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早めに店を閉め、とりあえず気分が落ち着くだろうとお茶を入れる。いつもならルークがしてくれるが、今日は見よう見真似で俺がやってみる。 ええと、ポットはここで、茶葉は確か棚にあったはず。薬缶に水を入れて沸騰させて、それから、何をしていたっけ。 「アスラン、僕がするよ」 「いい。そんな真っ青な顔でフラフラするな」 「うん……ありがとう、心配してくれて」 「別に……」 心配なんかしていない。居心地が悪いだろう、さすがに。明らかに気落ちしている人間にお茶を入れろ、だなんて。そこまで俺も酷い人間じゃない。 それに、これくらい俺にだって出来るんだ。店の会計が出来るようになったように。俺だって、少しずつこの生活に慣れてきている。 「変な感じ。アスランがキッチンに居るって」 「馬鹿にしているのか?」 「ううん。嬉しい」 「そうかよ」 ガラス瓶に詰められているドライハーブを適当にポットに入れていく。ルークがいつもブレンドして入れてくれる。食後はミントをよく入れていて、眠る前はカモミールやラベンダーが多い。 今は気持ちを落ち着かせたいだろうから、香り高いジャスミンにした。沸騰したお湯を注ぐと、まるで花畑にいるかのように甘い香りが広がってきた。 「ほら。熱いから気をつけろよ」 「ありがとう。いい香りがする」 「それで……発情期が来ない、というのは?」 「……うん」 お茶を一口飲んだルークが、ため息と一緒にぽつりぽつりと話し始めた。 「外的要因だと医者には言われたんだ。ひどく大きなショックのせいで、本能的に体が拒絶しているらしい」 「ショックって、まさか」 「目の前で、家族が殺された。それが原因だろうって」 「……そうか」 ルークの家族は、オメガを憎む人間に襲われ殺された。ルークと同じくオメガだった姉が狙われ、彼女を守ろうとした両親も巻き込まれた。 オメガは、確かにフェロモンで他者を惑わす。しかしそこに悪意はない。俺たちアルファもオメガを不本意に傷つけないよう薬を飲んで対処している。しかし、それでもオメガへの偏見は消えない。卑しい性だと決めつけて攻撃しようとする人も少なからずいる。 そんな偏見に、ルークの家族は殺されたのだ。何も抵抗できず、何も言えず、殴り殺された。そしてルークは彼らを助けるために俺の実家に駆け込んで来たのだ。 「アスランのお父様が助けてくれたから、僕だけは生き延びられた。感謝してるんだ」 「……甘いな、お前も」 「言うと思った。まあ、店を続けたかったら結婚しろって言われた時はさすがに驚いたけど」 それでも、とルークは笑った。 「こんな出来損ないのオメガが生き延びるにはそれしかなかったんだ。運命の番とか言われても僕には発情期が訪れない。だから貴方と本当に運命なのかは分からない。それでも僕は、貴方と一緒に過ごす日々は愛おしいと思う。それは揺るがない事実なんだ」 その言葉に息が詰まった。俺はルークに何もしてやっていない。たかだか下手くそなお茶を入れてやるくらいだ。それなのに、ルークは愛おしいと言う。 無理やり「運命」という言葉で縛られたこの関係を、受け入れている。それはつまり、アルファでもない、地主の息子でもない、ただ一人の「アスラン」という俺を受け入れてくれているということだ。 そんなこと、初めてだった。ただ一人の人間だった。俺を、俺として見てくれたのは。 「ルーク、お前は」 「ん?」 なんて眩しいんだろう。目の前にいるこの男は。絶望の淵にいたのに、こうして笑っている 前を向いている。現実を受け入れ、未来を見つめている。 俺には眩しすぎる。それでも目をそらすことが出来ない。俺は、お前が。 「お前は、その……何のお茶が好きなんだ」 「え、お茶?」 「そうだ。たまになら俺が入れてやる。下手くそでもいいなら」 そう言うと、一瞬キョトンとしたルークがふわりと笑い、目を潤ませながら「僕もアールグレイが好きだよ」と言った。まるでそこに一輪の花が咲いたかのように。 俺たちの間にはジャスミンの甘い香りが漂っていた。
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