欲望という名のゲーム

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          第一章      プレイヤーという名の5人            1 四月十五日 深い山道を一台のマイクロバスが走り続けていた。 両側の窓に、時折木の葉がガサガサと擦れてしまうほど細い山道を、かれこれ一時間近くも走っている。 まだ午後の二時頃だというのに、道の上をぎっしりと覆う木の枝のために、まるでトンネルの中を走っているようだ。 春の柔らかい太陽光線は、幾重にも重なる枝々に遮られ、薄暗く、冷たく湿った大木のトンネルの中を、マイクロバスは走り続けていた。 国道を折れてこの道に入ってからというもの、いっさい脇道は見当たらない。 まったくの一本道だ。 そしてこの一本道の行き着く先はただひとつ。 その屋敷のためにだけ、この長い道は作られたのだった。 マイクロバスには運転手の他に五人の男女が乗っていたが、誰一人として言葉を交わす者はなく、みな押し黙ったまま、バスの揺れに身を任せていた。 最前列に座っている男は、いかにも高級そうなスーツに金縁の眼鏡、軽いパーマのかかった長めの髪、年齢は四十歳をいくらか出たあたりだろう。 少しアクの強い顔立ち、世間一般のサラリーマンとは異質の雰囲気をどことなく持っている。 危険というのはオーバーだが、しかし温和とは決して言いがたい。 そんな何かを持っている。 この男、雷音寺明彦は椅子に浅く腰掛け、両足を前に伸ばして腕組みをし、そして目を閉じてはいるが、寝てはいないようだ。 ひとつ飛ばした後ろの席には、対照的な男が座っている。 典型的サラリーマンタイプで、いくらかくたびれた地味な背広、そしてその顔も、やはりいくらかくたびれた地味な顔立ちだった。 年齢は四十より少し前らしいが、なにかバイタリティーというものが全く感じられず、多分会社でも有能とは縁遠いに違いない。 可もなく不可もない。 与えられた仕事はそこそここなすが、しかしそれ以上の物は何もない。 その程度の存在感しか感じられない。 この男、雷音寺喜久雄は隣に座っている妻をしきりに気にしていた。 隣に座っている女性は三十二、三というところか。 美人というのとは違うが、しかしそれなりに魅力的な容貌をしている。 どちらかと言えば愛嬌のある顔と言ったほうが適切だろう。 普段は明るくて多分よく笑う女だと思われるが、今は青い顔をしてうつ向いている。 この女性、雷音寺喜久雄の妻友子は乗り物に極端に弱く、かつてこれほどの遠出は経験がなかった。 そのふたつ後ろに、かなり派手な身なりの女性が座っている。 大きくウェーブのかかった茶色い髪は肩よりもやや長く、服は原色に近い赤のツーピース、胸には露骨なくらい大きなブローチ、そしてイヤリングも指輪も、人目を引くためだけに付けられている。 歳は三十前後と思われるが、はっきりとは断定しがたい。 気の強そうなところはあるがかなりの美人で、濃いめの化粧がその顔を際立たせている。 少なくとも一般的な主婦とは程遠い存在である。 この女性、雷音寺深雪はうんざりした顔をして煙草を吸っている。 そして最後部の座席には、まだ若い小柄で質素な女性が座っていた。 歳は二十そこそこ、その様子から多分大学生だと思われる。 白地に薄いピンクのストライプの入ったシャツ、その上に軽い感じの白のカーディガン、そしてモスグリーンのスカート。 彼女も美人ではあるが、どちらかというと理知的な顔立ちといったほうがいいだろう。 だが、決して冷たい印象は受けない。 いくらか垂れ下がり気味の大きな瞳が、全体の印象を優しくしているからだ。 現代女性には珍しく、しとやかな雰囲気も持っている。 この女性、雷音寺孝子は何も見えるはずのない窓の外をぼんやりと見ていた。 「まだ着かないんですか?」 妻を気遣っていた雷音寺喜久雄が、たまりかねて大声を上げた。 「妻の気分が悪いんだ。 その辺に止めてくれないか!」 「いえ、もうそこですから…」 運転手が言い終わらないうちに道が突然終わり、広大な平地に出た。 薄暗かったマイクロバスの中に強い太陽の光がいきなり注ぎ、乗客は一様に目を瞬かせた。 永遠とも思われた長い樹木のトンネルは終わり、今、目前に目的の屋敷はその全貌を表した。 かなり大きな屋敷にもかかわらずそれが小さく見えるのは、この広大な敷地のせいだろう。 周囲を円形の森に囲まれた敷地の中央に、その白い洋館は建っていた。 とても日本の一部とは思えないような、まるで写真で見たスイスの山奥にでも案内されたような奇妙な感じだった。 長い車寄せの道を、ゆっくりとマイクロバスは進んだ。 道の周囲は花畑のように春の花が咲き乱れている。 洋館の中央にある大きなドアの前でマイクロバスが止まる。 中から五人の乗客が次々と出てきた。 気分が悪かった友子はしばらく深呼吸をしていたが、やがて徐々に血色が戻ってきた。 「大丈夫か?」 喜久雄が心配そうに聞く。 「ええ、もう大丈夫よ。 気分が楽になったわ」 友子はそう言い、また深呼吸を始めた。 狭いバスの中に閉じ込められていた時間が長かったので、五人はしばらくノビをしたり深呼吸をしたりしていた。 澄んだ空気は多分に緑の香りを含み、普段は都会の薄汚れたガスばかり吸っている五人にとって、なにか体の中を洗浄される思いがした。 マイクロバスがクラクションを鳴らした。 五人が振り向くと、運転手は五人分の荷物をすっかり降ろし終わっていて、バスはUターンまで済まし、もと来た道を帰る態勢をとっていた。 「じゃ、これで…」 運転手が言う。 「あら、帰っちゃうの?」 深雪が聞く。 「ええ、あとでまた迎えに来ますから、それじゃ…」 「おい、あとっていつだ?」 明彦が聞く。 「はい、一週間後という約束になっています」 「なに! 一週間後だと! おい、ちょっと…」 明彦は運転手を呼び止めようとして叫んだが、しかしバスはすでに走り出していて、あっという間にもと来た木々のトンネルの中へと消えて行った。 バスの姿が見えなくなってしまうと、急にあたりが静まり返ったようで、なにか不安なものが奥底から込み上げてきた。 五人とも長く都会で生活してきたせいか、都会の雑踏はいわば聞き慣れたBGMになっている。 しかし、ここにはそれがない。 静寂の中で、時折聞こえる小鳥の声。 その静けさがたまらなく不安にさせた。 そして文明の欠片のようなバスの姿がその視界から消えた今、彼らは見知らぬ土地で迷子になった子供の心境と同じ思いをしていた。 「おい、一週間もここに居ろっていうのか! 俺は忙しいんだ。 まったくどういうつもりなんだ」 明彦が吐き捨てるように言う。 「そんな事言ったって、バスはもう行っちゃったわよ。 それともなぁに、あの道を歩いて帰るって言うの? 冗談じゃないわよ!」 深雪がイライラした調子で言い、口に煙草をくわえた。 「一週間はここから帰れないんでしょうか?」 誰に言うともなく、喜久雄は言った。 そばにいる友子も不安を隠せない様子だ。 孝子は一人離れた位置にいて、珍しそうに洋館を見上げていた。 三階建てのかなり大きな屋敷で、窓の数から見ても、相当数の部屋がありそうだった。 遠目には白く美しく見えたが、こうして近くで見てみると、あちこちペンキが剥がれ落ちていて、想像以上に年代物だと孝子は思った。 しかし、年代物であるがゆえにその作りはがっしりとしていて、重さとそして風格を感じさせた。 外見だけが美しく、中身の軽いペンションなどとは比べ物にならない重厚で荘厳な構え、傷だらけになりながら、幾つもの嵐や暴風雨を乗り越えてきた強い自信をこの屋敷は持っていた。 多分、父はこの屋敷のような人だったのだろう。 孝子は思った。 父の事は話には聞いたことがある。 写真も見た事がある。 しかし、彼女の記憶の中に父は存在しなかった。 彼女が物心ついた時、両親はすでにこの世を去っていた。 だから孝子に父や母の記憶はなく、なんの思い出もなかった。 だがこの屋敷の前に立った時、彼女は父の面影を感じた。 不思議な事だが、なんの記憶もない父の暖かさに触れたような気がした。 「この家、好きだわ」 孝子は独り言のように言った。 心地よい風が、髪をさらさらと動かした。 それと同時に、屋根の上のほうでカラカラと音がした。 孝子は音の正体を知りたくて、屋敷から少し離れ、屋根を見上げた。 風見鶏だった。 金属板の風見鶏が、屋根の上でその姿を誇るように立っている。 その金属製の鳥の少し下の部分に、風を受ける風車のような物が付いていて、それがカラカラと音をたてて回っていた。 「とにかく、ここにいてもしょうがない。 中に入って弁護士の鹿島とかいう男に事情を聞いてみよう」 明彦は決心したようにそう言うと、正面のドアに近付いていった。 そして、そのドアの前まで来て立ち止まった。 「おいおい、こりゃなんの冗談だい」 呆れたような声を上げる。 それを聞いて、他の四人もドアのそばまで来た。 それまで気が付かなかったが、ドアに異様な物が下がっていた。 大きな分厚い木で出来た観音開きのニ枚ドアで、その両方のドアにそれは下がっていた。 大きさはちょうど人間の顔と同じ位で、鉄かなにかは分からないが黒い金属で出来ていて、厚みもかなりある。 彫金というのだろうか、とてもリアルな作りの笑った人間の顔なのである。 それが二つ、目の高さより少し上に、ドアのどちらの板にも下がっている。 「雅則兄さん…」 孝子がつぶやくように言った。 「確かにこれは兄貴の顔だが、いったいなんなんだこれは?」 明彦が深雪に聞いた。 「あたしだって知らないわよ。 こんな不気味な物」 「何かのおまじないでしょうか?」 喜久雄が皆に尋ねる。 しかし、まともに答えられる者はいない。 皆一様に首を捻っている。 友子が恐々と指で押してみた。 「あら、これ意外と軽いわよ。 中は空洞なのね」 その時ドアのノブがガチャリと音をたてて回ったので、友子はビックリして後ずさった。 ギ、ギギーィ… 物々しい音をたてて、ドアがゆっくりと開いた。 中から大柄な男が顔を出した。 身長は百九十を少し越えているかもしれない。 しかも上背だけでなく、肩幅や胴回りもガッチリしていて、どちらかというと日本人離れした体格だ。 年齢は四十よりは上だが、五十には届いていないというところか。 髪をピッタリと撫で付けていて、銀縁の眼鏡を掛けている。 一見してかなりの紳士に見えるのは、その物静かで理知的な顔立ちと同時に、仕立てのよい高級スーツをさりげなく着こなしているそのセンスも一役かっている。 この男、弁護士の鹿島が五人を屋敷に招待したのだった。 「皆様、お着きでしたか」 鹿島は低いそして威厳を含んだ話し方をする男だった。 「遠いところをお疲れだったでしょう。 荷物は後で運ばせますから、どうぞ中へ」 そう言ってドアを大きく開けた。
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