理に始まり終わると

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 終わらない戦争が続いていた。昭和二十年の夏が始まろうとしていた時に、俺の元にも召集令状が届いた。もうこれは死すぐ近くにある。覚悟をしなければならない。  けれど、心残りがある。それは恋人の事だった。  俺はまだ学生で彼女とは同い年だった。もしこの戦争が終わったならその時は結婚をしようと誓い合っている。それなのにこんな事になってしまった。 「逃げられる事も有り得ないからな」  海の見える砂浜に座って、吐き捨てる。それは誰に対した言葉でもない。自分へ言い聞かせている。これは定められた事なんだ。  彼女が俺の事を見つけると、嬉しそうに走った。まだ幼さを残している笑顔がある。とても愛らしい。世界で一番好きな人だ。 「急に呼び出すなんて、どうかしたの?」  まだ彼女は俺の元に訪れた悪夢なんて知らない。ただ可憐な笑顔を俺の方に向けていた。こんな瞳を悪いことで曇らせるとしたなら、それは罪なのかもしれない。  俺はそんな笑顔を見ていられなくてどこまでも広がっている海を眺め「召集令状が届いた」とだけ小さく言う。波音に消えてしまいそうな声。それでも彼女までは届いただろう。  すると彼女は俺の視界の端っこで、一度驚いた顔をしていた。まだ俺は学生。それでも似たような状況で戦争にとられた人はもう少なくはない。それが俺の元にまで届いたんだ。彼女にだってこの意味は解るだろう。良くない事だと。 「そう、なんだ」  彼女はため息をつくように話すと、また一呼吸おいてから、 「待ってるから。貴方が戻るのをずっと待ってる」  とてもうれしい言葉だった。だけど、それは叶わない。もう戦況は悪い方向にしか進んでない。俺のこれからの進む道は見えている。  俺はまた海の方を眺めていた。遠く波が見えなく、お日様が赤く染まって消えるほうに目を向けていた。 「待たなくて良い。もう戻れないだろうから。好い人が居たなら結婚しなよ」  海の方を見ているのは、彼女の姿が見れなかったから。弱くて彼女が悲しむと解っているから、そんな姿を見ていられない。  横から泣いて鼻をすする音が聞こえている。こんな事になると解っていたから、見れなかったんだ。まわりが急に静かになったみたいに、彼女の悲痛な涙の音だけが聞こえている。 「必ず待つから。お願い。死ぬなんて言わないで。私は貴方の事を愛してる」  次の瞬間彼女は俺の腕に縋り付いていた。涙を流してこちらを見ている。強くそして可愛らしい瞳に涙が浮かんで、夕陽にを照らして紅くに染まっていた。彼女の願いなら聞き届けたい。  実際出征の時には結婚をしてからというのも良くある。だけど、彼女を残しては死ねなかった。もうこの戦争でたいせつな家族を亡くした人を見た。家族の悲しみは重いばかりだ。  死ぬのが解っている。まだ戦争なんて終わらない。ただ死ぬために戦うしかないこれから。  結婚をして直ぐに亡くすと解っているのだったら、それは叶わない夢にしかならない。ただ悲しみを負わせるだけの結婚なんて幸せなんかじゃない。  俺は泣いている彼女を抱きしめたかったが、彼女を振り払って背中を向けた。 「俺はこれから死ぬために戦うんだ。そんな約束なんてできない。愛してるから離れるしかないんだ」  砂を踏み歩き始める。泥沼を歩くみたいに足が重たい。  今にでも振り返って彼女を抱きしめ、戦争なんてものから逃げたくて仕方がなかった。 「お願い。死なないで。それだけは本当に」  彼女の涙につぶされた声が聞こえて、つい振り返った。  彼女は砂浜に膝をついて俺の方に手を伸ばしている。その手を取りたく手仕方がない。今はこんなに好きな彼女の姿を見ているのがとても辛い。  でも、これは彼女の為なんだ。彼女を幸せにするのはもう俺じゃない。それを願って彼女の手を取らないで歩みを進めた。  戦争はまだまだ終わらないだろう。地元を離れ、簡単な訓練を受け、俺の配属が決まった。もうそこは地獄なんだろう。俺の死ぬ場所となる。本当なら彼女といつまでも地元で過ごしたかった。  彼女の写真を眺めて、ため息をついていた。段々と季節は暑さを増していた。命の秒読みになっている。
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