海の見える場所

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高校3年生の時だった。 自分の中で始めて芽生えた衝動。恋とはつまりこういうことなのか、と理解した。 漫画やアニメの恋愛ものをいくら見ても、ずっとそれに共感することができなかった。 周りより少しばかり高い身長、白い肌に綺麗な長い黒髪、小さい鼻がポテっとあって、リスみたいな大きな丸い目は、その暗闇が、吸い込むようにグッと惹きつけてきた。 スラっと伸びた鼻だったり、彫刻みたいな横顔だったり、透き通るような綺麗さ、というよりかは、可愛かった。 クラスで3番目ぐらいの可愛いさ。 完璧すぎない彼女がなにより完璧で、可愛かった。 「初めまして、志野結衣、と言います。これからよろしくお願いします」 転校生の彼女は、そう挨拶してから、担任が用意した席に行った。 窓際、一番奥の席から横に数えて、2番目の席。 澄月の横の席に、結衣は座った。 結衣は、澄月をチラッと見た後、これからよろしくね、とパッと笑った。 それから1限の現代文の授業が始まっても、澄月はまるで集中できなかった。 ずっと胸が高鳴って、横を気にしまう。 ただ、認めたくなかった。 これが、もし恋という感情だとしたら、自分は同性愛者だった、ということに気づきたくなかった。 多様性やLGBTがいくら世の中でいくら叫ばれていたって、自分はその傍観者でいたかったし、いるもんだと思っていた。 まさに、自分がその当事者であるということを認めたくなかった。 「今日も、前回の続き、森鴎外の舞姫についてやります」 教師は、そう言って教科書を開きながら、結衣の存在に気づいた。 「あれ、転校生だよね?」 教師がそう言うと、結衣はコクっと頷いた。 「舞姫について、今この授業では、豊太郎がエリスをドイツに残して帰国する最後の場面なんだけど、あなたがいた学校ではどこまで進んでいた?」 「確か、同じくらいの進行具合だったと思います」 結衣がそう言うと、教師は、じゃあ問題出しちゃおうかな、とにやけた。 「豊太郎が何故、結局エリスを置いて帰国にはしったのか、前回の授業の最後に考えたんだけど、豊太郎を最後にそう動かしたのは、つまりなんだと思う?」 教師はそう言って、結衣を見た後、まあ答えなんてないけどね、と続けた。 結衣は少しだけ黙って、空を見つめた後、多分、と呟いた。 「豊太郎は、ずっとエリスに恋をしていたから、最後に帰国を決断したのだと思います」 その時、教室に、クスクスと少し笑い声がした。 教師は、結衣がそう真剣に言うもんだから、なるほどな、と言って、頷いた。 「いや、これは不正解じゃないぞ。前回のみんなの意見は、豊太郎は酷い奴だとか、結局最後は自分のために見捨てたとか、色々な意見があったけど、こういう考え方もあるからな」 教師は、そう言うと、結衣に、ありがとう、と言って授業を続けた。 授業が終わった後、女子の一部が結衣の回りに集まって、和気あいあいとしていた。 澄月は、結衣が楽しそうに話しているのを横目で見ながら、ただやり過ごした。 その日、学校が終わり、何人かが結衣に、この後一緒に帰ろう、と声をかけた。 ただ、結衣は、私の家少し遠いから、と言ってやんわりと断った。 教室から、徐々に1人1人いなくなっていく中で、結衣は席に座ってただ本を読んでいた。 いつもは一人、すぐに教室を出る澄月も、結衣の存在が気になって、ただうろちょろと歩き回りながら教室に残った。 やっと、教室は2人だけになった。 澄月は、結衣をチラチラと見ながら、とっくに綺麗になっている黒板を再度黒板消しで拭いてみたりしていた。 そうして、静寂がまたずっと教室に流れて、澄月はもう教室を出ようかと思った。 「澄月、ちゃんだよね?」 結衣は、いつの間にか本を読むのをやめて、澄月を見ていた。 「え、あ、うん。そう」 澄月は、また平静を装いながら答えた。 「誰か待ってるの?」 「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど、一応まぁ仕上げに掃除しとこうかな、って」 「私も手伝うよ」 結衣はおもむろに立ち上がって、澄月の横で黒板消しで一緒に拭き始めた。 澄月は、自分では手の届かない高さまで拭いている結衣を羨ましく思った。 「結衣ちゃん、身長高くて羨ましい」 呟くようにそう言った澄月は、すぐにハッとした。 「あ、別に、そういう嫌味とか、全然そういうのじゃないからね」 慌てている澄月を結衣は横目でクスっと笑って、わかってるよ、と優しく言った。 そのまま、黒板を消している結衣を澄月は、ずっと眺めていた。 「家ってどの辺にあるの?」 澄月は、それとなく聞いてみた。 結衣は黒板を消しながら、遠いよ、と言った。 「海の見える場所」 「え」 「海の見える場所に一人で住んでる」 それを当たり前のように、結衣は言った。 澄月は、その先を聞くか躊躇った。 そうやって澄月が躊躇っているのを見た結衣は、そのまま黒板を消すのをやめた。 「親とかどうしているのって思ったでしょ」 「思った」 結衣はまた、ジッと澄月を見た後、奥の方に行って黒板を消し始めた。 「私ね、小さい頃に母親を亡くしてて、父親とずっと一緒に暮らしてたんだよ」 結衣はまたそうやって話すもんだから、澄月も、またそれを聞きながら黒板を消した。 「でも、お父さんさ、お母さんが死んでから、毎日お母さんのことずっと嘆いていたの。四六時中お母さんのことばっかり」 「そうなんだ」 「だから私それが嫌になって、逃げ出してきちゃった」 結衣はそう言って、こんぐらい綺麗になればいいよね、と続け、黒板消しを置いた。 「こんな話ごめんね。聞きたくなかったでしょ」 結衣はまたそう言って、足早に自席に戻ってバッグを取った。 「あ、待って」 澄月は、そのまま結衣の後姿に声をかけた。 「どうしたの」 「私も、お母さんを亡くしてる」 結衣は、一瞬、え?と発した後、すぐに黙った。 「私も小さい頃にお母さんを亡くしてて、そっからおばあちゃんに育ててもらった」 結衣はただ、そうなんだ、と呟いた。 「私達、嫌なことがなんか似てるね」 結衣がそう言って、バッグを肩にかけながら、笑って澄月を見た。 澄月もまた、胸が高鳴って、自然に笑みが溢れた。 蛍光灯の白光がやけに明るい教室は、薄暗い外の夜とは対称的な温度だった。
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