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先生が嬉しそうに言った。
「ようやく俺の言うことを聞いてくれたのか。」
ぼくの視界が少しだけ歪んだことが、先生にバレていませんように。
放課後、トイレの中で鏡を見た。見慣れないぼくがいる。似合ってないな、と思った。でも、それは今慣れていないだけで、しばらくしたら、これがぼくなのだと周りもぼく自身も錯覚するだろう。
ため息を吐いた。後悔している。美容師さんが「綺麗な金髪だから、染めなくてもいいと思うんですけど。」と躊躇ってくれた時、ぼくも自分を止めればよかった。誰に何を言われようが、結局責任を負うのはぼく一人だし、髪色ぐらいぼくの自由にしてもいいじゃないか。
悲しかった。母さんとの共通点が一つ減ってしまったことが何よりも、ぼくの胸を締め付けた。
母さんはフランス人だ。薄い茶色の瞳と光り輝く金の髪。息子のぼくも見惚れるほどの綺麗な顔立ちだった。そして、息子のぼくも母さんから金髪を譲り受けた。外国人みたいな顔だね、と小さい頃よく言われていたから、金髪は似合っていたと思う。
中学生の頃はまだ母さんが日本にいて、先生達もぼくの髪の毛が地毛であることを理解してくれていた。けれど、母さんはいなくなった。父さんがたまにする暴力とおばあちゃんからの小言に耐えられなくなったらしい。一緒にフランスに行こうと、母さんはぼくの手を引こうとしてくれた。けれど、父さんがそれを勝手に振り払ってしまった。
がちゃり、と扉が開いて、他の生徒が入ってくる。ぼくは何もしていないフリをして、トイレから出た。
母さんがいなくなって、新しい父さんの奥さんが来て、ぼくの生活は一変した。認知症になりかけているおばあちゃんも一緒に暮らすようになって、父さんはぼくを殴るようになった。
母さんと似ている顔が、髪が、ぜんぶが、気に入らない。それは父さんも、よく知らない女の人も、おばあちゃんも、よく言うようになった。
高校生になって、ぼくは先生に目をつけられた。両親は日本人だから、地毛が金髪はありえない。何度言っても信じてくれなかった。頭から水をかけられたり、水槽に顔を突っ込まれたり。この学校にろくな大人がいないことを、ぼくを通じて知った他の生徒達は、ぼくを無視するようになった。
殴られても蹴られても罵られても、それでも髪を染めなかったのは、母さんとの共通点が消えて、父さんとの共通点が増えるのが嫌だったから。あれだけ意固地になっていたのに、結局は染めてしまった。
理由は単純だ。ただ、疲れた。それから、父さんに煙草を素肌に押し付けられるようになって、いつもの延長線で刃物を向けられるようになって、死を覚悟したから。たぶん、死んでまで母さんとの共通点を守っても、母さんは喜んでくれないと思った。
ぼくは一体、誰なんだろうか。どうやら、ぼくはぼくのままでいることを許されないらしいようだ。
ひとり、廊下を歩く。
楽しそうな声が色んな場所から聞こえて、虚しくなる。
ありのままでいいんだよ、と言ってくれる人なんてぼくにはいない。
階段からだれかの足音がする。
これが何かの創作物なら、幸せになれることが約束されているフィクションなら、きっとぼくのヒーローがここで舞い降りてくるんだろう。
期待なのか、なんなのか分からない感情を抱きながら、少しずつ進む。
ため息を吐いた。あからさまにならないように、小さく。
足音の主は、手元の携帯に夢中で、ぼくの存在にすら気が付いていない。
悲しくて目を逸らす。窓に映ったぼくは、もう誰でもなかった。
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