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大地が、謎の大型ダゴンを逃してから一週間。
大地はあのヘラブナ釣りの日から、ダゴンでは無くあの日と同じ仕掛けで、1人荒川にヘラブナ釣りに通っていた。あの感覚を忘れない為に、山本に行けと言われたからだ。だから、山本は1人でダゴンの駆除に向かっている。——と大地は伝えられていたが。
山本は自室に居た。ここ数日は、学校も仮病で休んで家に居た。
今は完全に大地の補佐に回っている。そこに不満はない。ただ自分の過去との踏ん切りがつかなかった。誰にも聞かれ無かったから言わなかったが、あの尾は確かにあの時に見た、巨大な魚の尾と同じだった。まっ黒くて光沢のある、コールタールの塗られた鎧みたいな尻尾。あの時——。あの事故の時。
何の為にDasser(ダサー)になったのか? ベッドにうつ伏せに寝そべり、自分に問う。
家族の仇を討つ為——。と心の中で言おうとして、心の中の声が止まった。家族? その家族が、5歳までの朧げな記憶の中にしかない。仇を打ちたいという強い気持ちに比べて、家族への思いはそこまで無い事に今更ながら気付く。気が付かない内に、自分は本当の家族から逃げていた。あの時の恐怖を思い出さないようにしていたし、家族の事をもっと詳しく知ろうという気持ちからも逃げていた。千景も気を使ってか、何も事故の事も、過去の事も話さなかった。調べようと思えば、両親の生きて来た記録や、短い人生であったが家族に愛された弟の記録も見つけられたろう。単に誰かに聞かされた悲しいお伽話のように、ダゴンに殺されたある可哀想な家族の仇を討ってあげたいと自分は思っていただけだ。それは本当の意味で、自分の家族の仇とは言わないだろう。山本はそうと気付くと、ベッドから飛び起きて部屋を出た。
向かったのは図書館だった。
昔1度だけネットで自分の事故の検索をしたが、事件では無く事故であり、さらに自爆事故として処理されている為に発見できなかった。その時に、事故のニュースの探し方を検索した。過去の事故を探すなら、図書館に保存されている過去の新聞から探すのが良いと出ていた。
地域の図書館に行き、10年前の20××年の新聞を1月から、1ヶ月分ずつ出して貰い見て行く。自分の人生が左右される程の事故だったのに、覚えているのは、あのダゴンの尾だけなんて——。いつ事故にあったか? 事故に合う前に何をしていたのか? 事故後自分はどうだったのか? 一切思い出せない。自分が情けなくなる。
——何時間、新聞を見たのか。
『200××年11月23日。○×高速道路にて山本慎平さん(34)の運転する乗用車がスリップ事故を起こして、高速道路から転落。同乗していた妻の加奈子さん(32)、息子の真那人(まなと)くん(3)が死亡。唯一の生存者は長女の悠宇那ちゃん(5)』
やっと見つけた。
自分以外は写真が出ていた。生存者にはプライバシーがあるから——。どうやら介護施設に居る祖母に会った帰りだったらしい。雪が降リ始めていて、周りに車も無かった事から単独のスリップ事故と処理されたようだ。その祖母も山本が7歳の時には他界している。
一応、千影と焼香に行ったが、それも良く覚えてない。
記事を読んで行くと、1つの言葉が目に入り、山本の目の色が変わった。
急いで受付に行き、この月の週刊誌が無いか聞くが、週刊誌はさすがに無いと言われた。
「……。」
「国会図書館には、あると思いますよ? 国会図書館は雑誌も貯蔵してますから」
「え!?」
「ただ、確か19時閉館で、18:30で受付終了なので、1時間位で閉館ですよ?」
「ありがとうございます! 直ぐ行ってきます!」
R1Zを飛ばし、なんとか受付に間に合い、200××年11月の週刊誌を出して貰うそして——。
「……あった。やっぱりそうだわ。これも、この雑誌も……。」
山本は、ある1つの結論に辿り着く。
山本は翌日、ヘラブナ釣りで世話になった西川の元に向かった。確かめたい事があったからだ。
西川の所を山本が訪ねてから3日後に、アーカム本社から連絡があった。用事があるのは大地なのだが、山本に連れて来てと欲しいという事だった。
本社に着くと、神村が研究室で待っていた。
「悪いな。悠宇那に送って貰っちゃって、例のダゴンの事で皆んな出払ってるし、俺達も中々忙しくてな。電車で来て貰うにしても、三峰口駅から此処まで10Km以上あるし。まあ駅からタクシーでも良かったんだけど、こんな山奥に中学生1人送らせて、変に勘ぐられても面倒だしな」
「私は別に大丈夫です」
「そうか。じゃあ、本題に入る。大地くん下の毛はもうボーボーかい?」
「なっ! なんて、事を突然聞くんですかっ!?」
「いや中学生でも、生えてない子がいるって聞いてね?」
「そうじゃなくて! なんで、そんな事を聞くのかって事です」
「新しいロッドを作るのに、大地くんの毛がいるんでしょ?」
山本が、神村に代わり答える。
「その通りだ。新しい大地くんのロッドを作る。あの謎の大型ダゴン用の特別な物をだ。ただ君の前に刈った髪の毛で、荒神を作った残りは培養していたけど、君用のADラインを作るのに既に使ってしまっている。新しいロッドを作れる程残って無い。まだ出来たラインは君に渡せて無いけどね。リールも壊れちゃったからね。別に肉体の一部なら良いが、髪の毛以外で使えるのは、後は血液くらいしか無いが——」
「別にADライン使わないんだから、ダゴン専用ロッドで無くとも良いんじゃ無いですか?」
「それがダメなんだよ。専用ロッドを作るのは、別に感度の為だけじゃ無い」
「?」
「我々が戦っているのは、成れの果てとは言え神様だ。神器なのだよ。ダゴン用ロッドは茅纒之矟(ちまきのほこ)のレプリカだ」
「茅纒之矟(ちまきのほこ)?」
「天岩戸に天照が閉じこもった時に、天鈿女命(アメノウズメ)が茅纒之矟(ちまきのほこ)を振って踊り、八百万の神はそれを見て笑った。その声を天岩戸の中で聞いていた天照は、外の様子が気になり岩戸を開けたと言われている。その茅纒之矟(ちまきのほこ)の本物と言われる物が、戸開神社に有る。表には出ない、本当の戸開神社の御神体だ。前に行ったように、戸開神社に祀られているのは天之手力男神(あめのたぢからおのかみ)だが、もう1つ祀られているのが天鈿女命(アメノウズメ)の茅纒之矟(ちまきのほこ)だ。俺達はそれを昔勝手に調査分析して、2人とも実家を追い出された。全てのダゴン用ロッドは、その時得たデータを元に作れたレプリカなのさ。君のロッド荒神の形は科学により造られているが、それに千影ちゃんが二晩掛けて祈祷して魂を入れて出来上がる。ロッド自体も八百万の神の1つと言っても過言ではない。科学という名の魂の無い神に、魂を吹き込んで作っている。その依り代にする為には、人体の一部が必要な訳さ。仮の体にするんだからね」
「その魂ってのは? まさか異界の——」
「そう。神になる前の、神の元が閉じ込められている。異界の肉体無き生物だ。そういう物で無くては、神とは戦えないのさ。ダゴン用ロッドは、土地に閉じ込められた朽神を外に引きずり出す、現代の茅纒之矟(ちまきのほこ)なのだ。つー訳だから、君の毛が必用な訳さ」
「なるほど。分かりました! 毛でも血でも、好きなだけ抜いてください!」
「まあ、好きなだけは抜けないけど、死んじゃうから。毛と血でギリギリ足りるかな?」
じっと横で聞いてた山本が、突然神村の机から何かを取ると、険しい顔をして研究室から出て言った。
「どうしたっ!? 悠宇那?」
「あれ? どうしんたんすかね? 山本さん? なんか怒ってる? 何かしたかな?」
暫くすると山本が帰って来たが、その姿を見て大地達は驚く。
「どうしたんすか!? 山本さん!?? その頭!!」
山本の長い髪は耳のちょっと下辺りまで切られて、ショートカットになっていた。さっき机の上から持って行った物は、ハサミであった。
「私の髪も使って下さいっ!? これだけあれば余裕で新しいロッドは作れるでしょ! 2人で使うロッドにして下さい!」
「いやっ!? でも——」
「私今回の事で、過去の自分とちゃんと向き合おうと、あの事故の記事を全部読みました。私達の乗った車は、高速道路の高架下50mに落下した。私以外、家族は皆んな死にました。唯一生き残った私は、世間にこう言われた。——奇跡の子と。ママが私を幼女にしたのは、可哀想だからじゃなく、奇跡の子だったからじゃないですか? 何人かのDasser(ダサー)に会って聞きました。皆んな生まれた家が、神社だったり、なんらかの異能と呼ばれる能力を持っていた。Dasser(ダサー)には釣りが上手いだけの普通の人じゃ成れない!」
「——そうかもしれないけど、でも別に千景ちゃんは君を利用しようとしてた訳じゃ——」
「分かってる! だから、ママは私に過去を詳しく教えなかったし、ダゴンの事も、出会った時にこっそり教えてくれた知識だけ。私が嘘を言ってないって、慰める為に。幼女にする切っ掛けはどうあれ、私を愛してくれてたのは分かってます! でも、これは私の戦いでもある。あの茂山さんの技でダメで、大地くんの強運でもダメだった。でも、強運と奇跡に、未熟でも2人分の技術があれば出来るかもしれない! やらせて下さい!」
「困ったなぁ……。そもそも、2人で使えるロッドが出来るかどうかも——」と頭を掻く神村。
「俺からもお願いしますっ! 2人ならきっと、上手く行きますよ!」
「分かったよ。でも、髪を切る前に悠宇那は相談しろよ? 培養してあるお前の髪で良かったろ? もう1本ロッドを作れるくらいは残ってるんだから。千景ちゃんに怒られる」
こうして、2人用の特殊ロッドが造られる事になった。
神村は山本の髪を受け取り、伸びた大地の髪の毛をまた電動バリカンで刈った。
大地と山本は、帰宅の為に研究室を出た。廊下を歩きながら山本が言う。
「ありがとう大地くん」
「いや別に——。なんか、俺も山本さんの気持ち分かってたから、1人でやるのには引っ掛かってたっつうか——。なんで、2人出来る事になって良かったです! 全身ツルツルになるのも嫌だし。へへへ」と大地は頭を掻いて笑った。
「ふふふふ」山本もつられる様に笑った。
「それより髪の毛? 切らなくても良かったのに」
「ああ。髪はヘルメット被るのに邪魔だから、切ろうと思ってたから良いの。似合ってない?」
「いえいえっ! 超似合ってます! ローマの休日のオードリー・ヘップバーンみたいです!」
「……大地くんは、モノクロ映画が好きね? いつの人?」
大地が家に帰ると、夜勤に行っていると思っていた母親が、久々に台所に立っていた。
その周りには、兄弟達が付きまとうようにして手伝いをしていた。勉強ばかりしている海斗すら居る。母親が家にいる事が、皆んな嬉しいのだ。
「あれ? 母ちゃん、今日仕事は!?」
「今日は、丸一日休みよ? 前に言ってあったでしょ? 365日病院に居るわけじゃ無いわよ」
「そっか! 俺も手伝うよ?」
久々の家族全員での夕食が終わり、就寝のギリギリまで皆んな母親と居間に居た。就寝時間がやって来て家族団欒が終わり、大地はそれから風呂に入った。先に寝るチビ達が風呂に入るから、大地は基本最後になる。
大地が風呂から出ると、まだ母親は起きていた。
「母ちゃんまだ起きてるの?」
「うん」
「明日はまた病院だろ? 早く寝た方がいいよ?」
「うん、ありがとう。大地今日も山本さんと?」
「まあ、仕事じゃなかったけど、打ち合わせみたいなもん」
「バイト? 何やってるの? 結構な、お金貰ってるみたいだけど」
「——えっと。外来魚駆除だよ。テレビとかでも、やってるだろ? 外来生物の問題。一回断ったんだけど、話してる内に信用出来るなと思って。俺釣りくらいしか才能ないからさ。俺、天才だよ? 釣りに関しては」と大地は悪戯っぽく笑った。
「確かにウチの家系は火の車だけど、別に大地にお父さんの代わりみたいなのはして欲しくないの」
「いや、別に俺はさぁ——」大地は口籠る。
「大地には、まだ母さんの子供で居て欲しい。高校も行って欲しいし、もっと他の子みたいに遊んで欲しい」
「……。何言ってんだよ? 俺はずっと母さんの子供だぜ? 学校は自分で考えて決めるよ。それは俺の事だから」
「……。分かった。大地の事は信頼してる。あと、岩谷さんの所だけど——。オジサン亡くなってから行ってないの? こないだ奥さんに会って、顔が見たいって——」
「今、バイト始めたばかりだから、覚える事も多くて忙しいんだ。少し暇になったら行くよ。必ず行く」
「そう。行ってあげてね? きっと、1人で寂しいだろうから。じゃあ、母さんはもう寝るわね?」
「うん」
大地は1人になった居間で考えていた。
岩谷釣り具店には、心のどっかで行かなきゃと思っていたけど、なんとなく足が重くて遠ざかっていた。行か無ければ、岩谷のオッサンがもう居ない事を、突きつけられなくて済むから逃げていた。その自覚は、心にいつもあった。
なんかだか、そこに触れてしまうと、心がザワザワするのが面倒臭いと思っていた。山本さんが誘ってくれたから、ダゴン駆除という名目が出来て堂々とそれから逃げていられた。酷いと思う。オッサンみたいな人を出さない為に始めたのに——。
「行かなきゃなぁ。岩谷釣り具店にはオッサンだけじゃなく、オバサンも居るんだからな」
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