7 ダゴンの誕生の秘密

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2人は翌日、学校をサボり秩父のアーカム本社へ向かった。  「あれ? もう気付いちゃったの? 意外に君ら銘コンビなのかもね?」  研究室に居た神村は、とぼけたように言った。  「神村さん、はぐらかさないで下さい!」  「ダゴンの正体は朽神(くちかみ)だよ」  「朽神?」  「何から話せば良いか。そうだな、まず八百万の神(やおよろずのかみ)についたからかな? 八百万の神は知ってるかい? 日本には仏教の仏様と神道の神様がいる。仏様はもう数は決まってるけど、神様の数は多過ぎて把握出来ない程だ。だから、800万も居るとか言われる。そして、さらに増える事もある。その神様は、全部日本人が作ったものだ」  「作った?」  「そう。異界の人の目には見えない生き物を、その土地に固定して、恐れ敬い奉り信仰により神格化させて、その土地(空間)のバランスを取ったのさ。だが、明治維新以降、急速な近代化が成されて、科学が宗教に取って代わった訳だよ。それまでは、人間がどうする事も出来ない、自然災害や疫病なんかの災いetcは、全て神様が引き受けてた。でも、科学が世の中に現れて、科学が神の代わりをし始めた。鉄砲水に苦しめられてる地域があれば、緻密な計算をし強固な防波堤作ったり、疫病が流行れば神に頼むんじゃなく、科学的に調合された合理的な薬を飲む。そんな中で神達は人に見捨てられて来た。信仰を失っても、土地に縛られてしまった神は動く事が出来ずに、じきに人間に与えられた目的も忘れて暴走する。それが朽ちた神様、朽神だよ。朽てても、神様って言うとあまり聞こえが良く無いからね。だから、見た目からH・P・Lovecraft(ラヴクラフト)の小説に出てくる邪神ダゴンから名前を貰った。小さな神への信仰は減っても、この日本は天皇を頂点とする神道国家だ。神社は今でもどの地域にもあり、文化としての意味が強くなっているが、それでも信仰の対象だ。神様を悪者にする訳にはいかない。何で神の成れの果てが、魚の姿に似るのかは分からない。元々神格化される前は、そういう姿だったのかもしれないし、朽ちて変化したのかもしれない。ダゴンは800万も神様が要る日本特有の超自然的災害さ」  「……アーカムって、一体本当は何の会社なんだ?」  「なんのって、言ってる通り土地調査の会社さ。元々は戸開神社(とひらきじんじゃ)で行ってた神抜きの技を、より合理的に術者でなくとも出来るようにしたのさ」  「神抜き?」  「日本神話以外の、日本の神への信仰というのは、生活の中で生まれた物だ。だから、生きる為に普通の人々でも、信仰で異界の生物を神格化は出来るようになったが、さっき言った通り廃れると放置状態になってしまう。神を土地から抜く方法は知らないからね。それが出来たのが、戸開神社(とひらきじんじゃ)の術者達だ」  「戸開神社は天之手力男神(あめのたぢからおのかみ)を祀っている神社だ。天之手力男は、日本神話で岩戸に隠れた天照が顔を出した時に、扉を開き外に引きずり出し、世界に光を取り戻した神様だよ。扉を開ける力があるのさ。戸開神社はあらゆる神事中の一つとして、朽神になってしまった神だった物を駆除する神抜きも行ってきた。科学が日本に現れる前も、色々な理由で廃神社や忘れ去られたお堂や道祖神なんかは在ったからね。それでも、今に比べれば極僅かさ。それが明治維新以降の近代化で、急速に増えた。それでも、なんとかこなして来たが、戦後日本経済の高度成長やバブル、世の中は敗戦を境にする様に、全く変わってしまった。もう戸開神社だけでは、どうにも成らなくなった。ちゃんとした力を持つ、修行した術者が、何時間も、下手したら何日も祈祷して、朽神を引き抜かなきゃいけない。それを千影ちゃんが、今のやり方で誰でもという訳では無いけど、修行を積んだ術者で無くとも神抜きが出来るようにした」  「千景ちゃん? 社長の事——?」  「神村さんは、社長の従兄弟よ」  「悠宇那、そういう言い方はもう止めろ。昔みたいにママって言えよ? 千景ちゃん 気にしてるよ?」  「マッ、ママ! 家族は死んだって!?」  「本当のお母さんじゃ無いわよ。養母よ。そんな話、初めて聞いた。社長の実家には行った事無いから」  「実家?」  「戸開神社は千景ちゃんの実家だよ。千景ちゃんは、戸開神社の長女だ。今はお兄さんが神主をし神社を継いでる。俺は分家の四男坊だから、何にも期待されず、好きに出来た。だから科学の道に進んで、カーボンナノチューブによる人工筋肉の研究をしていた。アメリカの大学に研究者として居た時に、千景ちゃんが電話をして来てくれた時は嬉しかなったなぁ」  「じゃあアーカムの正体は神社なんですか?」  「違うよ。本家とは考えが合わずに疎遠さ。戸開神社やその系列の神社だけじゃ、神抜きがし切れないから、千影ちゃんが考えたんだけどね。まあ向こうは宗教で、俺達は科学だからね。半分は——」  「半分?」  「ところで、良い機会だから大地くんに言っておくよ。まだ検討中だが、今君主体であるプロジェクトが動いてる。此処1ヶ月くらいの君の成長は、我々も把握してる。素晴らしい成長だ。だから、やっぱり君で行こうと思う。後で社長から直々に話があると思うけど、今我々は謎の大型ダゴンの駆除に悩まされている。あれを放っておく訳にはいかない」  「——て、それってっ!」  「悠宇那、お前じゃ無理だよ。茂山さんがやられた。あっち側に引き摺り込まれた」  「そんな、あの海皇がっ!? 海皇がダメなら、大地くんだって——」  「茂山さんがダメだったから、大地くんじゃなきゃダメなんだよ」  「意味が分からない!?」  「あいつはデカイだけじゃ無い。ADラインの特性を逆手に使って、Dasser(ダサー)に精神攻撃を仕掛けて来た。だから、ラインを切る事もロッドを捨てる事も出来ずに、波紋の向こうに引き摺り込まれてしまう。所謂、催眠術みたいなもんだ。だからADラインを使えない。そこで大地くんの強運だ!」  「運に任せるって言うの!?」  「彼のは唯の運じゃ無い。強運だよ。この短期間で、ロッドを出せば必ずダゴンを釣り上げてる。ダゴンを釣るのは、そんなに簡単な事じゃ無いのは、お前が一番分かってるだろ? 異常だよ。——だから大型ダゴンの駆除には、普通のアラミド繊維のラインを使う。喰わせさえすれば、引きずり出す事は出来る! 他の擬人餌(マンルー)を駆使しないと、ダゴンを釣り上げれないDasser(ダサー)では無理だ。」  「でも釣るにしたって、どうやって居所を見つけるのよ!? あいつは移動してるんでしょ!」  「そうだ。ただし見つける方法はある。俺達はそれを見つけた」  「どうやって!?」  「——一度、千景ちゃんの力で、城跡にあいつを召喚した。嘗て兵糧攻めが行われて、沢山の人が死んだ場所だ。ああいう土地は、ある種の力を孕む。所謂間接的な生贄だよ。そこに無理やり術で波紋を作って、力で引き寄せた」  「召喚て、そんなやり方があるなら、また——」  「召喚はもうダメだ。あいつは賢い。2回目もやったんだが来なかった。3回目も、4回目もね。所謂、魚で言う、釣られた事で警戒心が強くなる(スレ) さ。あいつは賢い。それに何度もやれば千景の身が持たない。あのレベルの召喚術なんて、何度も出来るもんじゃ無い。心と体を擦り減らす」  「……。」最近連絡が無かったのは、その為か? 山本は最近の千景の様子を理解する。  「駆除に失敗し、茂山さんを犠牲にしてしまったが、俺達はあの瞬間あの場所で、奴の正体を知る為にあらゆる観測をした。そこで、地下水脈の異常移動を観測した。あいつが現れた時に、急に俺達の下、地下に巨大な水脈が現れた。そして、あいつが消えると共に跡形もなく消えた。あいつは巨大な地下水脈と共に移動してる。移動する地下水。その上の空間に奴は居る。——と言う訳だよ大地くん。君の命は保証する。君は針に掛けて、波紋の近くまで引き寄せてくれれば良い。引き抜くのは俺たちでやる!」  「分かりました! 俺でよければ協力します! ただ——」と気まずそうに山本を見た。  「私に気を使わないで。そういう事情なら、仕方ないもの……。個人的な思いではなく、駆除を最優先するわ」  そう言うと、山本は1人出て行った。  大地は山本の後ろ姿を見送ると、神村に訊いた。  「……あの? 山本さんと社長って?」  「……。会社を立ち上げて、やっと軌道に乗って来た頃。ダゴンに寄る、ある事故が起きた。高速道路を走っていた家族が乗る車が、外壁を突き破って道路下に落下した。両親と幼い姉と弟が乗っていた。車は地面に叩き付けられて、炎上。唯一助かったのが皮肉にも、事故の衝撃で車から投げ出された悠宇那だけだった。木に引っ掛かって助かった。まだ5歳で軽かったのも良かったんだろう。その時、悠宇那は薄れゆく意識の中、高速道路の壊れた外壁に巨大な魚の尾を見たと言った。悠宇那の母方の両親は亡くなっていて、父方の祖母は生きていたが介護施設に居た。急に子供の面倒をみれるような親戚も居らず、施設行きになりそうだったのを千景ちゃんが引き取った。疎遠になっていた実家の人間まで来て、養子にするのに反対したけど、千影ちゃんは引き取った。今は山本って昔の名字を名乗っているが、養子だから本当は三千院悠宇那だ。悠宇那が千景ちゃんの実家の事を良く知らないのもその為だ。——勘違いして欲しく無いが、2人はめちゃくちゃ仲が良い親子だった。まあどっちかと言えば、年の離れた姉妹みたいな感じだったけど」  「じゃあ、今はどうして?」  「千景ちゃんは、悠宇那がDasser(ダサー)になるのに大反対だった。それで、なるなら親子の縁を切るって言っちゃったからね。売り言葉に買い言葉だったのさ。悠宇那だって、分かってる。それでも両方、引くに引けないのさ」  「謎の大型ダゴンが、山本さんの家族の敵なんですか?」  「さあどうだろう。幼い悠宇那が見たのは尻尾だけだった。あの時の調査では、事故現場に波紋が起きなかったし。悠宇那が言う程の、巨大なダゴンが居るとは思えなかった。下から見えた大きさを推定すると、中型のクジラ位ある事になる。見間違いで、ダゴンの仕業じゃ無いと結論付けたけど、今になって移動する巨大ダゴンが現れた。もし移動しているなら、波紋があの時立たなかったのも理解できる」  「でも、ダゴンて異空間から出たら、死ぬんじゃ無いんですか? 尻尾が見えたって——」  「ダゴンにも種類が色々ある。短い間だけなら、こっちの世界に出て来れるダゴンも確認されてる。魚で言うなら肺魚みたいな物だよ。まあでも、長くは居れないし、完全に出れるわけじゃ無い。顔や尾を出すだけだ。完全に出てしまうと、この世界では泳ぐ事が出来ないんだ。まさに陸に上がった魚みたいになる」  「なるほど。あの? なんで神村さんに、山本さんは他人行儀なんですか? 社長と一緒に会社始めたんですよね? それに、2人は血の繋がりは無くとも、親戚に当たるんじゃ無いんですか?」  「ああ。俺達が顔を合わせたのは、悠宇那がDasser(ダサー)になってからだからね。まだ、会ってから1年と少ししか経って無いからさ」  「あのぉ? ダゴンを神にまた戻せないんですか? 今回は神に戻ったじゃないですか?」  「それは一過性の物だろう。異界の生物を信仰により神格化させる。それは相当な労力が掛かる。沢山の信仰が必要になる。君が祈りを捧げた事で、謂わば神戻りをしたのだろうが、昏睡状態から一時意識が戻った様な物で、直ぐにまた神としての自我は失われるだろう」  「神様に戻せるなら、駆除しなくとも済むのに——」  8 Weak Point(弱点)  こうして第5回目の、謎の大型ダゴンの駆除の計画が始まった。   作戦はこうである。  まずアーカム内の特殊能力部内の課1つ、ダウンジグ課による、移動する地下水脈の感知を行う。  アーカムには山本や大地の知らない、Dasser(ダサー)以外の能力者達の所属する部があり、さらに能力で課に分かれている。  ダウジングというのは、地下の水脈や鉱脈を、L字の棒や振り子などの動きで、発見するという手法である。占いの1つであるとされるが、近代に入っても一部ではダウジングが水脈や鉱脈探し、時に地下に埋まったままの古い水道管探しなどにも非公式ではあるが利用されている。  アーカムが突き止めた、ダウジングの正体とは人である。能力者の体が地下の水脈や鉱脈などに微妙に反応して、その反応が筋肉に変化をもたらす。そしてそれが、手に持った遊動式のL字棒に伝わり動いたり、振り子が揺れる。だから、ダウジングは誰でも出来る物では無いのだ。  ダウジング課は、能力者と研究者に分かれる。他の特殊能力部も同じような感じだ。  ダウジング能力者は、研究スタッフの運転するワンボックスカーに乗せられて、謎の大型ダゴンダウジング探索チームとして日本各地を走る。頭には脳波計が付けられていて、脳が感じた水脈をそのままPC(パソコン)に読み込み、データ化→映像化される。さらに、その中で異常な動きを見せる水脈を探す。昔はL字棒や振り子だった物が、PCに変わる。まさに人間センサーである。  ダウジング能力者は、ただ車に乗って居るだけで良い。能力を使ってはいるが、任意で発動しているわけでは無いからだ。受動態となり、ただ地下の反応を地上で受けているだけで、あとはPC内のプログラムが勝手に行う。ただ、寝てしまうと脳波自体も変わってしまうので起きていなくてはいけない。なので、スタッフは能力者も研究者も、1日3交代出来る数が乗っている。  ダウジングチームが東京から、日本各地に向けて出発してから、7日目。ある情報がアーカム本社に入る。それは、静岡支社からだった。富士山の麓の森の中で、異常な地下水の噴出が起きているという。水柱を上げる程の物では無いが、こんこんと地中から水が吹き出していた。その現象は、各所で湧き出たり止まったりを、短時間の間に繰り返していた。その現象の出現した場所と、出現した時間の記録を照らし合わせて見て行くと、まるで湧き水が移動しているようであった。  全国に散らばっていたダウジングチームが、そこに集結する。  そして、とうとう異常な動きを見せる水脈を発見した。  それは森の中の約2Km四方の範囲をグルグルと回っていた。そこから移動する感じはなく、ただ回っていた。ダウジングではダゴンの存在までは確認出来ないで、その水脈の上で、ダミー擬人餌(マンルー)を投げる事にする。  ダミー擬人餌(マンルー)は釣る為ではなく、波紋の起きる事を確認する為だけの物なので、ボール型だ。今回は精神攻撃がある恐れがあるので、ADラインも付いていない。投げっぱなしである。ボールを水脈の上になげると、波紋が立った。  直ぐに行政に内密に許可を取り、謎の大型ダゴン駆除作戦の準備が始まった。  そこには三千院の姿もあった。  「社長もいらっしゃってたんですか?」ダウジング課課長加納鎬(かのうしのぎ)が言う。  加納鎬32歳。いつも、きっちりアイロンを掛けられたスーツにを、きちっと着こなす。銀縁眼鏡。ピシッと2ブロックで決め、典型的な出来る男という感じだ。妻子持ち。ちなみにダウジング能力はない。ゴリゴリの研究者である。  「加納君、お疲れ様。今回は波紋が立つから、私はいらないんだけど、作戦の指揮は取らせて貰うわ。責任者としてね」  「はい」  「今回、こそ駆除を成功させましょうね? 茂山さんや、他の行方不明になっているDasser(ダサー)の仇を打ちましょう」  「あの? 悠宇那ちゃんと一緒にいるの?」  「そう。彼が今回のメインDasser(ダサー)平大地くん」  「ふーん。あれが? ちょっと見て来ます」と加納は大地達の元に向かい「お前が期待のルーキーか? なんでジャージなんだよ? 体育祭じゃねんだぞ?」と冷たい口調で言った。  「どちら様ですか!? ほっといて下さいよっ! 家庭の事情ですよ! 事と次第によってはコンプライアンス上の大問題ですよっ!? つか、あなた誰ですか?」  「ダウジング課の加納だよ」  「ダウジングか?」  「ダウジング課よ? 課長の加納鎬さんよ?」山本が教える。  「かっ、課長様ですかっ!?」  「大地くん、課長の意味分かってるの?」  「偉い人ですよね?」  「まあ、そうだけど……。」  少し離れて見ていた三千院は、こそこそっとやって来て、加納に大地の家庭の事情を耳打ちした。  「えっ!? ……すっ、すまなかったな? そんな事だなんて、知らなかったんだ——」  「やぁ、やめて下さいよ。可哀想な子みたいに。いたって楽しく生きてますよ! よっ! 課長っ!」  「……ちょっと、俺の事バカにしてんだろ? 課長って言うのやめろよ。加納でいい」  「はい! 加納さん」  「……。」談笑をしている大地を、山本は険しい顔で見ていた。  「大丈夫(だいじょぶ)すよ? 山本さん。喰わせるだけでその後は、捕獲部隊の皆さんがやってくれるみたいですから」  「喰わせた後、波紋まで引き寄せるのがあるでしょ!? もう何人も、引き込まれてるわ! そんなに簡単じゃないわ!」  そう言った山本の顔は、怒ってる様にも、困ってる様にも、泣きそうな様にも見えた。  「……まあ、そうですけど」大地はどう答えたら良いか分からずに、苦笑いしてそう答えた。  「——さあ、そろそろ始めるわよっ!」三千院が声を上げる。  今回の計画は、駆除方法は基本的には前と変わらない。変わる所は、大地の使用するラインは唯のアラミド繊維のラインになり、ダゴン砲は打ち込んだ後は電動で自動巻になった。今回もダゴン砲を指揮するのは神村だ。波紋は既に見つけているし、もう効果も期待出来ないので三千院の召喚作業は無い。  そして、今回一番前と違うのは、2Km四方の中に、ダウジング能力者を点在させている事だ。地中の様子を受けた能力者の脳波は、データ化されて無線で飛ばされて、加納の操るパソコンで受ける。そこから加納は動く水脈の位置を特定して、映像として大地達に伝える。  水脈の動きは、明らかに自然の物に比べると早く、また一貫性も無かった。グルグルと脈絡の無い動きで、ただその範囲内を回っていた。その動きはまるで、高速で動くアメーバーや粘菌の様だった。三千院の推測では、日本最大最強の神山である富士山から何らかの力を得て、目的は分からないが、それを蓄えているのだろうという事だった。  「でも、水脈がそんなに早く動いてるなら、場所が分かってもどうやって、俺は擬人餌(マンルー)投げ込めば良いんですか? 走って追い掛けますか?」   大地は計画の説明をしてくれていた神村に訊いたが、席を外していて帰って来た山本が「その為の私よ?」と言った。  「あれ? 山本さんそれ?」  「YAMAHA(ヤマハ) WR250R。オフロードバイクよ。君を後ろに乗せて、森の中を、水脈を追って、私が走るの」  山本はいつの間にかに、青いオフロードバイクに跨って、オフロード用のヘルメットを被り、プロテクター付きのライダースーツを着ていた。  神村が山本に補足する。 「大地くん、君が優先するのは、先ずは喰わせる事だが、その後はダゴン砲部隊が着くまで、ダゴンを逃がさないように粘って欲しい。ダゴン砲は4台の車に配備してあるから、この狭い森の中をバイクと並走して付いて行く事は難しい。君達の位置をGPSで把握しながら、通れる場所を走って後を追う。水脈と共に波紋は移動しているが、擬人餌(マンルー) に喰いつけばダゴンと一緒に、そこで波紋の動きは止まる筈だ。そこで、ダゴン砲を使う」  「喰い付くまで、波紋が動いてる間は? ラインを伸ばし続けたら、木に絡まるんじゃ?」  「私が大地くんを後ろに乗せたまま、波紋を追うわ」  「この木々の間をですかっ!?」  「そうよ。だから君もプロテクター付けて。君の強運が、木に打つからないように、してくれる事を祈るわ」  ——こうして作戦は始まった。  大地と二人乗り(タンデム)して待機していた山本に、加納から指示が出る。山本のヘルメットの中には、通話出来る様にインカムが仕込まれている。  「見つけたぞ。今からナビに出す!」  「了解!」  ハンドル部分に付いた液晶ナビに、自分達の位置と水脈の位置が出る。今回の計画の為に早急に作った物なので簡易的なナビで、水脈までの方角と距離しか出ないが、やるしか無い。  バイクに乗ってになるので、大地の使う擬人餌(マンルー)は、いつもよりもは大きいが、武雄が使った物程大きくは無い。子猫程度の大きさだ。  「大地くん木々の間走るから、ロッド気をつけてね! あと落ち無いでよっ! さぁ行くよっ!」  「はっ、はい!?」  バイクはエンジンを唸らせ、ブロックタイヤが力強く土を掻き、勢い良く走り出した!  「水脈って、こんなに早く動くのっ!?」ナビを見ながら山本は驚く。  ナビ上に赤く大きく映っているのが水脈で、後方に青く小さく映っているのが、山本の運転するバイクだ。水脈のスピードが早い。バイクは木々の間を縫って進むので、十分なスピードが出せずに、地中をほぼ直進していく水脈には中々追いつけない。地中には、地上の木々の枝葉並みの根が広がっているだろうが、水にはそんな物は関係ない。水脈は、まるで水中を泳ぐ魚のように、地中を自由に動いている。  「山本さんっ!? あうっ!?」大地が喋ろうとした時に、大きくバイクがジャンプして舌を噛んだ。  「気を付けてっ! 舌を噛むわよ!?」  「もう噛みましたよっ!? このスピードで走りながら投げるんですか!? しかも、水脈は地中ですよ!?」  「私が走りながら、ポイントのナビをするわよっ!? 私の言った場所に、ピンポイントでキャスティングする事だけ考えてっ!?」  「えっ!? 上手く行くかなぁ?」  「行く、行か無いじゃない!? やるのよっ!? 大地くん、キャスティングに関しては、決して君運だけじゃないわ! 闇雲に投げて、運良く波紋に入ってる訳じゃないしょ?  君、そこはちゃんと狙って投げて、波紋に投げ入れてる! 自分を信じてっ!」  「分かりましたっ! 山本さんを信じますよっ!」  「えっ!?」  「俺を信じてくれる! 山本さんを信じますよっ!」  「あっ!? そこっ! そこの、木と木の間よっ!?」  「えっ!?」大地は急いで投げるが——!?  擬人餌(マンルー)は消えない。木々の間を飛んで行ってしまう前に、スプールを出て行くラインを人差し指で止めてブレーキを掛ける。  「違う! もう水脈は先に行ってる! 針が木に掛からない様にすぐ巻いて、アラミド繊維のラインは、人間の重さ位なら平気で持ち上げるから、下手に引っ掛かると体持ってかれるわよ!?」  大地はラインを急いで巻き取る。  「すいません! しくじりました!」  「動く的(まと)なんだから、一回くらい普通よ! とにかく、何も無駄な事は考えず、今は出来る限り連投して!」  「はいっ!」  数投の失敗の後——。  「そこの岩っ! 岩が地中まで伸びてて、水脈が立ち往生してる! いくら水でも、分厚い岩を通り抜ける事は出来ない。今よっ!?」  「はいっ!」大地が巨大な岩目掛けて擬人餌(マンルー)を投げると、波紋が岩の側面に広がる。  「加納さん! 擬人餌(マンルー)を波紋に投げ込みました!」山本はインカムで連絡する。    「やったぁっ!」大地は声を上げた。  「喜ぶのは、まだよっ! これからダゴンが喰い吐くまで、波紋を追って走るわよ!? ダゴンに喰せて動きを止めるまで、波紋は動き続ける!」  「えっ!?」  立ち往生していた水脈が、岩を避けて再び動き出す。  「行くわよ!」山本はバイクをまた走らせる。  再びバイクで走り出すが、ラインが波紋に伸びているだけ、さっきよりも運転が難しくなる。道を選べないので、かなりの悪路も通る事になる。バイクが転倒するか、ダゴンが喰い付くかの勝負だ。   「全然、食わないんすけどっ! どうやったら良いんですか!?」  山本は考える。大地くんは完全に運で喰わせてる。下手なアクションをさせるよりも……。 「そのまま落下(ホール)させ続けてっ! ラインをフリーにして、そのまま放って置いてっ!」  「いんですかっ、それで!?」  「それで良いわっ!」  ルアーで釣れる魚を食べる魚(フィッシュイーター)は、アクションを付けなくとも、水中を自由落下して行くルアーに、反射的に反応し喰い付く事がある。それはそれを狙ってやる事もあるが、あくまで喰う喰わないは魚次第。つまり——、運だ! なら運で釣る大地くんなら、下手に動かすよりも喰わせられる筈だ。   「やばいっす! 波紋の向こうは底が無いんすかね!? そろそろラインが無くなります!」  スプールに巻かれたラインは、もうほとんど残ってない。  「……。」ダメか!? いや、もうどうしようも無いって時こそ、運が味方する!「そのまま、出し続けてっ!」  「えっ!? でも、ライン無くなっちゃいますよ?」  「いいからっ! 絶対に釣れると信じてっ!」  「分かりましたよ! えいっ! もう、なる様になれだっ!」  大地はラインを出し続ける。  薄っすらと、ライン巻き(スプール)の底が見え始めた、その時——。  急に出て行くラインが止まった。波紋の動きも止まる。バイクも止まる。  「——来たッ!?」大地は思いっきりロッド(荒神)を引く。  グンッ! と重みを感じる。が、まるで根掛かりしたように動かない。だが急に、ビクともしなかったリールのハンドルが回り出す。  「降りますっ!」大地はタンデムシートから降りて、リールを巻く。   「大地君っ!? 慎重にね!」  「はいっ!?」  山本はインカムで加納に伝える。  「ダゴン掛かりましたっ! 今、大地くんが取り込んでます! 暴れる様子は無いようですが、直ぐ来て下さい!」  「大型ダゴンって聞いていたけど、拍子抜けするような引きですね?」   大地はリールを巻きながら、波紋に近付いて行く。  「……。」山本は考えていた。おかしい。そんなに引きが弱い訳がない。精神攻撃あったと言うが、それでもあの大柄な海皇を引き摺り込んだダゴンが、こんな引きな訳ない。クルクルと、大地の巻くリールのハンドルが軽快に回る。いや……、これは引いてさえない? むしろ、——こっちに寄って来ている!?  「大地くんっ!! 波紋に近付かないでっ!?」  「えっ?」と大地が振り返った時。  急にラインが引かれ、大地は前のめりになったその時、波紋から巨大な黒い尾が現れ弾かれそうになる。  「うわぁっ!?」  尾は大地の鼻先を掠めたが、間一髪で身を引き避けた。  山本は分析する。引きが弱かったんじゃない。敢えてこちらに向かって来る事で、ラインを弛ませから、方向を急転回させ針を勢いで外そうとしたのだ。きっと、精神攻撃が出来なかったから、物理的な方法で針を外そうとしたのだ。  ラインは、今度は物凄いスピードで波紋の中に引っ張られ、リールのブレーキ(ドラグ)はキルキルと悲鳴を上げたが、——まだ針は外れていないっ!? 大地の強運の力だろう。  だが、ラインはどこまでも引っ張られて行く。このままでは、今度は本当にラインが終わるだろう。それで終わりだ。  「くそっ!」大地はドラグを目一杯締めて、ラインの出を止めようとする。  「ダメよッ!?」山本は叫ぶ。  目の前の事で精一杯の大地には、もう山本の声は聞こえなかった。  「ウグググググググゥゥゥゥゥゥゥ—————————ッ!?」大地は歯を食いしばり、思いっきり竿を立てて、力一杯リールを巻こうとしたが  バキッ!!?    ロッド(荒神)が音を上げて、真ん中から折れた!?   ドンッ! と大地はその場に尻餅をつき倒れた。  「——どうなったっ!?」    その声は、やっと大地達に追い付いた神村であった。  車では森の奥まで入って来れなかったので、人力でダゴン砲を皆んなで担いで来た。神村も担いでいる。それで、到着までに時間が掛かってしまった。  大地はラインを手で手繰り寄せる。なんの抵抗もない。波紋から出て来たラインの先には何も無かった。強いアラミド繊維が切られている。引き千切った訳ではないだろ。多分、大型ダゴンが体をひるがえした時に、ヒレか何かでラインに傷を付けたのだ。そこから、切れたのだろう。  「やっぱり君は強運だね?」  「どうしてですか、山本さん!? 逃げられちゃったんですよっ!?」  神村が大地の苛立ちに答える。  「力で引き千切ろうとされてたら、切れる前に君が引き摺り込まれていたよ。あのタイミングで、パッとロッドを離すのは難しいだろう」  「……そうか。」  「気を落とさない。君が無事だったから、それで今はOKよ」  「うわっ!?」  「何っ!?」  「リールが逆にも回るっ!!」大地はリールのハンドルを高速で逆に巻きながら言った。  「中のギアがバカになったんだな。そのリールにフリー機能はない。リールもオシャカか」神村が言った。  もう波紋も出なくなり、地中の水脈もナビから消えていた。  水脈の位置は、途中まで加納のダウジングチームが追っていたが、見失った。北に向かったのだけは分かった。  秩父のアーカム本社に帰ると、反省会議が開かれた。  「あれは土地ではなく、水に縛られているダゴンだ!」  「水と共に移動している!」  「水に縛られながら、その水を自分で操っている。だから自由に動ける!」  「トンデモ無い奴だな!」  「今回の失敗で、更に駆除は難しくなったろう。警戒を強めるに決まっている」  「平君の強運で、また喰わせる事が出来るかの……っ!?」  「それでも、今はそれ以外に手がない以上、やるしかないわ!」  「やるしかないと言っても社長っ!」  一通り会議は終わったが、明確な次の計画案が出なかった。なので、大人達は今後の展開をどうするかを、未だ熱く議論していた。そんな中——。  「大地くんちょっと良い?」  「ああ、はい?」  山本と大地は、席を立ち会議室を抜け出し、最上階の休憩室に向かった。  休憩室に入り、山本はコーヒーサーバーで紙コップにコーヒーを2つ注ぎ、一つを大地に渡すと、2人でテーブルに着く。  山本は、大地の正面に座り言った。  「君の釣りには、決定的な欠点があるわ」  「決定的な欠点?」  「魚でもダゴンでも同じ。前に荒川でバス釣りをした時に私は気付いていたのに、君はその後も難なくダゴンを釣り上げたてから、もう少し先で良いか? と思っててそのまま言い忘れてたわ。それは、喰わせた後の駆け引きよ?」  「駆け引き?」  「君はただ力任せに引っこ抜いてるだけ、多少魚が大きくとも、ライン、ロッド、リールのフォローでなんとか引き上げてるけど、道具の能力を超えた時にそれが出来なくなる。 この前60(ロクマル)越えのバスを釣った時や、今回のようにロッドを折り獲物も逃してしまう。これは想像だけど、喰わせるまでは運でどうにかなるけど、引き上げるのには獲物の抵抗がある。向こうは命懸け、命懸けの相手に運だけでは太刀打ちが出来ないんだと思う。そこで、運を逃さない努力が要る! ——修行よ!」  「え!?」  「明日、迎えに行くから」  ——という訳で。  翌日の放課後に、山本はR1Zに跨り、大地の待つ赤羽駅の南口にやって来た。  「後ろに乗って?」  「どこいくんすか? 釣りじゃないんですか? 俺、手ぶらで良いって言ったから、何も持って来てませんよ?」  山本のリュックにも、ロッドが無いが。  「そうよ。釣りに行くの。道具は向こうに用意してあるから平気よ!」   R1Zが着いたのは、都内近郊の野池——。  「此処で何釣るんですか?」  「ヘラブナよ?」  「ヘラブナっ!?」  「やった事あるわよね? どっかの大会で入賞してたでしょ?」  「ヘラ竿無いから、めちゃくちゃなやり方でしたけどね? 仕掛けだけヘラならOKって、特例で出させて貰ったけど」  「今日は、ロッドも道具も全部用意してあるから」  「おっ悠宇那ちゃん!? 待ってたよ! 準備出来てるよ!」  釣り人らしきオジさんが話しかけて来た。メガネで小太りで優しそうな男だ。  悠宇那は大地に紹介する。  「Dasser(ダサー)の西川さん。元々プロのヘラブナ釣り師で、今もDasser(ダサー)としての仕事が無い時は、プロのヘラブナ釣り師として、大会とかにも出てるわ」  「ああどうも、平大地です」  「知ってるよ君の事は。天才ルーキー」  「いやいや、天才だなんて!? 昨日もしくじったし」  「悠宇那ちゃんが認めるんだから、間違い無い。悠宇那ちゃんは適当な事は言わないよ」  「そう。大地君は超天才よ。でも、あくまで天に貰った強運て才能だけ。それじゃ、それ以上にはなれないわ。努力無くして、その先には行けません」  「はぁ……。」  「じゃあ、西川さんお願いします。後で迎えに来ます」  「山本さんは!?」  「西川さんが居るんだから、私が居る必要は無いでしょ? 君の夕方の買い出し、ずっと空ちゃんに頼んでるんでしょ? 君が特訓してる間、私が手伝って来るわ。夕方のセールは、ある意味ダゴン退治より大変なんだから!」  「いやそんな、悪いっすよ!」  「君の為じゃ無い。これも仕事よ? 君にしか、あのダゴンを掛けられないんだから、しっかり教わるのよ?」  山本はそう言うと、R1Zに跨り去って行った。  大地は西川が用意してくれたヘラ台へ向かう。  ヘラ台とは、池の淵に設置する、持ち運び出来る足場の事だ。ヘラ台には既に、ヘラ竿が竿置きに置かれ、他のタモ網などの道具も、全て準備されて後は釣るだけであった。  「じゃあ大地くんやろうか? 竿は野池用としては少し短いけど9尺。でもやり慣れてない人には、このくらいが使い易いだろう。仕掛けもごく平均的な物だよ」  「あの? せっかく来て貰ってなんなんですが、あの姿さえ見えない巨大ダゴンを釣るのにフナ釣りなんですか?」  「ヘラブナって言うのは、本当の名前じゃ無い。ゲンゴロウブナっての言うのが、本当の名前なんだ。そして、人が作った魚だ。ゲンゴロウブナを食用として、大型に品種改良したのをヘラブナと言う。だから、大きい物では60cmに達する」  「60cmのフナっ!? 確かにヘラブナって普通のフナより大きいけど、そんなに!?」  「しかも君の使うハリスは0.05号。普通、どんなに細くともヘラ釣りのハリスは0.3号だ。まあ単純に考えて一番細いハリスの1/6の強さしか無い。此処の野池に居るヘラブナはほとんが大型だ。最低でも30cmからだ。平均40cmくらいだろう。普通は掛けるだけでも難しいけど、君は掛けるまでは、問題無いだろう。そこからが勝負だ。ちなみに、ハリスを切られても針には返しが無いし、魚は針を飲んでも数ヶ月後には体外に排出されると科学的にも立証されてるんで、まあ少しの間魚には可哀想だが気にしなくて良いよ。とにかく、やってみよう。耳から得た知識よりも、君に必要なのは経験だ」  「分かりました!」  というわけで、大地はヘラブナ釣りを始めた。  ヘラ台に座り、竿を出す。赤黄緑で色分けされた特徴的な棒形のヘラ浮きが、水中から伸びている。色の違いは、メモリと同じで、ヘラブナが水中でどうやって餌を食べているか分かる。ヘラブナが餌を咥えた瞬間に合わせて、竿を上げて引っ掛ける(フッキング)させるのだ。  フッキングまでは、何も考えずとも大地は簡単にこなした。問題はそこからだ。  ラインがピンと張り、風に靡く蜘蛛の糸のように光を反射させた。細く柔らかい竿が弓なりにしなり、右へ左へヘラブナは水中を走る。魚の大きさ以上の力が手に伝わる。大地は焦り両手で竿を持つと、力の限り上に引いた。すると——。  「ああっ!?」  プツンとラインが切れて、反動でウキが宙を舞った。  「……。」大地は落胆する。  「さすがだね? 嫌になるくらい、簡単に掛けるなぁ。でも取り込めなかった。今のは、そんなに大きくはないよ? ——おっ!? 俺の方にも来た!」  獲物は大きい! 西川の細いヘラ竿が、弓なりどころか、円を描いてしまいそうだ。ラインは沖に走る。ヘラ竿は、リールの無い延べ竿だ。このまま行けば、ラインを切られてしまいそうだが、今度はヘラブナは右へ左へと走る。攻防は続き、いつしかヘラブナは抵抗を辞め、西川が竿を上げると水面から顔を出して、構えるタモ網の中に自ら入る様にして釣り上げられた。  「大きいっ! 50cmはあるっ!」大地は歓声をあげた。  「こんな感じさ。ちなみに君とまんま仕掛けも竿も同じだ。ハリスは0.05号だよ」  「凄いぃっ!?」  「君に必要なのは、魚の気持ちを想像する事。自分本位じゃなくて、相手の動きに合わせながら、自分の思う様に動かす。切られそうなポイントポイントだけ、気を付ければ良い。君は掛けるのは問題無いから、何度でも掛けて、取り込みの練習をしたら良い。じゃあ、次行こうか?」  「はいっ!」  大地がまた餌の付いた仕掛けを振り込むと、直ぐにヘラブナはヒットした。  よし掛かった! 力尽くで引いてもダメだ。緩めて泳がすっ!  「あっ!?」  大地が声を上げると同時に、仕掛けが宙を舞う。今度はハリスは切れてないが外れてしまった。  「大地くん、ヘラ釣りの針は引っ掛かり(カエシ)が無いから、直ぐに外れてしまう。そこを気をつけて」  「はいっ!」  大地はそれからも、何度も失敗した。  西川は基本を教えた後は、もう口でアドバイスはしなかったが、横で何匹も釣って見せた。   大地は失敗を重ねながら、西川の取り込みを何度も見て分析した。  「また来たっ! 大きいっ!?」  大地は今まで見て来た西川の動きと、自分の失敗を、頭の中で照らし合わせる。  西川針を掛けた後は、竿をそのまま立てたままにせずに、糸を弛ませないようにしながら、魚に合わせて動かしていた。大事なのはどんな瞬間も、ラインを弛ませない事だ。そうする事で、ヘラブナに掛かった針の位置を変えないようにする。そうすれば外れる事はない。だが、引き過ぎれば極細のラインは切られる。時に魚の抵抗に合わせる事も大事だ。リールの無い延べ竿でたった9尺(約3m)しかない。ラインの分の長さがあっても、完全に、全部のラインを使い切る事は出来ない。一直線に伸びててしまえば、遊びがなくなり、魚の力でハリスを切られてしまう。たった9尺の中で魚をいなす。まるで、闘牛士のように——。弱まったヘラブナを引き寄せると、また沖に向かい走る。また竿を駆使して、ヘラブナの動きをコントロールし、ハリスを切られないようにする。右に左に泳がせる。力だけでなく、竿のしなり、ナイロンラインの伸縮も利用する。力いっぱい泳がせて、抵抗力を徐々に削いで行く。暫くの間、攻防は続き——。ヘラブナが疲れて動きが完全に弱まったのを見定めて、ゆっくり竿を上げる。これは水面に顔を出させて、空気を吸わせる為だ。空気を吸うと魚は確か弱まる。大昔に岩谷のオッサンに聞いた事を今思い出した。そこで、ゆっくりと引き寄せてタモ網で掬う!  「釣れたっ!?」  「デカイな。太っていて、体高もある。立派なヘラブナだ。60cmはあるだろう! これは、まぐれや運で釣り上げらるレベルじゃないよ? これが、君が努力で得た釣りの技術だ! おめでとう!」  「はいっ! ありがとうございます!!」  大地は生まれて初めて、釣りの喜びを知った。なかなか釣れないからこそ、釣れた時に嬉しい。それが、釣りの醍醐味である事を知った。   「——凄いじゃない?」  そう背後から声を掛けられた。迎えに来た山本であった。夢中で釣っていたから、特徴的なR1Zの排気音にも気が付かなかった。  「山本さんっ!」  「おめでとう。何か掴めた?」  「はいっ! 初めて、釣りを面白いと思いました! ……いや、違うか。」  「違う?」   「俺、途中で、昔岩谷のオッサンに教わった事を思い出したんです。ずっと忘れてたけど、初めてオッサンとハゼを釣った時、こんな気持ちでした。ずっと忘れてた。釣りは簡単じゃないです」  「そう。良かったじゃない。思い出せて」
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