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14
白episode
黒弥が俺にキスをした。
いや違う…正確には酔っ払って王様ゲームで繰り広げた得意技のビール口移しを俺に披露したかっただけらしい。
何度か傾いた顔が深く俺の唇を塞いで、飲み切れない水が口内を満たした時、我に返って正解だった。
あんなのが冗談なら、本気のキスは…俺をショック死させるんじゃないだろうか…。
怒ったフリで黒弥の部屋を飛び出して自分の部屋にこもった後、散々泣いて朝が来るのが怖かった。
晴弥と付き合う事になった俺は、忘れるつもりの黒弥を思って…こんなにも泣いている。
朝が来て、自嘲気味た笑いを漏らした後、小さく息を吐いて部屋を出た。
リビングはシンと静寂を鳴らして人の気配を感じない。
黒弥…居ない?
俺は洗面所で顔を洗ってリビングに戻った。
やっぱり…静か過ぎる…。
唇を結んで握った拳に力を込めて黒弥の部屋をノックした。
心臓が口から出ちゃいそうだ。
いやいや!あれは!昨日のは…ただのゲーム!!黒弥ならいつも誰かれ構わずやってる事なんだ…落ち着けよ、俺…。
返事がない。
寝てる?昨日…本当のところ、随分酔ってるようには見えたけど、俺が強く感じる程には酒の臭いはしなかったんだ。
変わりに…凄く甘く感じた…。それは…最早願望だったんだろうか。
「黒弥ぁ…居ないの?」
俺はそっとドアを開いた。
部屋は無人で…ベッドのサイドテーブルに置かれた灰皿に数本の煙草が捻じ込まれていた。
静かに部屋へ入る。
後ろ手にドアを閉めた。
部屋の中は、黒弥が使ってる香水の香りが少し残ってる。
ベッドに腰掛けて…サイドテーブルに置かれた灰皿に…手を伸ばした。
捻じ込まれた煙草の一本を指先で挟む。
小刻みに震えるのは…いけない事をしてる自覚があるからだ。
舌先をゆっくり伸ばして…煙草のフィルター部分に絡めた。
「ハァ…くっ…」
ドクンと下半身が疼く。
微かに香る煙草の香り。黒弥の…匂い。
一緒に置いてあったライターで火をつけた。
「ゴホッ…ゴホッ…」
普段取り込まない煙が肺を満たす。
おまえは吸うな!…黒弥にいつだったか言われた事がある。チビなんだから背が伸びねぇぞって。
人の隣で、ばかばか吸うくせにさ…。
一度黒弥が吸った煙草だと思うだけで…すっかり変態じみた行為にふける俺は抑えがきかなくなっていた。
指先に近づいたフィルターギリギリの煙草の煙りを吸い込み火を消す。
そのまま黒弥のベッドに仰向けに寝転んだ。
「フゥー…」
天井に向かって煙りを吐き出す。
ユラっと揺れながら広がる様が妙にいやらしかった。
いつも黒弥が吐き出す煙りをそんな如何わしい眼差しで見つめているせいだ。
ゆっくり、ゆっくり部屋に広がる紫煙に目を細めながら、ジーンズのボタンを外し、ファスナーを下げた。
「ハァ…んぅ…ハァ…」
下着の中に手を差し込む。
熱く反り勃った…あさましい欲望は既にヌルヌルと濡れていた。
「くろ…好き…ハァ…んっ…ぁ…ハァ…ハァ…ぁっんぅっ…」
俺は片手で黒弥のベッドのシーツを引き寄せた。鼻先に擦り付けて香りを吸い込む。
あぁ…この匂いだ…黒弥の優しい甘い匂い…。
他の人からしない。
黒弥だけからする…特別な香り…。
自分の熱に絡めた手を規則的に上下させ追い込んだ。
大した時間もかけず…あっという間に持って行かれる。
「ハァ…ハァ…ハァ…ふふ…変態かよ…参るわ…こんな…シーツと煙草でイクなんて…腐ってる」
俺は自分の手に絡みついた白濁を天井に向けて仰ぎ見た。
開いた指と指の間に透明に光る粘りが糸を引く。
「ダラしない…こんな事…」
結局…昨日の夜を最後に、俺は黒弥に会わなくなった。
前にもこんな事があったなぁなんて、苦笑いしてしまう。
確か、付き合いだした彼女の家に入り浸って…何日か戻って来なかったんだ。
このタイミングで…黒弥が戻らない事を有り難いと思うべきか…俺は考えあぐねていた。
1日、1日、日が経つに連れて黒弥の噂は大学中を駆け巡り始め、友達の少ない俺の耳にさえ内容が伝わり始めた。
その内容は友人じゃなかったら、きっと黒弥を良く思う奴なんて居ないんじゃないかな…。
俺は話しを聞かせてくれた数少ない友人にさえ、弁解してやる事が出来なかったんだから。
黒弥は女の子を端から順に…そう、まるでショーケースに並んだケーキを端から食べて行くみたいにして、1日交代で相手を変えて過ごしているらしい。
1日交代…そんなところに、世の中の男達は普通に嫉妬するわけで…。自分もそうなら良かった、そんな人生が良かった…そう思って、酷く羨んでる。
そりゃあ…あの見た目だもん。モテない方がおかしい。
長い手足…バランスの取れた身体。サラサラ靡く色素の薄い茶色の髪に…整った顔。優しい声に、遊び慣れた社交性ある性格。
誰もが羨ましいんだよ…。
皆んなが黒弥に憧れてる。
皆んなが噂する黒弥を…どうしてだか俺だけは目にする事がなかった。
何日か経った頃、避けられてるんじゃないかと思い始めて、なかなか寝付けなくなった。
もう何度か黒弥の部屋へこっそり入っては…
黒弥の服を拝借して事を済ませてる。
俺の変態的行動がこれ以上加速しないうちに、生身の黒弥にいつも通り、シロッて犬みたいに呼んで欲しかった。
あれから…晴弥とは…キスしかしていない。
付き合っているんだと思う。
何度かあの部屋へも行った。覚悟なんてしてないまま…簡単に踏み込む俺を、晴弥は襲わないわけじゃなかったけど、俺はいつだって中途半端なまま…最後までやってしまう事はなかった。
身体中には…紅い痣が散っている。
ピアスが絡まるキスも慣れた。
晴弥の優しい囁きは、嫌いじゃない。
「白、今日先帰ってて。また連絡するね」
「ぁ…うん、わかったよ。」
晴弥といつも帰る筈が、俺は1人ぼっちになっていた。
でも…正直なところ、ホッとしたり…しないわけじゃなくて…。
久しぶりに歩く1人の帰り道に何となく隣を見上げたりして…黒弥を思ってた。
蒸し暑い熱気がひかない7月。
期末がすぐだって言うのに、意識はぼんやりして、勉強どころか大好きなゲームも近頃は集中出来なくなっていた。
ポケットに入れていた携帯が震える。
手にして画面をタップする。
「大輝!どうしたの?」
「デートのお誘い。どう?今からちょっとお茶でも」
「ふふ…何だよ、デートって。良いよ。俺も今1人だし」
「だと思ってさ」
「え?」
「あぁ…いやっ何でもない!白、今どこ?」
「あぁ…大学出たとこだよ。あっ!美味しいコーヒーがあるカフェ行く?近くなんだ」
「あぁ…いやっ!今日はさ!俺が行く店で良い?俺、どーしてもそこのパンケーキ食いたいんだよね!」
「ぁ…うん、いいよ!俺も食べよっかなぁ。腹減って来ちゃった。」
大輝に道を聞いて、いつも晴弥と行く白いカフェとは反対に歩いた。
大輝はスタイルが良いくせに大食感だ。
情報通な所もあるからきっとそこのパンケーキは美味いに違いない。
俺は沈みっぱなしだった気持ちが、たかがパンケーキくらいで少し上がった事にビックリしていた。
意外に単純なんだな…俺。
「あぁ!こっちこっち!」
出来たばかりだろうお店は何だか凄くシックな造りで、全体的にアンティークなブラウンを使った空間だった。
何だか大輝らしい。
眼鏡にパソコンにマッシュヘア…大輝はお洒落なインテリサラリーマンみたいな雰囲気がある。少し大人で、俺なんかはその空気感を少し分けて欲しいくらい幼く見えた。
店の奥から俺を呼ぶ大輝。
「あれぇ…眼鏡変えた?」
俺はリュックを下ろしながら大輝の向かいに座る。
「ったく!おまえくらいだよ!俺のこのトレードマーク的存在の眼鏡を変えて気づいてくれんのは!」
テーブルのノートパソコンをリュックにしまいながらぼやく大輝。
俺はクスクス笑いながら、オーダーをとりに来たスタッフにコーヒーとパンケーキを注文した。
「ふふ…そんな事ないと思うけどなぁ、大輝カッコいいし、モテてるはずだよぉ?」
ポケットの携帯を取り出してテーブルに置いた。
「いやぁ…それな!俺もちょっとくらいは顔に自信あるんだぜ?だけど、一緒にいる奴がイケナイんだな。アイツがぜんっぶ持ってくんだから!」
俺は苦笑いしながら
「黒弥?」
「そっ!…ていうか、アイツまだ一回も帰ってねぇよな?」
大輝の言葉に俯いた。
運ばれてきたコーヒーに、ストローを袋から出してグラスに差し込む。
「うん…まぁ…いつもの事なんだけどね。今回は長いよ…もう何週間も戻ってない。俺が居る時にはね。」
「はぁ?アイツ、白が居ない時には帰ってんのかよ」
「うん…服、取りに来てんのかな…灰皿に吸い殻がね、増えてたりする。」
大輝は溜息を落としながら頭を掻いた。
「ほんっとにアイツどうしょうもないね!救えないわ!」
「ホイップクリームチョコソース添えパンケーキになります」
スタッフの人が頼んだパンケーキを持って来た。
顔を上げると、そこには2人のスタッフが大きな白皿を2枚ずつ抱えていた。
顔を下ろしつつ向かいの大輝に目をやる。
「な、何皿食うの?」
「3だな…あ、適当に置いといて下さい」
スタッフの人が大きな皿を何とか机に置くと立ち去って行った。
「相変わらず食べるねぇ…」
俺は呆れながらフォークとナイフを手にした。
「まぁな、それより…大丈夫か?」
「ん〜…何が?」
「あぁ…まぁ…その…噂とかさ…相変わらず聞いちゃうのか?」
切り分けたパンケーキにザクッとフォークを刺した。
「ふふ…聞くよ…幼馴染みなんだろ、あの鬼畜!とか。大体がやっかみだよね…あれだけ女の子取っ替え引っ替えしてんのにさ…女の子達も、騙されてもいいから付き合いたいって思うんでしょ?…黒弥は…カッコイイし、魅力的だもん。」
口に放り込んだパンケーキはむちゃくちゃフワフワでチョコが苦味を出して絶妙な味わいだった。
「んまっ!!」
「ハハ、だろ!ここの、白は絶対好きだと思ってさ。あっまくないのが白ちゃんにお勧めなポイントな。」
向かいの大輝は得意げにフォークを揺らしながら笑った。
「さすが大輝だね!情報屋ってあだ名つくの分かるわ」
「良かったよ、白が笑って。」
「え?…ぁ…俺、笑ってない?」
「最近元気ないじゃん…黒弥に戻るよう話してみるよ」
「…いいよ、そんなの。」
「嘘だね…おまえ最近ゲームも来ないじゃん。黒弥の事だけか?最近ずっと鈴野とベッタリだよな?……アイツ…ゲイだって知ってる?」
ピクッと身体が反応して、ナイフとフォークを皿に置いた。
グラスを手にストローをクルクル回す。
「知ってる…」
「白…付き合ってんの?鈴野と」
俺はジーっとグラスのコーヒーを眺めて俯いたままその質問を反復していた。
それから、間を置いて、小さく呟いた。
「ふふ…うん…付き合ってる。」
上目遣いに大輝に視線をやり、苦笑いした。
「キモいよね。」
大輝は眼鏡を中指で押し上げる。
「キモくねぇわ、バーカ」
何も無かったみたいにナイフとフォークを動かしてパンケーキの残りを食べ始める。
「あのさ…間違ってたらごめんな…」
一口を食べ終わった大輝は俯きながら
「俺…白はずっと黒弥が…」
「あ!大輝…」
「ん?」
「クリームついてるよ!ふふ…ハイ、拭きなよ」
「ぁ…ありがと」
テーブルに置いてある紙ナプキンを押し付けて大輝を黙らせていた。
大輝が何を言おうとしたかはすぐに分かってしまった。
それが、恥ずかしかったんだ。
俺の想いは…そんな風に筒抜けなのかと思ったら、とてもじゃないけど、目も合わせられなかった。
まして、ここで大輝に俺の想いを伝えてしまったら、黒弥にそれが伝わるんじゃないかと、怖かった。
あの家で…一緒に暮らすんだ。
まだ…三年もある一緒に過ごせる時間を…棒に振る事になりかねない。
それだけは…嫌だったんだ。
俺はこの同居生活を最後に…黒弥の思い出で生きていけるって…それだけを許してほしいって…。
その願いまで…取り上げられたら…辛すぎる。
そこから大輝は、黒弥の話に触れなかった。
賢い奴だから、きっと色々気付いているんだろうけど、俺が言葉にしなかったんだから…
何も黒弥にはバレない。
俺のこの醜い感情は伝わらない。仲の良い幼馴染みを守らなきゃ…俺は黒弥の側に居られなくなる。
「大輝…俺がさ…晴弥と付き合ってんの…黒弥に話す?」
「話して欲しくないんだろ?」
俺は力なく頷いた。
大輝は何もかも分かってるって具合に溜息を吐く。
「白…今日…黒弥、家に戻るかもしんないよ。」
「えっ?」
馬鹿みたいに反応してしまう。
大輝は優しく微笑んだ。
「あんまり…無理すんなよな。」
言葉では大輝を誤魔化したつもりだったのに、身体が素直に黒弥って名前に反応してしまう。情けなかった。恥ずかしかった。
俺は苦笑いして、小さく頷くと、最後のパンケーキを口に入れた。
大輝と別れて、スーパーに向かう。
夕暮れの寂しい雰囲気が何故だか今日は辛くない。
"家に帰るかも知れないよ"
大輝の言葉に、心が躍っていたんだ。
久しぶりに…顔が見れる。声が聞ける。
もう、それだけで良かった。
黒弥が好きな唐揚げを作ろう。帰って来なくても、帰って来るんだっていうこの高揚感だけで、俺は随分と満たされていた。
「久しぶりに沢山買い物したな…おっも…」
俺はスーパーからヨロヨロ買い物袋に重心を取られながら何とか家まで辿りついた。
両手に握っていたスーパーの袋のせいで指の血が通ってないみたいに痛んだ。
「張り切りすぎかよ…」
自嘲気味た呟きを吐き捨てて、食材を冷蔵庫に詰め込んだ。
2人が好きなチョコレートもしっかり2つ用意した。
キッチンに立つと、いつの間にか鼻歌なんか歌いながら…料理を始めていた。
帰るかどうかなんて、分かりもしない…黒弥の為に。
ガチャ
玄関が開く音。
俺はドキッと心臓が跳ね上がって、生唾を飲み込んでいた。
それなのに、口の中はすぐに渇いて、ギュっと胸元のシャツを握り締めた。
玄関からの足音は
どんどん近づく。
俺は最後の唐揚げを油から上げて、菜箸を置いた。
「黒弥!お帰りっ!」
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