人の子

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 あなたは何年この景色を見ているのですか。もう飽きましたと断つことは許されず、同じ場所から動かないでいるあなたの偉大な精神力を尊敬します。  僕は人の子。あなたのような力強いお脚はありませんが、どこへでも歩いてゆくことができます。ですが、自由な故、未来が無限な故、我儘になってしまいます。己を誇るように空へ向かうその姿が美しくてたまりません。あなたを師としてこのベンチから立ち上がれば、軽やかに歩けますでしょうか。  もはや寒空の下で書いているということも忘れています。気づけば周りは暗くなってしまいました。あなたが居れば独りではないように思えます。  帰り際、肩を叩いたのはあなたですか。夜空を見上げて両手を広げてみましたが雨は降っておりません。恐ろしくなり早歩きしてしまいましたが、もしあなたでしたらごめんなさい。幼い頃、暗い道が苦手だったことを思い出しました。あの頃よりは大きくなって格好良く歩けていますでしょうか。  帰宅してからは阿呆みたいに酒を飲んで嗚咽しました。今朝の晴れやかな気分はどこに行ってしまわれたのかしら。まともに食事もせずに酒を流し込んで自ら吐きそうになりながらこれを書いているのですから、ほんとうに阿呆です。どうかその背の高いあなたに笑ってほしいのです。まだまだ若いなと笑ってください。あわよくば肴にしてください。  このまま落ちるとこまで落ちてみようかとさえ思えてしまいます。その証に今、部屋で煙草に火をつけました。こんなくだらない些細なことで何かに抵抗した気になれるのですから、案外人間も悪くないかもしれません。ロマンなどと書いて格好つけることしか叶わないのですから、何のために吸って生きているのかわかりません。  今日僕は子供のことを無垢だと書きました。純白だとも書きました。自分のことは黒か何かと例えているようです。ただの自惚れです。語世血という男を書いたのはまさに滑稽そのもの。あなたのような男を生んでしまうのですから、まだまだ無垢な子供かもしれません。  明日もまだ僕が生きているとするならば、この文章を読んで文学だと言ってくれるだろうか。僕ならきっと言ってくれると信じています。  もし僕が今、薬を飲んで死のうとするならば、人生を共にしている彼女は吐き出させようとしてくれるだろう。ならば大切な人の手に触れられて最後を迎えるなら、そのまま飲み込んでしまうのも悪くないかもしれません。  布団に倒れるだけでこんな阿呆なことを思いついてしまうのですから、人の子というのは醜いでしょう。あなたは何人の子を見守ってこられましたか。最後にこんなことを書くのは本当に我儘ですけれど、どうか僕を見守っていてください。人の子としてあなたになれるまで。
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