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第十四話・お屋敷での面会
緊張で一気に顔が強張っていく瑞希。その様子に気付いたのか、伸也は肩に掛けていたマザーズバッグを床に置くと、腕を伸ばして瑞希の身体を包み込んだ。再会してから一番強い力で抱き寄せると、吐息のような優しい声で囁く。
「不安にさせて、ごめん」
ぎゅっと力を入れて抱き締めながら、瑞希の頭を優しく撫でる。昨晩に実家で話した時の母親の反応は逆上に近かった。これから直接会うことで、瑞希に向かって何を言われるかは簡単に想像がつく。もう傷つけないと誓った傍から、辛い思いをさせることになってしまうだろう。
――けど、守るって誓ったから。瑞希達のことを。
「伸也には常務のお嬢さんとの縁談が進んでいるんです。あなたとは、子供のDNA鑑定が終わってからでないと話をしようがないわ」
一部の社員が会合で使うことがあるという、広めの応接室で対面した安達百合子は、開口一番で瑞希に向かって吠えたてた。「ご無沙汰しております」と挨拶した瑞希へは歩み寄る隙も与えないらしい。牽制し、釘を刺すつもりで今日ここへ呼ばれたということだけはよく分かった。
「なっ、拓也は間違いなく俺の子だから。時期だって合ってるし、興信所の調査報告書も見ただろう?!」
「あんなの、アテにならないわ。憶測に振り回されないでちょうだいっ」
「大体、何だよ、常務の娘との縁談なんて、俺は聞いてない。政略結婚とか、いつの時代の話だよ!」
着席もせず、繰り広げられる親子喧嘩に、瑞希はただオロオロするしかできない。間違いなく瑞希のことを侮辱されたのは分かったが、口を挟む勇気はない。
「常務はあなたを後継者に推してくださった方よ。縁を繋げるのは当たり前のことでしょう」
「自分達の欲を満たす為に、いきなりロスに飛ばされた俺の身になれよ。挙句、瑞希には余計な苦労を負わせたんだぞ」
実家で話した時と何の進展もない言い合い。長く続けていても、横で聞かされる瑞希を傷付けるだけだ。伸也はウンザリと溜め息を吐く。母は簡単に味方に付くと思ったのは甘かったのか――。
「拓也を連れて来てくれる? 多分、隣の部屋にいるはずだから」
「あ、うん」
言われるがまま、瑞希は部屋を出る。あの場にいても何も言えないし、百合子の頑なに拒絶する冷ややかな視線が怖かった。
実の親でさえ、娘のお腹で育つ孫のことをうちの孫じゃないと言い放ったくらいだ、いきなり現れた幼児を認められないのは当然かもしれない。百合子からすれば、瑞希は伸也がCEOに就任してすぐのタイミングで現れたのだから、胡散臭く映ってしまうのだろう。
拓也が嫌がって泣くようなら、もう帰ろう。認知しなくても、伸也ならちゃんと父親として可愛がってくれるはずだから。自分はそれ以上のことは別に望んでもいないのだから。
これまでのことを考えれば、それでも十分とさえ思えた。
隣の部屋を覗くと、拓也は鴨井の膝に座ってテレビを見せて貰っていた。幼児向けの番組ではなく、小学生の理科の番組だったが、小さな瞳を輝かせて食い入るように見ていた。
「ありがとうございます。拓也を連れてくるよう言われたので――」
「ブロックはすぐに飽きてしまわれまして、ついついテレビの力を借りておりました。では、私はお茶でも淹れさせていただきますね」
瑞希が拓也を抱いて受け取ると、鴨井も立ち上がって腰を伸ばす。血のつながらない幼児と二人きりは心身共に大変だったに違いない。
「きっと、大丈夫ですよ」
そう一言告げると、鴨井は穏やかに微笑んでから先に部屋を出、屋敷の奥へ消えていった。お茶を淹れると言っていたので、キッチンに向かったのだろうか。
鴨井は大丈夫だと言ってくれたが、拓也が嫌な思いをするようなら、迷わず帰ろう。望まれていないのに、無理してここに長居する必要はない。改めてそう心に決めると、瑞希は再び応接室のドアを叩いた。
ガチャリと開いたドアから姿を見せた伸也は先程よりさらに疲れたウンザリ顔だった。瑞希が居ない間も親子の言い合いは続いてたらしく、ソファーに腰掛けた百合子も腕を組んで苛々している。中に脚を踏み入れることすら躊躇ってしまうほど、部屋の空気が張り詰めていた。
「瑞希と拓也のことを今認めないなら、金輪際二人に会わすつもりは無いから」
「ええ、もちろん構わないわ」
不機嫌さ露わな百合子の前へと、子供を抱いたままの瑞希の腰に腕を回し、優しく促すようにして連れていく。
伸也達の険悪な空気を感じるのか、瑞希の胸にしがみつく拓也。それでも好奇心からか、そっと振り返ってソファーに座る初老の女を覗き見てみる。
ぷくぷくと肉付きの良い頬に、無邪気な丸い瞳。恐る恐るとこちらに視線を送ってくる、その幼な子の姿に、百合子は一瞬で目が離せなくなった。
どんなに大人になっても忘れる訳がない、幼少の頃の息子の顔。瑞希に似て少し癖のある髪なこと以外は、伸也に瓜二つのこの子は紛れもなく自分の孫だ。瞬時に己の過ちに気付いた。
「もうっ。こんなにソックリだったら何も言えないわよ。瑞希さん、失礼なことを言って、ごめんなさいね」
言い訳がましいことは口にせず、躊躇うことなく立ち上がり、深く頭を下げる。懸念していたことは全く間違いだったと分かった。
そして同時に、自分も出産と育児を経験したことがあるからこそ、それを誰にも頼らず一人でこなさなければならなかった瑞希の苦労は痛い程理解できる。
自分が欲を出して伸也に無理を強いたせいで、彼女から子の父親である息子を引き離してしまったのだ。父が興した会社を赤の他人に渡したくなかったばかりに――。
「調査報告書にも写真あっただろうが……」
「あんな小さな隠し撮りのじゃ、分からないわ」
恥ずかしそうにむくれている百合子の目から冷たさは消えている。愛おしそうに目尻を下げた祖母の表情になった実母を、伸也は呆れたように笑う。
部屋の空気が一変したタイミングを見計らっていたかのように、鴨井がドアを叩いてから入ってくる。湯気の立つ紅茶と、拓也用のジュースをソファーテーブルに並べていく。
最初から顔を見せてくれていたら、などと不満を口にするものの、目の前で伸也と瑞希の間に収まってソファーに座る孫の姿に気持ちが落ち着かない。
「で、今後のことなんだけど。俺としては一日も早く認知して、籍も入れて二人の生活を支えたいと思ってる」
「二人の為にもそれは必ずしなきゃいけないわ。でも、今は時期が悪いかもしれないわね」
社内外から注目を集めている今、伸也のスキャンダルは出来る限り避けたい。かと言って、瑞希達を放っておく訳にもいかない。
百合子はティーカップに手を伸ばし、紅茶を口に含む。
「状況を変えないと、何とも動けないわ」
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