プロローグ

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プロローグ

「それ、いつも使ってるね」 仕事のお昼休憩中にカフェで本を読んでいると、後ろから同じ会社の営業部長に声をかけられて振り向く。 彼の目線を追うと、それは私の手にある(しおり)へと向かっていた。 読書好きの私が、読みかけの本に挟んでどこまで読んだかの目印にするために使っているものだ。 白いスズランの花が押し花になってラミネート加工されたシンプルな栞だった。  ……これは、あの人にもらったスズラン……。 もう未練なんてない。 大好きだったのに、あの人は私を裏切って振ったのだから。 なのに、いまだにこれだけは捨てられずに使っている。 「もしかして手作り?」 「……はい」 そう答えて、再び栞に視線を落とすと、嫌でも記憶が蘇ってくる。 若かった私の姿とあの人の優しい眼差しを。 『(しゅう)ちゃん、これ見て!押し花にして栞にしたの!』 『ふぅん、いいんじゃない。実用的で』 『もう〜!実用的とかじゃなくって、せっかく柊ちゃんがプレゼントしてくれたお花だから、ずっと持っていたかったの!私の乙女心!』 『はいはい。分かった、分かった』 『絶対分かってなーい!私の大好きなお花のスズランをプレゼントしてくれて、すっごく嬉しかったんだから!』 『そっか』 ちょっとぶっきらぼうだけど、頭をなでなでしてくれる手はどこまでも温かく、その眼差しは優しい。 甘えるように私は彼に抱きつき、背の高い彼を満面の笑みで見上げる。 『早く大人になって柊ちゃんと一緒にお酒飲みたいなぁ〜!』 『前も言ってたっけ』 『うん!私の好きな本に恋人同士でお酒飲むシーンが出てくるから憧れてるの!』 『とりあえず、その制服脱げるようになってからだな』 『だから大人になってからって言ったでしょ〜!大人になっても柊ちゃんとずっと一緒にいるんだから!柊ちゃんのこと大好きなんだもん!』 『はいはい。分かった、分かった』 『もうっ!またその適当なあいづち!』 拗ねる私を宥めるようにまた頭を撫でると、彼は顔を近づけて唇にキスを落とす。 ちょろい私はそれでもう何も言えなくなる。 『……もっとして?』 『分かってる』 瞼を閉じて、彼の優しくて深い口づけに浸る。 その甘さに心が幸せでいっぱいに満たされる。 『……エッチは?』 『それはダメ。莉子(りこ)が卒業するまでは。大事にしたいから』 高校3年。 私の世界は彼が中心で、優しくて大事にしてくれる彼が大好きで、彼がずっとそばにいてくれると信じて疑わなかった。 高校卒業から5年。 社会人2年目になった今、余計に分かる。 あの頃の私は、ただ無邪気で、彼に頼ってばっかりで、甘ったれで、どうしようもなかった。 だから裏切られていたことも気づかなかったし、振られたってしょうがなかった。 「莉子ちゃん?」 名前を呼びかけられ、過去から意識を引き戻される。 いつの間にか目の前の椅子に座っていた営業部長に顔を覗き込まれ、私は栞を挟んで本を閉じた。 「真中(まなか)さんは、営業先からの戻りですか?」 「そうだよ。莉子ちゃんの姿をカフェに見つけて思わず来ちゃった」 「そうですか」 「相変わらずつれないなぁ〜。知らない仲じゃないのに。ねぇ、あのこと考えてくれた?」 「何度もお断りしたはずですけど」 「なんで付き合ってくれないの?体は許してくれるのにさぁ」 恨めしそうな目で見られ、まだ話を続けようとする真中さんをサラリと受け流し、私は席を立ち上がる。 結論の変わらないこの話を続けるつもりはなかった。 「お昼休憩そろそろ終わるので戻りますね。真中さんはごゆっくりどうぞ」 「え、ちょっと、莉子ちゃん……!」 午後もやることがいっぱいで忙しい。 もう甘ったれていた私なんかじゃない。 そう、あの頃から前に進んでいる。 あの栞が捨てられないのは、ただスズランが可愛くて気に入っているからであの人は関係ない。 もうあの人は過去の思い出なのだ。 自分に言い聞かせるように心の中で静かにそうつぶやいたーー。
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