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東京から地方の高校へ転校して八か月が経つ。転校先は県内随一の進学率と抜群の偏差値を誇る公立のF高校だ。在校数は約千名、部活動や同好会も体育系、文科系ともに活発にされている。吹奏楽部もレベルが高くコンクールでの金賞獲得常連校であるが、亮はやはりここでも入部をしなかった。目指すはやはり父親であり、一流の菓子職人である。亮は父の経営するパティスリーでアルバイトとして働きながら、毎日修練を積んでいる。とはいえ学業優先、成績下がれば出勤停止、勤務時間は学校の部活動と同じ夜七時までを厳守とする条件は、東京にいた頃とさほど変わらない。亮は祖父の家へ鞄を置いて、私服に着替えて自転車に跨る。自宅から川沿いへ走ったすぐ先に店はある。
Jardin d'iris(ジャルダン・ディリス)――父の作った新しいパティスリーだ。
日本語でいうと菖蒲の庭。淡い紫色をした花弁がスカートのフリルのように華やかで、亡くなった祖母が好んだ花だ。パティスリーを建てる前――祖父の定食屋だった頃、店先に菖蒲を何本か植えていたらしい。建て替えの際に花はなくなり、代わってミニバラの植木や黄色やピンクの小花たちが店の庭に彩りを添えている。
店のコンセプトもまるっと変えた。主なターゲットは家族連れ、板張りの壁にツタのリース、陶器や雑貨小物、グリーンを散りばめて、ヨーロッパの片田舎を連想させるような可愛らしい内装となっている。奥には店のシンボルともいえる、黒の薪ストーブがでんと構えていて、そろそろ暖のお世話になる時期だ。バルカロールのシックな佇まいはどこへやら、週末になると高校生や大学生、小さな子どもを連れた家族で賑わっていて、よくぞここまで一新したというか、地元のニーズをとことん知り尽くした父のセンスに舌を巻く。
店の裏手に自転車を止めて店へ入ろうとしたら、視線の端に人影を見つけた。川辺に広がる石畳の階段に小さな男の子が座っていて、水の流れを眺めながら黙々とお菓子を食べている。ここへよく一人で来ている子だ。量販店で売っている単色の上着と濃い目のジーンズ。寒そうに背中を小さく丸めて、手にするいつもの黄色い袋、あれはポテトチップスか? 亮が見ていたら男の子と目が合って、いつものようにそ知らぬふりして目を逸らされる――と思いきや、ペコリとこちらへお辞儀をされて面食らった。なんだ、結構いい奴じゃん。
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