第三十一話・新しい保育園

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第三十一話・新しい保育園

 マンションから徒歩5分ほどの場所に建つ認可保育園への転園許可通知が届いたのは、瑞希達が引っ越してから半月程が経ってからだった。  これは早いのか遅いのかは分からないが、ベビーシッターの小澤祥子に拓也がすっかり慣れた後だったので、また環境が変わるとなると少し可哀そうな気もする。  日曜の一時保育を通園ではなくベビーシッターにお願いするという手もあるし、それはまた伸也と相談することにした。自宅で見て貰えるのは拓也にとっても負担が少ないはずだ。  市役所からの通知とは別の封書で、通園予定の保育園からは入園前面談のお知らせが届いた。アレルギーなどの聞き取りや、拓也の発育相談などを兼ねた基本的な面談だと思うが、瑞希は前の園でのことを思い出し、少し躊躇った。  母子家庭で、実家とも疎遠になっている状態だった前の園での面談は、終始緊張したことを思い出す。最低月齢の6か月での入園希望で、母親以外の緊急連絡先は空欄。仕事もこれから探すという不安定な家庭環境で、よく入園許可を出してくれたものだと今でも思う。だから、面倒な奴が来たと思われて入園許可の取り消しにでもならないかと、ビクビクしながら園長先生と対峙したものだ。  新しく通う予定の保育園は、駅前の都市開発に合わせて建てられたのかまだ新しく、園舎の前の広々とした園庭が印象的だった。私立で制服や体操服、園バッグもあり、公立の園と比べると独自の入園準備品も多そうだ。以前の瑞希なら真っ先に候補から外してしまう、ワンランク上の保育園といった感じ。 「ご家族は、お母さんだけですか?」 「はい。その内に父親も一緒に暮らすようになるとは思いますが、今のところは私だけです」  再婚の予定でもあるのかと思われたのか、園長先生はにこりと微笑んで聞いてくれている。深堀して質問するような下衆なことはしてこない。 「あ、えっと、ずっと離れて暮らしていた父親が帰国して、ようやく入籍できそうなので……」  そこまで詳しい事情は聞かれていないのに、焦ってベラベラと余計なことまで説明してしまう。でも、正真正銘に伸也は拓也の血の繋がった父親なので、変な誤解を掛けられたくなかった。 「あら、それは拓也君も嬉しいですね。ご両親が揃っておられるのは、素敵なことです」  保育料の決定にも関わるので、入籍後は必ず連絡してくださいとだけ言われ、その話はすぐに終わった。まだ籍は入っていないけれど、緊急連絡先の二つ目には伸也の勤務先と携帯番号を記入する。三つ目にはかなり迷った挙句、相沢の実家の電話番号を書いた。実家に連絡が回ることなんて無いとは思うのでただの形だけだが、それでも嫌悪感はぬぐい切れない。  以前の園に比べると、とても呆気ない面談だった。聞かれたら困る事が無いというのは、こんなにも心の負担を減らしてくれるものなのか。  園長に代わって事務職員に園内を案内してもらい、拓也が通う予定の乳幼児クラスの保育室を覗く。トイレトレーニング用の広く清潔なトイレと、園内調理ができる給食室。屋上にはプールもあったし、茶室まであった。 「年長さんになると、保護者の方をご招待してのお茶会があるんですよ。お茶菓子にさつま芋の茶巾を手作りしておもてなしするんです」 「え、すごい……」  その材料のさつま芋は子供達がお世話している園舎裏の畑で収穫すると聞いて、瑞希は目を丸くした。あと4年もしたら、拓也もそんなことが出来るようになるのかと思うと、嬉しくもあり寂しくもある。  ずっと今を生きるのが精一杯だったから、拓也が大きくなった時のことを想像したことが無かった。その時その時のことしか考えてあげられず、将来の為に何かを経験させてあげようと考える余裕すらなかった。  保育園なんて、仕事の合間に子守りして貰うだけの場所だって思ってたかもしれない。  余裕が無かったせいでとても視野の狭い子育てをしていたことに気付き、申し訳ない気持ちが溢れ出る。と同時に、これからは伸也と一緒に相談しながら、拓也の成長を見守ることができるのだと思うと、とても心強い。  家に戻ってから、ベビーシッターの祥子に保育園の印象を伝えると、納得した顔で大きく頷いていた。この辺りでは有名な園らしく、人気があり過ぎて幼児クラスからは入りにくいとも言われているらしい。 「園長先生のこだわりが強くて、体操や英語のカリキュラムも組み込まれているらしいですね。ベビークラスの内に入れてラッキーですよ」 「そうなると、なんか通っている家も凄そうですね……」 「そうですねぇ、確かに余裕のある家のお子さんが多いかもしれませんね」  貰って来た入園の手引き書に目を通して、瑞希は顔を青褪める。幼児クラスが着ている制服のお値段はなかなかの物だった……ブランド制服、おそるべし。 「あらあら。KAJIコーポレーションの安達社長のお子さんなんですから、拓也君も負けてはいませんよ」  祥子の言葉も、貧乏性がガッツリ身に付いた瑞希には何の慰めにもならなかった。
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