんと買って来た食材で私が作る。皆んなへのお礼にね?」  「私も手伝います!」  「じゃあ、お米研いて?」  「はい!」  「その間に私は餡を作るから、包むのは、弟ちゃんと妹ちゃん達も協力して?」  「何作るんすか?」  「餃子」  という事で、餃子を皆んなで作った。  山本は餃子を作り慣れてるようで、材料をあっという間に細かく刻んで、ひき肉と混ぜた。そして「はい! 皆んな手伝って」と、大地の兄弟達を呼んだ。皮は市販品を使う。  子供にとっては、粘土遊びと変わらないので、皆んな面白がって餃子を包んだ。8歳の星子(せいこ)と風(ふう)は、双子なのに、片方は細か過ぎるくらい折り目を付けて、片方は2つ位しか折り目が無い。ただ折り目が2つと言っても、両端を器用に折って、上手い事具が漏れない様になっている。中々の知恵物だ。6歳の太陽は巾着袋でも包む様な感じで、三角や丸いのを思うまま作った。最年少3歳の花は途中から、餡に手をツッコミ泥ん子遊びを始めたので、山本が一緒に作った。とにかく、大量の餡を大量の皮で全て包んだので、数え切れない数の色んな餃子が出来た。  「子供達1人1人、個性が出て面白いね?」山本は空に笑った。  「はい!」と空も笑顔で返す。  「さて、焼くか? フライパンかホットプレートある?」  「ホットプレートあったろ?」  「何言ってんの? 去年の冬壊れたじゃない?」  「マジか!」  「良いわ。私がフライパンでじゃんじゃん焼くから、大地くん皆んなの所に出来たの運んで? 子供達は、もうお腹ペコペコでしょ?」  「了解です! じゃあ、俺運びます!」  「じゃあ、私はご飯の用意するね? もう炊けてるから」  「1人いくつ?」太陽が山本に訊く。  「好きなだけ、食べて良いわよ。絶対に食べ切れないと思うから」山本は笑って答えた。  山本が焼いて、大地が皆の待つテーブルに運んだ。皿が空くと、空が皿を持って来た。何皿か数え切れない位のお替りがあり、ちびっ子チームはギブアップした。それから、大きい子チームが食べても、まだ餃子はあまった。  「あまったなどうするか?」  「どうするかって、もう一人弟くんとお母さんがいるでしょ? 後で焼いてあげて」  「ああ、そうか!」  次男の海斗は、まだ予備校から帰っていない。   「なんで、弟の事を忘れんのよ? 空ちゃん、お母さんは、今日も夜勤?」  「はい」  「大変だね。私の運ばれた病院で働いてるんでしょ? 迷惑掛けちゃった」  「いえいえ。母の方も仕事ですし。119番して、たまたま運ばれたのが、母の病院だっただけですから。お兄ちゃんの所為だし」  「お前しつこいぞ! 空」  「だって、本当でしょ?」  「なんだと!」  「——さて、私はそろそろ帰るよ?」  「えっ!? もう帰るんすかっ! まだ19時前ですよ!」  「今日、学校から直だから、R1Zで来てないし、駆除以外の時は門限あるから」  「駆除?」と空が呟く。  「バイトよ。——さて、じゃあ帰るよ。今日は本当に楽しかった」  「俺、駅まで送って行きます!」  「良いよ別に」  「良く無いっす! 行かせてください!」   玄関で平家の皆んなに見送られて、山本は大地と赤羽駅に向かった。    「面白かったわ。兄弟とか私居ないから」  帰り道で、ママチャリを引く大地に、山本は言う。前みたいに、警官に止められるといけないので、ママチャリを引いて2人でテクテク歩き駅に向かった。   「そうっすか! なら、家(ウチ)の家族の1人になっても——」  「良いの? 私、お姉ちゃんになるけど?」   「えっ!? なんでっすかっ!?」  「え? だって私の方が年上なんだから、君の家の養子になったら、お姉さんよ?」  「いや、そうじゃなくてっ!」  「はぁ?」と山本は、大地の顔を覗き込む。  「そう言うんじゃなくてっ!」と言った大地は、山本に見つめられて思わず赤くなった。  ふふふと山本は笑った。  「今度、山本さんの家に行きたいっす! ご家族に会いたいっす!」大地は思い切って言ってみた。  「来ても、君の家と違って面白くなんて無いわよ? 家族なんて居なもの」  「え? 一人暮らしっすか? ご家族は田舎に? 学校の為に、上京してんすか? それとも、ダゴン駆除の為?」  「皆んな死んじゃったの。ずっと昔に、ダゴンに殺されたのよ」  「……え?」  「ああ、もう駅だわ! ありがとね。まだ駆除入ったら、連絡するから!」  そう笑って言うと、山本は駅に向かい走って行った。  「あっ!? ちょっと——」  大地は呼び止めようとしたが、言葉がそれ以上続かなかった。最後に見せた山本の笑顔だけが、脳裏に焼きついていた。   6 ダゴンの正体  その日の駆除は、奥多摩の廃旅館だった。  場所が山の奥で、時間が掛かりそうなので、土曜日を丸一日使っての駆除になった。朝早く出発して、9時には奥多摩には着いたが——。  「これ以上、バイクじゃ無理ですよ? せめてオフロードバイクならなぁ」  途中から道が、旅館の為だけの私道になっていたので、旅館が潰れた事により使われなくなり荒れ果てていた。アスファルトを雑草が破り生え、道が凸凹だらけになっている。   道に入り口には、朽ち果てた旅館の看板が立っていた。——鹿雲荘(ろくうんそう)。  「前のXTZなら行けたのに……ッ!?」   「XTZってなんですか?」  「前に乗ってたヤマハのオフロードバイクよ? 売っちゃったヤツ」   「なんで、それ売ったんですか!」  「125ccだったし……。別に良いでしょっ! とにかく此処から歩くわよっ! さっき通り過ぎた道の入り口に、旅館の看板たってたから直ぐでしょ!」  R1Zを停めてロッドを持って、テクテク歩きだしたが、直線距離にしたら大した事無いのだろうが、急な斜面を登る為に道がクネクネとくねり、足場も悪く、頂上の旅館までは何だかんだで1時間位掛かった。そこで一休みした。  「鹿雲荘とは良く言った物っすね!」大地が旅館から眼下を見下ろし言った。  山の頂上に立つ麓雲荘からは、下の森や渓谷が見渡せた。きっと霧深い朝などは、雲の上にあるように感じたろう。その雲の草原を、鹿が歩く。麓雲荘とはそんなイメージだろう。  「さあ、もう休んだし、駆除に行くわよ? 大地くんも早く用意して?」  山本は既にロッド(なぶら)にリールも付けて、いつでも行ける状態だ。  「今日は、山本さんがやるんですか?」  「山本さんも、よ? 一緒にやるわ」  「競争すね!」  「大地くん。駆除は遊びじゃ無いの。分かる?」  「……はい。分かってます」  「よろしい。早く用意して」  「はぁーい」と大地は背中に背負ったロッドケースから荒神を出す。  「前の病院程じゃ無いけど、今日はまあまあ建物が大きいし、敷地も広いから二手に分れましょう? その方が効率がいい。山の中だから、あまり時間喰いたく無いわ。帰り困るから、この辺都内でもクマ出るからね?」  「ええ! 熊!? ——でも、1人で駆除かぁ」  「もう1人で、駆除出来るでしょ? 引きずり込まれると思ったら、渡してあるADライン用のプライヤーでラインを切るか、ロッドを捨てて。絶対に無理はしないように」  「はーい」  「返事を伸ばさない!」  「はい!」  それから2人は別れた。  大地は旅館の中へ。廃旅館と言っても、そう古い物では無い。営業が停止してから、まだ3年しかたっていない。バブルの頃に建てられた、4階建のホテルの様な鉄筋コンクリートの建物で、玄関がだけが和風の作りである。だが、たった3年で森は旅館を大きく侵食し、自然に戻しつつあった。自然の力は凄まじい。  山本は敷地内の中庭を回る。中庭は和風の庭園になっている。だが庭園と言っても、今は荒れ果てて、嘗ての池だった所の上に在る、丸く反った半円状の太鼓橋が、その名残を僅かに残しているだけだ。  釣りは運じゃ無い! なんて事は思わない。確かに、努力を重ねて、最後の最後に運を引き寄せるのは大事だ。でもそれは、努力の積み重ねの上での運だ。ビギナーズラックを繰り返すなんて、そんな馬鹿な話があって良い訳ない。私の釣り歴はDasser(ダサー)の存在を知ってからの3年しかない。それでも、人並み以上の努力をして来た。それを運で簡単に超えられてたまるものか。  遊びではないと大地に言った癖に、内心躍起になっているのは山本の方だった。三千院に言われた言葉が、日に日に大きくなる。自分と大地の間には、努力では超えられない壁がある。大地から釣りの極意でも学ぶつもりでいたのに、いつしか思いは対抗心に変わっていた。  ダゴンがそこに住むようになると、空間が歪む。長くダゴンを駆除していると、その歪みを微かにだが、肌で感じる事が出来るようになる。それに合理的な説明は出来ない。感に近い物だが、当てずっぽうの感とは違うのだ。空気の匂い、肌に感じる周りとは違う温度、湿度——それらは全てダゴンの気配だ。そういう感覚を身に付ける。まだ経験の薄い大地には、ういう感覚はない。あくまで、運良く波紋を見付けられただけだ。  あの小さな太鼓橋の水の無い池、そこから何かを感じる。  山本はそこに向かい擬人餌(マンルー)を投げる。池の上空に、光の波紋が広がる。  ——此処だっ!?   そのまま、意識を擬人餌(マンルー)へと移す。まっ暗い闇の中を見上げると、満月の様な光の円が見える。今入って来た、異空間への入り口 (波紋)だ。どこからダゴンは来るか? 普段なら簡単に向こうから襲いに来るが、時に警戒心の強いダゴンもいる。そういうダゴンは経験を積んだダゴンだ。つまり成長した大物だ。  どこだ!? 山本は気配を探る。見えない。離れたのか?   確かにダゴンが潜む場所には、異空間への穴(波紋)が出来るが、ダゴンは狭い範囲ではあるが、波紋の周り数mから時に十数mを移動している場合がある。本物の魚の様に例えて言うなら範囲(テリトリー)だ。その範囲(テリトリー)内でダゴンが水面(異空間と現実の境)近くに上がって来た場所が、波紋の出来る場所になる。だから波紋の起きる場所も、狭い範囲で消えたり出たりしている場合もある。  となると、もうダゴンの居る波紋の場所は移動したか? それならそれで考えがある。大地にも出来ない技が、山本にはある。それは、擬人餌(マンルー)アクションだ。魚相手のルアーフィッシングのように、擬人餌(マンルー)を動かす事で喰い付いて来ないダゴンを誘うのだが、ルアーと違いDasser(ダサー)の意識で遠隔操作が出来る擬人餌(マンルー)は、使い熟(こな)せる様になると、もっと緻密な動きが出来る様になる。Dasser(ダサー)には各々の独立したアクションがある。山本のアクションは、通称舞いと言われる。擬人餌(マンルー)を操り、舞を舞わせる様に動かすのだ。  山本の擬人餌(マンルー)がクルクルと奇妙な動きで舞っていると、突然下方向から強い衝撃を受け視界を失う(ブラックアウト)する。深い所に居たダゴンが、急速に浮上して来て、擬人餌(マンルー)を一飲みにしたのだ。誘いに掛かった!? 大きい!? 山本は意識を現実世界に9割がた戻す。大型ダゴンとの戦いは、意識の分散は大きなリスクを孕む。完全に、釣り上げる事に集中する方が良い。その代わり、異空間内の様子は殆ど分からない。本当の釣りで、ラインを伝わる振動で水中を知るのと変わらない位いだ。でも、今は擬人餌(マンルー)はダゴンの口の中だ。どうせ目で見える物は無い! 視覚は使えない! なら、どのみち然程変わらない。  ベイトリールのドラグがキリキリと鳴き、ラインがドンドン波紋から真下に引き込まれて行く。山本はロッド(なぶら)を45度に立てて、それに耐える。そして、じきにラインが止まった。ダゴンが疲れたのだろう。リールを巻こうとするが。——ビクともしない!? 大きいっ!!? 動かないなら、引くしか無い。下手に待つと体力を温存される。綱引きで、少しずつ更にダゴンの体力を削る。だが引き過ぎは禁物だ。慎重に、鋭いヒレでラインを切られたり、針を外され無い様に細心の注意を払う。ダゴンは個体差があり、ヒレや歯が鋭い物も居る。ドラグを締めて、ラインが出ない様にしながら巻いていくと、段々とラインがリールに巻かれ始めた。  「あっ!? 山本さんダゴンもう釣ったんですかっ!? さすがっす!」  旅館の2階から顔を出して、大地が叫ぶ。  それに反応する様に、急にラインがまた強く引かれ出す。さっきの様な勢いは無いが、じりじりと、山本はラインに引き摺られて波紋に近付いて行く。尋常な引きでは無い。  ——まさか此奴がっ!? 謎の大型ダゴンッ!!  山本はどんどんと波紋に近付いて行く。このままでは波紋の向こう側に引き込まれてしまう!?  「山本さん何やってんすかっ! ライン切って! ロッド捨ててっ!」  山本は大地の声が聞こえている筈なのに、立てたままのロッド(なぶら)を離さない。   「何やってんだよっ!?」大地はロッド(荒神)をその場に置くと、そのまま2階の窓に足を掛けて、身1つで飛び降りた。  「ちょっと、そんな所から飛び降りたら危ないでしょっ!?」やっと山本は、大地に言葉を返した。  「そんな事より、山本さん早くロッド捨ててっ!」  「大丈夫よっ!」  「大丈夫じゃないですよっ! なら俺も手伝いますっ!」  大地は一緒にダゴンの掛かったロッド(なぶら)を持とうとするが  「いいっ! 君はそこで見てて!」  「——でもッ!」  「大丈夫よ! これでもプロなんだから、ダメだと思ったら、そこでラインを自分で切るわ!? 私を信じて!」  「……。」大地は信じてと言う言葉に、もう何も言うのを辞めた。大地は短い付き合いではあるが、それでも山本を信頼していた。  「分かりました! 山本さんを信じますよっ!!」  山本はドラグを少し緩めて、ロッド(なぶら)を立てたり、寝かしたり左右に振ったりしながら、ラインを弛ませない様にダゴンを操る。ラインはその間も少しずつ出て行く。  引きが弱まると、リールを巻きラインを回収するが、また勢い良くラインが出て行く。それは5分、10分、20分と続き、ついに徐々にだがリールを巻く一方になった。だが、排出されたラインの長さはまだまだかなりある。ゆっくりとラインを巻いて行く。  そしてついに、波紋から巨大なダゴンがぬるりと落ちて来た。そこまでに、気付けば1時間程経っていた。  「やった! やりましたね!! 山本さん」大地は興奮する声で言った。  目の前に、1mは優に超える巨大ダゴンが、もう跳ねる勢いもなく項垂れていた。ダゴンにとっても死闘だったのが見て分かる。だが、山本は冷めた声で言う。  「……違う。此奴じゃ無い。こんな小さく無い」  「小さいって、あのアリゲーターガーより大きいじゃないですか?」  「悪いけど、此奴の写真撮って置いて、もう動けないから——」そう言うと山本は、その場にロッド(なぶら)を杖代わりにしてへたり込んだ。  大地が自分のスマホで、記録用のダゴンの写真を撮った。別に撮影で使っているアーカムのアプリなら、計らなくとも大きさが自動で計測されるのだが、今回はあまりに大きいのでスケールで実際に計って見た。全長117cmもあった。大地が驚きの声を上げても、山本はまだロッド(なぶら)に縋り、その場にへたっていた。ダゴンは撮影が終わって直ぐに、光の粒子になり消えた。あんなに粘ったダゴンも、釣り上げられてしまうと呆気ないなと、大地は人に悪さをするダゴンなのに、なんとも言えない同情にも似た気持ちが湧いた。  暫く休んで、山本は立ち上がる。  「お昼、過ぎちゃったわね? どっかで、ラーメンでも食べて帰りましょう。お腹減ったわ」  「はい! 俺、上にロッド(荒神)置きっぱなしだから取って来ます!」  山本は走って行く大地の後ろ姿を見詰める。——良かった、足は大丈夫みたいだ。視線を大地が飛び降りて来た、旅館の2階の窓に向けた。旅館として造られた建物の2階は、普通の民家の2階よりも、天井が高い分ずっと高い。……私の為に、あんな高い所から。本当に、何にも考えないんだから……。  対抗心を勝手に燃やしていた自分を、小さい人間だと恥ずかしく思い、反省する。  きっと、そういう所だろう? 大地に勝てないのは——。  自分の中の誰かが、そう言った。  そうだ。その通りだ。家族の為に、まだ中学生なのに頑張っている大地くん。自分は、唯一の家族にも、優しい言葉も掛けてあげられない。  「山本さぁーんっ!」大地が2階の窓から顔を出して手を振った。  「早くして! 行くわよっ!」  その後、麓の街でラーメンを食べて、大地を送り、山本は帰宅するとスマホを見た。  あれだけ毎日、来ていた三千院からのラインでの連絡が、最近一切来ない。何か嫌な予感がした。    それから数日後。  その日の駆除は、都内ではなく埼玉県某所だった。  バイパス道路の下を貫通する、短いトンネルを抜けると、そこから道の左側に藪が広がる。藪の側にはコンクリートの高い壁があり、その上をバイパス道路が走っている。そのコンクリートの壁面に沿って細い道があった。そこを進むと、その奥に不法投棄された粗大ゴミが積まれているらしい。そこが、今回の駆除ポイントだ。  「何してんの?」山本は壁面の反対側の藪に向かい、しゃがみ込んでいる大地に言う。  「此処にお堂があるから、拝んでるんすよ?」  山本が覗き見ると確かに藪の中に、小さな神棚みたいな、壊れたお堂があった。  「ダゴンの駆除祈願?」  「違いますよ。神様にはお願いするんじゃなくて、今日まで無事生きてこれた事を、感謝するもんなんすよ?」と大地は得意げに言った。  「そんな壊れた神社に感謝しても、もう神様なんか居ないんじゃ無い? そんなの誰に聞いたの?」  「岩谷のオッサンす」  「岩谷さんて、あの釣り船屋さんの?」  「そうっす!」  「……。そっか」と山本も、大地の横にしゃがんで目を瞑り手を合わせた。  大地も山本と一緒に手を合わせた。2人で、今までの日々を感謝した。  「さっ、行くわよ。ちゃっちゃ終わらせましょう」  「そっすね。また帰りにラーメンでも喰って帰りましょ」  言われている通り、藪の奥にはタイヤや粗大ゴミが、コンクリートの壁面に寄り掛かかる様に積まれていた。  「酷いわね。不法投棄だって」  「最低っすね。今日は俺行きますね?」  大地が粗大ゴミの間を縫う様に、擬人餌(マンルー)を投げる。擬人餌(マンルー)は粗大ゴミのトンネルを抜けて、その奥のコンクリートの壁にそのまま吸い込まれ、そこに光の波紋が広がる。  「ビンゴッ! 来たっ」  大地は難なく50cm程のダゴンを釣り上げた。今ではもう山本も、大地の駆除には不安は程んど無い。完全に任せている。 「此奴、中々消えないっすね?」  スマホで記録写真を撮り終えた大地が、ダゴンを見ながら言う。 【……我を…どうして…する……。】 「山本さんなんか言いました?」 「言ってないわよ」 「空耳か?」 「……多分、違う。私も聞こえたから!?」 【……人間。……我をどうして攻撃する?】 「また聞こえました! 人間て——」 「私にも多分同じ内容が聞こえてるけど、これ耳にじゃない。直接頭の中に聞こえてる。多分、語り掛けて来てるのは。……このダゴンだわ…っ!?」 【さっき、貴様らが我に感謝し祈ったろう?】 「待て待て待てっ!? さっき祈ったって! 俺がさっき祈ったのは、藪の中のお堂だ。じゃあ、お前は、いやっ!? 貴方は? え?! あそこの——!? どうして神様が!? えっ!? ダゴンはっ!? どういう事だっ?」 【……。】    頭の中に響く声からの返答は無かった。  ダゴンはそのまま輝き光の粒子となり消えた。  「……どういう事っすかっ!? 山本さん!?」  「……私だって、何が何だか、さっぱり分からないわよっ!? 何なのこれ!?」  2人は訳が分からなかった。ダゴンが神様なんて、一体どういう事だ——?  翌日、2人は今までダゴンを駆除した場所を回った。  その全ての場所には、小さなお堂や道祖神が有った。あの廃病院の敷地内にも、旅館の庭園にも——。それら全ては、世界に忘れられた様に朽ちて、今にも消え去りそうであった。  そして、岩谷のオッサンが亡くなった場所にも—— 。 「俺、初めて此処で山本さんに有った時に、これに躓いたんす」 荒川の岸辺の草むらの中に、倒れた石碑が有った。 「……一体どういう事なの!? 本当にダゴンは神様なの? なら私達は……。」 山本は険しい顔をした。 「どうするんすか!?」 「もう、直接アーカムに確かめるしか無いわね……。」    
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