追加エピソード・運動会

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追加エピソード・運動会

 保育園の送迎時間は親の勤務時間に合わせて早かったり遅かったりと、園児によってバラつきがある。夫婦揃ってフルタイム勤務の家庭もあれば、どちらかがパートや在宅ワークで時間の融通が効く家もある。だから、基本の保育時間というものは一応あるが、実際に預けている長さは園児によって変わってくる。拓也が最初に通っていた園の場合なら、登園受け入れは7時から9時の間で、お迎えは16時から19時までという幅広い時間に対応してくれていた。  そんな訳だから、生後半年から保育園に預かって貰っていたが、同じ乳児クラスの他の親とは普段ほとんど顔を合わせることがなかった。ショップの開店時間の関係で、朝は一番遅くに登園して、お迎えの時間も一番遅い。お迎えに関しては、園内でも拓也が一番最後になることも珍しくない。  まともに他の保護者と会うのは半年に一度の保育参観の日と、秋に開催される運動会。参観は平日ということで全ての親が揃う訳でもないし、午前中に少し保育の様子を見た後、園長先生の話を聞いて帰るだけ。ヘタしたら誰がどの子の親なのかすら分からないまま、あっという間に終わってしまう。  だから、保護者同士の交流がしたい親からすれば、ものすごく物足りない園だったはずだ。けれど、余計な詮索をされたくなかった瑞希には逆に気が楽だった。入園式だって、保護者が一人しか参加していない家庭は他に何件もあったし、気後れする必要はなかった。  ただ唯一、運動会だけは違った。  普段は片親しか見かけたことがなかった家でも、祖父母や叔父叔母が一緒に来て賑やかに応援しているのだ。保護者の観覧エリアに敷いたビニールシートに一人でぽつんと座っているのは、瑞希だけ。運動会に呼べる身内なんていなかった。周囲が和気あいあいと盛り上がっている声を聞きながら、スマホのカメラを無言で構えて過ごすしかなかった。 「あ、この親子レースって、俺が参加してもいいのかな?」  キッチンカウンターの上に置いていた運動会のプログラムを見つけて、伸也が嬉々とした表情で聞いてくる。新しく通い始めたよつば保育園は、各学年に一つは親が参加するプログラムが用意されていた。 「え、大丈夫なの? 今の園、保護者でKAJIに勤めてるって人、何人かいるみたいだけど……」 「別に、知られて困ることは何もないよ。拓也、運動会はパパと一緒に走ってくれる?」  既に籍は入れてはいるが、社内外にはまだ公表はしていない。園行事でいきなり伸也に会った従業員はビックリするかもしれないが、彼が言うように後ろめたいことはもう何もない。  ダイニングテーブルで夜ご飯の一口おにぎりを食べていた拓也が、自分もプログラムを見たいと子供椅子の上に立ち上がろうとする。が、しっかりと固定されたベルトに動きを阻止され、不満げに唸っている。 「あと、この保護者対抗の綱引きって、事前エントリー制? もう出る人決まってるとかかな?」 「んー、どうなんだろ……前の保育園だったら、当日に参加呼び込みしてたけど」  まだ通い始めたばかりだから、分からないことだらけだ。前の園なら、少しでも分からないことがあったら、すごく不安になった。知り合いが少ないのは変わらないが、今はそこまで気にもならないのが不思議だ。 「意外。そんなに運動会を張り切るタイプだったっけ?」 「父親としての初めての公式行事って考えたら、そりゃ張り切るよ」  これまでの瑞希には肩身の狭い思いをする、辛い行事でしかなかった運動会。でも、伸也が楽しみにしているのを見ていたら、今回は待ち遠しいとさえ思えてくる。 「運動会っていうから、お弁当を期待してたんだけど、午前だけで終わるんだね」 「うん、保育園だから赤ちゃんもいるしね。乳幼児クラスは出番が終わったら先に解散みたい。閉会式までいなくていいんだって。前のところは保護者席で一緒に待機だったけど」  瑞希の言葉に、伸也は「へー、そういうこともあるのか」と感心している。病児保育のこともそうだが、周りに子供が居なければ知らないままだったはずのことが多い。  運動会の当日。秋晴れというほどではないが、風も無く過ごしやすい天気。園庭の隅、指定された保護者エリアには既にビニールシートが所狭しと敷かれていた。早めに来たつもりだったが、他の保護者達は何時から来て場所取りしているのだろうか、既に前列には割り込める隙が無く、二列目も残りわずかといったところ。後方の立ち見エリアには三脚を付けたカメラがずらりと並べられている。  大人達がひしめき合う保護者エリアに、持参したビニールシートを広げると、その上に荷物を置く。後ろで立ち見する人の邪魔にならないよう、伸也と並んで座った瑞希は、園舎の方を眺めていた。毎日通っているはずの保育園も、こうやってグラウンド側からだと全く別の場所のように見える。拓也達はいつもここを走り回ってこの光景を見て過ごしているのかと思うと、感慨深いものがある。 「あ、年長さんが出てきたわよ」  最初に気付いた誰かの声で、保護者席の視線が一斉に入場門へと向けられる。リズミカルな行進曲がスピーカーから流れ始めると、自然と手拍子が沸き起こった。
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