序.ある男の追憶

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

序.ある男の追憶

 丘の上に、大きな一本松がある。  その木の下で、一人の男が休んでいた。  笠をかぶり、刀もささず、流浪人のような着物姿。  彼は何をするでもなく、そこでぼんやりと、時間の流れに身を任せていた。  そこに、幼い二人の子供がやってきた。  通りすがりの、町人の息子たちであろう彼らは、はしゃぎながら彼の横を駆けていく。  二人ともわんぱくな様子で、仲が良さそうだった。小さいほうの子供が、兄ちゃん、ともう一人を呼んでいる。おそらく兄弟だろう。  丘の上を走り回り、笑いながら遊んでいる彼らを、男は眺める。 そのとき、突然彼の頭にずきりと痛みが走り、脳裏に記憶がよみがえった。  山の中、燃え盛る戦場。  ぼろぼろになり、傷を負って倒れそうになっている彼。  目の前には、骸骨の姿をした、恐ろしい巨大な鬼。  そしてその鬼に、無残にも腹を切り裂かれている――彼の兄の姿。 「兄貴‼」  鬼が兄の身体をどさりと放りだす。鬼の手には、一枚の『札』が握られている。  駆け寄ると、兄は息も絶え絶えに、彼のほうを見ていた。 「すみません……私が不甲斐ないばかりに……」 「何言ってんだ! 俺が必ず札を取り戻す、だから兄貴はなんとかもちこたえてくれ……!」  しかし、兄は彼の腕の中で、血まみれのまま、うっすらと笑みを浮かべるだけだった。  骸骨の鬼が、轟くようなうなり声をあげておそいかかってくる。  彼もまた、怒りに震えながら、叫びながら鬼に刀を振るいあげる。  ガッ‼ と、刃が交わり、  そこで彼は我に返った。  目の前に、戦場はない。鬼もいない。  ――そして、自分の兄もまた、存在していない。  二人の幼い兄弟たちのはしゃぐ声が、広い丘の上に響いている。  のどかな時が流れ、そこには平和な世界だけがあった。 「……」  子供たちの姿に、男は安堵したような、寂しいような表情を浮かべた。  そして立ち上がり、あてもなく歩きだす。  ここにいれば、またあの記憶がよみがえるかもしれないと思ったから。  戻らない過去を胸のうちに閉じ込めたまま、男は一人で、この浮世をさまよい続けている。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!