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episode.1 これが僕の世界
『恵一、恵一って……! そんなに言うなら青木くんと付き合えばいいじゃない!!』
昨日、元彼女にぶつけられた言葉を頭のなかで反芻しながら、ぎゅっと拳を握る。
──出来たらそうしてるわ! だなんて。売り言葉に買い言葉でも言えるはずがない台詞だ。
「付き合って」と告白されて、「いいよ」と返事をして。しばらくしたら、「青木くんと付き合えば?」と振られることばかり繰り返している。
青木恵一。オムツが取れる前からの親友で、二人で結託してお漏らしを隠蔽しようとして親や保育園の先生に叱られた記憶さえあるような、気合いの入った幼なじみだ。
いつから恵一のことを好きになったのかだとか、いつから意識していたのか、なんてことは自分でもよくわからない。
そもそも、「果たして本当にオレは恵一に対して恋愛感情を抱いているのだろうか」と、何度も自問自答しているのに、答えがでないのだ。
男女だったら、こんなに悩むことなく告白なんかしたりしたのかもしれない。
男同士だから。親友だから。──告白のハードルはそもそもエベレストくらい高いのに、その前段階で躓いているような状況で、告白だなんて以ての外だ。
だけど、いつだって現実は、オレが恵一を好き、みたいに突きつけてくる。
何かある度、恵一を誘いたくなって。
何かある度、恵一と比べて。
何かある度、恵一の話題を出して。
何かある度、恵一を優先する。
積み重なって彼女が爆発して、フラれるまでがワンセットだ。短くて一ヶ月、長くても半年に満たないサイクルで、爆破被害に遭っている。──被害者はむしろ、歴代の彼女達の方なのだろうことは、一応分かってもいるのだけれど。
そもそも、恵一には今、学外に可愛い彼女がいる。オレなんかと違って、もう付き合いは二年を超えるはずだ。
放課後や土日にマメにデートしているようだし、休み時間に密にやり取りしている姿をよく見かける。そうして、そういう恵一の姿を見る度に思うのだ。
マメに連絡取るくらい好きなんだなぁ。いいなぁ。と。
オレはここにいるのになぁ。と。
そう思ってから、違う違う、と自分を否定しながら、傷ついたみたいに痛む胸をそっと撫でたりして。
これは恋なのか愛なのか。それとも幼なじみを取られた淋しさなのか嫉妬なのか。区別の付け方も判別の仕方も分からなくて、もがけばもがくほど抜け出せなくなる蟻地獄に嵌まったみたいに、毎日あっぷあっぷしている。
いっそフラれた方がスッキリ出来たりするのかもしれないけれど
「のーぞむ」
妙な節を付けて名前を呼ばれると、嬉しいやら照れ臭いやら。この音が聞けなくなるのは残念だとか。そんなことを考えて、前にも後ろにも進めなくなっているのがオレ──川本望だ。
「なんだよ、どした?」
「どしたはこっちの台詞だっつーの。眉間にしわ、寄ってんぞ。どした」
「……別に、なんも?」
「なんもって顔じゃなかったんだっつの」
あいかわらず嘘吐くの下手だなお前は、なんて妙に優しい顔して微笑ったりなんかするから。ちょっとキュンとか。するのが虚しい。
「ホント。なんもねぇよ?」
ヘラヘラ笑っていたら、恵一のポケットでスマホがブンブン震える音が聞こえてくる。
「鳴ってんよ」と笑って、「マメだねぇ」とついでみたいにからかって。伸びをする振りで顔を逸らして、欠伸の振りして苦い顔を隠す。
まだ腑に落ちてなさそうな顔が視界の端でスマホを操作──せずにワシッと頭を掴まれた。
「ぉわっ?!」
「拗ねんなよ」
「拗ねてねぇわ」
「ホントかぁ?」
覗き込んでくる顔が近い。どぎまぎして心臓に悪い気がして、
「ホ、ン、ト、だ、よ!」
言いながら、恵一の顔を押し戻した。
いくらなんでも無邪気が過ぎるだろ、と心中で舌打ちだ。高校生にもなって男同士とは言え距離が近すぎる。
(こういうとこなんだよな……)
距離感がバグっているから、錯覚を起こしているのかもしれない。
共通の男友達は他にもたくさんいるのに、こんな風に近いのはオレにだけで、それが嬉しいとか。
そんな風に思って心を引っかき回されて。なのに彼女とラブラブで。オレに勝ち目なんてどこにもない。
(しんどい……)
そっと溜め息を吐いて、スマホに目を落としている恵一から目を逸らした。
*****
「おい~っす」
間延びした間抜けな声に振り向く。彼女に会うという恵一を見送って、一人淋しく帰宅している最中に後ろから声をかけてきたのは、高崎優弥だった。近所に住む二つ年上の兄ちゃんで、恵一と二人して今でもよく遊んでもらっている。
「ドリフかよ。てか、優、今日は帰り早くね? 大学は?」
「休講になった。ことにした」
「サボりかよ。卒業出来んのか~?」
「出来る出来る。任しとけ」
にひひ、と笑う顔につられて笑い返しながら、恵一もここにいたらなぁ、と不意に思ってしまった自分に気付いてぎゅっと唇を引き結ぶ。
「ぉ、出た」
「は? 何が?」
「恵がいなくてつまんない時にする顔」
「……」
バレバレかよ、と拗ねる笑いに唇が歪む。
「……のん? どした?」
最近はちゃんと望と呼んでくれていたのに。出会ったばかりの小さい頃、「のんちゃん」と呼ばれていた名残の残る音で呼びかけられて、不意に鎧が剥がれ落ちた。
「オレさぁ……」
「ん~?」
「……恵一のことさぁ……好きなんかなぁ?」
「あぁ~? そりゃお前……好きだろ?」
「いや、なんてか……。……なんつか……」
どう言えばいいのかともぐもぐ口ごもっていたら、ふ、と微かに笑った優弥がわしわしと頭を撫でに来た。力強い手のひらにわっしわっしと撫でられるのは、実は嫌いじゃない。
「──恋とか愛とかさ……よく分からんだろ」
「……うん」
「友達の好きと、恋人の好き。境界線がどこにあるのかなんて、誰も知らん。オレにも分からん」
「……うん」
「付き合ってみるか? 試しにオレと。友達と恋人の境界線、見えるかもよ」
「……ふん……」
「興味なさそうな『ふん』だな。ちょっと失礼じゃね? ……まぁいいけど」
全く傷付いていない顔が笑って、頭をわしわし撫でた手の平がぺちぺちと頬を叩く。
「ま、なんかあったら言ってこい。聞くだけ聞いてやっから」
な? と。覗き込んでくる顔は、恵一程は近くない。やっぱり、この距離感が普通だよな、と。淋しいやらほろ苦いやら複雑な気持ちだ。
ふん、と今度は素直に頷いたつもりだったのに、素直じゃねぇやつ、と笑った優弥にデコピンされた。
*****
「なぁんかさぁ。最近さぁ。望が変なんだよなぁ……」
「……かわもっちんが?」
ちゅるる、とタピオカが吸い込まれていくのを見つめながら聞き返す。
かわもっちん──川本望は、あたしのライバルだ。恵ちゃんは、しょっちゅう無意識にかわもっちんの名前を出す。あたしは、なんにも気にしてない、聞き分けの良い彼女の顔をして、余裕綽々で返事をする。ようにしている。
だって、男友達に嫉妬なんて可愛くてかっこ悪いこと、上手にできない。かわもっちんは、最強最悪のライバルだから、ちょっとでも恵ちゃんの意識の向き先が変わったら一瞬で持っていかれるに違いないのだ。
お互い、「ただの幼なじみ」を意識しすぎて気付いていないだけだ。かわもっちんの方は、たぶん、少しだけ自分の気持ちに気づきかけて踏みとどまっているみたいだけど。
だからこそ、油断ならない。
恵ちゃんは、あたしにとっては初めての彼氏だから、大事にしたいし大事にされたい。
男同士のハードルは、昔ほど高くなさそうだから、余計にヤキモキしている。未だに『禁断の恋』だなんて盛り上がってるのは、時代錯誤だと思う。オープンにしている人達も増えてきているし、もうそういう時代だ。
かわもっちんは、恵ちゃんを意識しまくっては彼女と別れまくっているみたいだけど、あたしはそうはならない。
いつか絶対、完膚なきまでにあたし──秋山香奈恵のことを好きにさせてみせると胸に誓って、フラグを容赦なくへし折っては踏みつぶしてきた。
今日だって、いつも通り見事に粉砕してみせる。
『あたしとかわもっちん、どっちが大事なの?!』なんて聞く迂闊は絶対にしない。
──それは、最大最凶の自滅フラグだ。
「かわもっちん、最近また彼女と別れたんでしょ? それで落ち込んでるとかじゃないの?」
「やっぱそういうことなんかなぁ。……どっか遊びに誘ってやるかなぁ……」
「……」
(しまった、ちょっと失敗だったかも)
誘導に失敗してしまったような気はしたけれど、「いいんじゃない」と聞き分けの良い彼女のフリして笑ってみる。
「みんなで一緒に行こうぜ」
「ぇっ?! みんな?」
「香奈恵と、オレと、望と」
(ぉぉぉ?)
それは想定外! と内心頭を抱えつつ、「いんじゃない?」とひきつりそうな唇を笑顔に見える角度まで引き上げた。
*****
「のーぞむ」
「ん~?」
いつもの声が、いつもの音でオレを呼ぶ。
内心そわそわしてるくせになんでもないフリで顔を上げたら、何やらムフフと軽く決まったドヤ顔がそこにあって、ウキウキ気分は一瞬で吹き飛んだ。嫌な予感しかしない。
「今度さ、遊び行こうぜ」
「あ? あぁ、うん……」
「みんなで」
「……みんなって?」
「オレと、香奈恵と、望」
(……なんだよそれ……)
思わずぐったりした溜め息を吐いてしまった。
キョトンとしているらしい恵一の方は見ずに呟く。
「……いいよ、それは」
「えぇ~? なんで」
「なんででも。……どう考えても、オレがお邪魔虫だろ」
「ンなことないって! いいじゃん、みんなで。楽しいって」
「だから、いいって」
少し強くてキツい口調になってしまった。案の定、恵一がムスッとした表情に変わる。
「なんだよ。ノリ悪ィなぁ」
拗ねたような口調だった。悪ィ悪ィとノリよく謝れたらよかったのかもしれない。
それでも。
こっちは恋とか愛とか境界線とか。色んなことで悩んでるのに。
彼女がいて、なのにいつまでも脳天気で、子供の頃からちっとも変わらない恵一が、眩しくて憎たらしい。
「……いつまでもガキのノリでいるやつに言われたくねぇよ」
「はぁ?!」
駄目押しの一言が、つい口から飛び出してしまった。もう引っ込められない。
怒ったような傷ついたような驚いているような。とにかく複雑な表情で口を真一文字に引き結んでいる恵一を見つけて、ぎゅっと胸が引き絞られるみたいに痛んだ。
顔を逸らして、じっと見つめてくる視線から逃れる。なのにまだ、恵一の視線が痛い。
そっと息を吸う。大人になれ、と呪文のように呟いたけど、恵一の顔は見ないまま
「……ごめん。とにかく、……みんな一緒は、もう勘弁」
それだけ呟いて席を立った。
大人になるのは難しい。
*****
「……なんなんだよな~、望のやつ……」
「なぁに腐ってんだ?」
ブチブチ呟きながら家路をブラブラ歩いていたら、後ろから元気な声が聞こえてきた。
振り向きながら、管を巻く。
「あ~。優~。望が付き合い悪ィんだよぉ~」
胸ぐらを緩く掴んで、不満を訴えながら優弥の体を揺する。
「あぁ? 何、喧嘩でもしたんか?」
「なぁんか、機嫌悪ィんだよなぁ、最近」
彼女と別れたからかな、と付け足しながら、首を傾げてみせる。
何回も付き合ってはフラれてを繰り返す望を慰めたら、また違う誰かと付き合ってフラれている。
バカバカしい。
だったらずっと、一人でいればいいのに。
毎度律儀に傷付いて、何をやってるんだろう。
(……オレがいるのに)
いつだってオレがいるのに、何が足りないんだろう。
そんなことを考えながら、優弥の襟元を直しつつ
「励まそうと思ってさ? 香奈恵と3人で遊び行こって言ったら、キレられた」
オレなんか悪いことしたかな、と唇を尖らせながら呟いたのに、優弥は大きすぎる溜め息を吐いた。
「そりゃお前が悪い」
「ぇぇぇ?」
「子供じゃねんだから、いつまでもみんな仲良くは通用しねぇぞ?」
「だって、みんな一緒の方が楽しくない?」
「は~。……これだからガキは」
気取った外国人みたいな仕草でバカにされて、「なんだよ、それ」と呟く。怒りに震えたはずの声は、だけど真面目な目に封じ込められた。
「……あんまりウダウダしてっと、望はオレがもらっちまうぞ」
「もらうって……何言って……」
「お前に必要なのは危機感だ」
「……危機感……?」
「望は、今、誰のもんでもねぇ」
「……うん?」
小さな子供に言い聞かせるみたいに、一言一句をハッキリ発音する優弥に、気圧されながらも頷けば。
「だから、オレのもんにしたっていい」
真顔の優弥がそう宣言した。頭が追いつかない。
「何言って、」
「もう手加減してやらん」
「ちょっ、優?」
覚悟しとけ、と指を刺されて首が竦む。
じゃあな、と軽く手を上げた優弥がさっさと姿を消すのを呆然と見送った後
「…………望が……優弥のもんになる……?」
発音の仕方も分からない外国語みたいに呟いた後も、しばらくその場から動けなかった。
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