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第十一話・保育園へのお迎え
7月に入ってから毎週末のようにイベントが続いたせいで、日曜の一時保育と、それ以外の曜日は漏れなく延長料金が発生する残業ばかり。不可抗力な支出が恐ろしいほどに膨れ上がっていた。特に人手の薄くなった平日の方が閉め作業に時間がかかることが多く、お迎えが遅くて心配した保育園から電話が掛かってくる日もあったくらい。ざっと計算しただけでも、翌月に支払う予定の延長料金で頭が痛くなってくる。
夜道を自転車の立ち漕ぎで飛ばしながら、瑞希は拓也のお迎えにと保育園へ向かっていた。ショップの制服でもある膝丈のスカートが足に纏わりついて、まどろっこしい。がばっと裾をたくし上げたい願望を理性で抑えつつ、必死で自転車を漕ぐ。
園を目指しつつ、冷蔵庫の中身を思い浮かべて夕飯のメニューと家事の段取りを考える。帰宅してから一瞬でもぼーっとしてしまうと、何もかもがズレ込んで翌日に響いてくる。気力が続く限りに動かないと、結局は睡眠時間を削ることになってしまうという、悪循環。
これでも拓也の離乳食が後期に入ってからは随分と楽になった。味付けする前に取り分ければ、瑞希と同じ料理を食べるようになったし、拓也用に別に用意したり、食材をいちいち潰したり裏ごしたりする手間も無くなったのだから。冷凍室にぎっしりと離乳食用のお粥や野菜ペーストのストックを詰め込んでいた頃が懐かしくさえ思える。他に使い道が無さそうなくらい小さ過ぎるタッパー類をまとめて処分した日の感慨深さったらなかった。
仕事を終えた後の同僚達が、勤務先のショッピングモール内の飲食店で食べて帰ったり、総菜をテイクアウトしたりしているのを横目に、瑞希はひたすら自炊の日々だった。コンビニなんて、いつから行ってないだろう。最後に入ったのは妊娠中にトイレを借りた時? オムツ替え台の無いコンビニは誘惑こそあれ、立ち寄る正当な理由が思いつかない。
頭の中で、冷蔵庫の切り置き食材と今の気分とを照らし合わせて今晩の献立を決めると、ある種の流れ作業のように保育室から子供を回収し、ようやく帰路につく。今日も拓也が最期の一人だった。今月は同じ時間のお迎えにはどの保護者とも出会ってない気がする。
そして1DKのアパートの玄関に着いてから、抱っこしていた拓也を下す為にしゃがんだ瑞希はそのまま動けなくなった。完全に油断してしまった。長めの連勤が続いていたせいか、一度曲げた脚が立ち上がるのを頑なに拒むのだ。7連勤の疲労が一気に襲い掛かってきた感じだ。
「はぁ……疲れたぁ」
大きな溜め息と一緒に、弱音も吐き出す。そして、気合いを入れ直して荷物を抱えて立ち上がる。明日は久しぶりの公休日だ。しかも珍しく2連休。
瑞希の休みが無かったということは、拓也だって休み無しに園通いしていたことになる。
――この2日間は、いっぱい遊んであげよう。
玩具が入ったカゴの中に頭から突っ込んで、お気に入りの物を一生懸命に探している拓也を見守りながら、瑞希は通園鞄の中身を選り分けていく。洗い物をかき集めて洗濯機に放り込み、ようやく夕飯の準備に取り掛かった。
壁の薄いボロアパートだから、あまり遅くなると近所迷惑だから洗濯機も回せなくなる。空き部屋の多いアパートだけれど、壁が薄いから離れた部屋にも音漏れがひどい。夜干しするなら時間との勝負だ。
手早く作り上げた夕飯を食べ終えて、子供をお風呂に入れる準備をしている時、テーブルの上に置きっぱなしにしていたスマホがメールの着信を知らせた。ホーム画面に表示されている伸也の名前に、瑞希は慌ててメールアプリを立ち上げる。
『連勤、おつかれさま。近い内に時間取れそうな日ある?』
今日までが連勤だという愚痴メールを少し前に送っていたから、その労いの言葉に続けての次の予定のお伺いだった。
相変わらず、二人の間の状況に進展はない。どうしても前へ進む勇気が出ない。伸也は瑞希の意志を尊重しようとしてくれるが、それが伸也の今の立場にとってどう影響があるのかが判断がつかないから。
少し考えて、返信の文字を入力していく。
『明日の午後と明後日なら空いてる。その次だと、来週の木曜かな』
シフト上は来週の火曜も休みにはなっているが、その日は木下七海が嘆いていた、エグい組み合わせの日。先輩として、都合がつくなら様子を見に行ってあげたいと思っているのだ。それもこれも、イケメンしか取り柄のない、仕事をしない店長のせいなんだけれど。
『じゃあ、明後日の朝に少し出られる? 早い時間になるかもだけど、迎えに行く』
大丈夫とメールを送り返した後、洗濯機の終了を知らせるブザーが聞こえたので、狭いベランダに運んで手早く干していく。
園で一日に何度も着替えさせてもらっているらしく、子供の服は小さいながらも結構な枚数がある。週末ならこれにお昼寝用の布団カバーも加わってくるから、二人暮らしなのに一度の洗濯では終わらないことも多い。
休みの日くらいは朝もゆっくり寝たいところだが、どうせいつも通りの時間になったら否が応でも拓也から起こされるはずだ。乳幼児にとっては曜日なんて関係ない。毎朝、同じような時間に目覚めると、容赦なく暴れ始める。前日に疲れるまで動き回っていても、一晩眠れば完全回復できるのは子供の特殊能力だと思う。大人はそうそう簡単に体力は戻らないし、疲れはいつまでも引きずる。
しかも、もし横で寝たふりを続けていようものなら、一晩中履きっぱなしだったオムツのまま顔の上に乗りあげてきたり、寝ている瑞希の周りに玩具を運んできて、すぐ耳元でガチャガチャと賑やかな音を立て始めたりするのだ。乳幼児は容赦ない。
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