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白episode 翌日は雨だった。 黒弥が朝ご飯を作るなんて珍しい事を言ったからに違いない。 それとも…俺の心模様ってヤツだろうか。 晴弥にキスをされ、慌ててマンションに戻り朝になった。 殆ど毎日一緒に居たんだから、今日晴弥に会わないはずがなかった。 俺が暗いせいか、朝のダイニングテーブルは酷く空気が重たくて黒弥の機嫌も分かりやすいくらい悪かった。 黒い傘が一本。 玄関の靴箱にかかっているのはそれだけで、仕方なく2人で相合い傘なんかして学校へ向かった。 黒弥の肩がいくらか濡れているのが分かる。 昔からそうだった。 黒弥は俺を守ってくれる。 俺はそれに…静かにキュンキュンしてんだよ。 絶対的に俺に弱みを見せない。 そんな男らしさと、優しさが辛い。 頭一個分背丈のある黒弥が吸う煙草の煙りが風向きによって俺の方へ流れてくる。 綺麗な形の唇から吐き出された煙りは、1度黒弥の体内を通ったかと思うだけでドキドキした。 煙草を持つ長い指先を盗み見ては、目の前の水溜りに小さな溜息を落とした。 黒弥が急に立ち止まって、傘を傾けるから…足元からずっと視線を上に上げて…俺は固まってしまったんだ。 立っていたのは晴弥で、悲しそうな何とも言えない表情で俺を見つめていた。 黒弥と晴弥が軽い言い合いになって、俺は黒弥を盾にするように晴弥を拒んだ。 涙が止まらなくなってしまって、正直なところ、まずいと焦っていた。 黒弥に気付かれたくなかった。 何をだろうか…。分からない。 だけど…何も知らないで欲しかった。 俺が繕ったら、黒弥は無理強いする事なく引いた。 俺はおまえの腕の中で…何を考えていたんだろう。 晴弥の事?違う…俺が昨日唇を重ねた相手が、黒弥だったらって思うほどに涙がこみ上げたんだ。昨日から…ずっと…ずっとそう思ってる。 何かあったのかって心配して俺を抱き寄せる黒弥の腕が、このまま欲しかった。 髪を撫でてくれる指先が、このまま欲しかった。 たまたま俺の耳に掠ったおまえの唇の感触を…喜んでいるなんて…知られちゃいけない。…絶対に。 次から次へと、俺達に接触してくる登場人物に嫌気がさしていた。 女の子… 可愛らしい花柄の傘が似合うその子は、黒弥に随分馴れ馴れしくて、窺い知れるところ、恐らく新しい彼女なんだろうなぁと悟った。 その場から逃げるように立ち去ろうとしたら、大きな手の平が俺の手首を掴んで傘を手渡してきた。 掴まれた手首はジンジンと熱を持って…。 唇をバレないように噛み締めて黒弥が彼女の傘に入る事を確認して走り去った。 黒弥への想いは、とうの昔に蓋をしたはずなのに… どうしてだろう…。年を追うごとに…膨らんで…ただ苦しい。 黒弥と彼女が追いつけない程度には走り抜けて…最終的には足が動かなくなった。 俯いた俺の視界には、ビシャビシャに雨水が染み込んだスニーカーがボンヤリ映っていたる。 パシャ… 水音がしてハッと顔を上げた。 目の前には… さっきと同じ、悲しそうな顔をした晴弥が俺を見つめて立っていた。 ここを回避したところで堂々巡りなのはわかり切った事だ。 「さっき…ごめんね。」 俺の言葉に晴弥は首を左右に振る。 「俺が悪いから…時間…貰ってもいいか?」 晴弥の苦笑いが心苦しかった。 いつもと違う俺達の関係が浮き彫りだったせいだと思う。 大学の校舎へは入らず俺達はそのまま街へ出た。 雨足が強くて、晴弥は何度か俺を振り返っては大丈夫?と問いかけてくれた。 少し歩いた先に、小さなカフェがあって、何度か晴弥と使った事のある場所だったから、そこに入るだろうなぁって後を追った。 晴弥は店の軒下に入って傘を畳んだ。手を伸ばして俺の傘を同じように畳んでくれる。 晴弥と居ると、何故だか俺はいつもそうされてるように動く事がある。初めて来た場所でも、晴弥と居ると、そうじゃない気がするんだ。 その感覚は何だかとても不思議だった。 店内は白を基調に造られている。 席はソファーになっていて、全ての椅子がチグハグに用意されたお洒落な店内だ。 あまり混み合うような店じゃないせいか客は居なかった。 メニューを持ったスタッフさんがおしぼりを差し出してくれる。 両手で受け取り手を拭いた。何故か向かいじゃなく隣に座った晴弥も同じように手を拭いている。 コーヒーを2つ頼んだら、スタッフさんはすぐに姿を消した。 「学校…サボらせちゃったな…」 「いいよ…たまにはね…」 俺は上手く会話が繋げられないでいた。 時間貰ってもいいかなんて…昨日のキスの事以外ないだろ…。 「昨日…突然…ごめん」 「もういいって…忘れようよ。晴弥もどうかしてたんだろ?」 俺はおしぼりを綺麗に畳みながらテーブルに置いた。 そうしたら、おしぼりを置いた手に晴弥の手が重ねられた。 ビクッと身体が硬直するのが分かった。 「な…何だよ…」 「聞いて欲しい。俺…白の事…好きだ。」 俺は目を見開いて晴弥を見た。 「何…冗談言ってんだよ」 「本気だよ…俺は、おまえに会って…救われたんだ。」 重ねられた手がゆっくり離れて、晴弥は手を組んで俯いた。 「俺…死のうと思ってた。」 「はぁ?…何?さっきからさ…」 「これ…見てくれる?」 晴弥はポケットから携帯を取り出して何やら画面をタップしている。 画面をこっちに向けた時…一枚の写真が…俺の動きを完全に停止させた。 「これ…お…れ?」 見覚えの無い部屋の中。 晴弥に肩を寄せて…少し照れたように笑ってる俺が映ってる。 いや!俺じゃない!まるで合成なんじゃないかってくらいの写真ではあるけど…。 「俺じゃない…誰?」 晴弥を見つめる。 晴弥は本当に哀しそうな顔で苦笑いした。 「言わないつもりだったんだ。…だけど、俺が白を好きになった以上…いつかバレる事だから…伝えなきゃ後でややこしくなると思って」 俺は眉間に皺を寄せて訝しげに晴弥を見つめる。 「コイツは鳴海涼…俺の…恋人だった。」 「恋…人?…だった?え?この子、女の子なの?」 晴弥は静かに首を左右に振った。 一瞬、外の雨音がまるで集中豪雨みたいに唸りを上げて降りつける。 ザァーッッとまとまったその音に一瞬怯んだ。 「涼は…男だよ。俺達はそういう関係だった。」 「さっきから…過去形なんだね…。別れちゃったの?」 俺は運ばれて来たコーヒーカップを手にした。 「そうだね…今となったら…もう戻れない。」 「未練あるんじゃないの?その言い方じゃ…そう聞こえる」 俺は少し冷たく言い放った。 薄暗い照明が雨で真っ暗な空模様のせいで余計に光のない空間を作り込んでいた。 空気が淀んでいて…苦しい。 「死んだんだ…涼は…自殺した。」 俺は傾けていたカップを止める。まるで一時停止ボタンで操作されたみたいに…。 「じ…さつ…」 晴弥は力なく頷いた。 「もう…居ないんだよ。」 俺は自分の事でもないのに…胸がギュッと苦しくなった。雨のせいか…思ったより苦いコーヒーのせい…いや…晴弥の…言葉のせいだ。 ゆっくりカップをテーブルに戻して、晴弥に目をやる。 黒く艶のある髪が綺麗な顔を人目から隠すように覆って居て、長い指が少し震えながら組まれていた。 捨てられた猫みたいだ。 力なく…弱い。 「晴弥…」 「白は、涼に凄く似てたよ。本当、初めて会った時…息を呑むってこういう事言うんだなって…。生きてても仕方ないって思ってた俺は…白を見つけて…それだけで救われた。見てるだけでも良かった。だけど…我慢出来ず近づいてしまった。」 「…どうして自殺なんて…」 俺は曇った表情のまま晴弥に問いかける。 晴弥は…今にも泣き崩れてしまいそうな顔で…微笑んだ。 「俺との関係がタチの悪い不良にバレたんだ。涼はそれを俺に隠してた。殴られて、蹴られて、気持ち悪いなんて言って苛めにあってた。俺がある日それに気付いて…そいつらを病院送りにした。…良く覚えてないんだけど…許せなくて… そしたらまんまと停学処分くらって…2週間アイツに会えなかった。…帰ったら…涼は…家に居なかったんだ…。病院に入院してた。…」 はぁ…と深い溜息を吐いて、晴弥はコーヒーを一口煽った。 「病気…だったの?」 晴弥は首を振る。ゆっくり左右に振って…項垂れ頭を抱え込んだ。 「腹いせだよ。…涼はアイツらにレイプされた。面白半分に暴力を受けながら…身体中痣だらけで…出血が止まらなくて、見つかった時は酷い状態だったって…。」 俺は手の平で口を押さえていた。 言葉が出ない。 「女じゃないからさ…もうあんなのただの拷問だよ…見舞いに行ったら…一度だけ会ってくれた。好きだよって俺に言ったんだ…言ったクセに…涼は次の日、病院の非常階段から……飛び降りた。」 押さえていた手に力が入って…息をするのを忘れそうになる。 晴弥が俺をゆっくり見つめて苦笑いした。 「言わなくて済むならしたくなかった。こんな話…。白が気になったのは…涼にそっくりだからだった。だけど…今はちゃんと白が好きなんだ。…後から知られて誤解されたくなかった。」 俺はジワジワと平静を取り戻しながら晴弥の誠実な話を理解しようとしていた。 心の中で、言葉にならない感情が渦を巻いていたけど…それは声にならなかった。 涼くんの…代わりじゃないの? たった一言だったと思う。 俺は…それを聞けなかった。声に、ならなかった。 これ以上辛そうに話す晴弥を見てられなかった。 隣りに座る晴弥の手を…片手を伸ばしてゆっくり繋いだ。 晴弥が驚いたのを手の強張りから感じた。 "代わりじゃないの?" そんな酷い言葉が…心地よく胸の奥を満たす。 晴弥と目を合わせた。 それは 合図だったのかな… 黒弥…俺は…黒弥が…大好きだよ。 今も…今この瞬間も…大好き…。 目を閉じた先に長い睫毛。 重なった唇。 晴弥の香り。 舌先のピアスが またカチッと俺の歯の裏で 音を立てた。
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