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第1話『 Empty 』
灰白の世界が夜明けの朝日に導かれる。
じりりと鳴るアラームをフライング気味に電源を落とし、暗闇で発光する燐銅の瞳がカーテンを開け放つ。
まだ夜を孕んだ童話の世界から現実を突きつけるように、残酷な太陽が蒼を連れてきた。
寝不足がちな目をこすり上げ、窓から入り込む春の空気を吸い込む。
カレンダーのページをめくり、新しい1日の訪れを感じて、じわじわと疼く胸焼けを抑えた。
猫に似た足取りでベッドから跳んで、階段を降りた洗面台に突っ伏す。
チェシャの眼。どこか上の空のようなそれを鏡で眺め、蛇口を捻る。
冷水に浸せば、ぴりっと刺激が頬を触れて、すかさず横脇のタオルでぬぐう。
しっかり五秒間冷えに悶えてふうと息を吐くと、ようやく寒さに慣れた手が再び冷水に触れた。
いつも通りの朝――、なのだろうか。
着替えを済ませてリビングに降りてテーブルに並べられた朝食を片付ける。
レタスサラダと目玉焼きをトーストに乗せ、ニュースを脇目に頬張る。ばりっ、と焦げぎみの耳がおいしく鳴った。
ちょうど天気予報の時間で、キャスターが地方ごとの一週間分の雲の様子を解説していた。
日常というプロセスというのはいささかやることが多い。もっと作業を省略しても、生存に支障はないと思う。
サイズぴったりの制服を身に纏い、なんだか新鮮な面持ちで時計を確認する。7時半、そろそろ出なくては遅刻してしまう。鞄をひったくり、玄関へ向かう。
「……ごちそうさま」
ささやき程度に残したそれは、両親に届いていただろうか。
「いってらっしゃい」
目を合わせないまま、声だけが零れる。
まるで他人のようなやりとり。新聞に顔を伏せる父。汚れ一つない食器を洗う母。両方ともに一瞥することなく踵を靴に収めて扉を閉めた。ひどい虚無感に見舞われて肩を落とす。
穏やかな陽が眠たげな頭を気持ちよく起こしてくれる。閉鎖的なリビングよりも外のほうが幾分かマシだ。
通り慣れたはずの通学路を同じ服の集団を追って歩いていく。
うっかり見失ってしまうと迷子になりかねない。
不審に思われないぎりぎりの距離を保ってブレザーにしまい込んであったMP3プレイヤーの電源を入れる。
流れてきた曲はどれも聴いたことがなかったが、気を散らすにはちょうど良かった。
四月も半ばだというのにこの体は寒がりなのか、何枚重ね着してもまだ肌が冷える。
バス停が河沿いにあるということで、このみちを通るのはやむをえないのだがやはり寒い。
この街はどこかあべこべだ。ゆっくりと景色を楽しむ路面電車にサラリーマンがわんさか乗ってたり、道路の広さに甘えた車が渋滞を起こしていたり。
この地域はほとんどが埋立地だから、人工的な意図が至る所に張り巡らされて、見ていてつまらない。どこもかしこも整備され過ぎていて遊びがないのだ。
河さきに視線をうつすと、季節に遅れた桜木がはらはらとなごりを散らして水面へと堕ちていった。突然の接吻に驚いたせせらぎはやさしく余韻を描く。
「おはよう」
背後からの声に肩を跳ね上げた。冷や汗が首筋に伝う。驚いたことを悟られないよう、無表情を取り繕いながらおそるおそる声がした方向に振りかえる。
視界の端から華奢な輪郭が流れ込んだ。蜘蛛の巣のような、視界に這いなびく黒髪が印象的の大和撫子。
「……っ」
若干の焦りと緊張をない交ぜにした舌打ち。幸い、彼女には聞こえなかった。首筋に伝う戸惑いの汗がうっとうしい。唇を解いて、息を吹き込む。でも、途中でほつれてしまって、また閉じる。
まごついていると少女は不審げに首を傾けた。途端に罪悪感がこみ上がる。
「あ……」
漏れ出した声がひどくうわずっていた。まるで話し方を忘れたみたいに、喉が奮えない。
それでも最低限失礼が及ばないように、慎重に言葉を選ぶ。
「あのっ……だれ、ですか……?」
言いながら後悔した。私のボキャブラリーではこれが限界らしい。少女の笑みが崩れていく。
「―――――え?」
戸惑いの声。女の子の表情が固まる。
予想していた反応に目を当てられなかった。
唇を噛む。逃げてしまいたい。
私は私が嫌いだ。
空っぽの私を、誰が満たしてくれるのだろう。
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