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「友達は、ここに住んでいるのですか」
「うーん、多分? ちょろっと話を聞いただけなんだけど、もう働いてるとか」
「その友達に会いにいくのですか」
「そうだね。……でも、勇気が出ないって言うか」
「勇気ですか」
私の言葉をもう一度真似し、口を閉じた。聞かれるがままに話してしまったけど、よかったのだろうか。詳しく話してるわけじゃないし、大丈夫かな。きっとそれを聞いて悪用する子じゃないだろうし。
彼女の方を見てみると、ちょっと視線を下にずらして何かを見つめている。視線を辿ると、そこには一匹の小さい蟹。一生懸命移動しているようだが、ちょっとずつしか進んでいないようだ。懸命に生きている証拠、と言えば綺麗かもしれないけれど、途方もないことをしているようにしか見えない。
「私も、友達いました」
「そうなんだ。どんな子?」
「誰にでも優しく、自分がお腹を空かせていてもパンをくれる子でした」
「優しい子なんだね」
「でも、死にました。私の目の前で」
「え」
「流れ弾による腹部損傷。止まらない血を私は見つめることしかできませんでした。最後に彼女はこう言ったんです。『あなただけでも逃げて』って。自分は死にかけているのに、人のことを想える子でした」
死んだ、流れ弾、腹部損傷。聞きなれない単語は私の耳の上を滑るように消えていく。普通に暮らしていたら遭遇しない言葉。
ドラマや小説でしか聞いたことのない言葉。表情の変わらない彼女を見つめることしかできなかった。変わらず蟹を目で追っているようで、閉じた口をもう一度開く。
「何か思うことがあるのなら、すぐにでも伝えるべきかと」
潮風は真っ白な彼女の肌を撫でるように動き、共に踊るように濡れ羽色の髪の毛が浮かんでいる。髪の毛の間から見える彼女は真っ直ぐに海を見つめていた。動いていた蟹はどこかへ隠れたのか、見当たらない。事務的な会話に聞こえる彼女はすくっと立ち上がり「帰りましょう」と提案した。
「もうすぐ、ロロが朝ご飯を作り終わります」
ざあっと波が引いていく。瞬間、ピタッと風が止まった。凪いでいた彼女の髪の毛はふわふわと落ち着き、日の出を吸い込むような黒い髪と反射する白い肌が見えた。私を見つめる目は変わらず緑を含んでおり、揺れることはない。
私は「そう、だね」と曖昧な返事しかできず、同じように立ち上がった。私が立ち上がったのを確認したからなのか、スタスタと来た道をそのまま戻って行く。
後ろ姿はどこにでもいる少女。可憐で、風に吹かれて消えてしまいそうな女の子。でも、何かを抱えて生きている。
「すぐに、伝えるべき……」
彼女の言葉を反芻する。私に必要なことはそれだけのようで何も言えなかった。
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