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席に座って俯いた。自分で作った距離なのにやっぱり寂しい。やっぱり前に行こうか。でも、座っちゃったし。
「やっぱり後ろがいいの?」
顔を上げると結がいた。いつも僕には優しい顔を見せる。
「受けてみる?」
「え」
「面接」
「え」
「帰り履歴書買って帰ろう。2人で採用されたら後ろの家に引っ越してこよう。それだったらどう?通勤時間考えなくていいし。」
「…ゆわ…え」
「悪くないよな。ここで働いたら…まずポップコーンを売店に並べたいし…あとは、飲み物も…」
隣に座る結がにっこり笑った。
僕と結の時間軸と考えるスピードと範囲とテンションが違う。大人になった結は、僕より冷静。だけど向いてる方向は一緒だ。でも、話すタイミングが僕とズレすぎている気がする。
「結、まずは採用されないと。」
「それな。」
ただ、結は今の仕事どうするんだろう。リーダーだから、頼られてるだろうし。そんなにすぐにやめられるんだろうか。
僕の場合は、仕事は嫌じゃないけど野上さんに絡まれ続けるのはきついし、やめても別に心残りするような職場ではないし。だからこそ、社員募集って文字に反応できた気がする。それに何より結の祖父母が住んでいた家に住み、結の祖父がやっていた映画館で働く…という未来図には縁を感じずにはいられなかった。白鳥園にいる頃から結が、結の祖父母と連絡を取っていたのかはわからないが結の持っている運命的なものは家族の繋がりは切らないようにできていて僕もそれに混ぜてもらえるならステキだと思えた。
スクリーンには船で釣りをする大人たち。結は、時々声を出して笑った。お客さんは僕たちしかいない。だから、少しくらいの笑い声なら誰に咎められることもない。僕は、まだ2回しか来ていないこの映画館に懐かしいような気持ちになる。子どもの頃に映画館に行ったことなんか全くないのに。もっとも僕は小学生の頃、映画は学校の体育館に文化団体が環境保全の心を養うことや、戦争の悲惨さや命を尊く思うことを押し付けにくる道具だと思っていた。だからあまり、映画には興味がなかった。映画を見て笑っていいと知れたのは結の隣にいるからだ。
「釣りバカ、おもしろいね。」
「な。」
「うん。」
名作映画を見るなんて結がいなかったら僕には縁がなかったかもしれない。古くて、あったかいこの空間に結と僕がいる。
スクリーンの明かりだけで見る結の横顔は幼い頃、ベッドで一緒に横になって月明かりに照らされていた顔と変わらない。時々笑う姿がこんなにも愛しくて他に何もいらないとさえ思える。
僕にもこんな気持ちがあることにも驚いた。
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