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「お兄ちゃん学校だよっ!」
一階から空の声がして、2段ベッドの上で大地は目覚めた。部屋は三男の太陽(6歳)と同室だ。下で寝ていた太陽は、もうとっくに集団登校で学校に向かっていた。次男の海斗は、亡くなった父の部屋を使い、1人部屋だ。それは、大地の決めた事だった。前は兄弟3人で、海斗は床に布団を敷いて、同じ部屋で寝て居たが、静かに勉強出来るだろうと、死んでからもずっとそのままだった父の部屋を片付けてそうした。
大地はまだ寝ぼけた頭で、昨日の事を思い出していた。
あの後、山本を待っていた車の中で、契約書にサインしてしまった。うーん。まあ良いか。ちょっと変わった魚釣るだけし。それに……。
「お兄ちゃーん! 起きてんのっ!」
「ああ。起きてるよっ! 今行くっ!」
大地は、取り敢えず空がうるさいので、学校に向かうことにする。
それから、4日過ぎた。
ママチャリを思い切り漕ぎ、夕方のスーパーのセールに向かう。
行くと言ったのに、岩谷釣具店にはあれから行けてない。葬式が終わると、岩谷のオッサンが死んだ実感が薄れた。行った葬式自体、夢の中の出来事のような気がする。だから、行けば、また実感せざるえなくなるから逃げていた。
山本からは、あれからなんの連絡も無い。あの時の事も、もしかして夢だったんじゃないか? と割と本気で思い始めた頃に電話が来た。山本とはスマホの番号とメアドとLINEのIDは交換していた。やはり夢ではなかったらしい。
「あの? もしもし?」
「大地くん? 今、平気?」
「これから、スーパーのセールなので手短にお願いします。ウチの家では死活問題なんで——」
「OK。じゃあ、明日の昼に迎えに行くわ。土曜だから学校も休みでしょ?」
「えっ? 家はマズイっす!?」
「そうね? じゃあ、1番近いJRの駅どこ?」
「赤羽駅っすけど?」
「じゅあ、赤羽駅に午前6時に待ってて」
「えっ!? 午前6時っ!? って、朝のですかっ!?」
「他に午前六時ってある? じゃあ」
「ちょっ!?」
電話は切れた。
「なんだよ。なんで休日にそんな朝早く起きなきゃ行けないんだよ!? 最悪だなぁ」
夕食後に『南改札口前で待ってて』とLINEで山本から連絡が来た。
翌日、釣りの練習と空に嘘を言って、朝一で家を出た。ママチャリで赤羽駅まで20分くらい掛かるので、朝5時には起きて用意して、30分には家を出た。何もない休日に、こんなに早く起きた事も無いし、釣りの練習なんかしか事無いから、絶対に怪しまれたろう。
自転車を時間制の駐輪場に停めてから、南改札口前で待っていると、黒塗りの車が停まった。
助手席の窓が開き、中から顔を出した山本が「乗って?」と言った。
後部座席のドアを開けて、お邪魔しますと恐る恐る中に入ると、車はどこかに向かい動き出す。
「てっきり、山本さんが来るんだと? あははは」
「来たじゃ無い?」
「まあそうですけど……。」
また運転手付きの車で来るとは思ってなかった。会って、どっかのファミレスとかでまずは説明とか受けるだけだと思っていた。
「大会と同じ、赤いジャージ着てくれてたから、直ぐに分かったわ。悪いわね? 休日なのに気を使わせちゃって。それ、お気に入りなの?」
「いや、貧乏で服がこれしか無いんす。学校指定のジャージっす」
「……。」悲痛で山本に返す言葉が無かった。
「あの? これからどこへ?」
「本社よ? 埼玉と長野の間辺りに在るわ」
「長野!」
「大丈夫よ。夕方までには帰れるから。スーパーのセールにも間に合うわ。その為に、こんな早くに来てもらったんだし」
「はぁ……。」不安しかないが、まあ契約しちゃったし仕方ない。なる様になれだっ! と大地は、まな板の上の鯉の様に諦めた。
それから3時間以上車で走った。さらに人家のまるで無い山道を1時間登り、本社の在る場所に着いた。
さあ降りて? と山本に言われて、車を降りる。
「此処はっ!?」
「だからアーカムの本社。言ったでしょ? あなたが契約した会社よ?」
本社と言うが切り立った高い山を背にして、5階建の古いビルがあるだけだった。
「いやでも、これ廃墟じゃ……?」
「外観はね。元々、秩父の鉱山会社の1つだったのよ。廃坑後に、ほったらかしだったのを丸ごとウチで買い取ったの。前は港区に本社が在ったけど、そっちを東京支社にして、此処を研究所兼本社にしたのよ。本社と言ってるけど、ほぼ研究がメインで営業は東京支社って感じね。まあ見た目は廃屋みたいでも、中は綺麗よ? 外観は、別に来客ある訳でもない無いからね。あんまり力入れてないわ」
「……はぁ」と大地は返事をしたものの、全く事情は飲み込めていない。
中に入ると、確かに外と違い中はちゃんとしていた。壁や床は新しい物になっている。研究メインと言ってたけど、此処には何があるのだろう? 思わず足が別方向に動く。
「勝手に好き勝手行かないで? これから、大事な事があるんだから?」
「ああ、すいません」
大地はある部屋に案内される。
そこは、資料が雑然と机に積まれた、研究室の様な場所であった。そこまで広くはない。此処は研究がメインと言っていたから、数ある研究室の一つであろう。白衣で無精髭を生やした中年の男が、入り口から見て、真正面のデスクに、1人座って大地を待っていた。
男は立ち上がり、大地の側まで出て来ると自己紹介する。
「君が期待のルーキー君か? 俺は此処の開発室長の神村だ。アーカムで使われる、あらゆる機材の設計開発を仕切ってる」
男は側に来ると、ガッチリした体の上に、かなりの長身だった。172㎝の大地がはるかに見上げる位だから、185cmは余裕でありそうだ。ニコニコしているだけで、何もされていないが、何か威圧される。
「えっと、俺は——」大地が自己紹介しようとしたが
「ああ、自己紹介は面倒だから良いよ。大体知ってる。悠宇那に聞いている。あんま時間無いから、とっととやっちまおう? 君の家まで、また送って行かないといけないからね?」
「ゆっ悠宇那? あの? ……一体、何をするんですか?」
「これから、あなたの釣竿を作るのよ?」山本が言った。
「え?」
「ダゴンを釣り上げるには、専用のロッドとラインが要るの。あなた用のね」
「はあ、なるほど」
「じゃ、これ」と神村はいつの間にかに持っていたバリカンを大地に渡す。
「へ? そんなのいつの間に!?」
「ポケットに入れてあったのさ。君、そんなに髪長く無いから、丸ボーズかな?」
「なんで、釣竿作るのに、ボーズにするんすかっ!」
「作るのにね、髪の毛がいるのよ。私も作る時に大分切ったわ」
「今、長いじゃ無いですか?」
「こいつは去年髪を切って、それでロッドを作って、残りは培養して増やしてあるから、もう切る必要はないんだ。ロッドのベース自体は普通のカーボン繊維なんだけど、それにDasser(ダサー)の髪を混ぜるんだ。まあそのまま使うんじゃなく、炭化させてか他の材料と混ぜて繊維にして、ブランクスの上に補強用に巻くカーボンテープに混ぜるんだけどね。感度が良くなるのさ。他にダゴン用の釣糸も作る。君は釣糸までは直ぐに出来ないから、汎用の物を用意してあげるよ。汎用の物には、再生医療の技術を利用して作った人造の人毛が使われてる。培養した他人の髪から作った物だと、拒絶反応があるからね。少し感度が鈍るけど、まあ当分は小物相手だろうから大丈夫だろう。大きくて、スレたのになるとまた別だけどね」
「あの?」
「なんだい?」
「Dasserってなんですか?」
「ああ、我々が作った造語だ。ダゴンを釣る人って意味さ。語源はブラックバスを専門に釣る釣り人を指すBasserだよ。釣りのタイプが、ブラックバスとダゴンは似てる部分が多いのさ。ちなみにBasser(バサー)は和製英語で語源も良く分からないから、Dasser(ダサー)についても深く考えず、ダゴンを専門に釣ってる人の事だと思えば良い」
「はあ。なんかダサいっすね? Dasser(ダサー)って呼び方……。」
「まあ、ダサさなんて直ぐに慣れるさ。ロッドは1週間くらいで出来るよ」
「あの?」
「なに?」
「髪切るだけなら、別に此処まで来なくとも?」
「今回は入社式みたいなもんさ。君は期待のルーキーだから、実際この目で見ておきたかった。すぐに帰る必要も無いだろうから、髪切ったら、施設内を優那に案内して貰うといい」
「……あの?」
「まだ、なんかあるのかい?」
大地は言い辛そうに言う。
「神村さんは良い人そうだし、山本さんも優しいのになんで反社なんですか?」
「え? ハンシャって反社会的組織の反社?」
「はい。だって秘密を知ったら、死ぬか仲間になるかなんて、まともじゃないですよね?」
「悠宇那が言ったの?」
悠宇那? 一瞬戸惑うが、あっそうか山本さんの名前か! さっき、そう呼ばれていた気がするな? と大地は理解し「はい」と質問に答える。
山本は目を伏せた。
「ははははははは——っ!」神村は腹を抱えて笑いだす。
「なっ、なんですか!? いきなり!」
「君、悠宇那に担がれたな?」
「え?」
「ウチは土地の調査会社だよ? 正式名称はアーカム土地調査株式会社さ。まあ、確かに実際はダゴンを駆除してるけど、表向きは土地の調査してるだけさ。国からも、仕事を依頼されるちゃんとした会社だよ。ダゴンが居ると、工事中に事故を誘発されたりもするからね。高速道路造ったりとかさ、めちゃくちゃな資金をつぎ込んで用意しても、工事が出来ないと話にならないだろ? そういう時に、俺たちの出番だ。立派な仕事だよ?」
「……え。騙されたんすか俺?」
「だって、君がその目で見た事を、言って誰が信じる? もし君が動画に撮ってあったって、ウチの会社が宣伝用に作ったフェイク動画だと言った方が社会は信じるだろ? 君を殺す必要なんかない。言った所で誰もダゴンの存在なんて信じないよ?」
「……。」
「まあさ、少し施設の中でも見学しながら、考えなよ? 確かに優那が嘘言ったのはこっちの過失だから、君がどうしてもって言うなら、契約を破棄するよ。ウチは悪徳じゃないからね?」
山本に案内されて、ビルの中を一回りしたが、引っ越したてな所為もあり、研究室以外はまだほとんどが空室状態か荷物が積まれたままの状態だった。
外の景色の見渡せる最上階の休憩室に移って、備え付けられたコーヒーサーバーから紙コップでコーヒーを貰い、窓際のテーブル席に着く。
玄関の反対側の広い敷地には、水の流れ込んでいる大きな池があり、何の物か分からない小さな建物が点在していた。その奥には高い山があり、深い森が広がっていた。
「辞めたい? 辞めても良いわよ? 確かに、嘘ついた私が悪い」
「どうして、山本さんは俺を必要としたんですか?」
「言ったでしょ? 君の釣りの腕が必要だったのよ。人を救える腕を持ってる」
「あの?」
「何?」
「最初に山本さんがウチに来た時に、契約を受けてれば、俺は岩谷のオッサン救えましたか?」
「え?」
「あの橋桁の事故で死んだ人です。俺の恩人で、釣りの師匠でした」
「別にあなたの罪の意識を軽くさせる為じゃないけど、無理だったわ。何か予兆があって分かってたら、私がとっくにダゴンを駆除してた。予兆がある場合もあるけど、被害が起きてからって場合も多いの、岩谷さんみたいに。人を救えるって言ったけど、全部を救う事は、今の段階だと無理。起きる可能性のある被害を最小限に抑えるのが、今の私達に出来る事かな?」
「そうすか——。俺、辞めないっす! もう岩谷のオッサンみたいな人を、出したく無いから、俺ダゴンを駆除します!」
「……ありがとう。よろしく」と山本が差し出す手を、大地は握り返した。これで契約完全成立である。
「でも、あんな小さいの1匹で、岩谷のオッサンの命を奪ったなんて」
「ダゴン自体が攻撃しなくとも、存在自体が事故や事件を引き寄せるからね」
「所で契約金なんですけど?」
「?」
「スカウトしに来た時の?」
「ああ、あれはもう無いわよ? あなた断ったでしょ? 私がめっちゃ推薦して、上に頼み込んであのお金を用意したの。普通は、あんな大金を積んでスカウトなんて無いわよ?
でも、私が間違ってた。あなたを見くびってたわ。お金に困ってるから、お金でなびくと思ったの。私が思ってるより、立派な人だったわね。ごめんなさいね。だからもう、お金は無いのよ?」
「……そんな。」
「安心して、採用されたら、大卒の公務員の初任給くらいは月に出るから、そこから徐々に成果で給料も上がってく。そして、ダゴン1匹駆除する度に手当も出るわ」
「ちなみに。前に山本さんが駆除したのはいくらですか?」
「まあ、あのサイズなら、3千円位ね?」
「3千円……。」
「……。(1万円とかウソ言えば良かったかしら?)」
「マジすか! 釣りするだけで、3千円も貰えんすかっ!! 10匹駆除したら、3万じゃ無いすかっ! 俺、頑張りますっ!! 10匹なんて俺なら秒ですよ!!」
「そうね。がんばりましょう!」
基本給で20万位貰えんだけどな?中学生に大卒の公務員の初任給とか言っても、ピンと来なかったのかな? と山本は思ったが、一々説明すんのが面倒なので省いた。そして、基本1箇所に1匹しかいないので、そんなに一気に、沢山は駆除は出来ないのだった。ただ、大きさによって大分報酬は変わる。50cmを越えれば1匹10万円を超える。そこからcm刻みで大きく金額は変わり、1mを超えるとさらにうんと上がるのだが、その話はもう少し先にしようと思った。小さいのは割とコンスタントに狙えるが、大きいのはそんなに簡単には釣れない。m超えなんてDasserでも数年に1匹釣れれば良い。変に期待を持たせると、モチベーションを下げかねない。3千円で喜んでいるなら、当分は教えない方が良いだろう。
「そう言えば、山本さんて、悠宇那さんって言うんですね! これからは悠宇那さんで良いですか!」
「ダメよ。山本さんでお願いね?」
「ええー、どうしてですかぁ?」
「遊び友達じゃなくて、仕事仲間だからよ」
「……。分かりました。山本さん」
研究室に戻ると、自分のデスクに着いて待っていた神村に「どうする事にした?」と聞かれた。
「俺やります!」
「オッケイ! ——で、ロッドの色とか、スレッドの色は、君の好きに出来るよ?」
「ロッドは分かるけど、スレッドって? なんすか?」
「ガイドは分かるかい? 釣糸が通る輪っか。そのガイドを止めてる糸がスレッド」
「じゃあ。スレッドはガツンとした濃い黄色で! ロッドの色はメタリックブルー!」
「なかなか、ハードな色指定だな……? 赤じゃ無いんだね? 赤が好きなのかと思ってたよ」と大地の赤いジャージを見て言う。
「これは家が貧乏だから、服が無いので来てるだけで、好きな色はメタリックブルーです! メタリックブルーに合う色は黄色です!」
「オッケイ……。了解した。」
その後、赤羽駅までまた送って貰い、ママチャリを停めてある駐輪所に行くと、クソ程駐車料金を取られた。此間、岩谷のオッサンにロッドを買って貰った金が全部消えた。いつもは2時間までは無料なので、そのつもりでいてしくじった。まさか朝6時に出て、丸一日潰れるとは思っていなかった。
家に帰ると、空にボーズ頭の事をメチャクチャ驚かれたけど、気分転換と適当に流した。
——それから1週間過ぎ、また山本に連れられてアーカム本社に向かった。
今度は家にママチャリを家に置いて来たから、1時間以上歩く事になった。そのおかげで、行きは車の中で爆睡だった。
アーカム本社に着くと「おっ来たな! 出来てるよ? ほらこれ」と神村に、ダゴン用ロッドを早速渡された。
「おおっ! 色も指定通りバッチリで、カッコイイっす! けど、割と普通の釣竿ですね。まあ、高そうではあるけど」
「そりゃ材質が違うだけで、基本、見た目は普通のルアーロッドだよ。君、悠宇那が釣ってる時に、ロッド見たんじゃ無いの?」
「ああ、そう言えば——」大地は確かに普通のロッドだったな。と思い出す。
「長さは6フィート10インチ。センチに直すと約2・1m弱で、持ち運び易いように2本繋ぎ。釣りを知ってる人が見たら、MH(ミディアムヘビー)クラスのバスロッドって思うだろうね。まあダゴンの性質はブラックバスに近いから、似てくるのは必然なのかもしれないけど。好奇心旺盛で攻撃性が強い」
「なるほど」
「出来たロッドに名前付けなよ? 君の分身だからね。名前が無いとダメだろ? 最後の仕上げに、ロッドに書いてあげるよ?」
「え? 山本さんのロッドも名前あるんですか?」
「あるわ。なぶら」
「なぶらって、どういう意味ですか?」
「魚の群の事を、魚群 《ナブラ》って言うのよ。水面に追われた魚の群が跳ねてるのを、ナブラが立つとか言うわ」
「どうして、その名前にしたんですか? 大漁祈願?」
「別に意味なんか無いわ。音の響きが好きだから」
「なるほど! 感性ですね! なんか天才肌ですね!」
「君に言われると、嫌味にしか聞こえないわ」
「いやいや、そんな事無いっすよ! じゃあ俺は、漢字で、荒ぶるの荒に、神って書いてください。生まれ育った荒川の荒と、神様の神です。荒川の神様って意味です!」
「ほう、荒神かぁ」
「こうじん? 荒神ですよ?」
「荒神って書いて、荒神て読むんだよ」
「荒川の神様に、名前なんてあったんですねっ!?」
「違うよ。荒神って神様は、火や土地の神様の事さ。いんじゃない? 超良い名だと思うよ。荒神」
そういう訳で、ロッドの名前は荒神に決まった。
「名前は後で書くとして、これがリール。基本、2500番位のサイズのスピニングリールだけど、ギアの耐久性とかは、市販の物とは段違い(だんち)だよ。フェイルノートって名が当てられてる」
「あれ? 山本さんのと違う?」
「君もベイトリールが良かった? ベイトリール使った事ある?」
「これと同じのしか無いです」
「使った事があるのは、スピニングだけって事だね。じゃあ、最初はスピニングの方が良いよ。どうせ、まだそんなに大きなダゴンを駆除する事はないと思うし」
「ええっ!? 俺も山本さんみたいなのが良かったっす!」
「でも、ロッドもスピニング用で作っちゃったから、最低でもガイドは全部変えないとダメだろうし。グリップもベイト用に変えないといけない。また1週間は掛るよ? 今日には渡せなくなるよ? それに、使った事無いなら——」
山本が2人の間に口を挟む。
「いいわ。(大地くん)ちょっと、来て。神村さん、練習場借ります。あとキャスティング練習用のベイトロッド借ります」
「ああ、適当に使えよ」
神村に借りたロッドを持った山本に着いて、入って来た玄関側の裏側の出入り口から、外に向かう。。最上階の休憩室から見えた、広い敷地の中を奥に進む。積まれたままの鉱石の山や、前に休憩室の在る上からでは見えなかった、山の側面に掘られた深いトンネルが木々の合間に見える。此処が鉱山跡だったのが確かに分かる。きっと、人はまた鉱山として、此処を再稼働するつもりであったのだろう。だが、時代がそれを望まなかった。
暫く敷地内を歩くと——。
「此処は?」
大きな池に着いた。前に此処は休憩室から見たが、何をする所なのか分からなかった。ただ放置された池という感じでは無い。歩き易い様に池の周りに砂利が撒かれたり、草なども刈られて、ちゃんと整備されている。そして、側の建物には、何やら良く分からない大きな装置も置かれていた。黒い長方形の、まるで前にテレビで見たスーパーコンピューターのタワーの1つの様だった。
「昔、鉱石を掘った跡の穴よ。地下水が溜まって、今は大きな池みたいになってるわ。ロッドのテストとかキャスティングの練習なんかに使ってる。此処で、これを投げてみて?」
山本は借りて来たベイトロッドを大地に渡した。それには勿論横巻き式(ベイト)リールが付いている。
「これ、山本さんと同じタイプ(ヤツ)ですね!」
「これは汎用の、普通のバス用のベイトロッドよ」
「ダゴン用じゃないんですか?」
「キャスティングの練習用なら、どっち使おうが同じよ。取り敢えず、そこのクラッチレバーを押すと、糸巻き(スプール)がフリーになって、ルアーを投げられるわ?」
「こうすっか!」
「あっ!? ちょっと——」
山本の説明もちゃんと聞かずに、大地はロッドを思いっきり振るが、
「わぁっ!? あれれっ!!?」
糸巻きに巻かれたラインが絡まって、大変な事になる。
「はい! それが、バッククラッシュ。分かった? ベイトリールはスピニングリールより、パワーがある。だから重いルアーも使える。感度も良い。でも、扱いが難しいの。君は釣りは天才的だけど、技術も知識も全然みたいだから、当分は使い慣れたスピニングリールね。最初はそんなに大きなダゴンの駆除には当たらないし、まあ大きなダゴン相手でも余程のバケモノサイズじゃ無い限り、スピニングでも別に問題は無いから、ベイトリールは練習して使いこなせるようになってからね。ダゴン用ロッドは量産出来ないから、基本スペアは持って行けない。一々バッククラッシュして、それを直してたら仕事にならないでしょ?」
「……分かりました。」
研究室に帰ると
「はい。名前書いて置いたぞ。保護塗料上から塗ってあるから、簡単に禿げる事は無いけど、まだ乾きたてだから名前の部分はあまり触るなよ?」
リールの装着されたmy ロッド『荒神』を渡される。グリップの少し上に、白地で書かれていた。
「うひょー!! やったっ! 」
「じゃあ、もう一度行きましょ?」
「どこへっすか?」
「さっきのテスト池」
——また池に移動する。
今度は山本も自分のロッドを出して来る。山本のベイトロッドはパールホワイトにメタリックパープルのスレッドが巻かれていた。
見ると、確かに崩した自体の平仮名で、荒神と同じ位置に、金で『なぶら』と書かれていた。
「ほんとだ。なぶらって書いてありますね!」
「さあ、君のロッドも出来たから、ちょっと練習しましょう」
「キャステングの練習っすか? スピニングリールは問題無いっすよ?」
「違うわ。ダゴンフィッシングの基本を教える。まず、これをラインの先に結んで?」
と山本は小さなプラケースを大地に渡した。
大地がケースを開けると
「あれこれって、荒川で山本さんが使ってた?」
5体の同じ人形が並んでいた。上下の赤い服を着ていて、なんとなく自分に似ている気がした。
「君の擬人餌よ。通称、擬人餌」
「擬人餌? これって、俺に似て——?」
「そうよ。君に模して作られてるわ。私のは私に模して」と山本はポケットから、自分の擬人餌を1つ出した。髪の長い、女の子の人形だ。山本の擬人餌も、山本に似ている。
「あっ!? ほんとだ。山本さんですね。可愛いっ!」
「ロッドと同じに、君の擬人餌には、君の髪から生成された繊維が入ってる。本当はラインにも、君の髪の毛から生成された繊維を織り込むんだけど、今は髪の毛が足りないから汎用のライン。ラインは、基本的にはアラミド繊維で出来てる。アラミド繊維は熱、摩耗、切断にめちゃくちゃ強い繊維よ。防火服や、防弾チョッキにも使われてるわ。ADラインて言うのよ。アラミド繊維のAとダゴンのDよ。」
「でも、なんで髪の毛がいるんですか?」
「本当は髪の毛で無くとも良いんだけど、加工するのに1番ベストだったのが髪の毛ってだけ。君の一部なら本当は何でも良いのよ」
「——?」
「君の一部を入れるのは、同調律を上げて感度を上げるためよ?」
「感度?」
「釣り——、特にバスフィッシングには感度が重要なの。自分のラインを持ってみて?」
「こうですか?」
「私がラインの先を持つから、弾いた時、弛んでる時と張ってる時、どっちがより分かるかやってみて?」
「はい。」
山本は、大地の持ったラインの先を持つて、弛ませた時と張った時で、弾いてみる。
「どう?」
「張ってる時です」
「大まかに言うと釣りに置いて感度ってのは、そういう事。ラインやロッドを通して、水中の様子を探る。バスロッドをより硬質の物にするのも、そんな理由から。柔らかいと小さな振動はボヤけちゃうでしょ? まあでも、ただ硬くしても、釣れた魚を弾いちゃうんだけどね。そこは難しい所ね」
「なるほど。感度については分かりました! つまり髪の毛を入れると、硬くなるんですか?」
「違うわ。ダゴンフィッシングの感度については、感度の意味はそうなんだけど、仕組みが全然違うの。硬さは関係無いの」
「?」大地は何を言っているんだか、ちんぷんかんぷんだった。
「まあとにかく、ラインに結んだ擬人餌を池に向かって投げてみて? 説明するより実感した方が早いから」
「ああ、はい!?」
「あっ、ちょっと待って。今スイッチ入れるから」
「スイッチ?」
山本はポケットから、小さなリモコンみたいな物を出してスイッチを押した。池の側にある建物の中の装置が、ブーンと振動する様な音を上げて起動し出す。何か起きるのかと思ったが、特に何か変わったような事も無かった。池は池のままだった。
「良いわよ? 投げて」
「あっ、はい!?」
擬人餌を投げて、水面に落ちた次の瞬間——!?
えっ!? 何だこれ!?
いきなり目の前が、水中に変わる。上を見上げると、水面越しに歪んだ太陽が見えた。勢い余って池の中に落ちたのか? いや落ちたなんて感じじゃ無い。そもそも、落ちた記憶がない。かなり深い所に、瞬間移動したみたいだ。さっきまで池の淵に居たのに!? しかも、あの太陽なんかデカイぞっ!? ——んっ!? 今度は、なんだっ!? 正面から何かが突っ込んでくる。魚だ! かなり大きい、シャチ位ある。ええっ!? おいっ!
——そして、その顔は、荒川で山本が釣って見せたダゴンそのものであった。
ダゴンは大きく口を開き、大地の体に噛み付いた。痛っ!? ——くは、無いっ!?
でも、どうすんだよ、これっ!? 俺、このままじゃ喰われちまうぞっ!
「——そこで、引き上げてっ!!」
そう耳元で山本の叫び声がして、肩を強く揺すられた。
——えっ!?
気付くと、さっき居た池の淵に、荒神を持ったまま立っていた。
「早くリールを巻いてっ!」という山本の言葉で、大地は思い切りリールを巻く。荒神が大きくしなる。知らぬ間に魚が掛かっていた。
上がって来た魚を見て大地は驚く。
「これって!? ——さっき見たダゴンっ!? でも、凄く小さい!??」
「よし! 釣れたわ。これがダゴンフィッシングよっ! ——早く逃がさないと死んじゃうから」と山本はダゴンを擬人餌から外して池に放した。異空間に住むダゴンは、こっち側の空間では長くは生きられない。
「えっ!? ちょっと分かんないです! 俺、さっきまで水中に居たのに——!?」
「これがダゴンフィッシングで言う感度よ。神村さんも言ってたでしょ? 分身だって。君の体の一部を入れる事で、ロッド、ライン、ルアーが君の体の一部になる」
「つまり擬人餌が水中で見てたのが、俺にも見えてるんですか?」
「見れるだけじゃ無く、慣れれば動いてダゴンを誘う事もできるわ」
「へぇー!? ドローンルアーみたいなもんかっ!?」
「そうね。まぁそんな所ね」
「でも、今は全然擬人餌からの景色見えませんね?」
「擬人餌を操れるのは、異空間の中だけよ。理由は良く分からないけど」
「そうなんすね?」
「ちなみに、疑似餌(ルアー)は、大体が対象魚の捕食してる餌に似せている。擬人餌(マンルーベイト)は、人に似せて作ってある。マンとルアーの造語よ。ベイトは餌って意味」
「それって、ダゴンが人を食べるって事ですか?」
「今までダゴンに、人が捕食されたと明確に分かる事案はないわ。ブラックバスや鮎なんかは、好奇心やテリトリーを犯す相手への敵対心で、ルアーを追う場合もあるから、何も捕食が理由という訳じゃない。捕食が理由で無くとも、ダゴンが人に興味を示す何かがあるのは確かだと思うわ。まあ食べないとは断言出来ないけどね」
「……ひぇぇ。人を食べるかも知れねえのかよ?」
「擬人餌の使い方は、少し気を付けなきゃいけない事がある——」
「気を付けないといけない事?」
「それは、後々また実戦で教えるわ。感度みたいに、口で説明するより、その方が早いから」
「はぁ……。分かりました。」
「ちなみに今ので、本契約決定ね?」
「え!?」
「ダゴンは自分のロッドじゃなきゃ、釣れないからロッド出来るまで、その人がDasserに成れるか分からないの。普通は、良くてダゴンを、擬人餌を通して見れる位なんだけどね? ダメな人は訓練して、それでもダメだと不採用になる。飼い馴らされてるダゴンとは言え、やっぱ君は凄いわ」
「はぁ? ありがとうございます。この池は? さっきなんのスイッチ入れたんですか?」
「練習用に、捕獲した小型のダゴンを此処で飼ってるのよ。これも説明がややこしいんだけど、本当の池と重なる形で、擬似的に作られた異空間が存在してるの。その異空間でダゴンを飼ってる。さっきのスイッチで普通の池と、異空間の池が入れ替わる。まあ、実際には入れ替わるという訳じゃ無いんだけど、重なる、そんな感じかな?」
「なるほど?」
「理解できたの?」
「いいえ。ちんぷんかんぷんっす!」
「……まあいいわ。——ねえ?」
「なんすか?」
「亡くなった岩谷さんは、あなたの釣りの師匠だったの?」
「師匠って言うか、なんなんすかね? 親父が死んだ時、毎日ずっと荒川の岸辺に行って、座って水面を見てたんすよ? 何もする気が起きなくて、これからどうなっちまうんだろう? って思ってた時に、釣り船の上から声を掛けてくれて、釣りに連れて行ってくれた。毎日居るから、気に掛けてくれてたんだと思います。それからの付き合いでした。釣りを教えてくれて、用も無いのに良く店に行ってた。オバちゃんがご飯作ってくれたり、釣り船の準備も手伝ったりしてた。とにかく、一緒に居て楽しかった。俺が大会の賞品で取ったロッドも買い取ってくれて、しかもそれを店で売った金も、俺の為に貯金してくれてて、感謝しても仕切れない人です」
「良い人だったのね。本当に残念だったわね」
「はい。だから、もう岩谷のオッサンみたいな人は、絶対に出さないっす!」
研究室に帰ると、神村はノートパソコンを開き、新しいADラインのシミュレーションをしていた。
「説明、終わった?」
「はい。——あっ!? そうだ。私の次の昇級試験なんですけど? 私の社員番号って分かります? 社員証無くしちゃって。東京支社行くのも虹彩認証になったから、別に困らなかったんで、まだ再発行して無くて」
「ええっ!? 無くしちゃダメだよ!」
「無くしたって言っても、家でどこにあるか分からなくなっただけなんで、探しておきます」
「ちゃんと探してよぉ? 社員番号調べるの、アーカムのデータベースにアクセスしないといけないから面倒臭いなぁ、もう」
神村はアーカムのデータベースに、パスワードを打ち込みアクセスする。
その時、山本の目は、神村の斜め後ろのキャビネットを見ていた。
「2448121だよ。メモした方が良いんじゃ無い?」
「はい。ちゃんとスマホのメモ帳に書いて置きます」と山本はスマホを出しメモした。
「次、もうB級だっけ? 1年でそこまで行くのは凄いよ。100年に一度の逸材だね?」
「アーカムが創立してから、まだ20年も経って無いですよ?」山本は笑った。
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