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夏の章 紅いハイビスカス 『サマーインサマー』
一、 初めてのバイト
「これがヨットハーバーかあ」
隆男は、海風を感じてつぶやいた。快晴の海に浮かぶ、ヨットが作る白い世界。初めて感じる開放感だった。
ヨットハーバーのイメージは持っていたが、潮の香りのするこの場所を訪れたのは初めてだ。大戸ヨットハーバー快晴の昼下がり。ここは、大規模型ヨットハーバーで、大小500隻のヨットが収納できる。ディンギー(小型のヨット)の格納庫やヨット(クルージングヨット)用の浮桟橋も完備している。
湾内に長い浮桟橋が、3本あり、いずれも大小の係留されたヨットのマストの先が、さざ波にゆらゆらと揺れている。揺れるたびに、セール(帆)を上げるワイヤーがマストに当たって、カランカランと金属音が心地よく響いていた。陸地の方を見ると、スロープ(小型のヨットを陸上から水中に浮かべるための傾斜)で男が二人、小さなヨットを海面に浮かべようとしていた。幾分風があるのだろう、白いセールがバサバサと揺れている。
浮桟橋でも、ヨットを整備している人がちらほら見える。それを見ながら、施設の管理事務所であるヨットハウスに隆男は、足を向けた。
この夏、船迫隆男はこのヨットハウスで、アルバイトをすることになった。ゼミを共にする友人から紹介されたアルバイト。大学のヨット部に所属するその友人が、本来ここでするバイトであったが、急性の虫垂炎で手術することになり、急遽友人である隆男にお鉢が回って来た。
隆男の業務は、大戸ヨットハーバーのヨットハウス内にあるショップの店員として、各種ヨットの関連商品を販売することだった。
友人から、手術入院前日に、
「ヨットハーバー内の施設だから、そうそうお客が来るわけでもなし、楽勝バイトだぜ。しかも交通費プラス昼飯つきで、バイト代もいいときてる。本来なら俺がやりたいところだが、盲腸になっちまってよ。痛えんだこれが。でもよ、隆男だから紹介するんだぜ。お前さあ、部活もやってないし、どうせまだ帰省とかしないんだろ? ハーバーの方には俺から、前もって信頼できる人間だからと言っとくから」
とスマホで連絡があった。
「いや、僕はヨットのヨの字も知らないし。できるかな」
「まあ、コンビニの店員みたいなもんだ、やってみれば案外できるもんだって」
「そっか、じゃあ考えてみるよ」
隆男は、答えた。
確かに夏休みとはいえ、盆の帰省はまだ先だ。
『バイトは引き受けた。ゆっくり養生しろよ』
隆男は、友人が手術を終えた二日後にメールで返事をした。
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