16人が本棚に入れています
本棚に追加
2
鹿島に従って屋敷に入った五人は、中の様子に思わず目を見張った。
奥行きの深い、広く天井の高いホール。
その天井から下がった巨大なシャンデリア。
右側の壁には大小様々の絵画と角の大きな鹿の頭部の剥製。
その向かいの壁には西洋の甲冑が飾られている。
全体に落ち着いたアイボリーで統一されている豪華な空間。
床は一辺がニメートル以上もあるかと思われる正方形の大理石が、白黒交互に市松模様になっている。
前方正面にはニ階に上がるための、幅がゆうに五メートルはあろうかと思われる階段が、突き当たりまで続いている。
その階段は突き当たりの踊り場の所から左右に分かれ、上へと続いている。
左右に分かれた階段は、それぞれニ階の廊下に接続している。
つまりこのホールの天井はニ階分の高さがあり、ニ階の左右の廊下は、がっしりとした欄干は付いているが、ホールにその幅だけ飛び出している格好となっている。
屋敷の入り口から入り、階段を正面に見て、右と左にニ階の廊下はあるのだ。
そのニ階の廊下ぞいにドアが並んでいるのが見える。
とにかく日本の建築様式とは基本的に大きく違っていた。
その不思議な雰囲気と豪華さに、五人は戸惑っていた。
「どうぞ、遠慮なく中へ」
鹿島がさりげなく言う。
五人はキョロキョロとしながら、順に中へと入ってきた。
シャンデリアを見ては驚嘆し、鹿の剥製を見ては驚き、目に写る全ての物が珍しかった。
そして、ここに飾られてある品々は、本物だけが持つ香りを漂わせていた。
見せるために飾られたのではなく、楽しむために飾られてあるのだ。
鹿島はホールの中央まで歩いて振り向いた。
鹿島に続いて屋敷の中に入った五人は、彼と向かい合う形となった。
「この屋敷は、あなた達のお兄さんでいらっしゃる雷音寺雅則様が、生前お住みになっていたものです」
鹿島が、おもむろに説明を始めた。
「もともとはフランスの富豪が、日本に長期滞在するために造られた屋敷だったのですが、その富豪が手放したものを雅則様が手に入れられたのです。
ここからご覧になってお分かりのとおり、ニ階には左右に各三部屋づつ、計六部屋の客室がございます。
便宜上、部屋には番号が打ってあります。
右側の三部屋が一号室、ニ号室、三号室、そして左側が四号室、五号室、六号室となっています。
その内の六号室は、現在私が使用させていただいてます。
ですから、残りの五部屋を皆様方に使っていただく事になりますが、とりあえず年齢順に一号室を明彦様、ニ号室を喜久雄様ご夫妻、三号室を深雪様、そして四号室を孝子様ということで準備してございますので、そちらの方でおくつろぎ下さい。
部屋にはバス・トイレも完備してございます。
決して不自由をなさるような事はないと思いますよ」
「ちょっと待ってくれ」
明彦がたまりかねて言った。
「鹿島とかいったな。
我々がここに一週間も滞在する事になるってのは、本当なのか?」
「最長で一週間、場合によってはもっと短くなる事もございます」
「冗談じゃないわ!」
深雪が呆れたという声を上げた。
「こんなお化け屋敷みたいな所に、一週間もいられるわけないじゃない。
あたしは忙しいのよ!」
「僕も仕事がある」
喜久雄が続く。
妻の友子が相槌を打つ。
孝子だけが何も言わずにいた。
彼女はむしろこの屋敷に強い興味を示したらしく、一週間の滞在にも不満はないようだった。
鹿島は口々に文句を言う四人を困った様子もなく、むしろ楽しそうに見ていたが、やがて両手を上げ、分かりましたというようなジェスチャーをした。
「皆様がおっしゃりたい事は、よく分かります。
皆様がそれぞれお忙しい方だという事も十分に承知しております。
しかし、今この屋敷を立ち去るという事は、雅則様の遺された遺産を放棄するという事になりますが…」
その途端に、四人はピタリと口を閉ざした。
「そうなのです。
皆様にここに滞在していただく事も、遺産相続の条件の一つなのです」
「いくらある」
明彦がぶしつけに聞いた。
「兄貴の遺した財産は、いったいいくらあるんだ」
「動産、不動産もろもろを全て合わせますと、約ニ百八十億円というところです。
「ニ百八十…」
深雪が言葉を呑んだ。
その金額は、誰の想像をも大きく上回っていた。
「滞在に異論はございませんね」
鹿島が澄まして言う。
勿論、異議を唱える者はいない。
「何も聞いてなかったから、着替えがないわ」
孝子がぽつりと言った。
鹿島は大丈夫というようにうなづく。
「着替え、その他必要と思われる物は、各部屋に全て用意してございます。
もし足りない物がありましたら、なんなりとお申し付けください。
すぐに用意するようにいたします。
滞在期間中は決して不自由をおかけする事はないでしょう。
生前、雅則様からも強くそう言いつかっておりますので」
「あんたに俺の洋服のサイズが分かるのか?」
明彦が挑戦的に言う。
「全て事前に調べてあります。
サイズと、そして好みも」
「下着の好みも?」
深雪が面白半分に聞いたが、予想に反して鹿島は平然とうなづいた。
「あの…
遺産相続についてですが…」
喜久雄が言いかけたのを、鹿島は手で制した。
「その事につきましては、今晩夕食の後に話し合う事になります。
それまでは部屋でゆっくりとお休みください」
鹿島はそう言ってから、右側にあるドアを手で示した。
「ここが食堂になっています。
夕食は六時からです。
服装につきましては、堅苦しい事は申しません。
ではその席で、またお会いする事にいたしましょう」
鹿島はそれだけ言うと深く頭を下げ、食堂のドアを開け中に入り、そしてドアを閉めた。
その時ドアの内側に、黒い物が下がっているのがチラリと見えた。
この屋敷の入り口のドアに掛かっていたのと同じ物だった。
雅則の笑っている顔を模写した金属製のあれであった。
ホールに残された五人は、無言のまま中央の階段を上がった。
そして、三人は右へ、孝子だけが左へと別れた。
明彦は金色の金具で1の付いた部屋に入った。
ワンルームを想像していた明彦は、ドアを開けた瞬間やや戸惑った。
十ニ畳ほどの広さの部屋で、やはり基調は落ち着いたアイボリー。
窓を大きく取ってあるせいか全体に明るい。
ドアのすぐ右にホームバーのカウンターがあり、カウンターの奥の棚には、いろいろな銘柄のウイスキー、ブランデー、あるいはジンリキュール類などがびっしりと並べられている。
部屋の中央よりやや奥に応接セットが、そして左奥の隅にテレビモニターとビデオデッキがある。
左の壁の中ほどに、もうひとつドアがあり、それがベッドルームとバス・トイレにつながっているらしい。
明彦は早速バーの中の棚の前に行き、しばらく眺めた末シーバス・リーガルの十ニ年物を手に取った。
そして振り返った時初めて気が付いた。
部屋のドアの内側に、例の黒い金属で出来た、笑った顔が下がっているのに。
友子がニ号室のドアを後ろ手で閉めた時、小さな悲鳴を上げた。
「どうしたんだ?」
そう言って駆け寄った喜久雄に、友子は指でそれを示した。
黒い金属の笑い顔。
「何かしら、これ。
食堂のドアの中にも掛かってたのよ。
なんか気味悪いわ」
「こんなの気にするなって。
おまえは会った事がないから知らないのも無理ないが、雅則って奴は呆れるほど変わり者だったんだ」
「そんなに変人だったの?」
「それでなきゃ、こんな山奥の屋敷に一人で住んでるわけないだろ」
「じゃ、遺産で生活してたのかしら?」
「いや、どうもそうじゃないらしい。
本を書いてたって聞いた事がある。
もっとも、僕もあまりよく知らないんだけどね」
そう言いながら、応接セットのソファーにごろりと横になった。
「ねぇ、ウイスキーかなんか飲む?」
友子はそう聞きながら、珍しそうにホームバーの中に並んだ酒を見ていた。
深雪は三号室のホームバーの椅子に腰掛け、ブランデーを傾けながら、ドアに下がっている黒い金属の塊を見ていた。
冷たい金属が笑いかけているようで、あまり良い気持ちはしない。
そう言えば、確かこれと同じ物を食堂のドアの内側でも見たような気がした。
深雪はキャメルを指に取り、火を着けた。
カウンターの隅には、彼女の指定銘柄であるキャメルのロングサイズが3カートン、初めから用意されていた。
鹿島が自分達の事を事前に調べていたことは間違いない。
その事も彼女は気に入らなかった。
深雪が唯一気に入っているのは、ニ百八十億という夢のような金額だけだった。
四号室の孝子は、ホームバーの中にある冷蔵庫の冷凍室を覗いていた。
その中にワン・パイント入りの色々なアイスクリームがぎっしり並んでいるのを確認してニコリとした。
「本当によく調べてあるわね」
適当な皿にバニラアイスクリームを少し取り、洋酒棚からコーヒーリキュールのカルーアの黒い瓶を見付けて、それをアイスクリームの上に少し垂らす。
コーヒーの甘い香りが、ゆっくりと部屋の中に広がっていった。
「失礼して勝手にいただくわね、お兄さん」
ドアに掛かった金属の笑い顔に、そう語りかけるように言った。
ソファーに座りアイスクリームを食べようとした時、窓の外で猫の鳴き声がした。
孝子は皿を持ったまま立ち上がり、窓の外を見下ろした。
庭に咲き乱れる花の中に、赤い首輪を着けた三毛猫の背中が見えた。
虫でも追い掛けているのか、夢中になって走り回っている。
「お兄さん、猫を飼ってたのか。
…やっぱり、淋しかったのかなぁ」
孝子は猫を目で追いながら、アイスクリームを口に運んだ。
最初のコメントを投稿しよう!