第三十五話・三人でのお出掛け

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第三十五話・三人でのお出掛け

 拓也が新しい保育園に通い始めてから、初めての日曜の休み。本当は土曜だった休みを交代して貰った結果、休みが一日ズレたおかげで5連勤が6連勤になってしまった。長く続いた勤務で疲れが溜まっていたのだろう、車に乗った途端に睡魔が襲う。  後部座席で並んで眠っている瑞希と拓也の姿をミラー越しに確認すると、伸也は口元を緩めた。瑞希と休みが合うと分かったら急いでレンタカーの手配をして、いろいろとプランを練って出て来たけれど、二人の気持ちよさそうな寝顔を見られただけで十分だった。  息子との距離を縮めたいと動物園へ連れて行くつもりでいたが、人がごった返した場所よりも、二人とはゆっくりした時間が流れるところで過ごしたくなってきた。当初の目的地よりも随分と近場で済んでしまうが、それはそれでいい。これからもずっと一緒にいるのだから、肩ひじ張らずに楽に過ごせばいいんだ。  海沿いの道で車を走らせていると、後ろの席で瑞希が腕を伸ばしながら小さく声を漏らすのが聞こえてきた。ルームミラーを覗くとチャイルドシートに座る拓也はまだ眠っていたが、瑞希はキョロキョロと窓の外の景色を確認している。 「疲れてるのに連れ出しちゃったみたいだね」 「爆睡してた、ごめん……」  申し訳なさそうに笑うと、瑞希はバッグからハンドタオルを取り出して拓也の首の汗を拭う。子供はすぐに汗だくになるし、特に寝汗をすごくかく。大人が快適だと思う温度でも目の下や首元に汗が溜まっていることはよくある。 「どこに向かってるの?」 「海に行こうかと思って。最初は動物園とか考えてたけど、浜辺でのんびりするのはどう?」 「なら、途中で100均かホームセンターがあれば寄って欲しいな」  拓也の玩具を買いたいと言われ、了解と大袈裟に頷き返す。砂遊びが好きなことは聞いていたので、一面の砂浜に拓也がどんな顔を見せてくれるかと楽しみになってくる。 「拓也が海を見るの、初めてかも」 「そうなんだ」 「ママチャリで移動できる距離しか、連れて行ってあげたことなかったからね」  近いとは言っても、自転車を漕いで来れる距離ではないなと納得する。瑞希も免許は持っていたし、実家にいる時には親の車を借りて運転していたことはあった。けれど実家を追い出された後の移動手段は、もっぱら徒歩かママチャリだ。電車も滅多に乗ることは無かったし、特に乗る用事も無かった。 「そう言えば、前に乗ってた車はどうしたの?」  渡米前に伸也が乗っていたのは黒色のプリウス。着飾らない彼にはよく似合っているシンプルで実用的な車だった。エンジン音も静かで意外と車内も広くて、よく二人で車中泊しながら近場の旅行へと出掛けたものだ。 「あー、車も部屋と一緒に勝手に処分されてたよ……」  立場的に母親が主体となってやったことは明らかだ。経営者修行が数年に渡ると分かっていたのだろう、今となってはもう何とも思わないが、親だからと言ってやって良いことではない。当時の百合子が実父の会社を守ろうと必死だったのは分かるが……。 「戻って来てからは鴨井さんに乗せてもらうばかりだし、必要な時は借りればいいって思ってたけど、いろいろ連れてってあげられるから買い直してもいいかもしれないね」  子連れに便利で瑞希も運転しやすいのがいいなと、思いつく車種を頭に浮かべる。以前とは選ぶ視点が全く違っているのが新鮮だ。  車のことや海にまつわる思い出などを話していると、前方に少し大きめのスーパーの看板が見えてきた。昨今のスーパーなら必ず100均が入っているだろうと目を凝らせば、建物の壁面にセリアの三文字。 「あそこ、セリア入ってるって」 「じゃあ、寄って!」  平面駐車場に車を停めて貰うと、まだ拓也が眠っているからと瑞希は一人で財布だけを持って店に向かった。玩具の陳列棚は店の奥にあったが、どこの100均も似たような並びをしていることが多く、目的の品はすぐに見つかった。バケツにシャベルなどが入ったお砂遊びセットと小さな青いジョウロを購入する。家にあるのはダイソーの物ばかりだったから、形違いの新しい玩具も喜んでくれるだろう。  車に戻った瑞希は後部座席のドアに掛けかけた手を止める。中で伸也が何かを話しているのに気付き、そっと窓から覗いてみる。身体を捻り運転席から後ろを向く伸也は、眉を寄せて渋い顔をした拓也を必死で宥めているようだった。 「大丈夫だからね。ママはすぐに戻って来るよ。玩具を買いに行ってるだけだからね」 「……」 「えっと……まだパパには慣れないよね。だよね……」  泣きはしないが、微妙な顔で伸也のことをじっと見ている。知らない場所で、知らない車の中で、2歳児なりに考えている顔なのだろうか。風呂でも見せていたという顔はきっとこれのことだろう。自分には決して見せてくれない、貴重な表情だ。 「ただいま。お砂用の玩具、買ってきたよー」 「まーま!」  露骨に笑いを堪えながらドアを開けた瑞希に、伸也は少しバツが悪そうな顔を向ける。まだ二人きりになるのは早すぎたみたいだと、座席に座り直してはぁっと溜息をつく。 「瑞希が降りてすぐ起きちゃったよ」 「寝起きは特に機嫌が悪いからね……でも、泣かなかったし随分と慣れたみたいだね」 「そうなの?」  あれが慣れた顔とは思えないと、拓也の渋い顔を再び思い出してみる。父親として認めて貰うには、もう少し時間が必要なのかもしれない。
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