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12
白episode
カフェを出る時、雨はもう止んでいた。
晴弥とカフェの席で、お互いの舌を絡めて、深い口づけを交わして…俺は他でもない黒弥の事ばかり考えていた。
ザァっと風に靡いた街路樹から、さっきまで降っていた雨粒がパタパタ落ちて俺の頰を濡らす。
目が覚めるような冷たさに、溜息しか出なかった。
何をしてるんだろう…そんな風に自問自答もした。
だけど…答えはわかり切っていたんだ。
俺は…晴弥を…
黒弥の代わりにする事を…選んだ。
背中を支えて水溜りを避ける様に誘導してくれる晴弥に身体を預けて歩いた。
奇しくも晴弥は全てが何となく黒弥に似ていたんだ。
背格好も、輪郭も…整った目鼻立ちも…。
俺がそう見えるように思いたいだけかも知れないけれど…それは俺の中で、結構重要な事だったんだろう。
晴弥の一人暮らしするマンションに着いた。
そこは学校の斡旋があるマンションではなくて、隣近所はまったくの知らない人が暮らしてると晴弥は言った。
何を安心したんだろうな…。
強張っていた肩の力が抜けるのを感じていた。
学校の誰かに知られないように…なんて、今更都合の良い事を考えたせいだ。
黒弥にはバレたくない。
そんな甘い考えだった。
俺って意外と自己中なんだなぁって気づいた瞬間でもある。
自分の身体は、心は、もう黒弥を求める事を隠すのが限界で、それを晴弥で解消しようと考えてる。その上、それを…誰にもバレたくないだなんて…。
身勝手だ。
マンションは新築の単身者用で、1LDKの広い間取りだった。
中に入った俺はぐるっと辺りを見渡して
「広いね…新築だし、家賃高くない?」
「あぁ…俺、ずっと施設で育ってね、早く出たかったから、中学からバイトしててさ…結構貯めたんだ。おかげで、バイトしなくても暫くはどうにかなるくらい。」
苦笑いしながらキッチンで、コーヒーをグラスに注ぐ晴弥。
「立ってないで座りなよ」
リビングのソファーの前にあるテーブルにグラスを置くと、晴弥はニッコリ笑った。
「あぁ…うん、ありがとう。」
ソファーにゆっくり腰を下す。
全体的に黒い家具で揃えてるせいか、黒弥の部屋を思い出していた。
黒弥のベッドのシーツは黒で、置いてるデスクや、パソコンも黒なんだよな…。
まぁ、昔から名前で俺たちは色分けされてるところがあったから…。
俯いていた俺の頰に晴弥が触れた。
長くて大きな手の平まで黒弥に見えるから不思議だ。
「白…俺たち、付き合うって事で良い?」
包まれた頰に手を重ねた。
上目遣いに晴弥を見つめる。
「………いいよ…俺なんかで良いなら」
鳴海涼の代わりを…してあげる。
だから…黒弥に触れられない俺に…黒弥を感じさせて欲しい。
声にならない願いだった。
晴弥はそのまま俺をソファーにゆっくり押し倒す。
俺は初めての経験に心臓が飛び出してしまいそうだった。
キスだって初めてだったんだ。その先なんて、未知の世界でしかない。
ギュッと瞑った目。身体はまるで石にでもなったみたいだったに違いない。
晴弥が瞑った瞼のすぐ側でクスクス笑い出した。
「白…ガチガチだよ」
「ぁ…ごめっ…俺…こういう事…」
「初めて?」
いつもは髪で隠れてる瞳が俺を捉えた。
視線を外しながら頷く。晴弥はゆっくり唇を重ねて、俺の髪を撫でた。
冷たいピアスが俺達の舌が上手く絡まるのを邪魔する。
まるで、間に鳴海涼の亡霊でもいるんじゃないかとさえ思った。
「んぅっ…はぁ…ン…」
クチュクチュと静かなリビングに響く水音と、俺の息が上がるに連れて漏れる声。
いやらしい事をしている。そう思うと、相手はいつだって妄想で黒弥だった俺は、簡単に晴弥を黒弥に置き換える事が出来た。
ソファーにじんわり沈む背中。
顔の横に突かれた大きな手の平。
少し重みを感じる俺を抑え込む身体。
唇から晴弥が離れる。
息が上がっていて、高揚した息遣いのまま、目を細めて俺を見つめる。
今にもお互いに違う人の名前を呼びそうだと感じた。
「白…好きだよ」
晴弥にそう囁かれ、初めて夢から覚めたような感覚を覚えた。
ハッとして、少し身を捩る。
晴弥の肩を掴んで名前を呼ぶ。
「せ…晴弥…」
晴弥は俺の首筋に唇を這わせて、キツく吸い付いた。
「ンッ!!ちょっ!ごめっんっ!」
ぐぅっと力一杯肩を押した。
晴弥が膝で立ち上がり、上半身を起こす。
「白…」
「今日はっ…今日はここまで…ね?」
「怖くなっちゃった?」
「ごめん…情けないよね…」
晴弥は首を左右に振って、俺の腕を引いて起こすと、そのまま胸元に抱き寄せた。
ソファーの上で、抱き合う俺達は、お互いに大して喋らず、なんなら、壁掛け時計の秒針の方が煩かったくらいに感じる。
「ゆっくりでいいよ…俺の事…好きになって」
晴弥の言葉を聞いて、顔を上げる。
俺は晴弥に、黒弥の事は一言だって打ち明けていない。それがバレた訳じゃない事くらい、分かっていたのに、どうしょうもない申し訳なさが俺を襲って、誠実な晴弥の目が見れなくなっていた。
ただ俯いたまま…ごめんって小さく繰り返すしか無くて…。
晴弥が俺の頰を包んで、また唇が重なる。
「謝らないで……大好きだよ…白…大好き」
心地いい…流されそうだった。
顔中に触れる唇も、首筋を辿る指先も…優しくて、甘くて、黒弥だと思うと、ゾクゾクして、俺は腕を晴弥の首に絡めてしがみついていた。
「晴弥…あんまり…優しくしないでよ。俺…俺…」
「良いんだよ…俺が好きな事に変わりないから…俺がしたいようにさせといて。白は…少しずつ、俺を見てくれたらいい」
俺が女なら…こんな良い男にここまで言われて、良い気にならない訳がない。
俺は唇を噛み締めたあと、晴弥の首筋に埋めた顔を上げて、キスをねだった。
優しく触れる晴弥の唇が心地よくて、気持ち良いのに…次のステップへ踏み込みそうになるのを…何故か躊躇する俺は居なくならなかった。
晴弥は…黒弥じゃない。
身体を重ねたら…何か変わるのかな…。
ずっと好きで、大好きで仕方ない黒弥の事を…俺は忘れるだろうか…。
俺は散々抱き合い、口づけを交わし合った晴弥の身体を押した。
「今日は…帰る」
「…うん。分かった。」
無理強いしない晴弥の優しい声。俺の髪を撫でて、愛おしそうに見つめてくる。
俺は襟元を掴んだまま晴弥に最後のキスをして、ソファーから立ち上がった。
玄関に向かうと、また雨音がしていて後ろに立つ晴弥が玄関を押し開いたら、やっぱり外は暗くて雨がパラついていた。
俺は上向いて晴弥を見つめる。
チュッと優しく啄むようなキスをされ、苦笑いしながら晴弥が
「傘…カフェに忘れて来ちゃったね…コレ使って。送るよ。」
俺は首を左右に振った。
「1人で帰れるから…傘…借りるね」
そう言って靴を履いたら、後ろから手を引かれて…正面から抱き合う形に身体が収まった。
「晴弥…」
「白…」
少し震えている晴弥の背中を撫でた。晴弥は俺が好きだと言うけど…晴弥の中に、鳴海涼が居ないはずは無くて…複雑に絡み合う感情の中を漂うしか出来ない俺達は…息も出来ない程に今を必死だった。
唇が重なる事に、少しずつ抵抗がなくなって行く。
カチッと当たるピアスが…当たり前になって行く。
「んぅっ…ふっ…ン…晴…弥…」
熱いキスに息が上がる。
「ごめん…抑え…効かなくて…また…明日」
晴弥は眉間に皺を寄せて俺の頰を撫でた。
「うん…また…明日ね」
大きな傘を開く。
手を振る晴弥に傘を揺らして答えると、薄暗い道をトボトボ歩いた。
唇を指先でなぞる。
何度も何度も…キスをした。
晴弥の舌がまだ口の中にあるみたいだった。
ポケットの携帯が鳴ったのはそんなボンヤリしていた時だ。
黒弥から…
晩飯どうする?って…
"今帰りなんだ。何か食べたいものある?買って帰るよ"
そう送ったら、遊び人らしい黒弥の返事。
"おまえが食べたい"
何人に言って来たんだろうね…俺は苦笑いしてしまう。
バーカ!って入れたいのに…食べていいよ…なんて返しそうになる。
畳み掛けるみたいにして、
"帰ったらシロを食べる"って入ってきた。
人の気も知らないで…本当チャラ男なんだから。参るよ…。
俺がどれだけおまえが好きか教えてやりたいよ…。大切な幼馴染みって関係をぶち壊して…教えてやりたい…。きっと…女好きの黒弥からすれば、想像もつかないだろうな…。男の俺が…ずっとおまえに惚れてるなんて。
気持ち悪がられちゃうな…そんなの…キツすぎて耐えられる筈ない…。
深い溜息を落とした時、またLINEが入って来た。
"ごめん、嘘。スーパーの弁当適当に買って来て"
俺が返事しなかったから怒ってると思っちゃったのかな。クスっと笑って返事を返した。
黒弥は唐揚げが大好き。
だから、スーパーで、残り2つしかなかった唐揚げ弁当を買って帰った。
すっかり辺りは暗くて、少しだけ小走りになった。
玄関に傘を掛けて、弁当を黒弥に渡して、そこから…俺はパニックを起こしかける。
レンジで弁当を温めてたんだ。そしたら、黒弥が急に肩を掴んで何だか怒鳴るから…
ビックリしたのと同時に、俺の首筋に指先で触れた黒弥の顔が強張ってるのに気付いて思わず突き飛ばしてしまって…
俺は何故だか部屋へ逃げ込んだんだ…。
晴弥が何度も何度も顔を埋めて、そこに唇を寄せていた。
部屋の鏡で首筋を確認したら、くっきりキスマークが付いていて…俺は顔面蒼白のおもいでクローゼットを漁った。
襟の高い白いシャツは、帰宅後に着る服には不釣り合いだったけど、黒弥に見られるわけには行かなかった。
黒弥に…気づかれたくなかった。黒弥が触れたのは一瞬だったし、きっとキスマークだなんて、まさか気付いてないはず。だって…俺だもん。俺に、そんなおいしい話があるなんて思う訳がないんだ。
部屋から出た俺に、傘の話を振られて、カフェに忘れた下りを話したら…あの白いカフェな…なんて言い出すからビックリした。
仲直りしたんだって呟いたから…俺と晴弥の事を心配してくれていたんだと思うと、ちょっと心が痛んだ。
俺、友達居ないもんな…大輝くらいしか。
黒弥も大輝と学校をサボってカラオケ行ってたんだって言うし、その時に俺達を偶然見かけたらしい。
その偶然は俺をホッとさせていた。黒弥は、何も気付いてない。何故なら偶然、ただ俺達を見かけただけだからだ。
何も怪しまれはしないだろう。
黒弥は弁当を大して口にしないまま煙草を吸いに換気扇の下に移動した。
カウンター越しに火をつける黒弥と目が合う。俺はそれを焦って逸らした。
ヘビースモーカーで、俺がいつも注意するのに、全く聞かない。
でも、本当は、黒弥が煙草を吸う姿が大好きだ。一瞬、それがバレるんじゃないかと焦ってしまった。
長い指に挟まれた煙草。
揺らめく紫煙を煙たそうに片目を閉じる様。
煙りを吐き出した後に首を傾げて俺に微笑む癖…。
俺は、多分、重症な黒弥中毒なんだろう。
その姿を横目に洗い物をしたり、弁当のゴミを捨てたり、なんて事のない流れの中、黒弥が急に後ろから覆い被さってきた。
こういうコミニケーションは得意じゃない。
心臓に悪いし、全部想いが伝わっていきそうな気になるからだ。
酒に酔って気持ち悪いと駄々をこね出した黒弥を見兼ねて部屋へ連れていったんだ。
そしたら、一緒になってベッドに引きずり倒されて…
抱き枕みたいに後ろから抱きしめてくる。
耳に触れている黒弥の唇が熱くて…俺は危うく勃ちそうになっていた。
酔っ払いな上、暗闇だ。
俺は諦めてどうでもいい昔話なんかに付き合った。
そしたら黒弥、やっぱり気持ち悪くなったらしく、俺は慌てて水を汲みに行ったんだよ。
グラスで飲まそうと、角度を気にしてたら、手元からパッとグラスが無くなって…。
気づいたら黒弥が俺の唇を
……塞いでた。
口内に溢れる水。
口角からダラリと流れて顎を伝い首筋を濡らす。
夢にまで見た…黒弥とのキスがこんな形で俺に降りかかってくるなんて。
何度か顔が角度をつけて、深く唇を重ね直してきた。
ゆっくり離れた唇が、いつものお調子者らしく言葉を紡ぐ。
『水、こうやって飲ますんだぜ?シロちゃん知らない?』
遊び人の黒弥だもん。俺にキスする筈なんてない。ましてや酔っ払い…。
黒弥の口から出て来る言葉は、俺を拍子抜けさせた。
王様ゲーム?
ビールを口移し?
得意だった?
俺は物凄く嬉しかったくせに、物凄く怒ったフリなんかして、語気を荒く部屋を飛び出した。
黒弥の触れた唇が甘くて、水が流れ込んで来なかったら…
俺は自分から舌先を押し込んでいたかも知れない。
襟元にしがみついて、その先を望んだかも知れない…。
遊びなんだって気付いて…良かった。
ギリギリだよ…こんな冗談…もう俺には耐えられない。
自分の部屋に入ってから、胸元を掴んでうずくまった。
苦しい。
触れて欲しい欲求が…こんなにも…苦しい。
黒弥に抱かれて…めちゃくちゃにされたいなんて…完全に、壊れてる。
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