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Acte 1 (Prologue)
思い出されるのは白い家具に置かれてあったカラフルな色の石がついた写真立て。小さなパンダのぬいぐるみ。水玉柄のシーツとベッド。ピーター・ラビットの絵本に、女の子の洋服が特集された洒落た雑誌。
炎天下で溶けてゆく甘い甘いアイスクリーム……
エレベーターの機械音、2から3へ文字盤の光が移る。目の前の扉が開く。
――じゃあまた明日。
「ねえ亮くん、中学校ではアレでもさ、二人のときぐらい、敬語なんか使わなくっていいよ」
――え……でも。
「ダメ。これは先輩からの命令なんだから、ちゃんと言うことを聞いて。それに『遥香ちゃん』が嫌だったら『遥香さん』でもいいよ」
――は……はる……?
「それとも、遥香って呼び捨てにする?」
――……ええ? いやいやそんなのおかしいっしょ……無理だって……
アハハと楽し気な声が返ってきた。この人は笑い声までコロコロとすごく甘い香りがする。
「ゴメンね、冗談だよ。じゃあ『遥香さん』で決まりだね。せっかくのお友だちなんだし、それくらいいいでしょ、ね」
――う、うん。
「じゃあまた明日ね」
――バイバイ。
はるかさん、はるかさん、はるかさん……
心の中で何度もその名をリフレインする。呼ぶたびに心臓が大きく動いて体を揺らした。
昔と変わらぬ遥香の気さくな人柄にしてやられた。なるだけ意識しないでおこうと気を張っていたのに、遥香の笑顔が心の壁を瞬時に溶かしてしまう。
ああ、ダメだ、と亮は観念したようにガックリ項垂れた。
そのまま勢いが過ぎてマンションの柱にゴンと額がぶつかり、眼鏡の縁がガリガリと壁に擦れる。手の力が抜けて、教科書の入った手提げ袋がずるりと落ち、靴の上にその重みが一気にのしかかった。
頭も、胸も、足の甲も痛みでヒリヒリした。涙が出そうだ。
どうしよう。やっぱり俺、遥香さんのことが、好きだ。
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