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「今から?…うん…あぁ…明日じゃダメなのかな?…違うよ…うん、いいよ。じゃ、行くよ。分かったってば。待ってて」 電話が切れて、シロの足音がこっちに近づいてくる。 俺は慌ててベッドに飛び込んだ。 コンコン ノック音がして急いで返事を返す。 『はいっ』 「入るね」 扉が開いてシロが顔を出す。 「俺、ちょっと出てくる。チョコ、冷蔵庫だから、ご飯済んだら食べなよね。」 『…どこ…行くんだよ。』 「ぁ…あぁ、なんか晴弥が会いたいって。渡したい物があるらしくてね。明日じゃダメ?って聞いたんだけど…すぐ近くに居るんだって。ちょっと行ってくるね」 『なぁ…シロ…』 胡座をかいてる俺は俯いたままシロを呼ぶ。 『チョコ…一緒に食うから待ってる』 「え?…あ、いいよ、待ってなくて。」 『ヤダ!飯食ったら一緒に食べるっつっただろ!』 「黒弥…今日、変だよ?」 シロの眉間の皺…タダっ子のような俺の態度… 胡座で組んだ足首をギュッと握って俺は笑い出した。 『ク…ククク…ふ…アハハッ!アハハハ!!ウッソだよ!バーカ!行ってらっしゃい!チョコ冷蔵庫な!サンキュー』 俺はシロの神妙な面持ちにも、声音にもビビってしまって… これ以上訳の分からない事を言ったら、一緒に居れなくなる気がして、焦っていつも通りを演じた。 横断歩道の青信号がチカチカ点滅してる感覚。 渡りかけて渡れない。 引き止めかけた…引き止められもしないのに。 俺には結局、勇気がない。 鈴野がゆっくりシロに手を伸ばすのが見えるのに… 俺は一体、どうしたらいいんだろう…。 どんどん余裕が無くなってく。 毎日一つ屋根の下、シロの毒が至る所に落ちていて、少しずつ少しずつ俺を中毒にして行くんだ。 怖かった。 俺はそんなに  強くない。 玄関が開いて、シロが出て行く音がする。 身体が…走り出しそうだった。行くなって言いたくて、苦しくなって、ベッドに倒れ込んだ。 鈴野は…俺から大事なシロを…連れ去って行く。 ニヤリと笑った時に見えた八重歯を思い出していた。 シロの肩に回す手を、耳元に寄せた唇を、髪を撫でる指先を… シーツに転がった携帯を手にする。 大輝の携帯を鳴らしてうずくまる。 暫くの呼び出し音を耳に大輝の低い声がした。 「どーしたぁ、こんな時間に」 『大輝ぃ…俺、死んじゃう』 「はぁ〜?おま、何言ってんだよ。…ぁ…白か?」 『ぅゔ〜ん…大輝はエスパーか何かなわけぇ?』 「バァーカ、おまえがわっかりやすいんだよ!」 『…大輝ぃ…俺…キモくない?』 シーツをグルっと身体に引き寄せる。身体に無駄に巻きつけて、手足が芋虫みたいになる。携帯を持つ手首だけしか動かない。 「はぁ…どっちだぁ?キモいって言われたいか?それとも、逆か…例えばキモかったとしたら、俺はお前とどうして毎日連んでんだろなぁ…愚問だわ」 溜息混じりに話す大輝は吐き捨てるように言った。 俺は暫く黙って、クスクス笑ってしまう。 『お前、本当いい奴なぁ…』 「何かあったんだろ?」 『…鈴野が…シロを狙ってる。おまえ、アイツの事、何か知らない?』 「鈴野…かぁ、ちょっと調べるわぁ。待てっか?」 『出来れば…急ぎで頼む』 「はいはい、白、今居ないんだな」 『鈴野に…会いに行った。』 「…ふぅん…止めなかったんだ。」 『るせぇなぁ…』 「ま、後で連絡するわ。じゃ、」 大輝の携帯が切れて、俺は自分を拘束してたシーツをグルンと解いた。 身体がベッドにダランと広がる。 白い天井に溜息を放り投げて、グッと腹に力を入れ上半身を起こした。 ケツポケットからタバコを出す。 吸いすぎ! シロの言葉を思い出す。 火を付けるのを躊躇して…それでもライターのホイール部分を擦った。 ジッと音がして、咥えた先に赤い火が滲む。 電気を付けないままの暗い室内にぼんやり灯ったタバコの火が余りに頼りなく揺れた。 部屋にある窓からは月明かりが差し込む。 すぐ近くに来てるって…鈴野の奴… 一体どの辺に… 俺はベッドから立ち上がってレースのカーテンを少しだけ開いて外を覗き見た。 マンションの下の通りに人影を見つける。 何となくタバコを持つ手を下げて壁側に背を寄せた。 シロと…鈴野だ。 まるで犯人をはってる刑事みたいに片目でカーテンの隙間を覗き直す。 まさか…こんなタイミングで… 俺はそれを目にするなんて本当、どうかしてる。 鈴野の手が向かい合うシロの肩を掴んで引き寄せた。しっかり重なった唇…。 それはまるでスローモーションで… 俺はブラウンの瞳が驚きに見開いたのを… ただ、窓辺から見ているだけだった。 ズルッとへたり込んでタバコを灰皿に押し込む。 身体中がザワザワしていた。 ベッドの上の携帯が光ってる。 俺は立ち上がれないまま、膝に額を押し当てた。 髪に指を差し込んで力が入る。 頭を抱えて小さく蹲った。 知らぬ間に涙が溢れて声が漏れそうだった。 『クッソ……なんでっ…シロ…』 バァンと玄関が開く音がした。 慌ただしいような足音… シロが隣りの自室に走り込むのが分かった。 俺は涙を拭って立ち上がる。 部屋を出て、リビングで深呼吸した。 息を飲んで、シロの部屋を… ノックする。 コンコン… 返事が無くてもう一度手の甲を扉に当てた。 コンコン… 『シロ…帰ったんだろ…開けてい』 「開けるなっっ!!!」 『シロ…何かあっ』 「ごめんっ!!ちょっとお腹痛いから!ごめん…明日でもいい?」 『…分かった…薬…飲めよ』 「うん…おやすみ」 『……おやすみ』 シロの動揺している理由を… 俺は知っていて…部屋に乗り込んで、抱きしめて、アイツが触れた唇をどうにかしたい衝動に駆られたけれど… 強く拒むシロの声音が本気の拒絶を知らしめていたせいで踏み込めなかった。 リビングから見える玄関を見つめる。 いつもはちゃんと揃えて脱ぐシロの靴が、バラバラに脱ぎ捨てられていた。 俺はぎゅっと拳に力がこもるのを感じていた。 自分の部屋に入って、ベッドで光る携帯を手にした。 大輝からの折り返しの電話が2件入っていた。 掛け直す気力がなくて、自分から聞いた鈴野の事を知るのが怖くて、携帯を枕元にそっと置いた。 それから… もう一度部屋を出てキッチンに入り冷蔵庫から生姜焼きを出した。 レンジで温めるとチンッと高い音が鳴って…俺が今からしようとしてる事がシロに伝わった気がして…俺は何かを期待していた。 シロが…部屋から出て来やしないか….。 さっきの事を…相談してくれないかと…。 温めた皿をダイニングテーブルに並べて、食事を始めた。 カチャカチャと食器が寂しげに鳴るだけで、シロの部屋の扉は開かなかった。 シンクに沈めた皿を洗う。 スポンジから出たシャボン玉がキッチンをフワフワと飛んだ。 ガチャ… 扉の開く音に俺は手を止める。 「ご飯…食べてくれたんだ」 『バカ、当ったり前だろ。さっきは…用を思い出しただけだよ…美味かったよ、シロの生姜焼き。』 食器を洗い終えて、タオルで手を拭く。 『コーヒー…入れようか…』 「ぁ…うん。ありがとう」 俺はカップにコーヒーを注いで、両手に持つとリビングのソファーに座るシロに一つを手渡した。 隣りにソッと腰を下ろす。 「ありがと…」 『ん…あぁ…鈴野…なんだったの?』 躊躇しながらも聞かずには居られなかった。 シロは両手でマグカップを包んで握り込みながら俯いた。 「大した事じゃ…なかったよ」 『腹は?』 「え?」 『さっき…帰った時…腹痛いって』 「ぁ…あぁ…うん…横になったら…治った。」 シロは…ぎこちなく…苦笑いする。 嘘なんて…得意じゃないからだ。 シロの薄い唇を見つめる。 俯いていたシロが急に顔を上げて俺を見た。 ビックリしてしまって、慌てる俺。それを見て釣られて慌てるシロ。 「あ、ごめっ!えっと…あの…チョコ…食べた?」 『え?あ!いや!まだ…取ってくる。半分こにしよっか…俺、あんなに食えないし…』 「うん…そうだね…」 ソファーから立ち上がって、キッチンの冷蔵庫からチョコを出した。 昔からシロと俺が好きなミルクチョコ。 戻ってソファーに座り、パキッと半分に割った。 『はい…』 「ありがと…昔はさ…一枚ペロっと食えたよね…」 ちょっと思い出し笑いしながらシロが銀紙をめくった。 『だな…。今も調子良かったら食えるけど、ふふ』 「そうだねぇ…」 確実に…変な空気の中、俺とシロはチョコを食べた。 コーヒーを啜りながら…。 会話なんて弾むわけもなくて…俺はシロの唇ばかり気になっていた。 出来る事なら…上書きしてやりたい衝動を抑える。 それがダメなら…。 『シロ…チョコ付いてる』 「本当?」 目の前にあったティッシュを何枚か引き抜いてシロの肩を掴み、こっちを向かせると、唇に当てて擦った。 「イタタ…そんな強く擦ったら痛いよ!」 『いや、だってチョコだぜ?取れないんだもん。』 「分かったよ!自分で拭くから!」 シロは俺の手からティッシュを奪うとちょっと乱暴にゴシゴシ唇を拭いた。 俺はそれだけで…少し満足していた。 「と…取れたかな?」 唇を指先で撫でながら上目遣いに聞いてくる。 『うん…取れた』 「良かった。あ、黒弥だって…ついてんじゃん」 シロが身体をこっちに向けて俺の口元に手を伸ばしてくる。 絶対ダメなのに… ダメなのに俺は… シロの伸びてきた手首を引っ張った。 バランスを崩して俺の胸元に倒れ込むシロ。 俺はてっきり怒鳴ってキャンキャン怒るに違いないって思ってたんだ。 デロンと俺にもたれかかったまま動かない。 『シロ?…』 俺の肩に乗せた頰は動かない。 掴んでいた手首をゆっくり離した。 それから…恐る恐る腰に手を伸ばす。 もう少しで抱き寄せようかと思った瞬間だった。 シロがパッと起き上がって俺を真っ直ぐ見つめた。 「俺、風呂入って寝るね。口のチョコ、ちゃんと拭けよな」 『え?…ぁ…あぁっ…分かった。』 シロはそのまま自分の部屋へ入って、着替えを手にするとバスルームに歩いていった。 俺は…一気に身体の力が抜けてしまって、ソファーにへたり込む。 どうして俺は… おまえがこんなに… 好きなんだろう。 どうしてこんなに… どうしようもない感情に包まれるのか… 自分がシロに触れた両手をジッと見つめた。 手首は細くて、滑らかで、俺の力で幾らでも自由になりそうだった。 緩み始めたネジを何度も何度も締め直す。 ポンコツの理性はギリギリのブレーキ痕を残して… 俺の胸を締め付けた。
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