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世界屈指の大富豪、大強院家の日付変更は朝五時である。もちろん世の中は当然のように午前零時、即ち深夜に日付が変更される。だが屋敷の中でそれが適用されることはない。
睡眠を取っているべき深夜に日付変更というイベントが起きるのは好ましくないという当主の意向である。日付変更に立ち会いたければ早起きせよ。そのために早寝せよという家訓ゆえであった。
このような感じで、大強院家にはさまざまな仕来りというかローカルルールというか、決まりごとがいくつもある。
「おーっほっほっほ!」
というわけで早朝五時、屋敷一帯に彼女の高笑いが響き渡った。
「おはようございましてよ世界! わたくし大強院邪姫子、ついに十六歳になりましてよーっ!」
日々明朗快活な彼女ではあったが誕生日である今朝は一段と気力が漲っていた。しかも今日はただの誕生日ではない。彼女が待ちに待った決まりごとのひとつが解禁されるのだ。
一族の一挙手一投足が社会に影響を及ぼす大富豪、大強院家に生まれたとあってはその子女の恋愛など未成年のうちこそ表向きには取り沙汰されないものの実際には社会を揺るがす一大事。ゆえに、大強院家の一族郎党には婚姻可能年齢まで交際禁止という決まりがあるのだが、誕生日を迎えたことでついにその重い枷から解き放たれるのだ。
「おはようございます、そして十六歳のお誕生日おめでとうございますお嬢様」
産まれる前から彼女に付き従っている爺やが深々と頭を下げつつ祝いの言葉を述べる。
「ありがとう爺や! あなたにこの記念すべき十六歳の誕生日を祝っていただけてわたくしも嬉しくってよ!」
「勿体なきお言葉……海外の御父上様からもお祝いが届いてございます」
「まあお父様から!?」
「はい、こちらに」
爺やが手を叩くとそれを合図に彼に師事する執事たちが三人がかりで十八本立ちの大輪二百を優に超える胡蝶蘭を運び込む。それも真紅と純白の紅白だ。
邪姫子は恒例行事的にそれぞれの本数を数えて、そのすらっと長い首を大きく傾げた。
「十八本。毎年、年齢の本数ずつかと思っておりましたのですけれども」
邪姫子の父は彼女が八歳になった年から誕生日ごとに紅白の胡蝶蘭をそれこそケーキの蝋燭のように年齢の本数ずつ送っていた。だから今年は当然十六本、特に確認したわけではないけれども、必然的にそう彼女は考えていたのだ。
不可解な表情を浮かべる彼女に対して、めでたいはずのこの場に沈痛な面持ちとなった爺やが一枚の書面を差し出す。
そこにはこう書かれていた。
『愛する我が娘邪姫子、記念すべき十六歳の誕生日おめでとう。お前が今日という日まで無事に育ってくれただけでも感無量だが、その上このような立派な淑女となったこと、父として大変鼻が高い。
ところで、先日の法改正により結婚可能年齢は男女とも十八歳となったのは聡いお前であれば当然承知のことだろう。
本来であれば十六歳の誕生日を持って解禁としていた交際についても、そう、察してくれるな?
当代より十八歳へ延期とする。
お前とて多々思うところがあるだろう。だが、世界を担う大強院家のひとり娘としての責任を、正しく理解し全うしてくれると信じている。
父より。』
きょとんとまん丸の大きな瞳で爺やを見る邪姫子。彼は重苦しい表情のまま視線を落として首を横に振った。
「お読みになった通りのご通達でございます」
邪姫子には心に決めた交際相手が存在した。今日この日から、その人物に交際を挑もうと準備万端整えていたのである。
しばらくの間ふるふると書面を片手に俯いていた邪姫子だったが……。唐突に書面をくしゃくしゃと勢いよく丸めると振り返りもせず背後のゴミ箱へ投げ込んでしまった。
「もおおおお、当日になってから思い出したようになんと勝手な言い草でしょう!」
彼女とて大強院の血に連なる者、相手が父親であろうとも泣き寝入りすると思ったら大間違いである。
「交際でなければよろしいのでしょう!? ええ、お父様がその気ならわたくしもやってやろうじゃございませんの!!」
交際が駄目だというのであれば、交際以外の方法で全力でいちゃついてその鬱憤を晴らせばいい。
こうしてブチ切れた彼女は財力と人脈の限りを尽くして学校の一室に吊り天井を仕掛け意中の相手をハメるという大暴挙に出るのだが、それはまた別のお話である。
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