大正八年十月

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大正八年十月

「静子は下男に犯されたのだ」  茶室にて、初老の男は低く告げた。差し出された芳しい名器、それを手に取ることをせぬまま、彦七はじっと彼の横顔を見つめていた。 「無論、その下男は追放した。だが遅かった……。毎日のように犯され続けた静子、私のたったひとりの娘は、膣で物を考える気狂いに作り変えられてしまっていた。当の下男に逢わせろとは言わなかったが、その代わり、爺だろうが小僧だろうが、男と見るやすぐさま私室に引き入れてしまう」 「……」 「静子には然るべき婿を取らねばならない。私の弟子――今は西で修行させているが――それを充てがうことになるだろう。だがこのままでは、弟子が精も根も静子に吸い尽くされてしまうか、あるいは他の男への嫉妬に狂って静子を刺し殺すかだ。婿を迎える前に、静子の毒気を抜く必要がある……それを君に頼みたい」 「……俺はただ買われるだけです。抱けという人を抱くだけの仕事です。そういう、精神の治療のようなことを期待されては……困ります」 「わかっている。しかも君は多忙だ、毎日静子の相手をしてもいられまい。だがそれでいい。むしろ、十日に一度、月に一度……と、少しずつ間隔を開けていきたい」 「……」 「君の見目は誰より優れている。その上、房術も折り紙付きのはずだ。君こそが群を抜いていい男だ、他の男では何にもならない……静子の体にそのことを刻み込んでほしい。さすれば少なくとも、手当たり次第に男を漁ることはなくなると考えている」 「……よしんばそれがうまくいったとしても、婿殿を迎えたあとはどうするのです。不特定多数が俺ひとりに集約されたとて、割り切れるのですか。婿殿も、御令嬢も、それに――」 「頼まれてくれ。もうこの手しかない。……」  釜の方を向いたまま、男は深く頭を垂れた。  大人がふたり入るのがやっとという庵にありながら、ついにこの日、彼が彦七と目を合わせることはなかった。痩せた膝の上では、茶の道を究めた両手が砕け割れそうなほど握り込まれ震えている。  彦七はそれを知ると、緩慢に茶碗に触れ、抱えた。どろりとした熱を全て含み、苦いまま腹の底に沈めた。
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