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11
暫く…キッチンに尻もちをついた俺は動けずにいた。レンジの中で、温めたはずの弁当が冷めていく。
俺はシンクを握って力無く立ち上がった。
シロの首筋に付いたキスマーク…付けた相手は…鈴野晴弥に違いない。
あのカフェから出た2人の背中を思い出す。
俺は一歩も足が動かず…いつの間にか2人を見失っていた。
あの後…
シロは…鈴野に何をされたんだろう。
涙を飲み込んで短く息を吐いた。
ガチャっとシロの部屋の扉が音を立てる。
俺は顔を上げて音のする方向に視線をやった。
カウンター越しから見えたシロは襟の高いシャツに着替えていた。
さっきまで見えていた紅い華の痣は…見えない。
なのに、俺ときたら…。
『シロ…俺が渡した傘は?』
シンクに吐き捨てるように呟いていた。
確か朝、俺たちが2人でさしていた傘はシロが持って行ったはず…。なのにシロは鈴野の傘を持って帰って来た。シロに関わる全てが気にかかって苛々する。
「ごめん、俺も良く傘忘れて来ちゃうんだよね…多分カフェだと思うんだけど…店を出た時は止んでたんだ。だから…うっかりしちゃって…。晴弥の家から帰る時はね、また少し降ってて…だから借りたんだよ。明日、カフェ行ってみる。」
『あぁ…あの…白いカフェな…』
ダメだ…
「え?」
シロが襟元を気にしながら立ち止まる。
『仲直り…出来たんだ…』
それ以上は…リスクが高過ぎる。
「何で…何で黒弥があのカフェに行ってたの知ってるの?」
俺は…苦笑いしながら呟いていた。
『たまたまだよ…大輝と授業サボってカラオケ行った帰りに、シロに似た背中見かけたから』
俺はいつからこんなに饒舌に嘘を付くようになったんだろう。
もう…手遅れかも知れないっていうのに…
まだ幼馴染みで、側に居る事を優先してる。
離れたくない。
離したくない。
ホッとした声音に染まったシロの言葉が、俺を悲しませるんだけど…それでも俺は、お前が大切。
「な、なんだ。そっか。…うん、明日見に行ってみるよ、傘……お弁当、食べようか。」
俺達はレンジで温めたスーパーの弁当を向かい合って食べた。
シロの白いシャツが変に気になって、俺は全部を食べないまま席を立った。
「食べないの?」
『ん?…あぁ…もういいや……煙草…吸っていい?』
いつもなら、まだ俺が食ってんだろ!とかキャンキャン吠えて…可愛いったらないんだ。
「あ、うん…換気扇の下でね」
どうにも物わかりが良くって…嫌になる。
俺はキッチンに入って換気扇のスイッチを押した。
カラカラ音がして、古いファンが回る。
咥えたタバコに火を付けた。
煙りが自分に当たらないように、片目をつむり顔を傾ける。
吸い込んだ煙りを吐き出したら、カウンター越しにシロと目が合った。
シロはパッと視線を逸らして俯く。
俺は…何とも気まずい空気に溜息をついた。
壁にもたれかかってクルクル回るファンを見つめる。
首筋の紅い華を…俺は許せない。
タバコを吸うと、俺の怒りみたいにしてジジっと赤く燃え、灰になった。
トンッと灰皿に弾き入れた灰を見つめて、仮に俺が怒り狂った後の惨状を見せられている気になっていた。
灰になるな…俺。
何だか確信に近かった。
俺とシロの関係が…変わってしまうのを感じていた。
『なぁ…』
俺は煙草の煙りを眺めながら呟いた。
「ん?」
シロの声が好きだ。柔らかくて、優しい。
『なぁんもない』
『ふふ…何ぃ…変だよ、黒弥』
「もうすぐ中間だしなぁ…変にもなるよ…」
弁当のゴミを手にキッチンに入って来るシロ。
「あぁ…中間テストかぁ…ヤダねぇ」
ゴミを片付けたり、箸を洗ったりするのを目を細めて見つめていた。
高い襟の向こうが…許せない。綺麗なうなじも…これじゃあ、見えない…。
『あぁ…酒呑みすぎて気持ち悪い』
「え?呑んでるの?」
急に…思いついた嘘は…
少しばかり無理を孕んで…迷いを生んだりしたけれど…押し通せば…それは真実になったりするんじゃないかなと…。
俺はタバコを灰皿に捻じ込んで洗い物をするシロに後ろから覆い被さった。
「お、重いよ、黒弥」
『飯食ったら気分悪い…』
グデンと身体を滑らせて、ぎゅうっとシロを抱きしめる。
シロは動きをゆっくり止める。
俺は、襟の高いシャツの上から、唇を押し当てた。
そうしたら…途端に叶わない行為が苦しくて…涙が流れたんだ。
シロのシャツに涙が浸みる。
「黒弥?」
『ん〜?…』
「泣いてない?」
『泣いてる…だって…気持ち悪い…』
「もぉ〜なんでそんな呑んだんだよ!」
『いや、ノリだよノリ!陰キャのおまえには分かんねぇかなぁ〜?ノリ!大事なんだぜぇ〜』
違う。泣いてるのは…おまえの肌に触れたのが…俺じゃないからだよ。
こんな茶番まで演じて、おまえに触れていたい。
シロはタオルで手を拭いて、抱きつく俺の正面に向いた。
腰にギュッと抱きついてくる。
「黒弥の部屋行くよ」
『え?…な…』
「気分悪いんだろ?横にならなきゃ。行こう」
シロが俺の腕を肩に回し掛けて支えるように歩き出した。
キッチンを出て、リビングにある2つ並んだドアの一部屋を開ける。
黒いシーツのベッドにゆっくり座らされて、「横になりなよ」
シロがそう言うから…俺は…そのままシロの首に腕を回して引き寄せた。
「ぅっわぁっ!くっ!黒弥っ!ちょっとっ!」
俺はシロを抱き枕みたいにしてベッドに横たわる。
後ろから抱え込んだ身体は華奢で暗がりの部屋で手足が白く浮き彫りに見えた。
真っ赤になった耳にそっと唇を寄せる。
きっと怒ってるんだ…。
触れるだけ…触れるだけだから…
どうか許して欲しい。
『シロぉ…昔はさ…よくこうやって寝たよな…』
少し身を捩っていたシロがピタッと動かなくなって、力の入っていた身体がダランと柔らかくなった。
「…うん…黒弥、寝相悪くて、俺しょっちゅう裏拳食らってた」
『ふふ…そうだっけ?』
「そうだよ…」
俺は…うっかり女にするみたいにして…後ろから抱いたシロの髪を撫でた。
ビクッとシロの身体がまた強張るのを感じる。
『跳ねてる…』
「え?なっ…何が?」
『髪だよ…髪っ!後ろ、ピヨンてなってる…ダッセェ…』
「うっうるさいなぁ!俺は黒弥みたいにカッコよく出来ないんだよ!もうっ!酔っ払いには付き合ってらんないや!水持ってくるから離して!」
『……』
俺は無言のまま、シロの身体を引き寄せた。丸くなった背中をすっぽり胸元に抱きしめる。
「黒弥ぁ…はな」
『ヤダよ…』
「何言って」
『なぁ…シロ…』
俺は…シロの身体を仰向けにして組み敷いた。
顔の横に手を突いて…名前を呼ぶ。
『シロ…』
「…黒弥…」
あぁ…可愛いなぁ。透き通るみたいなブラウンの瞳…。口角がキュっと上がった薄い唇。
白い…ツルツルの肌。
俺は肘を折って、白の上に覆い被さった。
「黒…弥…」
『……きっ…気持ち悪っ…』
「黒弥っ!だっ!大丈夫?!」
俺はシロの髪に顔を埋めて、呻くように演技した。
息苦しい。
危ない!
もう少しで、普通にキスして、普通にシャツの中に手を潜り込ませるところだった。
ゴロンとシロの横に仰向けに寝転ぶ。
『悪い…水…欲しい。飲んだら…寝るわ』
「う、うん!待ってて!水入れてくる!」
シロはベッドから起き上がると部屋を出て行った。キッチンで音がして、シロがグラスを片手に戻ってきた。
俺の背に手を当ててゆっくり起こしてくれる。
薄暗い俺の部屋で、グラスの中の水が妙に艶めかしく揺れた。
「はい、水」
『ありがとう…ふふ…シロ…飲ませて』
「え?ぁ…あぁ…グラス、持てない?はい…」
シロはグラスを両手で持って、俺の口元に向かって傾けた。
俺はその手を掴んで、グラスの水を口に含んだ。
それから、シロの華奢な肩をつかんで静かに
………唇を重ねていた。
みるみる間にシロの薄いブラウンの瞳が開いて揺れる。
含んだ水を口移しでシロの口内に流し込んだ。
シロの唇から漏れた水が顎を伝いシャツを濡らす。
「ンッ…」
あんまりに柔らかな薄い唇を…顔の角度を強めて、重ね直した。
顎から首筋をゆっくり撫でて、舌を入れられないまま、ゆっくり離れた。
ゴクッとシロの喉が鳴って、俺は口づけたばかりのシロの唇を指先で撫でながら…笑った。
『水、こうやって飲ますんだぜ?シロちゃん知らない?』
遊び慣れた俺の調子に、シロは弾かれたように正気に戻って手の甲で唇を拭った。
「ばっ!!バカじゃねぇの!!何がこうやってだよっ!」
キャンキャン吠える俺の可愛いシロ。
俺は、酔った振りを続けてシーツに倒れこんだ。
『だぁーってぇ!こないだ王様ゲームでやったんだもんなぁ〜。ビールを口移しで飲ますってヤツ!俺、超うまかったんだぜぇ…一滴も溢さないで…ぅ…気持ち悪りぃ…』
「バカな事言ってんなよ!この酔っ払い!俺をゲームの相手にするなっ!水っ!ここに置いとくからなっ!!」
コンッと強めにサイドテーブルにグラスが置かれる。
シロはベッドから立ち上がり部屋を出て行く。
強く閉まった扉。
俺は仰向けのまま腕で顔を隠した。
もう、全然笑えなかった。
滝のように涙が流れて、止まらなかった。
シロの唇をこんな形で奪って、俺はそれでも、好きで好きで堪らなくて、苦しくて、息が出来なくて…
泣きながら震える俺は、もう幼馴染みの顔を演じて行く自信がカケラも残っていない気がして、怖かった。
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