エピローグ

1/1

11人が本棚に入れています
本棚に追加
/68ページ

エピローグ

 美沙緒は不起訴で終わったが、主犯の夫は未だ留置場の中にいる。暇だろうからと、美沙緒は週に3回、英治のために小説の差し入れに行く。卑劣な男に愛はなくても、情は残っている。  入り口に「只今休憩中」の張り紙をしていると、「あれ、閉めちゃうんですか?」と若い男の声がした。美沙緒は咄嗟に振り返り、シナをつくった。 「何かお探しですか? 急いでいないので、どうぞ、入ってくださいな」 「ああ、良いですか。すみません」  スラリと背の高い優男だ。スタスタと雑誌コーナーへ向かう。地元の人間だろうか。西高か赤工なら、常連かもしれない。男は二十代半ばくらいで、常連だとしても思い出すのは困難だろうが。 「旅行に行かれるんですか?」 「ええ……時間が作れそうなので」 「恋人と?」 「はい」  男は懐っこくはにかんだ。美沙緒は久しぶりにときめいた。いつからか自分は、客はみんな万引きするものだと決めつけるようになっていた。けれど本当は、本や雑誌を求めて店に来てくれる客と親しく話すのが好きなのだ。  男は近畿地方の旅雑誌と文庫本を手にレジへ向かった。 「俺、高校時代は結構この店来てたんです」 「あらそう! じゃあ、西高の学生さん?」  賢そうなのでそう言った。 「はい。公務員試験の問題集とか、結構揃ってたから」  意外に思った。西高なら進学のはずで、公務員試験の品揃えは赤工の学生用だ。 「じゃあ、今は公務員?」 「……まぁ、いろいろです」  濁されたのでそれ以上は聞かなかった。人には聞かれたくないこともある。職をやめたから、恋人との時間ができたのかもしれない。職を……ふと、美沙緒はこの店の未来を思った。まだニュースにはなっていないが、いずれ、この店の評判は地に堕ちるだろう。そうしたら、私は…… 「頑張るんだよっ!」  場違いな声量に、男が「えっ」とたじろぐ。 「なんとかなる! 人生いろいろっ! つまずいて転んでも、また立ち上がればいいっ! まだまだっ、なんとかなるからねっ!」  勝手に推測されて励まされて、いい気はしないだろう。そもそも美沙緒に、男を励ます気持ちは微塵もない。暗く閉ざされた自分の未来に、わずかでも光があると信じたいだけだ。 「ありがとうございます」  純粋な男は丁寧に頭を下げた。 「また来ます」  男はニコリと微笑み、店を出て行った。遠ざかる男の背中を眺めながら、きっとまたなどないだろうと、美沙緒はやけに冷静に、乾いた気持ちで思うのだった。
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加