欲望という名のゲーム

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           2 鹿島に従って屋敷に入った五人は、中の様子に思わず目を見張った。 奥行きの深い、広く天井の高いホール。 その天井から下がった巨大なシャンデリア。 右側の壁には大小様々の絵画と角の大きな鹿の頭部の剥製。 その向かいの壁には西洋の甲冑が飾られている。 全体に落ち着いたアイボリーで統一されている豪華な空間。 床は一辺がニメートル以上もあるかと思われる正方形の大理石が、白黒交互に市松模様になっている。 前方正面にはニ階に上がるための、幅がゆうに五メートルはあろうかと思われる階段が、突き当たりまで続いている。 その階段は突き当たりの踊り場の所から左右に分かれ、上へと続いている。 左右に分かれた階段は、それぞれニ階の廊下に接続している。 つまりこのホールの天井はニ階分の高さがあり、ニ階の左右の廊下は、がっしりとした欄干は付いているが、ホールにその幅だけ飛び出している格好となっている。 屋敷の入り口から入り、階段を正面に見て、右と左にニ階の廊下はあるのだ。 そのニ階の廊下ぞいにドアが並んでいるのが見える。 とにかく日本の建築様式とは基本的に大きく違っていた。 その不思議な雰囲気と豪華さに、五人は戸惑っていた。 「どうぞ、遠慮なく中へ」 鹿島がさりげなく言う。 五人はキョロキョロとしながら、順に中へと入ってきた。 シャンデリアを見ては驚嘆し、鹿の剥製を見ては驚き、目に写る全ての物が珍しかった。 そして、ここに飾られてある品々は、本物だけが持つ香りを漂わせていた。 見せるために飾られたのではなく、楽しむために飾られてあるのだ。 鹿島はホールの中央まで歩いて振り向いた。 鹿島に続いて屋敷の中に入った五人は、彼と向かい合う形となった。 「この屋敷は、あなた達のお兄さんでいらっしゃる雷音寺雅則様が、生前お住みになっていたものです」 鹿島が、おもむろに説明を始めた。 「もともとはフランスの富豪が、日本に長期滞在するために造られた屋敷だったのですが、その富豪が手放したものを雅則様が手に入れられたのです。 ここからご覧になってお分かりのとおり、ニ階には左右に各三部屋づつ、計六部屋の客室がございます。 便宜上、部屋には番号が打ってあります。 右側の三部屋が一号室、ニ号室、三号室、そして左側が四号室、五号室、六号室となっています。 その内の六号室は、現在私が使用させていただいてます。 ですから、残りの五部屋を皆様方に使っていただく事になりますが、とりあえず年齢順に一号室を明彦様、ニ号室を喜久雄様ご夫妻、三号室を深雪様、そして四号室を孝子様ということで準備してございますので、そちらの方でおくつろぎ下さい。 部屋にはバス・トイレも完備してございます。 決して不自由をなさるような事はないと思いますよ」 「ちょっと待ってくれ」 明彦がたまりかねて言った。 「鹿島とかいったな。 我々がここに一週間も滞在する事になるってのは、本当なのか?」 「最長で一週間、場合によってはもっと短くなる事もございます」 「冗談じゃないわ!」 深雪が呆れたという声を上げた。 「こんなお化け屋敷みたいな所に、一週間もいられるわけないじゃない。 あたしは忙しいのよ!」 「僕も仕事がある」 喜久雄が続く。 妻の友子が相槌を打つ。 孝子だけが何も言わずにいた。 彼女はむしろこの屋敷に強い興味を示したらしく、一週間の滞在にも不満はないようだった。 鹿島は口々に文句を言う四人を困った様子もなく、むしろ楽しそうに見ていたが、やがて両手を上げ、分かりましたというようなジェスチャーをした。 「皆様がおっしゃりたい事は、よく分かります。 皆様がそれぞれお忙しい方だという事も十分に承知しております。 しかし、今この屋敷を立ち去るという事は、雅則様の遺された遺産を放棄するという事になりますが…」 その途端に、四人はピタリと口を閉ざした。 「そうなのです。 皆様にここに滞在していただく事も、遺産相続の条件の一つなのです」 「いくらある」 明彦がぶしつけに聞いた。 「兄貴の遺した財産は、いったいいくらあるんだ」 「動産、不動産もろもろを全て合わせますと、約ニ百八十億円というところです。 「ニ百八十…」 深雪が言葉を呑んだ。 その金額は、誰の想像をも大きく上回っていた。 「滞在に異論はございませんね」 鹿島が澄まして言う。 勿論、異議を唱える者はいない。 「何も聞いてなかったから、着替えがないわ」 孝子がぽつりと言った。 鹿島は大丈夫というようにうなづく。 「着替え、その他必要と思われる物は、各部屋に全て用意してございます。 もし足りない物がありましたら、なんなりとお申し付けください。 すぐに用意するようにいたします。 滞在期間中は決して不自由をおかけする事はないでしょう。 生前、雅則様からも強くそう言いつかっておりますので」 「あんたに俺の洋服のサイズが分かるのか?」 明彦が挑戦的に言う。 「全て事前に調べてあります。 サイズと、そして好みも」 「下着の好みも?」 深雪が面白半分に聞いたが、予想に反して鹿島は平然とうなづいた。 「あの… 遺産相続についてですが…」 喜久雄が言いかけたのを、鹿島は手で制した。 「その事につきましては、今晩夕食の後に話し合う事になります。 それまでは部屋でゆっくりとお休みください」 鹿島はそう言ってから、右側にあるドアを手で示した。 「ここが食堂になっています。 夕食は六時からです。 服装につきましては、堅苦しい事は申しません。 ではその席で、またお会いする事にいたしましょう」 鹿島はそれだけ言うと深く頭を下げ、食堂のドアを開け中に入り、そしてドアを閉めた。 その時ドアの内側に、黒い物が下がっているのがチラリと見えた。 この屋敷の入り口のドアに掛かっていたのと同じ物だった。 雅則の笑っている顔を模写した金属製のあれであった。 ホールに残された五人は、無言のまま中央の階段を上がった。 そして、三人は右へ、孝子だけが左へと別れた。 明彦は金色の金具で1の付いた部屋に入った。 ワンルームを想像していた明彦は、ドアを開けた瞬間やや戸惑った。 十ニ畳ほどの広さの部屋で、やはり基調は落ち着いたアイボリー。 窓を大きく取ってあるせいか全体に明るい。 ドアのすぐ右にホームバーのカウンターがあり、カウンターの奥の棚には、いろいろな銘柄のウイスキー、ブランデー、あるいはジンリキュール類などがびっしりと並べられている。 部屋の中央よりやや奥に応接セットが、そして左奥の隅にテレビモニターとビデオデッキがある。 左の壁の中ほどに、もうひとつドアがあり、それがベッドルームとバス・トイレにつながっているらしい。 明彦は早速バーの中の棚の前に行き、しばらく眺めた末シーバス・リーガルの十ニ年物を手に取った。 そして振り返った時初めて気が付いた。 部屋のドアの内側に、例の黒い金属で出来た、笑った顔が下がっているのに。 友子がニ号室のドアを後ろ手で閉めた時、小さな悲鳴を上げた。 「どうしたんだ?」 そう言って駆け寄った喜久雄に、友子は指でそれを示した。 黒い金属の笑い顔。 「何かしら、これ。 食堂のドアの中にも掛かってたのよ。 なんか気味悪いわ」 「こんなの気にするなって。 おまえは会った事がないから知らないのも無理ないが、雅則って奴は呆れるほど変わり者だったんだ」 「そんなに変人だったの?」 「それでなきゃ、こんな山奥の屋敷に一人で住んでるわけないだろ」 「じゃ、遺産で生活してたのかしら?」 「いや、どうもそうじゃないらしい。 本を書いてたって聞いた事がある。 もっとも、僕もあまりよく知らないんだけどね」 そう言いながら、応接セットのソファーにごろりと横になった。 「ねぇ、ウイスキーかなんか飲む?」 友子はそう聞きながら、珍しそうにホームバーの中に並んだ酒を見ていた。 深雪は三号室のホームバーの椅子に腰掛け、ブランデーを傾けながら、ドアに下がっている黒い金属の塊を見ていた。 冷たい金属が笑いかけているようで、あまり良い気持ちはしない。 そう言えば、確かこれと同じ物を食堂のドアの内側でも見たような気がした。 深雪はキャメルを指に取り、火を着けた。 カウンターの隅には、彼女の指定銘柄であるキャメルのロングサイズが3カートン、初めから用意されていた。 鹿島が自分達の事を事前に調べていたことは間違いない。 その事も彼女は気に入らなかった。 深雪が唯一気に入っているのは、ニ百八十億という夢のような金額だけだった。 四号室の孝子は、ホームバーの中にある冷蔵庫の冷凍室を覗いていた。 その中にワン・パイント入りの色々なアイスクリームがぎっしり並んでいるのを確認してニコリとした。 「本当によく調べてあるわね」 適当な皿にバニラアイスクリームを少し取り、洋酒棚からコーヒーリキュールのカルーアの黒い瓶を見付けて、それをアイスクリームの上に少し垂らす。 コーヒーの甘い香りが、ゆっくりと部屋の中に広がっていった。 「失礼して勝手にいただくわね、お兄さん」 ドアに掛かった金属の笑い顔に、そう語りかけるように言った。 ソファーに座りアイスクリームを食べようとした時、窓の外で猫の鳴き声がした。 孝子は皿を持ったまま立ち上がり、窓の外を見下ろした。 庭に咲き乱れる花の中に、赤い首輪を着けた三毛猫の背中が見えた。 虫でも追い掛けているのか、夢中になって走り回っている。 「お兄さん、猫を飼ってたのか。 …やっぱり、淋しかったのかなぁ」 孝子は猫を目で追いながら、アイスクリームを口に運んだ。
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