魔物と人と

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 さてさて、ホームスティとは何もかもが新鮮で、マナにとっては戸惑いの連続だった。  静けさとは無縁、規則正しい目覚めに始まり、不規則な就寝に至るまでが終始賑やかしい。  マナはしばし圧倒されながらも、ウルバン家の生活形式に馴染もうと奮闘している。    一方で、ウルバン家としてはマナをセスの嫁として受け入れ始めていた。 「マナちゃん、セスを起こして来てくれる?それから後でお弁当作りを手伝ってくれるかしら?」 セリアに言われるがままに、マナは知らず花嫁修業に入らされていた。  食べることはおろか、お料理など経験は皆無。なんせ、皿洗いさえしたことがないマナである。 そんな不出来な嫁、いや、居候であってはならないと、マナは目下セリアのお手伝いに勤しんでいた。 「そろそろ白い婚姻から明けてもいいのじゃあないか?良い娘だよ、マナは」 いつまでも客間で、客人扱いは可哀想だと、ヤマラはマナを見送りながらジョーに問う。 「それは、セスに直接言ってくれ」 マナに客間をあてがったのは、セス本人だとジョーは明かした。 「なんだあいつ、肝心なところで奥手か」 ヤマラは呆れる。 「よもやの狼の名折れだ」と、ジョーも皮肉を口にするものの、ああも雛鶏だと手を出すにも出せないだろうと、セスを憐れんだのだった。  そんな男どもの憐憫の情はともかくとして、ウルバン家の朝は日の出とともに始まる。先ずは広大な農園での収穫作業が待っていた。  マナはジェシカに作業着を借りて、ハウスの中の苺の摘み取りに没頭する。ジョーの双子、ミリーとカムイに教わりながら、どちらが早く摘み取れるかの競争をするのは楽しかった。 「うわぁぁ、負けた」 タッチの差で負けたカムイは頭を抱えて悔しがる。 ミリーはそのマナよりも速かったのだが、誤って幾つか未成熟が紛れていた。 カムイにそれを『お前は論外だ』と、厳しく指摘されて、ミリーはすっかりしょげてしまっている。 『ミリー』 マナは人差し指を口に当てて、悔しがるカムイを余所にミリーに声を忍ばせた。 そして、ミリーの摘んでしまった未成熟の苺に手を添える。 再び見せた苺は食べ頃に熟れたそれ。 目を瞠って、驚きに開いたミリーの口に、マナはそれを頬張らせた。 「くふふ、一等賞。美味しい?」 苺の収穫期と言えば新緑の頃だと思っていたのだが、冬季に出回る早期苺の方が甘いのだとか。  いったいどうやったのかと、目を瞬くミリーに、マナは内緒を示した微笑みを浮かべるだけだ。    ミリーがマナに抱いた第一印象は嫉妬に近いものだった。 遊び相手だったセスを取られた気になっていたことが大きな要因。 それだけでなく、セリアら他の家族がマナに注視していることが気にくわない。 ミリーとしては、何だか居場所を奪われた心地であったのだ。 けれど、今のマナは成体だ。 そうとなれば、見方は一変する。 ミリーにとってマイナスだった要因が全てプラスに転換していた。 自慢のお姉さんが出来たと思う気持ちが大きく芽吹き始めている。 今も凄いと褒めて欲しくて張り切ったのだ。 いつもはカムイにどうしたって負けてしまうから、スピード勝負だけにこだわったが為の敗因だった。 「セスが何をしているのか見に行ってきてもいい?」 雪原の先を指さし、マナはミリーたちに振り返る。  朝日を受けて煌めく飴色の髪、雪のようにしっとりと白い頬に、ほんのりほのかな桜色が差している。 遠くセスの姿を見つけたマナは、白い小さな歯を覗かせていた。 そんなマナに、年端のいかないミリーでさえキュンとしてしまう。 ――ヴァンパイアってこんなに可愛いものなの? ミリーはヴァンパイアを実際に見たことは無い。 人間を魅了し、虜にする花のような種族で、安易に気を許してはならないとだけ伝え聞いていた。 けれどマナからはそんな悪魔的な印象はちっとも抱かない。 事実としてマナは毒牙を持たず、人間の生き血も啜らない。 「マナ、神隠しに合わないでね」 不意にミリーは心配になった。 その昔、古の時代の伝説が頭を過ったのだ。  本来は異界に棲むはずの精霊族が、気に入った娘を花嫁に迎えていたとする魔物に伝わる史実だ。 ミリーたちこの世界に紛れる魔物は、そこからの移住者だとも、その子孫だとも伝えられている。 「それは精霊の愛し子の話?」 そうだと神妙に頷くミリーに、マナは安心させるように笑みを深めた。 「大丈夫、私はセスの傍にいるって、もう伝えてあるもの」 マナはそのセスの傍に行こうと、雪原の上を駆けて行った。 「――って、誰に???」 既に遠く、答えは返らない。 ミリーとカムイは顔を見合わせ、首を傾げるよりなかったのだった。
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