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 はじめて『あれ』を見たのは、小学校四年生の時だった。自転車に乗って友達の家に遊びに行く途中、四つ角を曲がった途端、私は車にぶつかった。搬送先の病院で、両親とおばあちゃんが「かすり傷ですんでよかった」と青い顔で話していたのを覚えている。入院の必要は無かったので、そのままお父さんの運転する車で家に戻ることになった。  後部座席から外の景色を眺めていた私の目に、突然『あれ』が飛び込んできた。私はすぐに隣に座るおばあちゃんの耳元に顔を寄せた。  「倉持さん家、お葬式なの? ほら、白と黒の幕が見えるよ」  近所の倉持さん一家は、夫婦とおじいさんの三人家族だった。子供がいないせいか、夫婦はもとより、特におじいさんが私を実の孫のように可愛がってくれた。遊びに行くと、いつもお菓子をくれて、塗り絵や折り紙に付き合ってくれた。その倉持さんの家が、黒と白の縦じまの幕ですっぽりと包み込まれていたのだ。助手席から、お母さんの「何言ってるの? どこがお葬式なの?」という怪訝そうな声が聞こえた。車が倉持さんの家の前を通り過ぎると、おばあちゃんは私の肩をそっと抱いた。 「今見たことは誰にも話しちゃいけないよ」 「おばあちゃんも見たよね?」  おばあちゃんは何も答えなかった。「紀子のためだよ。わかったね」  と、顔を寄せ小声でささやくおばあちゃんからただならぬ雰囲気を感じとった私は、わけが分からないまま「うん」と小さく返事をした。  それから一週間ほど経ったある日、回覧板を手にしたお母さんが血相を変えて居間に転がり込んできた。 「倉持さんのところ、おじいさんが急に亡くなったんですって。お元気そうだったのにね……」  テレビを見ていた私とおばあちゃんは無言で顔を見合わせた。  おじいさんのお葬式は町内の公民館で行われた。私は両親とおばあちゃんと一緒にお焼香を済ませた。優しかったおじいさんを思い出すと、涙がぽろぽろとこぼれた。  帰り際、私は公民館の壁に張ってある白と黒の幕にそっと手を伸ばしてみた。つるつるとした触覚はどこにでもある普通の布だった。 「鯨幕って言うんだよ」  おばあちゃんは、つないでいた手にギュッと力を入れながら教えてくれた。  それから、私はしばしば鯨幕を見た。近所の家やマンション、時には商店街で……。建物が余すところなく鯨幕で覆われた光景は異様で、本当のお葬式でないことは一目瞭然だった。すると、数日後に必ずその家の誰かが亡くなった。  話しちゃいけない――。  私はおばあちゃんの言いつけを守った。
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