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第十三話・白い車でのお迎え
月に一度あるかないかの連休。シフト制で休みが重ならないことも多く、続けて2日休めると思うとものすごく気楽だ。日が落ちても明日の仕事のことを考えなくて良いのだから。
基本的に、仕事が無い日には拓也も保育園をお休みさせている。園からも親子の時間を大切にしてくださいと指導されているし、瑞希自身も子供と過ごすことを優先させたい。
中には子供は預けて大人だけの自由な時間を満喫している親もいるみたいだが、そもそも瑞希には休日を一緒に過ごすような家族は拓也しかいないし、そこまで親しくしている友達は同僚の恵美以外にはいない。かつて妊娠を打ち明けた時、それまでの友人は皆「瑞希の為を思って」という免罪符を掲げつつ堕胎を勧めてくるか、面倒事に関わりたくないと無言で距離を置かれるようになった。
具材にミックスベジタブルとウインナーを使った手抜きオムライスの夕飯を子供に食べさせ終えた頃には、すっかり夜になっていた。座って食べ続けることがまだ難しいし、よっぽどお腹が空いている時以外は食事中でも平気で遊び始めたりと、子供の食事はとても時間がかかる。
食後の積み木遊びに付き合い、お風呂に入れてから布団に寝かしつけるまで、瑞希は拓也中心の時間を過ごした。小さな寝息を確認した後は、電気を落とした薄暗い部屋で残りの家事や片付けに勤しむ。
今日は伸也からの連絡は何も無かった。明日は朝から秘書の運転する車で迎えが来てくれるらしいが、その行き先は聞いていない。ただ、社用車を使うということは会社関係の人に会わされる可能性が高い。以前に言っていた、会社の状況を知っていて自分達のことを相談できる相手なんだろうか。そう思うと自然と緊張してくる。
――こういう時って、何を着たらいいんだろ?
拓也も一緒だから動きにくい畏まった格好は難しいし、正直言って着る服を迷ってしまう。心もとないワードローブを思い返しながら悩むと、伸也から贈ってもらった洋服の中から少しでも落ち着いて見えそうなブラウスとパンツを選び、仕事用のローヒールのパンプスを無難に合わせることにした。普段なら間違いなくスニーカーを履くところだが、それはさすがに避けた。
瑞希のボロアパートの前に白い大きなセダン車が停まったのは翌朝、約束の9時ぴったりだった。アパートの前でダンゴ虫を見つけた拓也がしゃがみ込んで動かなくなっているところを、運転席から降りてきた熟年秘書が微笑みながら近付いて来て穏やかに声を掛ける。
「おはようございます。何かいい物を見つけられたんですか?」
「おはようございます。ダンゴ虫みたいです――拓也、そろそろダンゴ虫さんとはバイバイしようね」
ダンゴ虫ですか、とワザと目を丸くして驚いた顔をしてみせる鴨井は、腰を落とし目線を下げてから拓也の視線の先を覗き込む。休日には率先して孫の相手をするタイプなのだろう、小さい子の扱いにとても慣れていそうだ。小さな指先で捕まえて得意げな拓也を、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべて見ていた。
「今日もブッブに乗って、お出掛けしませんか?」
「ぶっぶ!」
ブッブの一言に反応した拓也は、握りしめていたダンゴ虫を瑞希に押し付けると、自分から車に向かって歩き出す。開けてもらった後部座席のドアの前で万歳のポーズを取って、早く乗せてくれと急かしている。
瑞希は慌ててダンゴ虫を地面に戻して駆け寄ると、拓也をチャイルドシートに乗せた。
「本日は、社長は先代のお屋敷で待っておられます」
二人が無事に着席したのを見守ってから運転席に乗り込んだ鴨井が、後部座席に向かって声を掛ける。
「先代って、伸也のおじいさんですよね? そのお屋敷、ですか……」
「ええ。ちょっとした会合が出来るスペースがありますので、今でも社内の一部の人間が時折使うことがあるんです」
そういった事情もあり、土地や建物は私有だが先代亡き後の管理は社内で行われているということだった。
「いずれは安達社長が受け継がれることになるかとは思いますが」
とても素敵なお屋敷ですよ、と瑞希を安心させるように微笑むと、鴨井は前を向きハンドルを握って車を発進させた。
興奮して窓をバンバン叩く拓也を諫めながら、瑞希はチャイルドシート越しに見える景色を目で追う。車は大きな屋敷が立ち並ぶ、閑静な住宅地の中を走っていく。どの家の門にも当たり前のようにセキュリティー会社名の入ったステッカーが貼られ、高さのある生垣でプライベートを完全に遮断している。
――すごい、いかにもな家ばっかり……。
住宅地というよりは観光地を通り過ぎていく感覚。現実味のない光景を物珍し気に眺めていると、ひと際大きな門を構えた屋敷の前に車が停まった。運転席から鴨井がリモコンで操作すると、門扉は観音状にゆっくりと開く。
開いた扉の奥に見えたのは、和と洋が絶妙に混ざり合った屋敷。横に長い平屋造りで、母屋と離れの二棟が長めの渡り廊下を挟み、手入れの行き届いた日本庭園をどちらからでも見渡せるように建っている。その景観を維持するのにどれくらいのお金が動いているのかを想像すると軽く眩暈がする。
「どうぞ、こちらへ」
車を降り、秘書に案内されて庭園を横切って行くと、まるで旅館か何かのような木製の大きな玄関戸が現れた。施錠はされておらず、鴨井が手を添えると静かに横に開く。
「いらっしゃい」
開いた戸の向こうには、上着を羽織らず少しラフなベスト姿の伸也の顔があった。手を伸ばしてマザーズバッグを受け取り、瑞希を中へと誘う。
「俺も一緒に迎えに行けなくて、ごめん。拓也は――鴨井さん、お願いできますか?」
「かしこまりました。拓也君、あっちでおじさんと遊んでくれるかな?」
ブロックもテレビもあるよの言葉に、拓也は大きく頷いている。かと言って人見知りしていない訳ではなく、瑞希の脚から離れるのを躊躇っていた。
「ママも後で行くから、先に遊んでてね」
ぎゅっと抱きしめてあげると少し安心したのか、秘書の手を取って別室へと歩いていった。不安そうに何度も振り返ってはいたが、泣いてはいないから大丈夫だろう。その後ろ姿を見送ると、瑞希は伸也の方を伺った。
「俺たちの状況を母に話したら、会いたいって言ってさ」
「伸也の、お母さん……」
「じいさんが死んでから、非常勤だけど復職してる。社内の状況は分かっているとは思う」
付き合っている時に一度だけ会ったことのある伸也の母親。KAJIコーポレーションの先代社長の一人娘であるその人が、おそらくこの屋敷の今の所有者になっているのだろう。そして、認知も入籍も、しようと思うなら無視する訳にはいかない存在だ。
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