第4話 訪問者

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第4話 訪問者

「おはようございます」 「あ、白河さん、妹さんの事は、その、ご愁傷様。もう大丈夫なの?」  出勤してきた理恵に、上司の男性が言葉を選びながら挨拶をしてきた。  理恵が入社して5年が経つが、その口から妹の事など聞いたことがなく、理恵との関係性が図れないからだろう。 「はい。突然の事で、ご迷惑をお掛けしました」  理恵が頭を下げると、上司は「問題ないよ」と手を振り、休んでいる間に代理として対応してくれていた、理恵が担当していた顧客関連の引き継ぎをしてくれた。  本当に職場に恵まれていると思う。    上司との話を終えて、自分のデスクに行くと隣の席に可奈が座っていた。 「理恵ちゃん、やほ。なんか久しぶりね」 「先輩! もう身体は大丈夫なんですか?」  ほぼ2週間ぶりに会った可奈は顔色も良く、元気そうに見えて理恵はホッと胸をなで下ろす。 「ああ、うん。身体は大丈夫よ。どうも、元々病気とかじゃなかったみたいだし」 「? そうなんですか?」  その曖昧な言い方に疑問を覚えた理恵だったが、可奈がそっと自分の下腹部を撫でたことで意味を察した。 「あ、お、おめでとうございます!」 「し、しーっ!! まだ課長にしか言ってないんだから、他の人には内緒にしておいてよ」    可奈が慌てて口元に指を立てる。  幸いなことにオフィスは始業の時間で騒がしく、聞いている人はいないようだった。 「理恵ちゃんも大変だったみたいね。今日の夕方は時間ある? 一緒に食事でも行きましょう」 「はい。それじゃ後で」  返事を返しながら、理恵は気持ちが少しだけ軽くなるのを感じていた。  やはり気の許せる相手が身近にいるだけで随分と違うものだ。    2人の刑事達が理恵の元を訪ねて来た日、6日前の事だが、母親からの連絡を受け、翌日に荒川警察署に妹の遺体の確認に同行した。  正直気が進まなかったが、母親からの懇願と情が伴わなかったとはいえ一応家族として暮らしていた妹である。最低限の事はしようと考えた理恵は、泣き崩れる母親と呆然とする父親を叱咤しながら遺体の引き取りの手続きを大林警部補に相談しながら進めた。  紗理奈の遺体は損傷が激しかったために、引き取った後はそのまま都内で火葬し、遺骨を地元に持って行ってから葬儀を執り行った。  そうして昨日ようやくこちらへ戻ってきたのだ。    葬儀を終えてすぐに東京に戻る理恵に、母親はさんざん『薄情者』と罵ったが、充分義理を果たしたと考えている理恵とっては、これ以上地元に留まる理由がない。  感情的に泣いたり喚いたりするだけの母親や狼狽えるだけの父親がまったく当てにならず、殆ど全ての手続きを理恵が行ったため、東京に帰り着いた頃には疲れ果てていたが、それでも自宅でジッとしているのは色々と不安で、結局、今日から仕事に復帰することにしたのだ。    自宅に届いていた『白い手紙』は、紗理奈の遺体を引き取る前日分までは大林に提出してある。  不思議なことに、理恵が東京を離れている間にポストに投函された『白い手紙』は1通だけだった。  地元に戻るまでは毎日入っていたのにも関わらず、だ。まるで理恵の行動が監視されているかのようだ。ひょっとしたら単純にポストの中を覗いているだけなのかもしれないが。  それでも理恵が不安を押さえていられるのは、大林と向井という刑事があの『白い手紙』の事を調べてくれているから、いずれ解決するだろうと考えることが出来るようになったのが大きいだろう。    理恵は気持ちを切り替え、まず不在中に送られてきていた仕事のメールに目を通し始めた。  今日からまた、普通の日常が戻ってくると信じて。     -----------------------------------------------     「よう! 今月も調子良いらしいじゃないか。部長が褒めてたぞ」  デスクで資料を整理していた男が、背後からの声にクビを回す。 「ん? ああ、何とか目標はクリアできそうだよ。っても、クリアしたらしたでまたノルマ増やされるんだけどな」  入社以来、友人としても付き合いのある同僚の言葉に肩を竦めながら男、柴垣彰(しばがき あきら)が苦笑いする。 「今日はもう終わりか? だったら帰りに一杯行かねぇか?」 「ちょっと待ってくれ、んと、良し! それじゃ行くか。『みすず屋』か?」  その誘いに頷くと、手早く手に持っていた資料を片付け、明日の予定を手帳でチェックしてから柴垣は立ち上がった。 「ボーナスはまだ先だからな。毎度代わり映えしないけど良いだろ?」  そう言いながら先に立って歩く同僚が笑う。  安さが売りの居酒屋は2人が新人だった頃から通っている馴染みのところだ。  同僚は少々無計画に金を使う傾向にあるし、柴垣もある理由から貯金をしているので2人で飲むとなると必然的にその店になることが多い。    連れ立って会社のオフィスを出て、2人は駅に向かって歩く。  とはいえ、駅までは徒歩10分程度だし、目的の店はその駅の裏手の路地を入った所にあるので仕事帰りに寄るには丁度良い。 「しっかし、どんどんノルマきつくなるよなぁ」 「まぁ、最近はかなり安い機器が普通に売ってるからな。トータルだとどうしても高くなるリースは厳しいな」  渋い顔で愚痴る同僚に柴垣も同意する。    2人が勤める会社は、OA機器の製造、販売、リースを行っている大手電気機器メーカーだ。そこでリース契約部門の営業を担当している。  大手メーカーとして保守やトラブル対応などが手厚い反面、売り切りの海外メーカー品と比較されるとどうしても価格面で割高になってしまう。  故障時の対応や老朽化した時の入れ替え、税制面など、長い目で見れば充分価格差に見合うメリットがあるのだが、数万~数十万円単位で金額が違えばインパクトの面で不利は免れない。   「いらっしゃいませ~!!」  暖簾をくぐり、引き戸を開けると居酒屋らしい元気な声が響く。  空いている席に座り、生ビールを注文する。  何年も通っているだけあって、メニューすら見ないその流れは非常にスムーズだ。  ジョッキが運ばれてくると、ついでにいくつか料理を頼み、乾杯する。 「柴垣は最近数字すごいよなぁ。やっぱアレか? 目標があると気合いが違うってか?」    同僚が揶揄ようにニヤニヤしながらジョッキに口をつける。 「別にそういうわけじゃないけどな。まぁ、ちょっとずつ金を貯めてるのは確かだけど。仲野だってノルマはクリアしてるんだろ?」  余計な事を言うとさらに悪のりしそうな同僚、仲野の言葉を軽くいなして質問で返す。 「月末ギリギリでクリアするように調節すんのが大変だけどな。じゃねぇとお前みたいにノルマ増やされるからよ」 「ノルマ増やされる分、給料も増えるんだから良いじゃないか。月末になると金欠って騒ぐくらいなら、結婚して財布預けた方が良いんじゃないか?」    柴垣の言葉に、仲野は心底嫌そうに首を振る。 「そんなことしたら気軽に遊ぶことも出来なくなるじゃんか。俺はお前みたいに結婚願望なんてあんまり無いからな。もうしばらくは独身の自由を謳歌したいんだよ。金欠は、まぁ、自由の代償だよ」  仲野の言葉に柴垣は呆れたように肩を竦める。 「俺の事より、お前の方はどうなんだよ? もうプロポーズしたのか?」 「いや、まだだよ。なんか、彼女って家族仲が悪いらしくってな。そのせいか、あんまり結婚願望が無いみたいなんだよな。今はちょっとずつ結婚とか同棲とかを匂わせてるくらいだよ」  そう話ながら、柴垣は不満そうに眉根を寄せる。   「へぇ、女って、みんな結婚願望あるもんだと思ってたんだけどな。けど、育った環境に問題があるんだったら結婚は難しいんじゃないか? 別の女でも探したほうが良さそうだけど?」  部外者としてはもっともな仲野の発言に、舌打ちしたい気持ちを抑えてジョッキを呷る。  言われるまでもなく、考えたことがあるからだ。    柴垣の育った家は、夫婦仲がかなり良かった。それは今でも続いていて、離れて暮らしている柴垣がたまに実家に帰ると、子供が自立して家を出たせいか新婚生活に戻ったかのように人目を憚らずにイチャイチャしているほどなのだ。  さすがにいい歳した中年夫婦がイチャつくところを息子としては見ていたくは無いが、思えば昔から夫婦喧嘩も滅多にしなかったし、したとしても翌日には何事も無かったように仲良くしていた両親に何か言えるはずもなく、妹と共に呆れて見ているだけだ。  ただ、その光景は凄く幸福そうで、自分も結婚したらこんな家庭を築きたいと思わせるには充分だった。   「俺だったら結婚願望の無い女は大歓迎だけどな。セックスの相手に困ることもなく自由を満喫できるなんて最高じゃん。浮気だってしようと思えば出来るだろうしな。お前だって別の女と遊びたいと思うことあるだろ?」  2杯目のビールを飲みながら仲野が続ける。  女性が聞けば憤慨しそうな発言だが、男としては普通の思考だろう。  柴垣だって、男としてスタイルが良かったり顔が好みだったりすれば目が行くし、薄着の女性の胸元を凝視してしまったりもする。  恋人に隠れて会社の女性や異性の友人と飲みに行ったりしたこともあるし、そのまま流されてセックスに興じたことも無いわけではない。    だが、今の恋人と別れるつもりは柴垣には無い。  彼女との出会いは大学時代。  学年は同じだったが、柴垣が一浪しているので一歳年下の、人目を引くほどではないがそれなりに整った容姿を持つ女性だった。  大学はそれなりのレベルの国立大学だったため、真面目な学生が多かったが、彼女はそれに輪を掛けて生真面目だったようだ。  会話をしたのは大学の4年間でも数回程度で、その時は特に惹かれたわけでも仲良くなったわけでもなかった。    再会したのは今の会社でリース事業部の営業課に配属され、営業先の外資系企業に訪問したときだった。  当時受付を担当していた彼女を見ると、大学時代には垢抜けず生真面目さが前面に出ていたのが一変して、表情も明るく、身なりも田舎くささが抜けて都会的な雰囲気になっていた。  そうなると元々整っていた顔も魅力が増して、ややスレンダーな体型は色気すら感じるようになった。  柴垣は営業で訪問する度に声を掛け続けたが、一年もしないうちに彼女は現在の部署に異動してしまった。  それでも諦めることなく、廊下ですれ違ったときや彼女のオフィスに訪れたときにデートに誘い、数回食事を共にした後にようやく付き合う事が出来たのだ。    後にも先にも女性を誘うのにあれほど熱心に口説いたことは無い。  彼女の身持ちは堅かったが、交際から1年が過ぎ、柴垣の真剣さを理解したことでようやく夜を共にすることが叶った。  男慣れしていない彼女は、やはり処女だった。柴垣はその事に優越感と自分の色に彼女を染め上げる快感に浸った。  今では生真面目さと恥じらいを残したまま淫らに乱れることもしばしばだ。  関係が深まるにつれ、彼女が真面目なだけでなく、人を気遣い、家族の愛情に乏しかったとは思えないほど優しく、家庭的な面があることを知った。    対人経験が乏しく、突発的な事柄に弱い部分があるが、世間知らずでちょっと抜けたところがあるのも愛嬌があって良い。  そして美人で身持ちが堅く、柴崎の好みよりは少しばかり胸が小さいもののスタイルも抜群と、彼女以外の相手が考えられないほどに惚れ込んでいた。  ただ、彼女に対する唯一の不満が、頑なに結婚の話題になるのを避けようとしていることだった。  確かに、聞いている彼女の家庭環境を考えれば無理のないことかもしれないが、早いうちに家庭を持ち、子供も欲しい柴垣としてはもどかしい思いを払拭することが出来ずにいるのだ。  やはり近いうちに正式にプロポーズして、何とか結婚に同意させたいと考えていた。   「そういやさ、この間行った、○△商会の受付にすっげぇ可愛い娘がいてよ、それで……あ、電話、チッ、何だよ……あ、はい仲野です。あ、どうも、はい、はい? あっ! すみません! 忘れてました! は、はい! すぐ事務所に戻ります!」  砂肝の唐揚げを摘みながら他愛のない話を続けていると、仲野の会社用携帯が震えた。 「わりぃ! 課長に出す書類忘れてた。ちょっと会社戻るわ」 「何やってんだよ。はぁ、分かった。後で精算な」 「ほんとーにスマン。この後飲んだ分も割り勘にするから勘弁な。んじゃ行くわ」    慌ててカバンを持って店を飛び出した同僚を呆れた目で見送りながら、柴垣は追加のビールを頼む。  白けてしまったが、時間もまだ早いし、料理も残っているのでさすがに帰る気にはならなかった。  退屈しのぎにスマートフォンを取り出し、読み物系アプリを起動させて興味を惹かれるものを探していると、不意に柴垣の視界の隅に人影が映り込んだ。視線を感じて顔を上げる。  そこには桜色のワンピースにフリルの着いたカーディガンを羽織った若い女が立っていた。  俯き気味で目は合わなかったが、20代前半くらいか、結構な美人だ。   「あの、こちらにご一緒させて頂いてよろしいですか?」  小さな、それでいて妙にはっきりと聞こえる声で柴垣に女性が尋ねる。  周囲を見回してみると、確かに空いている席は無さそうに見える。  だが、店に入ってきたばかりにしては、いつも煩いくらいに響く店員の声が聞こえなかったような気がする。 (まぁ、いいか)  多分スマホを見ていて聞き逃したのだろうと考えて、柴垣は向かい側の席を「どうぞ」と手で示しながら頷いた。   「ありがとうございます」  そう言って、女がその席に座る。 「えっと、何か飲まれますか?」 「……はい。じゃあ、スプモーニを」  柴垣は女が座るのをジッと見つめ、それを女が気づいたことを察して誤魔化すように飲み物を勧めた。  一瞬、そんなメニューあっただろうかと考えてしまったが、場末の居酒屋然としたこの店には何故か数種類のカクテルがメニューにあり、女の注文もあった事を思い出し、店員に注文を伝えた。    すぐに注文したものが来て、なんとなしに成り行きで女と乾杯する。  妙になまめかしい赤い唇がグラスに触れ、カクテルが喉を通る姿に目が引きつけられる。  グラスの傾きが戻り、慌てて視線を下げれば今度はワンピースの開いた胸元に目が行ってしまう。  何とか視線を剥がし、ジョッキを傾けるもまたすぐに女に視線を向けてしまっていた。 「どうか、しましたか?」 「あ、ああ、ごめん。えっと、この店には1人で?」    動揺を隠し、そんなどうでも良いことを聞く柴垣に、女は答えず「うふふ」と笑みを零す。  柴垣はどうにも居心地の悪い思いをしながらも、席を立つことは頭の片隅にすら浮かばなかった。  確かに美人ではあるが、それ以上に媚びるような妖艶さが柴崎を縛り付けているようだった。  彼女の前に置かれたスプモーニの赤い色が光の加減か、まるで血のように見えて柴垣の目に強く焼き付いた。     -----------------------------------------------      妹の葬儀が終わって数日。  理恵は平穏な日常を取り戻していた。  とはいっても、相変わらず自宅のポストには『白い手紙』が毎日入っているし、母親からの電話も毎日のように掛かってきている。  だが、理恵は手紙はビニールに入れて玄関のシューズボックスに放り込み、母親からの電話は無視している。  どちらもストレスが掛からないわけではないが、それでも相手にしないことで何とか平静を保つことが出来ていた。   「もしもし、あ、彰さん、ええ、えっと、大丈夫。そう、わかった。それじゃ金曜日に。おやすみなさい」  食事を終えたタイミングで掛かってきた恋人からの電話を切り、理恵は「ふぅ」と息を吐く。  どうにも電話には苦手意識があり、恋人が相手であっても長電話をすることのない理恵は、ある意味素っ気ないと思える恋人との会話を反省する。  同時にいつになく強引に約束を取り付けた恋人の意図も何となしに察して思いを乱れさせていた。    恋人が理恵との結婚を望んでいるのは、普段の態度からも見て取れた。  だが理恵はどうしても結婚することに躊躇する感情を抑えることが出来なかった。  恋人のことを愛していないわけではない。それどころかずっと一緒にいたいという想いもあるし、彼に抱かれれば幸福を感じるし、快楽に溺れそうにもなる。  彼以外の男性と交際するなんて事は考えたこともなかった。  だが、それでも理恵はどうしても自分が結婚する姿を想像することが出来なかった。    理恵は自分が精神的な欠陥を抱えているということを理解している。  未だに自分と人との距離感を上手く掴めないし、場を弁えない発言をしてしまうこともある。  いわゆるコミュニケーション障害というやつなのだろう。  特に男性に対しての経験不足は致命的だと理恵は感じている。それだけに過剰に気を使い、疲れてしまうこともしばしばだ。  そんな自分が結婚して、夫と子供相手に良き妻、良き母となれる気がしないのだ。同時に自分の子供に、自分が感じてきたような子供時代を送って欲しくないと思っている。  だが、親の愛情を知らない自分では無理だと、どこか諦めてしまっているのかもしれない。    もしプロポーズをされたらどうしたらいいのだろうか、などと考えながら洗い物を終えて、風呂に入る。  お気に入りの入浴剤を入れ、綺麗に身体を磨き上げて、逆上せるほど湯船の中で考えても結論が出ることは無かった。  結局のところ、実際にされてから考えるしかないのかもしれない。    これ以上考えるのを止めて、洗面所で髪を乾かしていると、不意に誰かに呼ばれたような気がしてドライヤーを止める。  静まりかえった洗面所は、時折シャワーから落ちる水滴の音が微かに聞こえるだけで、物音1つしない。 (もしかしたらマンションの廊下かしら)  理恵は洗面所を出て、玄関が見える位置で耳を澄ませる。  だが、外の廊下から人の声が聞こえてくることはなかった。 (気のせい、みたいね)    理恵は激しく動悸を打つ胸に手を当てて、大きく深呼吸する。  1人でいるときに誰かから呼ばれた気がするなんてのは、誰にでもよくあることで、何故それほど緊張するのか自分でも理解できなかった。  ドライヤーは途中だったが、幸いもう殆ど髪は乾いていたので大丈夫だろうとリビングに踵を返す。  が、その瞬間、視界の隅で何かが動いたような気がして、理恵は振り返る。  カチャ。  見ると、玄関のドアノブがゆっくりと動いている。  理恵も女のひとり暮らしだ。いくらマンションの入口がオートロックだとはいっても玄関は必ず施錠し、理恵が部屋に居るときはチェーン(正確にはドアガードやセーフティーロックと呼ばれる細長いU字型のロック)も掛けている。  だからノブを回したところでドアが開くことはないのだが、見知らぬ誰かがチャイムも鳴らさずにノブを回せば恐怖を感じるだろう。    ドアノブが回っても、ドアを引こうとした様子は無く、ノブが元の位置に戻る。そして、わずかな間を空けて、再びノブが動く。  その光景を理恵は息を潜めて見るしかなかった。  数度それが繰り返され、ようやくドアノブは動きを止めた。  5秒、10秒、15秒、ひどく長く感じる時間、動かなくなったノブを理恵は見つめていたが、1分を過ぎた頃ようやく肩の力を抜く。  しかし、次の瞬間、    ガチャガチャガチャガチャ!  先程までとは打って変わって激しくノブが上下した。 「ヒッ!」  狂ったように動かされるドアノブに、理恵は恐怖で後ずさった。  一向に止む気配のないソレに、玄関ホールからリビングに逃げ、リビングのドアを閉める。  恐怖で心臓が破れるかと思うほど激しく鳴った。  ふと、インターホンのモニターで玄関前を見られることを思い出し、理恵は震える手をモニターボタンに延ばす。  ボタンを押し、一瞬の後、モニターに映し出されたのは、目、だった。  男か女か、年齢もなにも分からない、1つの瞳が画面一杯に映っている。  それはまるで、カメラのレンズを通して理恵を見つめているかのようだった。  そんなことはあり得ないのに。    次の瞬間、理恵の意識は途絶えた。  
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