第五話『何時かの時計は涙を流す』

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夢を見た。 それはそれは楽しそうにしている小さな家族。一緒にピクニックをして、お花の冠を作ってお父さんに見せに行く少女。『可愛いね』と頭を撫でられている彼女は満足げに微笑み、その後すぐにお母さんにも撫でられていた。 でも、すぐに場面は変わった。 人の悲鳴と叫び声、それと共に鳴り響く大砲の音と銃声。耳をつんざくような甲高い金属音は耳を塞ぎたくなる。そんなことをしたら自ら死にに行くのも同然で。生きるか死ぬかの世界。 どうにかして生き延びねばと怒声の指示に従うのみ。動かなくなった人らしきものを乗り越えて前へ前へ進んで行く少女。彼女の目には何も映らず、綺麗だと言われた瞳には濁った色だけが残っている。 生き延びないと。 生きて、生きて、生きて。 それで?  その後は?  人を殺すだけ殺した人間が生き延びて、それで?  分からない。どうすればいいのか。 誰か、指示を。そうしなければ、少女は、私は、何もできない。 「……っ! はぁっはぁっ……ゆ、め……」 目を見開いた先に見えたのは、畳の上に置かれた服。綺麗に畳まれているのを見ると、ロロが置いてくれたのだろう。何の準備をすることもなく寝てしまっていたらしい。 上にかけられているのは下敷きになっていた羽毛布団。春はすぎたとは言え、まだ肌寒い。風邪を引かないようにと、わざわざかけてくれた。キュッと心臓が痛くなる。あんなこと言ったのに、何で優しいのだろう。彼の優しさは本物だけど、私が欲しいのはそれではない。 「嫌なの、見たなぁ」 体を起こして天井を見上げる。何度もここで眠ってきたことを実感する。初めてこの部屋で寝ようとした時は心臓がバクバク鳴っていた。誰かがここに来るかもしれない。私を殺しに来るかもしれない。慣れてしまった非日常が私にとっての日常だったから。 興奮状態の私はずっと目を閉じれず、ひたすら木目を見つめていた。そんな時でも彼は一緒にいてくれた。『私がいるから、ね』と、それだけ言って腕の中に私を閉じ込めた。 何かに包まれる安心感は久しぶりで、どうすれば良いのか分からなかった。でも、何故か自分の母親を思い出した。温かくて、優しくて、お日様の匂い。全てを投げ出して預けたくなる感覚。それが、あの時の私にとってはロロだったのかもしれない。 「まだ、六時前か。少しだけ……」 ちらっと見た壁掛けの時計は短い針を五と六の間を指している。久々に思い出した出来事を胸の奥にぎゅうぎゅうと押し込み、私は布団から出た。私よりも小さいタンスの中から薄手のカーディガンを取り出し、腕を通す。 これくらいがちょうどいい。暑すぎず、寒すぎないようにするのはそこそこ難しいと最近知った。布団をいつも通り畳んで端っこに寄せる。今回は誰にも気づかれないように襖を開ける。そっと、音を立てないように。 寝静まっている民宿は静かすぎて耳が痛くなりそうだ。ギィと鳴る木材の音にハラハラしながら玄関まで行き、たまにしか履かないサンダルを選ぶ。近くに行く時にしか使わないけど、今が使いどきだろう。襖を開ける時と同様にこっそりと履いて外へと抜け出した。 「はぁー……ちょっとだけ、寒いかも」 息を吐くとほんのちょっとだけ白く見える。冬のように真っ白になることはないけれど、これもきっと春から夏へと近づいている証拠だろう。歩くたびにサンダルの擦られる音が鳴り、海の香りが近くなってくる。 よく抜け出しては海を見つめていたっけ。海に縁があるとかではないけど、不思議と足がそちらの方へと向いてしまうのだ。ある日なんとなくロロに聞いたら『まぁ、きっと神様のせいね』と言っていたのだが、いまいちピンと来ない。
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