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序.ある男の追憶
丘の上に、大きな一本松がある。
その木の下で、一人の男が休んでいた。
笠をかぶり、刀もささず、流浪人のような着物姿。
彼は何をするでもなく、そこでぼんやりと、時間の流れに身を任せていた。
そこに、幼い二人の子供がやってきた。
通りすがりの、町人の息子たちであろう彼らは、はしゃぎながら彼の横を駆けていく。
二人ともわんぱくな様子で、仲が良さそうだった。小さいほうの子供が、兄ちゃん、ともう一人を呼んでいる。おそらく兄弟だろう。
丘の上を走り回り、笑いながら遊んでいる彼らを、男は眺める。
そのとき、突然彼の頭にずきりと痛みが走り、脳裏に記憶がよみがえった。
山の中、燃え盛る戦場。
ぼろぼろになり、傷を負って倒れそうになっている彼。
目の前には、骸骨の姿をした、恐ろしい巨大な鬼。
そしてその鬼に、無残にも腹を切り裂かれている――彼の兄の姿。
「兄貴‼」
鬼が兄の身体をどさりと放りだす。鬼の手には、一枚の『札』が握られている。
駆け寄ると、兄は息も絶え絶えに、彼のほうを見ていた。
「すみません……私が不甲斐ないばかりに……」
「何言ってんだ! 俺が必ず札を取り戻す、だから兄貴はなんとかもちこたえてくれ……!」
しかし、兄は彼の腕の中で、血まみれのまま、うっすらと笑みを浮かべるだけだった。
骸骨の鬼が、轟くようなうなり声をあげておそいかかってくる。
彼もまた、怒りに震えながら、叫びながら鬼に刀を振るいあげる。
ガッ‼ と、刃が交わり、
そこで彼は我に返った。
目の前に、戦場はない。鬼もいない。
――そして、自分の兄もまた、存在していない。
二人の幼い兄弟たちのはしゃぐ声が、広い丘の上に響いている。
のどかな時が流れ、そこには平和な世界だけがあった。
「……」
子供たちの姿に、男は安堵したような、寂しいような表情を浮かべた。
そして立ち上がり、あてもなく歩きだす。
ここにいれば、またあの記憶がよみがえるかもしれないと思ったから。
戻らない過去を胸のうちに閉じ込めたまま、男は一人で、この浮世をさまよい続けている。
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