鎖は静かに地に堕ちた

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 幸一は部屋を出ると、ぼんやりとしまま家の中を歩き回った。  薄暗い廊下、真由は暗い所が苦手で、小さい頃はよく幸一にトイレに付いてきてくれとせがんでいた。  階段は真由がまだ赤ん坊だった頃、転落防止の柵を付けたことがあった。  彼は大工仕事が苦手だったが、娘のためを思って四苦八苦しながら取り付けた。  風呂も小さい頃は一緒に入っていた。  子供番組で聞いたお絵描き歌を二人で歌いながら、ガラスの曇った所に絵を描いた。  庭では妻を含めた三人で遊んだ、負けず嫌いで手加減してほどほどに負けないと、どんな遊びでもいつまでも挑戦するような子だった。  台所では、よく母親と一緒に料理をしていた。  小さい頃は簡単な事しかできなかったが、年齢を重ねるに連れて味付けをしたり野菜を切ったりとできる事が増えて行った。  高校生なった頃には、家族の分の料理も作ってくれた。  初めてのハンバーグは焦げていたが、二回目からは誰が食べても美味しいと言うような味だった。  リビングでは、よく一緒にテレビを見た。  クイズ番組で競った事もあった、バラエティ番組で大笑いした事もあった。  チャンネルの取り合いで喧嘩をした時、妻は呆れたように笑っていた。  幸一はリビングのソファーに腰を下ろす。  しん、と静まりかえった家の中にいると本当にこの世界に一人きりになってしまったのではないかと考えてしまう。  不意に幸一の目から、涙が溢れ出た。  自分でも驚くほどに唐突な涙、目頭が熱くなり、視界がぼやけたと思った次の瞬間には涙は滝のように溢れだした。  その時になって、ようやく彼は娘が死んだという現実を受け入れた。  もう二度と話す事ができない、喧嘩をする事も笑い合う事もできない。  彼は自分が、真由を真由として愛していた事に気付いた。  もう無くなったと思っていた愛情は、消える事無く彼の中にあったのだ。  溢れ出る愛情は涙となって、彼の目から零れ続ける。  幸一は一人、リビングで声を上げて泣いた。  ひとしきり泣いたあと、彼は赤く腫れた目元を拭い、これから自分が何をするべきなのか、どう生きていくべきなのかを考える。  答えは驚くほど、簡単に出た。
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