魔物と人と

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 マナのくたびれた様子に苦笑いを零したのはセリアだ。 「歓待は後ね、先にお風呂に入った方が良いわ」 およそジョーから仔細を聞いているのだろう。 酷く薄汚れているにもかかわらず、誰にもそれを訝しまれることはなかった。 マナはもうくたくたで、質問攻めに合うことのなかったことを有難く思う。 「うちの風呂はヤマラの渾身の作だから、きっとマナも気に入るよ」 セスにも促されて、マナは素直に頷いていた。 「ミリーの服を貸すわ」 ジェシカに連れられてマナは浴室に向かう。  浴室への扉を開けた途端に、ホワンと檜の香りが鼻孔を擽り、セスの言葉は直ぐに理解に足りた。 「ヤマラお手製の源泉かけ流し、檜風呂よ」 得意げにジェシカは笑みを浮かべる。  ほわほわ漂う白い湯気の中はそれだけで癒される。 ちょろちょろちょろと、板橋をお湯が流れて、常に湯舟を満たしていた。静かに揺らぐ水面が、灯りを乱反射させて黄金色に輝いて見える。その贅沢な造りに、マナは歓声のかわりに目を瞠るよりなかった。 「ふふ、ヤマラは大の日本贔屓の上に、温泉をこよなく愛してやまなくてね」 脱衣場からジェシカの声が届く。 アメニティは好きに使って構わないと言い置いて、彼女はその場を後にした。  エクス=レ=バンは温泉の保養地として世界的にも名が通っている。 水属性の彼らが目を付けない筈がなかった。  しっとりと肌に吸いつくようなまろやかな湯は、治癒の効果も高めるのか、身体中の強張りをほぐした。 やがて身体の芯から温まり、そのあまりの心地良さに、マナはブクブクと沈んでいった。  セスが、あるいは誰かが気づくべきだったのかもしれない。 マナはもう話すことさえ億劫に思うほどに、へとへとであったことに……。  エネルギーが枯渇しているというのは、体力は既に限界を越えていたのだ。 ─*─*─*─*─*─ 「何処だったかしら。ここは?」 頭の中まで霞がかっているようだ。 思い出せないばかりか、思考が途切れがちになる。 ――ああ……そっか。 きっとここは夢の中だ。 「やぁ、マナ。久しぶりだね」 穏やかな、女性とも男性とも取れる声がそこにある。 聞き覚えのある声だった。 その姿かたちは目を凝らしても、不思議なほどにまるで視えない。 「レヴィンはいつも姿を見せてくれないのね」 マナは口を尖らせる。 「それを言うのなら、君だってそうだよ」 「?」 「(セス)は見えない君を感じ取っていたよ?」 「そ、そうなの!?」 「あははっ、そんなに驚くこと?僕は声だって届けることができるけどね」 確かにマナは、レヴィンの存在を感じ取っている。 「それより、なぜ会いたいと願ったのさ?」 「ちょっと、酷いんじゃない?って文句を言いたかったの」 「えぇぇ!?何が酷いの?」 「分かっているでしょう?短命過ぎるのだもの。あんまりセスを苦しめないでよ」  どれほどレヴィン一族の男性が短命なのか、マナは何となく訊けないでいる。 その話に触れる度に、セスはどことなくマナから顔を逸らしてしまうので、訊いてはならないようにも思うのだ。 ――セス自身は気づいていないのかもしれないけれどね……。 「う~ん、水は巡るものだ。滞れば濁るし、よろしくない。自然の摂理、摂理」 レヴィンは困ったように唸った。 「そうね……知っているわ」 マナはずっとそれを描き続けているのだ。 この世界は巡り繋いでいくからこそ美しい。 「ごめんなさい。それでもあなたに愚痴を聞いてもらいたかったの」 「ふっ。君は素直だね。そして、意外に物分かりもいい」 「意外って何よ?」  視えない相手にマナは肩を竦めてみせる。 「彼は、いや、彼ら一族は受け入れているよ。苦しめているとするなら君だよね」 その通りだった。 セスは生き方を決めている。 魔物として、誇り高く生きると。 そして、そんな彼にこそマナは惹かれている。 「私にはどういう選択肢があるのかしら?」 「さて、それは君が決めることだよ、マナ。君はどうしたいの?」 セスはセスであってもらいたい。 そして、マナはそんなセスの傍にありたい。 「見届けたいの。セスの全部を。たとえ置いていかれるのだとしてもね」 母は耐えられなかった。 そして、父はずっとそれを危惧していた。 だからこそマナに託していたのだ。 なのに――。 「私は……間違ったの。でも、いつも夢の中でさえ止めることができない」 マナは拳を固く握る。 いつも見送るのだ、母の背を。 どうしたって、動けないまま立ち尽くしてしまう。 「サラを行かせてあげたかった気持ちも本当だからだよ。でも、間違ったのなら、正さないとね」 マナは顔を上げた。 そして、答を得たように頷いていた。 「私は……強くなりたい。レヴィン、あなたが言っていたみたいにね」 マナは、そんなマナであることをセスに見届けて貰いたい。 「今だって、そんなに泣いているのにかい?」 ポロポロポロと、いつの間にか大粒の涙を零してしまっていることに気づかされる。 「レヴィンは水が……ぐすっ、大好きでしょ。だから……沢山受け止めて……くれるでしょう?」 マナはもうぐしょぐしょだ。 口だけもいいところで、てんでなっていない。  いつかまた見送らなければならないと思うと、寂しくて、悲しくて堪らないのだ。 拭っても、拭っても、涙は零れ落ちる。 それでも、セスの手を取ったことを間違いだとする気はないのだ。
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